460 始まりの勇者
日本に帰りたいか?
枢機卿の発した言葉は、さながら堕落に誘う悪魔のように甘かった。
そんなの帰りたいに決まっている。むしろその為に旅を続けているとさえ言っていい。俺は興奮のあまりに勢いよく席を立ち。前のめりになって……言葉を失った。
「当然だ」と言いたかった。けれど、立ち上がったのは俺だけではない。
イグニスもフィーネちゃんも、自分の事のように真剣な顔をして、机に手を叩きつけていたのだ。そんな彼女たちを見て、共に過ごした時間が後ろ髪を引く心地だった。
「その話、詳しく聞かせて貰おうじゃないかよ。おい?」
「そうですね。知っていることを全て教えてください」
(吐け、さもなければ塵も残さず消してくれるわ!)
いや、笑顔で凄む3人に気圧されたと言ってもいいだろうか。美咲さんが流れを理解出来ずに狼狽えていたので、俺は大丈夫ですよとだけ伝えることに。
(相模くんはこっちの言葉分かるんだね。すごーい!)
「お、俺には教えてくれた人が居たから」
尊敬の眼差しで見られてしまった。照れるぜ。なにより苗字で呼ばれる距離感が、どうにも新鮮で。だらしのない顔をしていると真面目にやれとイグニスに尻をぶっ叩かれた。
「もちろん説明はしよう。だが、これは君たちと勇者様だからこそ話すこと。どうか内容は他言無用で願いたい」
「分かりました」
俺たちは三人で頷き合って椅子に座りなおす。枢機卿はどこから話したものかなと、しばし沈黙しながら思索して。やがてこう切り出したのである。
「そも、なぜ三柱教というものが存在していると思うかね?」
「……初代勇者一行の偉業を習い、その思考や行いを崇めているからと聞きますが」
なんともいい辛そうに答えるのは魔女。フィーネちゃんも頷くあたり、きっと模範解答ではあったのだろう。だが相手は宗教のお偉いさんで。問答は、まさに釈迦に説法というもの。
ならば肝心の勇者を崇めないのは何故だ。そう切り返されれば、本物の勇者は確かにと唸りをあげて降参した。
「このシェンロウ聖国は、勇者誕生の地とされるが。それは真実であり、事実がない」
「事実が……ない?」
「そうとも。一番最初に現れた魔王を、仮に大魔王と呼称するとしよう」
変わった言い回しに、どういう意味だろうと俺も眉をひそめる。
するとウィッキーさんは、人類は大魔王に敗北をしている。いまは神と崇められる初代勇者一行は勝利を収めていなかったと、まるで陰謀論じみた事を言い出した。
しかし、放っておけば世界が滅びてしまう。そこで初代勇者一行が取った手段こそ、時間の逆行。相手が強大な存在に成長する前に打倒するという荒業だったと。
あまりにも信じ難い話をしだし。イグニスやフィーネちゃん。ジグルベインさえも言葉を飲む。
「成功したかは定かではない。なにせ観測が出来ないのだ。だが、結果として大魔王は消滅した。ただ一人の勇気ある犠牲によってね」
「……そんな」
己の身を焼き焦がし戦う勇者であるが、その話には流石に身を震わせた。
確かにあった危機。確かに居た英雄。しかし、世界はソレを忘れて今日も回っている。なにせ、この世界線では起こらなかった物語なのだから。
未来の救済という偉業を成し遂げた、ただ一人の英雄は。未来のことゆえ、誰からの喝采を浴びることもなく、人知れず孤独に歴史へ沈んでいったのである。
「故に我らが語るのだ。儀式を行った開祖らは唯一に記憶を持ち。平穏な世界で魔王の脅威と勇者の偉業を紡いで来た」
俺は少しばかり、この世界の宗教のあり方に納得をした。なぜ勇者一行を崇めるのかとずっと疑問であったが、いつの世でも勇者に寄り添える人材の育成を目的としていたのであろう。
「待って下さい。その話だと、勇者というのは、ただの称号です。でも実際に私には力があります」
「私たちは、初代勇者が魔王の討伐を成し遂げた証拠だと考えているよ。貴女に宿る力は、奇跡と呼んでも差し支えのない代物だ」
大魔王が排除された世界では、代わるように新たな存在が出現していた。無限の魔力を身に宿し、特異点さえも破壊出来る人類の希望。いまの時代に勇者と呼ばれる者たちで。恐らくは初代の残した贈り物だろうと枢機卿は言う。
「勇者は魔王の爪痕を消せるが。それは魔力量の問題だけではない。同系統の力で、法則を上書きしているのだと考察されている」
「腑に落ちました。マキナを超える力を持っていても、彼には資格が無かったのですね……」
フィーネちゃんが聞きたかったことは、英雄モアの話か。特異点が放置されていた理由を知り、改めて勇者の特別製を認識し。同時、ジグルベインも並々ならぬ形相を披露している。
(そうか。世界再編を行ったのは、始獣ではなく勇者……!!)
大森林にてエルフの長老シシアさんは、現実が塗りつぶされている可能性を語った。いわば、これはその答えにもなるのであろう。勇者という存在そのものが、特異点であったと。
「ああ、見えてきた。綺麗ごとを言っているが、三柱教を残したは、世界の危機に再び過去へ刺客を送る腹積もり。つまり、貴方達には時ないし次元を超える手段が伝承されているのだな」
「素晴らしいよ、イグニス嬢」
この溢れる情報を整理し、なおかつ先を行く魔女。正解だと拍手で迎える枢機卿の声には、心からの称賛が見て取れる。だがイグニスは喜ぶでもなく。むしろ困惑するような声で、とある名前を出した。
「一つお聞きしたい。私たちは浮遊島で、アイリスと呼ばれ祀られる存在を知りました。この名前に心当たりはありませんか?」
「なんと……。そうか、とっくに滅んだ名前だと思ったが、まだ残っていたのだね」
仮面の男は、隠すこともなく知っていると認め。古い話だから簡単に聞いた程度だけどねと、魔女の疑問に答えてくれる。俺の中では、ウィッキーさんはなんでも知っている説が浮上した瞬間だった。
「今でこそ神で崇められるダングス、マーレ、フェヌアの初代勇者一行たち。しかし、魔王に敗北した過去があるように、彼らも元はただの人間に過ぎない」
(……ああ、そういう事か)
ジグは何かに気づいたようで。俺も少し遅れて、事実に突き当たる。
ダングスさんは魔法使い、フェヌアさんは武闘家で、マーレさんは聖職者。そう、マーレ教の元になった人物は、最初から神を信仰していたのだ。
「いかにも。癒神マーレが生前に信仰していた神こそアイリスであり。時間跳躍の秘儀も、源流はソコと聞く」
「おい、ツカサ……」
イグニスが俺の名前を呼び捨てる。少女は赤の瞳をめいっぱいに見開らき、口元に不気味な三日月を作っていた。うん、と頷き返す。腸がぞわぞわするのを感じる。まさか、そう繋がってくるとは誰が思おう。
浮遊島で目撃した、異世界転移の魔法。手に入れることが出来ずに嘆いたものだが。派生が伝承され続け、尚且つ枢機卿が実行可能と言った。
藁をも掴む話かと思ったが、どうにも信憑性が出てきたではないか。
俺は机の下で拳を握り、密かにガッツポーズを決めた。
「まぁ、下準備に時間が掛かるし。実行出来るのは一月後と言ったところかな。伝えはしたから、それまでに身の振り方を考えておいて欲しい」
「いますぐじゃ、ないんですね……」
金髪の少女が安堵の溜息を見せる。それについては同感だ。勇者一行とは、短いながらに濃い付き合いをしてきた。お別れの時間があるのはありがたいと思う。
いよいよ異世界転移の事実を皆にも話す時がきたのだろう。そう考えると、不思議に帰れる嬉しさよりも、隠してきた申し訳なさの方が勝る心境だった。
「なら、今日は引き上げよう。情報が多すぎだ。整理したい」
「そうだね。あんまり遅くなると、待たせている皆に悪いし」
魔女の言葉でお開きムードになり、俺は「また来ていいですかと」ウィッキーさんに尋ねる。「もちろんだとも。今度は君の話を聞かせて欲しい」そう快諾してくれて、安心して腰を上げ。
(ええっ~もしかして相模くん、もう帰っちゃうの。せっかく来たんだし、もっと話してこうよ~!?)
ギャルがごねた。こうなると物理攻撃が効かない霊体は非常に厄介。黙らせるのも困難な騒音散布機へと変わるのだ。聖職者が頭を抱える姿には、思わず悪霊の二文字が頭を過る。
「俺に憑いているのがジグで本当に良かった」
(せやろ。カカカのカ)
やがて根負けしたウィッキーさんが、本当にすまなそうな声で言ってきた。「美咲もこう言ってるし、良ければ一泊していかないか」と。
俺にもアサギリさんと、もう少し話をしたいという気持ちはある。苦笑をしながら頷こうとし。さながら不用意な発言はするなとばかり口を抑えられた。親指と人差し指がメキメキと頬骨に食い込む。
「ツカサくん。私とあの女、どっちが大事なの?」
一緒に帰るよねと、可愛らしくコテンと首を傾げる金髪の少女。しかし、断れば殺すとでも言うかのように瞳孔は開いていて圧を放つ。俺は自分の命惜しさに日本語でこう言う。また明日来ますね、と。
湿気の反対なーんだ。そう感想ですね




