452 救難信号
「胸と違ってね、お尻というのは鍛えられるんですよ。つまり尻の弛みは心の弛み。お尻の張りには生き方が表れているんじゃないかなって」
「なんて深い言葉だ。おお、友達よ、私は感動しました!」
出っ歯な商人の卑劣なる罠を乗り越えた俺は、しばし営業トークを交わした。王子の紹介というのも大きいのだろうが、信用はなんとか保てたようで。それでは品物を持ってくると男は席を立つ。
行ってらっしゃいまし。そんな気持ちで背中を見送り、パタンと扉の閉まる音が聞こえるや、俺はすぐさまに隣の少女へ弁明をする。
「これは違うんだ。あくまで場の空気を読んだ結果であり……」
「そうだね。無事に信用を得られて良かったじゃないか」
「本当にそう思っているのなら、汚物を見るような目を止めておくれ」
イグニスは微笑むも、まるで能面が口角だけを上げたような表情だ。目元に楽という感情は微塵もなく、言語外に「後でツラ貸せや」と訴えてくる。
ごめんね、確かに女性の傍でする話題ではなかった。商人も王子も少し反省をしろ。反省を。
(お前さん。コイツはな、ツカサが尻派に認められたのは自分の胸が小さいからだと考えているんじゃ)
「んん!」
俺はジグの説に深く納得をしてしまった。まさかあの会話の裏でそんな心理戦が繰り広げられていたとは。せめて励まそうと思い、イグニスはいい尻してるよと親指を立てる。メショリと顔に衝撃が襲ってきた。
◆
「な、なにかありましたか?」
「お気になさらずー」
少しして商人は木箱を持って帰ってくる。入室一番に俺の顔を見て驚くあたり、頬には拳痕が残っているのだろうか。
だが、いまさら恥の一つや二つ構わない。それよりも興味があるのは箱の中身だ。なにせここにはスク水の縁で訪ねたのである。再び日本の物という可能性が高い。
まるで単発ガチャでも引く気分だった。木箱は机の上に置かれ、「これです」と蓋が取り外されていく。俺はニーソニーソと念じながら中を覗き込み。
「これは……」
白のTシャツに紺のハーフパンツ。いわゆる体操着と呼ばれる物だった。
当たりなのだろう。出処が同じなのは疑いようもない。しかし、なぜか微妙に本命を外してしまった気持ちだ。体操着かぁ。
(なんだブルマじゃないんか)
ジグも落胆しているが、さもありなん。そんなのとっくに絶滅しているので、俺だって実物を見たことはないぞ。
(む? そうなのか。父上が持っているのを見たことがあったのだがな)
「やめろー!」
なぜ父さんが。そう考えた次の瞬間、脳裏にブルマ姿の母親がよぎって俺は絶叫した。
突然の発狂にイグニスがとても可哀そうなものを見る目を向けてきて。心配する商人には「よくある事です」と返している。酷い。
「それよりもツカサ、これを見なさい」
赤髪の少女は俺のナイーブな気持ちを、それよりで済まして体操着に注目していた。
ゴム素材が面白いのかハーフパンツの腰をビヨンビヨンと伸ばして遊んでいて。見ろというのは、例により内側のネームタグであった。
朝霧美咲。やはり同一人物の所持品らしい。漢字で書かれた名前を見ながら、君は誰なんだいと、まだ見ぬ少女に思いを馳せ。
「……あれ?」
違和感を覚えた。よく見れば筆跡が違うのだ。
スク水に書かれていた名前は、まさに女子高生を連想するような丸くて可愛らしいものだった。なのに、この文字はどこか固い。書き慣れない者が形だけを真似たような不自然さが見えるのである。
「そうだね。これは後から書かれたものだよ。ごらん。上着とは、文字はもちろん、筆も墨も違う」
「比べて見れば一目瞭然か」
Tシャツのタグのほうは見覚えのある筆跡だった。油性ペンで書かれたポップな字体は、恐らく本人が記したものだ。この不思議な事態に俺は首を傾げる。なんでハーフパンツに後から名前を書いたのだろう。
「イグニスは、どう思う?」
「これが商品であれば、いたずらに文字を書くのは価値を下げるだけだね。素材だけで十分に異国のものだと伝わるし」
魔女は仮説だけどと、ピンと人差し指を立てて言う。これは言語を理解出来る者。つまり、同じ日本人へ向けた救難信号ではないかと。また大胆な仮説である。一体どう読み解いたのかと、ふむと一考してみた。
代筆が必要な場面はなにか。ずばり美咲さん本人が、文字を書けない状況だ。
しかし、SOSを訴えるならばメッセージを残した方が確実で早い。であれば、代筆者は書いた文字が個人名とは理解していないのかも知れない。
「なら、日本人を集める罠の可能性も……」
「結果は一緒だろ」
まぁ見方次第では美咲さんがピンチという状況は同じか。だが断定するにはまだ早く、それでと魔女に次の言葉を促す。
「根拠はずばり、この店だ。ナハル宰相が偶然手に入れたと思っていたけれど、最初から彼の発信力を頼りにしていたならば話は変わるだろう」
ああ。海を股にかける船の先進国シュバール。電話もインターネットも無いのだから、世界でも屈指の情報網を持つに等しいのだ。
俺は、だからこそスク水を手に入れたと考えたけど、逆ならばどうだろう。
数少ない日本の所持品を託す相手として、ナハルさんは選ばれていた。品物がスク水や体操着なのも、彼が興味を引くように敢えてであれば。
なるほど、出来過ぎ。そこには明確に何者かの意図があると考えるべきである。
そして現場はココだ。俺とイグニスは、どうなんだいと答え合わせをするように出っ歯の商人を見た。
男はパチパチと拍手を打ちながら、目を細めて言った。
「なるほどねー。そんな意味が」
知らんのかい。俺はズッコケかけた。
落胆が見えたか、商人は知っていることは話すよと励ますように言ってくれる。そも隠す気ならば体操着を見せることは無かったと。
「恐らく、その予測は当たっています。いかにも、この商品はナハル様に売り込んでくれと持ち込まれたのですから」
「……それはそれで、面倒な気配がするな」
「ええ。私も商人として客の情報を詳しくは話せませんが、そういう事だと思ってくれて構いません」
主語が伏せられた会話に、俺はなんとなしに深刻な顔で頷く。横から分かってるかと聞かれ、サッパリ分からんと首を横に振った。魔女が溜息をつきながら、つまりだと説明してくれる。
「相手は王子の取引先や趣味まで把握をしている。あまつさえ、利用しようと考える程度にはしたたかだ。とても一商人の発想じゃない」
ならば裏に居るのは貴族。それも結構な大物だろうと。
だが権力者であれば自らの手で行動が出来る。こんなコソコソと活動するのは、訳ありだと白状しているようなものなのだ。
「訳ありか。無事だといいんだけど」
その言葉を聞いて、改めて美咲さんの安否を願う。
思えば、俺にはジグルベインが居た。陰ながら常に見守り、異世界の知識をくれ、日本語の翻訳までしてくれる頼もしい味方だ。
彼女には、それが無い。会話すらままならない文字通りの孤独で、いったいどんな生活をしてきたのかと心が痛む。
「あの、取引相手に会ったら、俺の存在を伝えて貰えませんかね」
「それくらいならばお安い御用ですが、いいのですね」
「はい。お願いします」
出っ歯の商人にも信用がある。入手した経緯などは話してくれたけれど、相手の情報はシェンロウのダングス教徒というくらいしか教えてくれなかった。流石に宗教国家でそれは幅が広すぎる。
だから次に使者が訪ねてきた時に伝えてもらうことにした。
もはや罠でも乗るしかない。商人は友達の頼みだと快諾してくれるのだけど、そういえばと顎に手を当て言う。仮に王子が情報を広めたとして、相手は反応した者にどう接触するつもりだったのだろうねと。
(確かにそうじゃの)
情報は発信するだけでは意味が無いのである。
けれど、その答えはシュバールの大使館に戻り判明した。狼少女が冒険者ギルドの掲示板に載せてくれた張り紙。早くもそれに反応があったのだ。




