410 止まるか進むか
その後の捜索では、とくに新しい発見はなかった。
奥には似たような檻が複数あって、やはり何かしらの収容施設だったという確証を得たが、それだけだ。
どうにも肝心の実験は別の場所で行っていたらしい。だから、これ以上は無意味と判断して今日の調査は切り上げられる。
正直なところ、俺は帰り道の足取りが重かった。なにせ、初日から人類を魔族に変貌させるという狂気に出会ったのだ。
道中のモアイのこともある。この調子で遺跡を掘り返して、歴史を暴いた時、いったいどんな闇が浮かび上がるのだろう。今から気持ちが暗くなちゃうね。
「まぁ、俺は見たくないだけなのかも知れないけれど」
(奴には特大の事故じゃったな。カカカ)
事故、というのは言い得て妙か。流浪の民であるフェミナさんは、故郷の存在をロマンの一つ程度として考えていた。あったらいいな。であり、追い続けるものとしてモチベーションを保っていたのだ。
それがどうだ。己の先祖が、囚われて人体実験をされていた可能性が浮かび上がってしまう。フェミナさんは拠点に着いてからというもの、虚ろな顔で座り込み。知りたくなかった、もう帰りたいと、うわ言のように繰り返していた。
「ツカサ、そいつを黙らせろよ。いい加減うざい」
「お前はもうちょっと、こう。言い方ってもんをさ、考えてはくれないかな」
リュカはお通夜のような雰囲気もなんのその。昼に作ったカマクラに入り、言葉の暴力を浴びせてくる。その姿はまるで、犬小屋から犬が吠えているようであった。
「いいんだよ。こいつの涙は同情を誘うための、なんて可哀そうな私、だろ。知ったことか」
「っなによ。歴史を手繰った先が実験動物だった気持ち、貴女に分かる? 先祖代々と逃げ続けていたのだと思うと、私たちの人生は惨めじゃないの」
「生き延びたと言え。そして今、お前が居る。ならば負けじゃないだろう」
「はいはい」
俺は狼少女の口を塞ぎ、そのまま一緒にカマクラへと入る。放っておくと殴り合いの喧嘩になりそうだ。気持ちは分かるから落ち着けと頭を撫でれば、子供扱いするなと雑に払われた。
先祖の話をすれば、この少女にも思うところはあるはず。人狼。かつて一国を支配した獣の王者は、裏切られ失墜した。リュカはその直系の子孫であるゆえに、ベルモアでは一騒動あったものだが。
きっと母親の姓を継ぐと決めた時には、すでに血も歴史も受け入れる覚悟をしたのだろう。まだ13歳という年齢を考えれば、本当に強く、しっかりとした考えだ。
「それでも、人間だもん。誰でも落ち込みたい時くらいはあるさ」
「……ふん!」
でも、みんなが強いわけではない。平気や、大丈夫。そんな励ましの言葉すら、凶器になる時もある。だから今は、そっとしておこうよ。フェミナさんに食って掛かる狼に、駄目と言いつけた。
「ゲヘヘ、おい見ろよツカサ。調査隊が良いものを分けてくれたぞ」
(……あれはいいのか?)
「イグニスはさぁ」
リュカを窘めたさなか、センチメンタルなフェミナさんの前でルンルンと上機嫌なステップを見せる魔女。手には鍋を持っているのだが、それが奴をハイにさせるのか。誰よりも人の考えを見抜くくせに、平気で心を踏みにじる性悪が居た。
「丁度いいや。私たちもその中に入れてくれ」
「えっ、ちょっと、いや! 私はほっといてよ~!」
一人になりたいと叫ぶ薄緑髪の女性。しかし哀れかな、両手の塞がるイグニスは、彼女をサッカーボールでもドリブルするようにカマクラへと蹴り入れる。
元は俺とリュカで作った二人用の大きさなので、雪の隠れ家の中はギュウギュウだ。四人で円陣を組み、体育座りで頭を突き合せた。なにこれ。シュールな絵面に思わず声が出る。
「見ての通り葡萄酒さ。調査隊は空馬車で来たから、物資の運搬に余裕があったみたいだね」
「別にそっちを聞いたわけじゃないんだけどな」
鍋の中身はホットワインだそうだ。そりゃあこのアル中はテンションを上げるだろう。
税金で動く調査隊は質素清貧が基本だが、出発時に大公子が自腹で差し入れをしてくれたのだとか。
「まさか俺たちの分もあるなんて」
「伝言もあるそうだよ。浮遊島は冷えるだろうから、これで温まれ、だってさ」
もとより冒険家と合流したら振る舞うという約束だったらしい。真面目な騎士たちにより、無事に任務は遂行されて。まるでズタさんから、風邪をひくなよと言われた心地だ。サンキュー戦友。
ありがたく頂戴をする。意外やほとんどアルコールは飛ばしてあるようだ。けれど葡萄の芳醇さをそのままにピリリと香辛料が効いている。
美味しく、そして温かい。これならば酒に弱いリュカでも飲めるだろう。冷えた身体が芯から熱を持つ心地だった。
「私は……要らないわ……」
「あっそ、じゃあ頂き」
(儂への貢ぎ物があってもいいんじゃぞ)
遠慮の欠片もなく二杯目に手を出す赤髪の少女。ほとんどジュースに近い飲み物だが、酒を飲みたいという欲求は多少満たせたようで。ニンマリとご満悦な笑顔を浮かべて。
「なぁフェミナ。私はリュカの怒りはもっともだと思うよ」
「しっかり聞いてやがったのか」
「俺はむしろ聞いててこの態度に驚く」
蒸し返すなよと思うのだが、俺とフェミナさんは、次にイグニスが発した言葉に目を丸くする。魔女は問うたのだ。お前の先祖は、何故手帳を残したのだろうなと。
そうだ。フェミナさんは故郷の手掛かりだと言ったが、もし奴隷であったならば前提が崩れる。
古代文字の書かれたボロボロの手帳。金もなく彷徨ってきた一族が、希望として、何世代にも渡り、大切に大切に受け継いできたもの。
さしもに初代の物ではあるまいが。中の意味だけは変わらずに守り抜かれてきたはずで。
本当はなにを遺したのだろう。なにを伝えたかったのだろう。遥かな過去より、文字は今でも訴え続けていた。
「こんな状況だからこそ、中身に興味が出ないかい?」
「…………」
都市の中央部はもう無いけれど、もしかしたら、この手帳に歴史の手掛かりが。
いや、都市が滅んだからこそ、残された可能性もあるのではないか。気にならないといえば嘘になる。
「こんなの……もう欲しければあげるわよ」
「いいや、フェミナ。それは君の物だ。自分で決めなさい」
「そうだね」
イグニスとて、奪うだけで済むならば最初から奪っていたはず。先祖からのバトン。貴族として血統の重さを知る彼女は、所有する資格があるのはお前だけだと言い切った。
背負えと言われ、手帳に目を落とすフェミナさん。苦悩するのだろう。額に皺をよせ、いまにも泣き出しそうな顔をしていた。
止まるか、進むか。それはこの冒険で、魔女が何度も淫魔に突き付けてきた選択。
けれど、真実を知るのは必ずしも良いことだけではないと、つい先ほど思い知ったばかりだ。
俺は、どうするのだろうと黙って決断を待つ。
「知るのは恐らく最後の機会だぞ。偶然登った浮遊島が歴史の現場だなんて、もうあるはずがない。お前が一族の中で、一番真実の傍にいるんだ」
「本当に嫌な言い方をするわね。……この紙ペラが、こんなに重く感じるのは初めてだわ~」
フェミナさんはやけくそとばかりに、鍋の底に残った酒を煽った。そして見栄を切る。
一族なんて知らない。覚悟なんて無い。けれどここまで来たら、付いていくしかないのだろうと。
「行けばいいんでしょう、行けば!」
「こいつも素直じゃねえな」
リュカが呆れる。置いていかないで。なんとも情けのない冒険の理由だった。
けれど自分で進むと決めた人間を、笑う者はここにはおらず。よし、と強く頷き合う。
盗みの罰で無理やり連れて来られた盗人。道中も、浮遊島に来てからも、やる気なんて見えなかった女性だが。ここで初めて志を共にする。
カン……ソ……ウ




