400 バカが空までやって来た
「きゃ~~!!」
森の奥から女性の悲鳴が響く。何かのトラブルとみて間違い無いのだろう。
俺たちはどうすると顔を見合わせるのだが、答えを出す前に森の匂いを嗅ぐ狼少女が言った。
「なんか、だんだん近づいて来てるぞ」
「なあリュカ、相手の人数とかは分からないかい?」
イグニスが追加の情報を求めると、リュカは集中すべく目を閉じる。風上だから辛うじて分かるとのことだ。相変わらず大した鋭敏さである。悲鳴こそ届いたが、俺たちではまだ気配すら感じ取れていない。
「香水付けた奴の他に、もう一人いるな。あとはなんだ、獣の匂いかな。臭い」
「ふぅん。二人、ね」
「へぇー凄い。まるで獣人みたいだわ~」
フェミナさんは匂いなんて分かるのかと、リュカの真似をして鼻をすんすんと鳴らしていた。確かにリュカの見た目では種族の判断はつかないか。もっともこのイケメン少女の場合は、男女の区別すら怪しいのだが。
「リュカは狼の魔族なんですよ」
「ええっ!?」
「そうだオレは偉大な父と母の血を継ぐ、誇り高き狼だぞ。エッヘン」
(カカカ。駄犬がなにか言うとるよ)
にゃーにゃー事件は記憶に新しいので、魔王は戯言と鼻で笑い飛ばす。しかしフェミナさんは、自分の出自に胸を張る少女へ、どこか羨望の眼差しを向けているように感じた。
「状況を考えるに魔獣に追われているのか。よし、なら先手を取ろう」
「そうだな、狩りの時間だ」
イグニスが案内頼むとリュカの肩を叩く。応と頷く少女は、ついて来いと森の中へ駆け出した。いつの間にか心を通わせている少女達。その背中を追いながら、二人も仲良くなったものだとほっこりした気持ちになる。
ちなみにリュカの嗅覚だけど、本領は追跡である。なんでも彼女の鼻は、匂いをさながら足跡の様に捉える事が出来るらしい。
だから狼は、風に乗ってやってきた香水の匂いを森の中であろうと正確に手繰り、ドンピシャリで獲物の元へ辿り着いて見せて。
「居た! けど、あれは……」
先行していた狼少女が立ち止まる。
木々を掻き分けながら斜面を降ると谷間の底が見えた。形状を考えると本来は川でもあったのだろうか。今は水などとっくに干上がり、緑地であるが。
「わーお。そう来たか」
どれどれと下を覗き込んで見れば、色々と想定外の光景が繰り広げられていた。
悲鳴を上げながら疾走する二人の人間。追っているのは、なんだろう。リュカの鼻は外れたようで、獣ではなく虫だった。
蠍の尻尾のような物が生えた甲虫が、さながら大玉転がしのように土塊を押してキシキシと迫っている。魔法を打ち込み抵抗をしてはいるようだが、相手が頑丈なのか効果は薄そうだ。
何よりも目を引くのは、やはり逃げている女性だろうか。こんな場所でもメイド服を着た少女と……ド派手な縦ロールの頭髪。そう、金髪ドリルさんだった。
「イグニスが挑発したから本当に空まで来ちゃったじゃん」
「根性は認めるがね、馬鹿だろ」
赤髪の少女は世を嘆くように目を覆った。まぁ否定はしない。メイドちゃんもだが、ヒラヒラな服で冒険に出るなど山を舐めているとしか言いようが無いのだ。
さらにここは上空2000メートル近く。酸素は薄い。二人は考え無しに動き回った結果、鈍い虫とすら競争が成立するほどに疲弊しているのだった。まして香水を身に付けて自分で虫を引き寄せるなんて。グダグダではないか。
「まぁいいや。ちょっと行って、助けてくるよ」
「オレも行く!」
見知らぬ顔ではないのだし、手遅れになる前に助けよう。茂みから飛び出して一気に崖を下る。
地面に着いた時、必死の形相で駆ける二人と目が合い。もう大丈夫と告げれば、少女達はさながらゴールテープを切ったマラソンランナーの様に崩れ落ちた。
「逃げるなら今の内だぞ、フンコロガシ」
自分で言って思う。これ相手はフンコロガシだ。近づけばリュカが獣と間違ったであろう糞の匂いが漂ってきた。えっ転がしている大玉はもしかして全部ウンコなの。
(いや違う。あれはお尻ほじり虫じゃ)
「ハハハ。冗談だよな……冗談だって言えよ!」
いつもの魔王ジョークであって欲しかったものだ。赤鬼にすら果敢に挑んだ俺が、ほじられたくない一心で二の足を踏んでいた。
その間にも狼少女は、糞玉を避けて虫に接近し。「ていっ」と頭部に槍を突き立て、弾かれて。哀れ尻尾に捕まってしまいましたとさ。
「どうしようリュカがほじられちゃうー!?」
「なにしてるんだい君は」
後ろからハスキーな声がしたかと思えば、ボシュンと火炎槍が飛来していく。
おそらく魔力収斂とやらは使用していない普通のもの。けれど金髪ドリルさんが何発打ち込んでも無傷だった外皮を容易くに爆散させた。
うわぁ。あまり比較する人が居なかったけど、やっぱりイグニスの魔法って強いんだね。
格好よく飛び出しただけに、フェミナさんからの失望の視線が痛かった。
「ま、まぁ、一応助けてくれた事には感謝してあげますわ!」
金髪ドリルさんは、メイド少女に向かいお茶を淹れるように指示をした。「はいお嬢様」と甲斐甲斐しく世話をする使用人だが、広げたティーセットが割れていて焦っている。なんで陶器の物を持ってきたんだろう。
「いいよ。それよりお前、なんで此処にいるんだ?」
「無粋な質問ね。このヴィス・ヴィザロスカ様が勇者一行より優れていると証明する為に決まっているじゃない!」
オホホと高笑いする令嬢は、すでに世紀の発見をしたと一凛の花を見せてきた。なんとその花弁は炎を纏っている。世にも珍しき燃える花だ。俺は思わずオオッと声を出し鑑賞した。
「いや、火炎草じゃないか。しかし、まだ火が付いているとなると、相当強い火属性の影響を受けているな」
あっさりと正体を看破した魔女は、ハハンと目を細めて言う。この浮遊島は少し前までアリファン諸島周辺の海を彷徨っていたのだろうと。
何か火竜に動きがあったのではないかという読みだ。ちょうど勇者が接触しに行っているので、無事を祈るように俺は南の空を見上げる。フィーネちゃん達、元気かな。
「今回はたまたま強い魔虫に出会ってしまったけどね、私の魔法は道中で何体もの魔獣を屠っているのだからね!」
「そうかい。ちなみにさっきの虫はオコレザデック。別名お尻ほじり虫とも呼ばれているから、次は注意するんだな」
「うわぁ、本当だった」
「おい、オレは何をされそうになったんだよ!?」
(知らぬが仏よ)
狼少女はお尻を抑えて涙目を浮かべた。
同じく間一髪だった金髪ドリルさんだが、平静を装うも、欠けたカップから紅茶がビチャビチャと零れて、動揺が目に見えるようだ。
次に出会ったら逃げ切る自信が無いのだろう。あくまで上からという態度でこう言って来た。
「あ、貴女達も西の神殿を目指しているのでしょう? 丁度同じ方向だし、一緒に行ってあげてもよくってよ」
「うわー見習いたい図太さね」
俺の影に隠れていたフェミナさんが突っ込むほどだ。やっぱりそう思うよね。
冷徹な魔女の事である。提案をバッサリと断るかと思いきや、遠慮しがちに赤い瞳を向けてきた。捨ててしまいたいという感情がまざまざと伝わてくるのだが、そうも出来ない理由もあるようだ。
おそらくはメイドの存在だろうか。リュカが弱肉強食の理念動くように、イグニスはなんだかんだと貴族の義務を重んじる。お嬢様の無茶ぶりに振り回されているだけの人間を見捨てる事が出来ないのだろう。
「俺は別にいいと思うよ。賑やかになりそうじゃん」
「これ以上賑やかにならなくていいよ」
フフと笑いかければ、照れ隠しかとんがり帽子を深く被るイグニス。先を急ぐぞと外套を翻すのだが、その足はピタリと止まる。
どうしたというのかフンコロガシの転がしていた糞玉を睨みつけ、蹴飛ばした。表面にくっついていた小石がコロンと落ちる。
「浮遊島の地面ならば浮かぶはず。つまりこの石は、人造物だ」
「あっ!」
物が下に落ちる。それはあまりに普通の事なので気付かなかったが、そうだ。ここは特異点なのである。
糞が小石を巻き込んだのであれば、知らず文明の傍を通って来たのではないか。金髪ドリルさん。どうして中々、運だけは持ち合わせているらしい。
400話だー!
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