359 血の匂い
狼少女は灰褐色の髪を月光色に染めていた。ベルモアで見せた人狼の姿。
あの夜を最後に変身をした所を見たことは無かったのだけど、リュカは血の力を自分の物にしていたらしい。
多少の驚きはあるが、これは嬉しい誤算だ。人狼形態では魔力も身体能力も跳ね上がるのを知っている。戦力として十分に期待することが出来た。
「ツカサく~ん?」
けれど魔女の反応は違う。こういうのをメンチを切るというのだろうか。ぶっ殺すぞワレェとでも副音声が付きそうな怖い顔で説明しろと詰め寄ってきた。そんなの本人に聞いてよ。
「リュカ、説明しろと言ってるぞ」
「えっへん。夜ならオレはめちゃ強い!」
イグニスは駄目だ分からんと頭を抱えた。しかし、「ぼやぼやするな」とシシアさんの怒鳴り声が響くや、即座に思考を切り替えたようだ。疑問を飲み込み、行こうと顔を上げる。
そうだ。リュカが合流したのであれば、もうこの場に留まる理由も無い。なにせ周囲にはまだ木人形がウヨウヨといるのであった。
「シシアさん、こっちが手薄ですよ!」
「そうか、助かる!」
俺は応戦をするエルフ達を誘導した。イグニスが敵を纏めて処理したので、一部は包囲が緩んでいるのだ。
とは言うも、ここは密林。植物が幾重に道を遮り、侵入を阻んでくる。必死に黒剣で邪魔な草や枝を斬るのだけど進むペースが遅すぎた。
もはや袋小路に逃げ込んだも同じ。木人形達は横に広がり、もう逃がさないと壁を作りながら迫ってくる。
シシアさんとセレシエさんの奮闘の結果か。相手は多くが腕や足を欠損していて。それでもにじり寄ってくる姿からは、まるでゾンビのような薄気味悪さを感じた。
「ぬふん。どうしようイグニス。このままじゃ追い込まれちゃうよ~」
「待て。私だって考えている」
俺は慌てふためく。後ろではリュカとシシアさんが足止めをしてくれているが、やはり進行速度が致命的だ。
いや、この場合は戦える前衛が増えた事を喜ぶべきだろう。人狼の力を開放した狼少女のお陰で辛うじて戦線は維持出来ている。
リュカはまだ身体能力では木人形に劣るのだが、持前の格闘センスを生かして劣勢を跳ね除けていた。要所でセレシエさんの援護射撃があるのも大きそうだ。
「リュカ、その力はまさか魔族か?」
「母ちゃんがそうだったらしいんだ。詳しい事は分かんね」
「カッカ。大将に続き、人狼と来たか。懐かしすぎて力が入っちまうなぁ、おい。【無垢】【一笑】【万丈】【来来】!」
何より老エルフが強い。地面から土の槍が乱れ刺す。木人形は下から貫かれ、竹林にでも絡まった様に動きを止める。
キトやシエルさんの様な、自然災害を思わせる出鱈目さは無い。けれど実直に修練を積んできたのだと伺える、高いレベルの体術と魔法だった。
(ふぅん。少しはマシになったか。正直、儂にはシシアが強いという印象は無かったのだが)
「そっか。まぁ四天王には数えられてなかったわけだしね」
つまりジグの死後の努力という訳だ。そうして皆が稼いでくれた貴重な時間。灯り役に徹していた魔女は、何か良い策でも浮かんだか、ヘヘヘと薄ら笑いを浮かべていた。
「さぁイグニスちゃん、どうしよう」
「こう、しようか!」
言い終わるや放たれるイグニスお得意の火炎槍。燃え盛る騎士槍は、視界を明らめながら重機が進むが如く樹木の壁を貫いて進む。
地面を覆う草が吹き飛んで行く。露出した土はブスブスと煙を上げて。両脇に燃え残った植物からパラパラと火の粉が舞う。緑のカーペットに茶色い綺麗な一本道が開通していた。
「走れ!」
「走れじゃないだろー!!」
障害物の消えた地面を一目散に駆けていくイグニス。俺はそんな彼女を遅いと拾い上げ、抱えて走る。確認すれば後ろの三人も、物凄く何か言いたそうな顔で追いかけて来ていた。
「おい、何を考えているんだイグニス。こんな事をしたら!」
「大丈夫だよセレシエ。勿論そこも考えている」
桜色の髪をしたエルフから上がる不満に魔女は答える。そう、これはこんな事なのだ。
魔法で樹木を焼き払いながら進めるならば、とうにやっていた。実行しなかった理由は一つ。この密林には自動修復機能が備わっている。
「うわぁ、来た来たー!?」
一定規模の破壊がトリガーなのだろう。イグニスが火炎槍で開拓した道を、さながら押し返す様に、再び緑に塗りつぶす様に、樹波が打ち寄せて来た。
目前に迫る緑の波。何か考えがあるのだろうと魔女に聞けば、自信満々に避けろという。俺はコンチクショーと叫びながら、全員をまとめて押し出すように道の外へと飛び込んだ。
「痛てて。これだからエルツィオーネは嫌いなんだよ!」
(カカカ。儂は最近、見てるぶんには面白いのではないかと思い始めたぞ)
魔王軍から不評と罵倒が飛んでいた。一体イグニスのご先祖様はどんな人だったのだろう。まぁ似ていると言われるこの女が、仲間にも滅茶苦茶するのだから、敵はもっと悲惨だったのだろうなと想像が出来た。
「しかし、まぁ。どうしてツカサが信頼するのかもよく理解が出来るな」
「いやぁ俺もそこまで信頼しているかって言うと……」
「なんでだよ。しろよ!」
セレシエさんは目の前に広がる驚愕の光景を見ながら言った。壁から手が、腕が、何本も突き出されては、届かずに空を振る。無言でがしゃがしゃと藻掻く姿を見ていると、まるでお化け屋敷にでも迷い込んだ気分である。
俺たちを追いかけて来た木人形共は、そのまま樹波に飲み込まれていた。だから樹の牢獄に捕らわれ身動きが取れないのだ。まさに一網打尽。相手の作り出した環境すらも利用して罠に嵌めるとは、なんて性格の悪い女だろう。
「さて、こいつ等をどうするかね。グズグズしていると、檻の樹も操られるぞ」
「ああ、そっか」
呪いの人形の様な強烈な外見に惑わされるが中身は妖精だ。本体を潰さない限り動きは止まらないし、他の樹に憑依をされてしまう。俺たちは今、文字通りに密林という大自然を敵に回したのだと実感をした。
「破壊しておいた方が無難だな。私が燃やすから、仕留めてくれ」
「あいよ。それが間違い無いだろうな」
魔法使い二人のコンビネーション。樹の檻ごと火を付けられた妖精は、火事から逃れる様に木人形から慌てて飛び出し。そこを狙い撃つは石の礫。さながら散弾銃の様に放たれる石群が、小さな人影を無残な破片に変える。
うわぁと内心でちょっぴり引いた。容赦が無さすぎる。俺は一体仕留めるのにも、それなりに覚悟をしたと言うのに。
「ふぅ。とりあえずは切り抜けたか。けれど先に進むのが憂鬱になるな」
「確かに。何か目印くらいは欲しいですよね」
セレシエさんが眉を寄せながら木の闇を睨む。密林で闇雲に進むのは効率が悪い。更には食獣植物が居なくなったわけではないので、敵に木人形が追加された形だ。今後も同じ出来事が続くと考えるとナーバスになるのも無理は無い。
「それなんだけどさ。なんか奥から血の匂いがするんだよなぁ」
「えぇ、怖い事言うなよ」
リュカがすんすんと鼻を鳴らしながら言った。イグニスと合流する時は、見事に香水の匂いを追跡した少女。まして人狼となり、より嗅覚が鋭くなっている今ならばその発言は確実だろう。
そこで俺は誰の血だろうと思考して。まさか里を樹波が襲った時に、救助出来なかった人物が居たのかと蒼褪めた。
「いや、住人は全員確認したよ。それは私が保証しよう」
「じゃあ人以外か……もしかしてウチの家畜か?」
「そうか。これオッチャンのとこにいた山羊だな、うん」
(おお、駄犬が役に立ちおった)
つまりはシシアさんの家の方角が判断出来ると。セレシエは喜び「凄いじゃないか」とリュカの頭をわしゃわしゃ撫でる。まるっきり犬の扱いなのだけど、狼少女はどうして悪い気はしてないようだ。
「どうしたツカサ。浮かない顔だね」
「いや、その……ボコは無事かなって……」
樹波の発生源はシシアさんの家だ。庭に居た家畜は生死はともかく怪我をしているらしい。ならば厩舎に繋がれていた我が愛鳥は如何に。
俺の気持ちを察してくれたか、イグニスは無言でポンと肩に手を置いた。
きっと復讐はこうして連鎖していくのだろう。それはそれとして、うちの子に何かあったら許さん。




