357 故郷を守れ
暖かいお茶が冷えた身体に染み渡った。その熱は心までも温めるようで、ふと緊張の糸が緩むのを感じる。昼の食事会からまだ半日も経って居ないのに、どうやら日常の香りに安堵したらしい。
他人の家での勝手の休憩。ちょっぴり背徳感があるけれど、密林に潜むゲリラの様な植物を相手に戦い続けるのは思いのほか心労があったようだ。
「美味しい」
「ツカサはずっと前衛をしてくれていたから負担も大きいだろう。休める時にゆっくり休んでくれ」
ほうと一息吐いているとセレシエさんからの労いの言葉を頂いた。彼女は弓を拝借して来たようで、少しは俺の負担を減らせるだろうと得意顔だ。
この家の主であるバムブという人物は、外でシシアさんの代理を買ってでた髭もじゃエルフらしい。狩猟を嗜むそうで最初から弓があると確信していたのだとか。なおリュカは槍が見つからず不貞腐れている。
「それは頼りになりますね」
「君ほどの力は無いが、里の一大事だ。頑張るとも」
(大丈夫かお前さん。少しばかり顔色が悪いように見えるが)
一刻も早く里を取り戻すと気張るエルフに、そうですねと同意する。セレシエさんは特別違和感を覚えなかったようだけど、付き合いの長いジグルベインには隠せなかったらしい。
剛活性。ベルモアでの死闘で手に入れた新たな力。これは全身に魔力を纏う事で大活性の時よりも大幅に能力が向上する。だが、その分だけ維持をするのに大きな集中と体力を消耗するのだ。
まだ扱いに慣れていない俺では常に腹筋に力を込めているに等しい。肉体的にも精神的にも少し追い詰められているのだろう。
「けど、今はいいよ」
あまり休んでいる暇は無い。セレシエさんが言ったように、早く里を取り戻さなければなるまい。この密林の外では、寒空の下に着の身着のまま放り出された人が大勢居るのだから。
「よくない。まだ先は長いんだ。今から疲労を溜め込むな」
「あう」
イグニスに額をペシリと叩かれる。隣に座る少女は赤い瞳で俺の心を覗き込む様に顔色を窺った。そして、少し目を瞑りなさいと強引に肩を傾けられる。背もたれの無い丸椅子なので、寄りかかって休めという事か。
「リュカに仲間を頼れというんだから、君だって頼りなさい」
「俺は十分イグニスを頼っているんだけど」
「なら言い方を変えよう。偶には甘えてくれてもいいんだよ」
「……うん」
張り切りすぎだと窘められた。俺はどうやらジグルベインが原因だからと事件解決を焦りすぎていたらしい。寄りかかると、女の子といえど肩は少しゴツゴツしていて。けれど二の腕はなんとも柔らかで。何よりイグニスの体温と匂いが、無性に俺を安心させた。
「そういえばさ、一つ聞いていい?」
ぐでんと魔女に体重を預けながら口を開いた。寝てろと言ったろとばかりに怪訝な顔をする少女だが、問われれば答えたくなるのが性分か。ややぶっきらぼうに「なんだい」と言ってくれる。
「妖精の目的が女王の開放だって言ってたけど、開放させてあげたらいいんじゃないの?」
話では、ジグが妖精界を潰したせいで虚無空間に取り残されているとの事だ。ヴァニタスと世界樹を利用する事で虚無から脱出可能なのであれば、むしろ協力してもいいとさえ思う。
「いや。疑似的だろうと共有幻想ほどの強度が必要ならば、世界樹だけの魔力では足りない。そうだなぁ。この調子で大森林全てを密林で埋め尽くし、一帯の妖精を集めるくらいは必要かな」
「嬢ちゃんの言う通りだな。今はまだ世界樹を乗っ取る前段階に過ぎないって事さ。悪いが女王の為に犠牲になってやる気はねえ」
そもそも共有幻想とは、文字通りに大勢で一つの幻想を共有する事らしい。代表的なものは三柱教で。意外や三柱という神を存在させているのは信者の力なのだとか。
「言ってしまえば、膨大な人数で現実改変を行う大儀式魔法だね。これを単独で成せるのが魔王で、種族で成せるのが妖精という訳だ」
だから妖精は植物で里を満たした。自然の化身である妖精の数をかさ増しする為だ。
けれど女王の復活の為には魔力が足りないので、今後侵略の規模は爆発的に増えるだろうというのがイグニスとシシアさんの見解だった。
そう言われてしまえば確かに止めなければならないのだろう。あの樹波が大森林を飲み込むとなると、住まうエルフだけでなくシュバール国全体の被害に繋がってしまう。
「でも、この場合どっちが悪いんだろう……」
到底許容できる被害ではないのだけど、相手も被害者である事が俺を迷わせた。実のところ俺はまだ妖精を斬れていない。植物は飽きるほど切り裂いたが、肝心な止めだけはどうしても刺せないでいた。
その理由こそが魔王様だ。先に理不尽な事をしたのである。だからジグの罪を責められると、どうしても刃が振り落とせなかった。
「馬鹿だな君は。混沌の魔王の罪は混沌軍のものだ。そして、贖罪はもう済んでいる」
「え?」
例えばラルキルド領。魔王軍であった罪を理由に攻められていたが、今はもう和平し、ランデレシア国民として迎えられている。イグニスはそうだねと、俺に納得を促すように言って頭を撫でて来た。
「シエルも事後処理に翻弄していたと言うし、この里だってシシアなりの罪滅ぼしなのさ」
「まぁ、そうだな。死人に罪は問えねえだろ」
バツが悪そうにポリポリと頭を掻く老エルフ。隻眼で隻腕で。激しい戦いに身を置いてきたのが伺える魔王軍の残党。彼は俺の目を見据えて言う。
「この大森林は人間から奪い取った土地だ。だから俺が責められるのはしょうがねえ。けれどな、セレシエ含め、ここで生まれて育った奴も居る。故郷を守る為に戦うのは当然の事なのさ」
シシアさんは言った。イグニスの言う通り、妖精との和解も済んでいると。
この里は行き場が無い者の隠れ里。人木などの魔族しかり、澄んだ魔力の元でしか存在出来ない精霊や、妖精界を失った妖精の為にあったのだ。
「どうかこの森を守る為に、力を貸しちゃくれないかね」
「勿論です」
守る為に戦うのは当然。老エルフはそこに善悪を求めなかった。きっと、魔王と共に群雄割拠の時代を経験した価値観からなのだろう。
俺はジグルベインは悪い奴で人の大切な物を沢山壊して来た。だからと言って妖精に壊す資格はあるのだろうかと。そんな難しい話を考えていた。
攻めて来たから守るという話なら単純だ。まずは守り被害を抑える。敵の事情はその後である。うん、戦えそうだ。少しばかり目を閉じて、再びに剣を取ろう。
そう考えた矢先の事である。
(お前さん!)
魔王が叫ぶと同時、ギシリと床が鳴った。俺たちは全員で机を囲んでいる。ならば一体誰の足音なのだと、バッと顔を上げる。
「……!?」
扉の壊れた玄関には立ち尽くす人影があった。いや、人というのは正確ではないかもしれない。それは等身大の木人形だった。デッサンにでも使いそうな、人を模した木塊が不気味に立ち塞がっている。
「あれは……」
なんだ。そう言い終わる前には、目前に接近する人形。速い。その運動能力は大活性の身体強化を施したくらいには高いらしい。俺は蹴りのモーションを視認するや、咄嗟に一番近い魔女を庇い、背に当たる蹴りで諸共に吹き飛ばされた。
「ちっ。この動き、中級妖精か!」
すぐさまにシシアさんが対応する。右手で木人形の胸に掌打を叩き込むと、家の壁をぶち破って外まで飛んでいく。密林の植物が、まるでネットの様に人形を受け止めて。そこにすかさず放たれるセレシエさんの弓。
流石の腕前だ。矢は人形の頭部を射抜くや、衝撃により爆散させた。こちらの世界の弓は、身体強化前提で作られた強弓もあるのだ。じゃないと大型魔獣を狩れないからね。
(気を抜くなよ)
分かってる。人間ならば即死のダメージを見て、リュカはほっと息を吐きだした。けれどももとより人形に命は無い。あくまで妖精の操り人形なのだ。
頭部を失った木塊は、なんのこれしきとばかり、ギイギイと間接を鳴らしながら立ち上がってくる。
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