341 閑話 その頃勇者は
「うふふ。今日はどれにしようかなぁ~」
私は寝台に横たわりゴソゴソと荷物を漁ります。少し時間が出来たので趣味の読書をするのです。光の魔石を使った新型の照明魔道具は明るくてお気に入り。脇にお菓子と飲み物を用意して、誰も邪魔してくれるなと祈るばかりでした。
「これはティアがお勧めしてくれた奴だっけ」
ラメールの町には滞在が長かったので女の子同士で話す時間も当然ありました。そんな時、イグニスとティアの魔法使い組とは本の話題でとても活発な交流が出来るのです。そこで紹介された本でした。
内容はシュバール国らしい、船乗りの物語。主題は異国での出会いと遠距離恋愛です。離れる事で逆に彼女への思いを膨らませていく主人公にはとても感情移入出来ましたね。これは良いものです。
「なにより……」
ちょっと性描写が濃厚なのですよね。まったく、スティーリアめ。涼し気な顔して人にこんな物を勧めて来るなんて。持つべきは友達だね。ありがとう。
「これは夜に楽しませて貰うとして、今はこっちかなぁ」
手に取ったのは辛うじて表紙が付けられた原稿用紙の束でした。なんと私の崇拝するハトヴァリエ神の原稿の写しです。ラメールを発つ前に師匠からご褒美として貰っちゃいました。
当然私は剣を突き付け、何故テメェがこんな物を持っているのだと問い詰めました。どうやらアトミスさん経由で入手したらしいですね。
アトミスさんはお茶会で神と同席し、今度は一緒にラルキルド領に招かれているのだとか。行きたい。冒険してる場合じゃねえよと思ったのですが、流石に参加出来ませんでした。
「その異国の少年は、墨を垂らした様な黒髪に、黒曜石を思わせる瞳を持っていて。見た目とても陰鬱そうで。けれどどうだろう。その声色は竪琴の音色よりも優しく鼓膜を揺らし、眩い笑顔が心を照らす」
私は一文を指でなぞりながら声に出します。脳裏には鮮明に彼の笑顔が蘇り、つられこちらの頬まで上がってしまいました。
そうなんですよね。なんとこの話にはツカサくんが原型になった人物が登場します。手慰みに書いた物なので、残念ながら次回作とは関係が無いのだとか。けれど小さな冒険記の中に彼は確かに生きていて。まるでいつでも会える気分にさせてくれるのでした。
「フィーネ、起きてるー?」
「ふぁい!?」
「なんて声だすのよアンタは」
カノンの突然のノックに思わず慌てて布団を被りました。少々だらしない恰好だったんですよね、えへへ。気を取り直して用事を聞くと、お茶のお誘いとの事。集中していると時間が経つのは一瞬です。名残惜しい気持ちになりながら、また会おうねと本を閉じました。
「お待たせ。あ、もしかして私が最後?」
「そうね。ティアにはもう声掛けたわ」
扉を開けると、青い髪を後ろで結った女性が待ち受けていました。日差しと潮風で赤く焼けた肌が目に付きます。また鍛錬をしていたのでしょう、暑いと上着を脱ぎながら零れる汗を拭っています。
「カノン、男性が多いんだから少しは恰好に気を付けよう?」
「奴らなんて上はもう裸じゃない。ズルいわ」
それにしても胸帯だけというのは些か刺激が強いでしょう。特にカノンは大きな物を持っていますからね。彼女は実は汗かきでは無いのですが、運動量が尋常ではないので年中汗を拭いている印象があります。
しかし脱ぎたいという気持ちも分かりました。ラメールを出発し既に10日以上。船は南下を続け、気候が早くも変わって来ているのです。もう秋の終わりだと言うのに半袖で過ごせる陽気なのでした。
と言っても港には二日置き程度で寄るし、陸からもそんなに離れないので、あまり長距離を移動した実感は無いのですけどね。
「あ、カノン。また貴方はそんな恰好をして!」
「あはは、同じ事言われてる」
「ごめんなさーい」
奥の部屋から出てきたティアと合流して甲板に移動しました。陽の下に出るとカっと照る様な日差し。そよぐ海風がとても気持ちが良いです。
今は風が足りないのか、船の両脇では大勢が櫂で漕いでいました。どうやらカノンはこれを手伝っていたらしいですね。一応魔導船なのですが、帆が3本もある大型船な為に異常時以外では使わないのだとか。
「おい、フィーネ。休憩終わったら訓練に付き合えよ」
「うんいいよ」
私たち様に用意された休憩席には半裸の男の子が座っていました。船は空間に限りがあるのですが、勇者一行の特別待遇です。なんと部屋も各自に割り当てられているので私も安心して趣味を楽しめます。
「イグニスとツカサくんは、どの辺りまで行ったのかなぁ」
本を読んでいた影響でしょうか、なんだか無性に彼が恋しくなり話題にあげてしまいました。するとカノンは冷えたお茶を飲みながらまたそれかと笑って来ます。私はそんなに頻繁に言ってるでしょうか。少々照れ臭くなりました。
「大丈夫よ。あの二人なら元気に楽しくやってるって」
「でも心配になるのは仕方ないのだわ。どちらも目を離したら問題を起こしそうだもの」
「ツカサ……なぁ」
楽し気に会話に花を咲かせるカノンとティアと違い、ヴァンは物憂げな顔で自分の手を眺めていました。何か思うところでもあるのかと聞くと、少年は鋭い目を私に向けて来ます。
「俺は剛活性でもあいつに力負けしたんだよ。反動はデカいみてえだが、克服したら何処まで強くなると思う?」
「もしかしたら……猛活性に届いちゃうかもね?」
一般的に剛活性まで到達するには騎士団に入団してから10年の研鑽が必要と言われています。まだ学院を卒業する年齢にすらなっていないヴァンは、十分に天才と呼ばれるべきでしょう。
そんな男の子が思わず殺気を抱く程に意識する相手。ツカサ・サガミ。
彼は無謀とも言える戦いに身を投じ続け、生還する度に強くなっています。次に会うときはまた逞しくなっているのだろうと確信するも、その天井が何処まであるのかは私にも想像がつきません。
「負けてらんねぇ!」
さあ勝負だと勢いよく席を立つ少年。私も勇者として腕を磨かなければならないので、そうだねと椅子から腰を浮かせます。所が、ふと耳に聞こえた言葉にピシリと石の様に固まってしまいました。
「ツーくんの事だし、私達の事なんて忘れてイグニスと遊び呆けているのではないかしら」
「アハハ、仲良いものねアイツ等。次に会ったときに婚約していても驚かないわ」
なんですと!? 勇者一行は引き抜き防止の為に結婚が出来ません。その為に私はどこか油断をしていたのです。いえ、読んだ本の影響もあり、会えない期間が愛を育むのだと楽観的な考えさえしていました。
でも彼は私の事を考えているのでしょうか。たまには思い出してくれてるのでしょうか。そして隣には常にあの性悪魔女が居るのです。これは大変な事ですよ。
「ふ、船を戻して。大至急!」
「出来るわけねーだろ馬鹿」
「じゃあいいよ、泳いでいくよ!」
涙目で海に飛び込もうとしたらカノンに羽交い締めにされました。私が解けないとかどんな怪力なのでしょう。おかげで少々冷静になります。失礼。勇者として見っともない姿を晒してしまいましたね。それはそれとしてイグニス死なないかな。
「もう、やめてよねフィーネ。気候域に入ったのだから、目的地は近いわよ」
「うう……はい」
この暑さはアリファン諸島という場所の影響を受けているのです。水の下には多くの海底火山があり、海さえ煮立つ灼熱の地。陸には活火山が並び、必ずどこかで灰と岩漿が吹き出している常夏の島。
特異点では無いのに気候を覆す異常さは、世界で一番火の魔力の強い場所と呼ばれる証明であり。星から生まれる劫火を寝座にする者こそ、私の次の目標でした。
「火の精霊、火竜……また一筋縄ではいかなそうだね」
「だから遣り甲斐があるんだろうがよぉ」
ツカサくん、イグニス。一緒に行きたかったね。こっちはまた、冒険が始まります。




