336 ストロングスタイル
コメカミに拳が突き刺さる。頭蓋骨が破裂し、脳漿が飛び散った。そう幻覚する程に、ただただ圧倒的な力だった。意識に刷り込まれるのは死への恐怖。耐えるとか、反撃とか、そんな抵抗する気持ちを根元からへし折る様な。泣いて逃げ出したくなる一撃であった。
「うぁああ!!」
だから、どうした。
俺は叫んだ。獣の様に吠えて恐怖を掻き消す。握る拳に勇気を込めて、強い狼に向かい更に一歩踏み込んで思い切りに顎を叩きつけた。
「なんで、避けない!」
僅かに首を持ち上げるヴォルフガング。だが、効いた様子も無く大きな瞳でギョロリと睨んでくる。
「お前こそ変身をしないのか。あの力には俺も恐ろしさを感じたぞ」
(…………)
悔しさに唇を噛む。コイツはもう俺を見て居なかった。ジグルベインとの戦いを期待しているのだ。まるで当てつけのように魔王が切り裂いた胸元の傷を指でなぞっている。
だが使わない。既に使い切ったという裏事情は置いておいて、これは俺の喧嘩なのである。この狼男との戦いでは交代は元よりジグの魔力すらも借りる気は無かった。
「使うまでもないぜ」
「そうか。お前には期待しているんだ、退屈させてくれるなよ」
そもそもに俺は剛活性を扱う象さんにボコボコにされた。その更に上の領域にいる狼に挑むなんて、早いを通り越し、もはや愚かなのだろう。
でも気持ちは萎えない。防御を放り投げて闘気を纏い、溢れる魔力に属性を変化を施す。その名も闘気“光式”。単独で出来る最強フォームだった。
これを編み出したのは赤鬼との戦いである。こんな奴、キトの野郎に比べれば。心の底から絶望しか無かったあの戦いを思えば。
「屁の河童だっつうの!」
勝負はこれからだと拳を前に出す。しかし伸び切った腕が狼を捉える事は無かった。避けられた訳ではない。そもそもに相手は動いてもいないのだ。また、俺が目測を誤ったという話でもなく。
動いていたのは足場だった。対角を二本のワイヤーで吊るしている舞台は、重心が傾けば、それに応じて角度を付ける。俺が攻撃を食らい後退しすぎた為に今にもひっくり返りになっていた。
「くっ」
思わぬステージギミック。下手に落下をすれば地獄の大穴に真っ逆さまだ。俺と狼の跳躍はほぼ同時。床を蹴りつけた衝撃で舞台は風車の様にグリングリンと回転をした。
着地によりほぼ中央での仕切り直しとなるが、未だ足場は左右に大きく揺れる。まるで大時化の海に漂う船の上に居るようだった。
だが、そんな揺れが一瞬ピタリと止まる。お互いの踏み込みの衝撃でバランスが釣り合ったのである。放たれる拳にはその反力に相応しいエネルギーが込められていた。
「ぐふっ。これは、中々」
「……?」
光式は魔力の流れをとにかく高速にする。魔力の伝達の速さは動きの速さに直結し、反応速度から反射神経までもを押し上げている。なので今度は狼の拳をギリギリ避ける事に成功した訳だが。
解せぬのはヴォルフガングの対応だった。またも直撃したのである。それも当然か。そもそもに奴は回避行動すら取ろうとしていないだから。
「馬鹿にしやがって!」
俺の攻撃など躱すまでもないというのであれば、このまま沈んでしまえ。闘気は出力だけならば剛活性とも張り合えるのだ。ここで畳みかけるとラッシュを仕掛ける。
右フックを左脇腹に捻じ込み、下がる顎に膝を打ち付け、伸びる首元に手刀を突き刺し。
無敵のキトとは違い急所への連撃は効いたか。喉を抑えて悶絶している所へダメ押しの旋風脚。全身で捻りを加えた回転蹴りは見事に相手の側頭部に決まる。
だが、英雄は倒れない。確実にダメージはあるというのに、なんぞこれしきとばかりに胸さえ張って見せていた。
「いいか、小僧。俺は獣闘士の頂点、百獣の王。ならばこその意地がある」
「……!!」
「好きなだけ挑むがいい。俺は全てを受けて、立つ。この舞台の上では、逃げぬ、避けぬ、防がぬ。真向から勝負し、もしもの疑念も残さず完勝して見せよう」
赤鬼は効かないから受けていただけだった。だがコイツは違う。圧倒的な力でねじ伏せるだけでなく、全部を出し尽くしても届かないと証明する為だけに己に制約を課していて。だからこそ強い。
一瞬であった。今度はこちらの番だとでも言わんばかりに間合いが詰められる。視界が反転していた。投げられたのだと床に顔を埋めながら思い至る。受け身すら許されぬ早業に意識が飛びかけ、体は完全に硬直していた。
「あ……やべ……」
衝撃で舞台がまた傾く。いや、違う。回転が先ほどと逆方向であった。先ほど捻じれたワイヤーが戻ろうとしているのだ。
狼は軽やかに跳躍するが、地に伏す俺はそうもいかず。ずりずりと体が床を滑る感覚に、敗北の二文字が頭を過る。
(どうしたよ。もう満足か。珍しく自分から喧嘩を売ったのだから、お前さん怒っておったのだろう)
「……うん」
そうだ。俺は怒っていた。まだこんなものじゃあ発散出来ない位にキレている。ジグの言葉でそれを思い出し、床に爪を突き立てた。
回転し暴れる舞台に五本の指でしがみ付く。浮いて飛ばされそうになるのを必死に堪えていると、なんとか嵐は過ぎたか。グラグラと揺れながらも床は水平に戻りかけてくる。
とても長い時間に感じたけれど、ほんの数秒の出来事だったのだろう。頭のすぐ近くでストンと狼が着地する音が聞こえて。俺は闘志を剥き出しながら腕で体を起こした。
「何が……だ」
「ん?」
「何が、受けて立つ、だ。リュカから散々逃げやがってよう!」
「……俺に挑む理由はそれだったか」
そう。それだけなのさ。俺はリュカと出会った時から、帰り道が分からないという彼女に同情していた。そんな子が、目の前で親に受け入れて貰えず、涙した。立ち上がるには十分だった。
「顔の原型残らねえほどぶん殴ってやるから覚悟しろ!」
宣言通りに顔面を殴り飛ばす。有効打。やはり闘気ならば少なからずダメージはあるようで、狼は口内を切ったか牙の隙間から血を見せる。勢いのままに押せ。追撃を加える意思はあるのだが、もう俺も足が動かなかった。
先ほどの投げだろう。下段蹴りで姿勢を崩され、腕を極められながら、肘打ちで地面に叩きつけられていた。身体強化で多少頑丈になっているとはいえ、魔力防御が併用出来ない今、肉体へのダメージがえげつない。
「動けー!!」
相手はたかが英雄。まだ手も足も付いていて五体が満足。こんなピンチは何度も乗り越えて来ただろうと、魔力を流しながら太ももを叩く。
そんな事をしている間にも反撃があった。狼の拳が腹にめり込み、肺の空気と共に胃の中の物が全て吐き出される。苦痛に悶絶しながら睨みつけるも、相手の眼は実に冷ややかで退屈そうだった。
「がっかりだな。お前があの子の何か知らんが、そんな理由で何処まで戦える。所詮は他人だろう。戦士ならば、己が矜持を糧にすべきだ」
舐めプ。ヴォルフガングの態度はその一言に集約されていた。あと何発持つかと遊んでいる。もう手の内は出し切ったのかと様子を見て居る。ふざけたものだ。コイツにはまだ死闘ですらないのだろう。
あるいは俺の実力が足りないにしろ、今まで戦ってきた獣闘士達は本気で殺しに来ていた。強制的に戦わされる身としては迷惑極まる話だが、そんな戦士達が好きだった。熊さん、蜥蜴、象さん。皆ちゃんと、天秤に命を置くからこそ殺し合いは成立するのだ。
そんな事を考えていると、ふと疑問が解消した。
この狼が俺を初日に生かした理由。獣闘士との戦いを上から眺めて楽しそうにしていた訳。
「アンタ、敵が欲しかったのか。そうだよな。始獣の相手だけじゃ飽きるか」
「期待していると言っただろう。もう俺に挑む者はこの国には居ない」
餓えていたいのだと寂しそうに笑う狼は、或いは人狼の伝説にすら強敵の予感を覚えていたのかも知れない。この場所に捕らわれているのはジャバウォックだけでは無かった。お役目という鎖に狼も繋がれていたのだ。
「そうかい。そりゃあ災難だったね。じゃあ、泣いて逃げ出すんじゃねーぞ」
俺の売った喧嘩なのだから、まずはコチラが命をベットしよう。それで乗ってくるならば、いよいよ死合だ。どちらが先に壊れるか、我慢比べと行こうぜ。
闘気は魔王の使う、限界突破の技。出力を上げすぎると身体が持たないので制限しているが、それを取り払い。
「いいだろう。まだ何か出来るなら……」
「受けて立つってか!」
「ぐぼっ、なんだ……。この威力は!?」
自分のパンチの反動で皮膚が裂け、骨が軋み、筋肉が震える。痛む腕を泣き面で抑えるのだが。ヴォルフガングはようやっとに気持ちに火が点いたか。退屈の顔は消え、それは端正な王者の顔付きになっていた。
「やっとこっちを見たな」




