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296 『ただいま』を言わせて



 俺の故郷に帰りたいという願望は、即ちみんなとの永遠のお別れで。その事をフィーネちゃんは身を切る様な声で問いただして来た。


「ごめん」


 別段隠すつもりは無かった事だ。それでも知ってしまったかという気持ちが大きい。

 なにせ、あの勇者が。魔獣暴走や魔王軍幹部だろうと果敢に挑む勇ましい少女が、下唇を噛み込み、今にも零れそうな涙を必死に堪えているのだった。


 結局この子を一番曇らせたのは自分であったか。俺は真っ直ぐに注がれる視線と目を合わせるのが辛くなり、つい地面を見つめてしまう。


「異世界って言っても混乱させるだろうし、そもそも帰る方法も見当も付かないし。まだ知らせなくてもいいかなって」


 口から漏れて出る言い訳。ベンチに腰掛け、石畳だけを視界に入れる。周囲のお祭りの賑やかさも雑踏も耳に遠く、まるで俺の頭上にだけ土砂降りの雨が注いでいる心境だ。それでも隣の少女がなんて反応をするかに神経を集中をした。


「私、今日は勇者じゃなくて、ただのフィーネのつもりでツカサくんを誘ったの。だからさ、これから凄く格好の悪い事言っていいかなぁ」


 勇者としてだと命令になってしまうから、あくまで友人の声として聞いて欲しい。そう前置きをして、鼻擦る声で帰っちゃ嫌だと告げられた。顔は……見ない方が良いのだろう。肩に額を当てられ、彼女の体温と共に小刻みに揺れる振動が伝わって来た。


「ごめんね。私は帰る方法が見つからなければいいのにって思てる。ずっと一緒に居たいのに。どうして貴方は目を離すと居なくなってしまうの」


 ルギニアではイグニスと共に旅立った。王都では武術大会の後に姿を消した。今回もまた居なくなってしまうのではないかと。つまり、ここシュルバで別れたが最後。集合場所のエルレウムに姿を見せない可能性をフィーネちゃんは不安に思っているのだ。


 俺は答えを言い淀む。世界を渡る術なんてそう簡単に見つからないだろうが、もし旅の途中で見つかれば、その通りになるからだった。


「フィーネちゃん、聞いてくれ!」


 堪らずに少女の肩を抱きしめた。声に反応し徐に顔を上げた少女は、想像の通りに涙で目元を腫らしていて。濡れて肌に張り付く金髪を指でそっと整えてあげる。


「俺に『ただいま』を言わせて欲しい」


 そもそもにこの相模司、実は地球に帰れた所で先行きは暗い。中学の3年間を不登校で過ごし、異世界に来たせいで高校受験も出来なかった。それに正直な所、もう自宅で勉強した範囲など大半が脳みそから消えている。中学校で習う漢字すらも怪しい今、社会復帰するには相当の努力と根性が必要だろう。


 それでも家に帰りたい理由。勇者一行という名誉を捨て、美少女の縋る手を振り解いてでも親の元に行かねばならない理由。


「もし、今この瞬間さえも父さんと母さんが必死に探していると思ったら、やりきれない。良い子じゃなかった自覚はある。だから、もうすっかり俺の事なんて忘れていたとしても。僅かにでもその可能性があるなら絶対に諦めてはいけないんだ」


「っ……そう、だよね」


 冒険は家に帰るまでが冒険である。あの日唐突に世界を放り出された俺ではあるが、これを達成しない事には死んでも死にきれなかった。


 引き籠っていた自分への決別、向かい合えなかった両親への謝罪とケジメ。それをただいまを告げて完遂しよう。そうして初めて、この唇は吐息をしだすのではないか。まずは負債を返したい。そうすれば、次は自らの手で扉を開き、胸を張って行ってきますと言えるから。


「これはまだ、イグニスにも言っていないんだけどさ」


「えっ?」


(ん?)


「俺は必ずこの世界に戻って来て、君の隣で死ぬよ。何があろうとフィーネちゃんの危険に駆けつけるから、今度さよならをしても、俺のただいまを待っててくれないかな」


(ならんぞツカサ。こんな世界に帰って来るなど何を考えておるんじゃ!)


 何やらジグルベインから猛烈に反対を受けた。けど、お前の為なんだよと、聞こえない振りをする。


 もう決めていた。目指すは魔大陸が深奥にそびえる大霊峰ベルバニア。天と地の狭間にかつて在った町の名前はジグルベイン。待ち受けるは十二翼の天使。まったく、お姫様を救うのも楽では無いものだ。


 でも俺、ノーマルエンドよりもハッピーエンドの方が好きなんだよね。例え家に帰れた所でジグルベインをこのままでは終われない。俺の為なら吐息をしないと言った彼女を諦められない。


 いつか手を握ろう。抱き着かせてくれ。一緒に覚えたダンスを踊ろう。ジグも俺の大切な家族なんだから。


(こんの、アホ垂れは!!)


「酷い顔だ」


「え、やだ。見ないで」


 魔王様に言ったつもりだったのだけどフィーネちゃんに誤解をされてしまった。ごにょごにょと言い訳をしながら、そうだ踊ろうよと少女の手を取り立ち上がる。勢いで押し切ったとも言う。


「せっかくのお祭りなんだから、今日くらいは楽しもうよ」


 思い出作り。もともとフィーネちゃんもそのつもりで俺を誘ったのだと思う。戸惑う勇者を引っ張りながら広場の真ん中に駆け出した。


 中央にはデデンと石造が建っている。剣を構える鎧姿の男は魔王を討った救国の英雄だ。しかして誰も顔はおろか名前すら分からず、この国の人は彼をモアと呼んで称えたとか。


 俺とフィーネちゃんは少しばかり複雑な心境でその像を見上げるのだけど、地元の人達には愛されているらしい。子供から年寄りまでが彼を囲んで奏でられる笛や太鼓の音色に乗って踊っていた。


 社交界の円舞は少しばかり周囲の空気に合わないけれど、そうれとクルリクルリと回り始めれば、泣き顔だった少女は仕方のない人だと頬を緩める。


「なんでイグニスには帰ってくる事を言ってあげないの?」


「秘密にして驚かせてあげたいなぁと」


「もう、本当に嘘つき」


 イグニスは俺を励ます為に帰れなかったら結婚してくれると言った。だが、それは方便だ。何せ相手はあの魔女である。


 俺を帰す方法を探す為なら世界の裏側までだって躊躇なく行くだろうし、見つかるまで旅を止めないはずだった。それこそ何十年と経ち俺がもういいよと途方に暮れようと、無ければ作ると言いかねない女なのだ。


 滅茶苦茶言い辛い。それに見方を変えればプロポーズしている様にも取れるのではないかと躊躇わせた。


「え~っとねえ」


「フフ。言いたく無いならいいよ。でもイグニスも知らないツカサくんの秘密、一つ知っちゃった」


 金髪の少女は吐息の掛かる程の距離ではにかんだ。その笑みのなんて蠱惑的な事か。

 やはりフィーネちゃんには笑顔が良く似合った。勇者という重責を背負っているからこそ、彼女の顔から笑顔が消えない様にと切に願う。


「そうだ。この前服をボロボロにさせちゃったから贈りたいと思ってたんだ。良かったらこの後一緒に見に行かない?」


「ツカサくんはズルイよ。私は嫌われる覚悟もしてきたのに、そうやって喜ばせるんだもん」


 行くと即答した少女と、この後フラリと祭りを回った。服は貴族の店だとオーダーになるので、出店に並ぶ現物を探し歩いて。贈った品はそんなに高級では無いけれど普段使い出来るからと喜んで貰えた。


 その後も食事を楽しんで、また遊んで。ちょっと気疲れしたけれど、まるでデートの様な一日だった。どうなる事かと思ったけれど、誘ってくれた事に感謝である。


(言っておくが、儂は勇者はお勧めせんよ。あれは最悪お前さんを監禁してでもこの世界に引き留めると思う)


「フィーネちゃんが? ははは、そんな馬鹿な」


(知らぬが仏ってな)


「でもまぁ、別れを寂しがってくれる人が居るのは嬉しくもあったよ」 


 今日ほど自分がこの世界の異物だと思った日は無い。俺はこの世界に息衝いていないのである。過去や歴史も無ければ、折角築いた絆を捨てなければ家にも帰れやしないだなんて。


 俺は身軽な冒険者で、荷物は思い出だけ。けれどその思い出を裏切るならば、この唇は吐息をしていると言えるのだろうか。まるで体を持った幽霊の様だと自嘲した。


「分かっていたけれど、辛いなぁ」


 日本に帰れる保証もこの世界に帰って来れる保証も何処にもありはしなかった。



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