287 辛ーい!
ご飯でも食べていこうという話になり、賑わう店で馬車を止めてみれば激辛料理店であった。俺はそこまで辛い物が苦手という事は無いのだけど、多くの人間が顔を真っ赤に絶叫していたら誰だって気後れすると思うのだ。帰りたいと思うのだ。
「フ、フィーネちゃんが居るし別の場所にしようか?」
「大丈夫。私、結構辛いの好きだよ!」
「そっかー」
女の子に配慮するという形で逃げようと思ったが勇者は乗り気だった。ヴァンはどうだと聞くと「超激辛は食べきれたら無料か、面白れえ」と険しい表情で呟いた。何故か超激辛に挑む事が決まっていた。
「で、でも結構混んでる感じかなぁ。時間掛かるなら他の店でも」
「やや、貴女達はもはや勇者様では!? おいお前ら席空けろ、英雄様のご来店だ!!」
「……余計な事しやがって」
(お前さん、もう諦めろ)
逃げ出す口実を探すも他のお客さんがご厚意で席を譲ってくれる。そこまでされてはもはや嫌とも言えず、どうもどうもと頭を下げながら席に着く。着いてしまった。
「まさか顔が知れ渡っているとは」
「あ、そっか。ツカサくんは起きてから外に出るの初めてか。魔獣暴走と赤鬼の件で私達と師匠は今ちょっとした英雄扱いなんだよね」
「おう。もう吟遊詩人が詩を作って広げまくってるからな。ちなみにお前も人気だぜ。勇者一行を逃がし一騎打ちでアルスさんの到着まで粘った男ってな」
「うおーまじかー。恥ずかしいー!」
どうりで動物園のパンダみたいに見物客の行列が出来るわけだ。特に俺はラウトゥーラの森の冒険譚では詩により居たり居なかったりの扱いだった。その後なので謎の人物の素性が明かされたと話題になっているようだ。
奇人変人として見られるのはもう慣れたけど周囲から好奇の視線を向けられるのはやはり気恥ずかしい。そんなに見てくれるなと顔を隠したくなる一方で、脳裏には知人の顔が浮かんだ。
特にフラウアの町で別れたエーニイちゃん。彼女は無事にセトに帰れただろうか。イグニスが活躍は吟遊詩人に聞けなんて格好をつけたものだから、元気にやっていると届いてくれればいいなと考えた。
「はーい、お待たせしましたー! 当店の目玉商品、超激辛盛りでございますー」
「うわっ、凄いの来たな」
娘さんが元気よく器を運んできた。とうとう来てしてまったか。せっかくの看板メニューなので三人で挑む事になったのだ。どうやら煮込み料理の様で、深い器の中でグツグツと煮える赤い液体はまるでマグマが盛られているようだった。
「あのー、ちょっと気になったんですけど。このお店って前からありました?」
「そういえば前に通った時は気付かなかったね」
フィーネちゃんが店員に突っ込み、俺もそういえばと思う。フィーネちゃんと海に出掛けた時もこの西門の通りを通ったのだ。これだけ繁盛していれば気付いても良さそうなものなのに。
「ああ、そういう事ですか。店自体はは前から在ったのですが、激辛を始めたのが最近なんですよ」
なんでも被災者支援の一環らしい。食べきれたら無料にしているのもその為で、励ます意味を込め高価な香辛料をふんだんに使った料理を出しているそうだ。
「とても立派な考えだと思います」
「いやー私好きなんですよねー。お客様のお腹が一杯になって幸せそうな顔と、辛さで藻掻き苦しむ顔」
「後半ただのゲスじゃねえか」
一応は料理店ギルドの運動らしく、国から補助金が出るのでどこも料理の値段を下げているそうだ。この店は更に個人的に大盤振る舞いしたとの事。
そんな話を聞いて被災地の現場を思い出す。仮住まいこそ急ピッチで建てられていたが、やはり被害は甚大だ。瓦礫の撤去や炊き出しを手伝うカノンさんの話では、掘り出される財産や土地の線引きで揉めているという話も聞く。
今回の事件は唐突なのに大規模で、命があるだけ御の字とそう思っていた。でも、苦しむ人が居ると考えれば、出来れば平穏な暮らしも守りたかったと欲が出る。そんな考えを見透かした様にフィーネちゃんがあのねと声を掛けてきた。
「正直な所、私はもっと責められると思っていました。勇者なんだから守るならちゃんと守れ、街をどうしてくれるんだと」
「それは……」
フィーネちゃんのせいじゃないよ。そう言おうとした所で「そんな事を言う奴が居たらぶっ殺してやる!」と町の人から声が上がり、そうだそうだと賛同の声が波紋になり広がった。
勿論そういう悪意を持つ人も居るのだろう。それでも多くの人は、勇者一行が命を懸けて戦った事を理解していてくれた。幾千の魔獣の死体が、巨大な都市が半壊する様が壮絶な戦いであったと証拠になっていた。
「ね?」
「うん」
町は守れなかった。けれどそれは俺のせいじゃない。そう言われた。「だから美味しいもの食べて貰って元気出して貰うんです」と店員さんに冷めないうちにと料理を進められる。敵わないなと感じる。
冒険者の俺と違い、この町に住む人はここが居場所だった。壊れたからと移れない。だから直す。命がある、明日がある。ならば再び積みなおすまでと、皆生きる事に前向きだった。
「ツカサくん、あ、あーん」
「えっ!?」
目の前にスウっとスプーンが伸びて来た。料理を食べて元気を出せと言うのだろうが、忘れてはいけない。これは激辛料理である。差し出された一口大の肉はトロミある真っ赤なスープが絡みつき鮮血が滴っているかの如く禍々しい。
「ああ、いけませんよ勇者様。それでは食べきっても完食とは言えなくなってしまいます」
「そ、そっかー。ごめんなさいー」
ナイスだ店員。勇者の蛮行を止めたお姉ちゃんは、時間内に食べきれたら無料だから頑張てくれと告げて砂時計を返す。制限時間は三十分だそうだ。俺たちは観衆に見守られながらいざと料理を頬張った。
「ん~~!?」
「こ、こりゃあ」
「かっらーい!!」
料理を口にした瞬間に感じる熱さがそのまま痛さになる。まさに口から火を噴いている様であった。辛さがやばい。
唐辛子など及びもしない刺激には覚えがある。確か火炎草だったか。味見した時は欠片一つで涙が出た程で、恐らくそれを大量に使っていた。味なんて理解する間も無く手は自然と目の前のコップを掴み中の水を飲み干して。
「あ。言ってませんでしたが、水は二杯目からは有料です。コップ一杯で銅貨3枚頂きますね」
「課金システムだと!? しかも高けえ!!」
(カカカ。これは酷い)
三人共に一口目で水を飲み干し絶望した。いや、全然払えない金額ではないのだけど、これは言わば救済処置。水なんか飲まずに食ってみやがれというのが店からの挑戦なのだ。
「上等じゃねえか。勇者一行舐めんじゃねーぞ」
ヴァンが果敢に食を進めるもので俺とフィーネちゃんも負けじと後に続く。そうだ、俺たちは勇者一行。キトに比べたら激辛料理なんて可愛いものではないか。
二口三口と手を進めるが辛さはやはり尋常では無かった。熱い、辛い、痛い。早くも身体が火照り、額からボタボタと玉の汗が流れ落ちる。なんだよこれ。食事というのは楽しいもののはずではないのか。ただ苦しい。口にスプーンを運ぶ行為がまるで自傷行為の様に思えてきた。
「ハフハフ。でもこれ、味は美味しいよ」
「たし、かに?」
口が辛さに慣れてくると見えてくる味の奥行。確かに辛いだけではなく、負けない旨味が隣にあった。魚介出汁だ。甲殻類をベースに貝や海草が効いている。
肉は海獣系だろう。ドロリとした油身がありながら味は淡泊。魚と獣の中間くらいの食感で口の中で柔らかく崩れた。ゴロゴロと入っている野菜も良い、ホクホクの芋によく染みた大根、シャキシャキの白菜。うん。確かに美味しいと言えば美味しいんだけど。
「それ以上に辛過ぎんだボケ!」
食事を楽しむ勇者に唇を腫らしたヴァンがキレた。お前正気かと。大変に同意しよう。今の心境は口の中でキトが大暴れしている気分だ。舌や喉の被害は既に甚大、そして敵は食道を通り胃にまで攻め込んで来ていて、身体の免疫力が全力で止めろと戦っている最中である。
フィーネちゃんは手で顔を扇ぎながらヒーヒー言うも、どこかまだ余裕がありそうだった。俺は涙を浮かべながら何故だと分析をすると、一つの答えが見えてくる。
そうだ、彼女は過負荷に慣れている。自分を焼き尽くしても力を振り絞らなければいけないから、異常なまでに我慢強いのではないか。
「そん……な」
勇者は何処に行っても勇者であった。具をペロリと食べきって、スープをゴクゴクと飲み干して。ふうご馳走様と一息付けば、観衆が凄い凄いとドッと沸く。
「さ、流石勇者様ですね。時間内余裕の完食です。なんと当店始まって以来、187人めの完食者ですよ!」
「結構食ってんなオイ!」
まぁ俺もヴァンも意地というものがある。フィーネちゃんが食べきった以上はヘタレる事なんか出来ずに無事完食をした。店を出る時には悩みを忘れていたというより、悩む余裕も無くひたすらに悶えていた。
◆
(お、お前さん。大丈夫か?)
「いや、駄目だ。これは死ぬ」
(鬼にやられた後より悲愴な顔しちょるなー)
なお。真の地獄を味わうのは翌日の事だった。大量の辛味成分により喉も胃も荒れに荒れ果てた訳だが、奴はもっと恐ろしい物を傷付けていった。肛門だ。
口から食べれば最後に出る場所。しかしそこもデリケートな粘膜なのである。仮に火炎草の辛味成分が大量過ぎて消化出来なかった場合はどうなるだろう。
もし肛門に味覚があれば昨日の俺と同じく辛いと叫んでいた。しかし味覚が無いのならば痛いと訴えるしか無い。結果、焼ける様に痛かった。熱かった。
「まるで尻穴に半田ごてを刺された気分だ」
(うわー)
地球でも辛い物食べた後のお尻痛い痛い現象はあるが、異世界の香辛料は格別に殺意が高かった。この現象に正式名称があるのか知らないが、俺はここに肛門直撃と仮称しよう。
直撃された俺は便器に跨り悩んでいた。それは拭くものだ。手にあるのはゴワゴワガサガサの粗い紙なのである。日本のトイレットペーパーが久しぶりに恋しくなった瞬間だった。
「どげんかせんといかん」
傷口を紙ヤスリで擦った様な衝撃にアーと叫んだ俺は、ヨロヨロとトイレを出て心に決めた。料理なんて作っている場合では無かったのだ。日本人として革命するべき場所は他にあった。
「よお」
「おう、お前もか……」
腰に手を当てゲッソリした顔のヴァンが居た。何があったか、とは聞くまい。恐らく同じ量を食べたフィーネちゃんも同じ症状と思われる。
「ツカサ、俺はやべえ事しちまったかも知れねえ」
「どうした?」
「いや、カノンが北区にフェヌア教の手伝いに行ってるだろ。だから、話の流れで昨日の店を教えたんだ」
そしたら面白そうだからイグニスとティアを誘って行ってみると言っていたと。その話を聞き、俺はなんて非道な事をするのだと少年を責めた。まさかこんな事になるとはと、椅子にも座れず立ち尽くすヴァン。
確かに昨日でこの被害は想像も出来なかったか。俺はせめてもと思い、フェヌア神に貴方の敬虔な信徒を救い賜えと祈った。やはり正拳突きをしなければ駄目だったのか、祈りは届かなかったらしい。




