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269 止めたきゃ止めてみやがれ



 カノンさんの拳がキトの腹に深々刺さる。剣でも傷付かぬ鋼鉄の肌、更には鍛えぬかれた腹筋であるに関わらず、僧侶は神懸かりし鉄拳にて鬼の防御を正面からぶち破って見せた。


 加えあの攻撃の本質は内部破壊だ。打撃と共に赤鬼に流れ込む魔力が背より突き抜け空気を大きく震わせる。


 不沈で不動で。それはもう無敵の様に思えた赤鬼のキト。彼はガハリと大きく口を開け長い白鼠色の髪を振り乱した。内部は余程の衝撃が走り抜けるのか、口端からは飢えた獣の様に唾液が零れ、やがてその中に赤色の液体までもが混じり始めて。


「どうよ。流石に効いたっしょ」


 残心という奴か、青髪ポニテのお姉さんは拳を引き一歩下がるも構えだけは解かなかった。ただし消耗は大きい様で、体力おばけの人が肩で息をしながら額からは大粒の汗を流している。


「おお、効いたぜ。こりゃ効いた。あんまりに痛いんで泣いちまいそうだ」


 だが堕ちぬ。あれだけの大打撃を受け、奴は膝すら地に付く事無くに仁王立つ。敵ながらに天晴である。


 多勢に無勢を物ともせずに我こそ天と矜持を持って。才能を剣術を魔法を信仰を、己が暴力一つで薙ぎ払う。その姿に俺はどこかジグルベインの面影を見ていた。あるいはこれが魔族の強者(つわもの)なのだろうか。


 魔獣のスタンピードを巻き起こしラメールの都市を滅茶苦茶にした張本人なのだけど、胸の中には不思議と憎悪よりも、単純にコイツに勝ちたいという思いの方が強まっていて。


「カノンに続け! 敵も無傷じゃない、押せ! ここで倒しきるんだ!!」


「「「おおおお!!!」」」


 勇者の号令を受け俺たちは最後の体力を絞り出す。燃料は寿命か命か。まさに今、魂を燃やして動いているのだろう。蓄積する疲労とダメージをアドレナリンで吹き飛ばし、止めを刺せと飛び出した。


「応よ、来やがれガキ共。祭りは楽しまなきゃなーおい!!」


「うぉらああああ!!!」


 俺が放つは黒剣に闇属性を纏った重斬撃。剣というよりも鈍器を振り回す様な攻撃はヴァニタスの硬度もあり辛うじてキトへの有効打になりえる。猫の引っ掻きから犬の引っ掻きくらいにはなったろう。


 胸元に何本目かの線を引けば、ヴァンが風の太刀で傷口を広げる。しかも奴は二刀流。鬼の体の至る浅傷さえも堀り返し、周囲はまるで赤い霧でも出ているかのようだった。


「どんだけタフなのよ、コイツはー!!」


「でも、間違いなく削っているから!」


 濃厚な死の匂いに包まれながら、興奮は高まり集中力もドンドンと鋭くなっていく。

 なにせ相手は魔獣が可愛くみえる程の剛力。一撃はおろか、擦るだけで絶命しかねぬ超暴力だ。


 連撃。連撃。連撃。合間に僧侶も拳を蹴りを叩き込み、距離が開けば魔女からの援護も有る。鬼に反撃を許すなと、俺と剣士と勇者は四つの剣で呼吸も忘れて乱れ舞った。


「「「うぉおおおおお!!」」」


 身体の感覚はほぼ消え、なのに研ぎ澄まされるという矛盾。目には敵しか映らない。けれど筋肉の動きさえ捉える。耳は雑音を消し、けれど仲間の呼吸だけは聞き分ける。肌は痛みも熱も寒さも忘れ、されど気配や空気を敏感に感じ取り。


 まるで無駄を削ぎ落とし、剣を振るう機械になってしまったかのようだ。壁を超えろ、今超えろ。足りない、もっと強くだ。こんなもんじゃあキトは、天は切り落とせない。一振り毎に高まる威力。秒単位で自己の最強を更新し続けた。


「…………」


 やがて一つの現実が見えてくる。

 何十という殴打を加えた。何百という太刀を浴びせた。効いているのだ、もうすぐ倒せるのだ。そう思い何分が経っただろう。


 奴はプロレスでもするかの様に真正面からその全てを受け止めて見せて。血を振り巻きながらも、自慢の二本角は天向き下がる気配さえ無い。


「あ……」


 小さな呟き共にカツンとキトの額に当たる剣。それは黒くも透明でもなく、ただの鋼。つまりはヴァンの物だった。まるで時が止まる様に、場の熱が逃げる様に空気が凍り剣戟が終わる。


 血で手が滑った。それならどれほど良かった事か。すっかり集中力の途切れた表情の少年剣士は、燃え尽きた蝋燭の様に生気が消え失せていた。限界。そんな言葉が脳裏を過る。アイツはもはや身体強化を維持する魔力も捻り出せず、手が鋼の重さに耐え兼ねたのだ。


 しかし誰が彼を責められるか。ヴァンはスタンピードの前にも宮殿で騎士を相手に大立ち回りをしていたのである。

 

「オラァ、どうしたもう終いか!? 根性無えなぁ!!」


 無防備なヴァンに振るわれる鬼の拳は実に生き生きとして微塵も疲労を感じさせないものだった。ヴァンが今本当に身体強化も出来ないならば奴の拳は紙ぺらの様に人体を破壊するだろう。


 させるかとカノンさんが拳を合わせるも逆にグシャリと腕がへし折れた。どころか勢い止まらずに顎を擦り、下顎が吹き飛んでしまう。


 崩れ落ちる僧侶を見た剣士は顔を絶望に染め、それでも退けぬは誇りか性か。残る剣を握りしめ果敢に飛び出した。あのヴァンの、誰よりも速く自由に駆ける脚は影も無く、べちんとまるでつまらない物でも叩き落す様に雑に地に落とされる。


「キートー!!」


 血液が沸騰したかと思った。仲間がやられた瞬間が脳裏にこびりつき、ぶち殺してやると、確かな殺意を込めて思い切りに剣を振り下ろす。肩に刃を食い込ませるも、どけとドンと胸を押されただけで胸骨がメキリと沈み込み、口から嘔吐の様に血が噴き出した。


「おっと。後はお前だけになっちまったなぁ勇者様よぉ。そろそろ締めにしとくかい」


「【赤鬼】貴様だけは許さない――!!」


 勇者の渾身の一振りは意地か胸に刃を食い込ませる。深い。聖剣は刀身の半ばまで刃を埋め、鬼の分厚い身体を貫いて見せたのだ。


 それでも止まらぬキトの腕は逆にフィーネちゃんの胸を貫いて。トロフィーでも掲げる様に少女の身体を持ち上げて。


「うぁああああああ!!!」


 キトが腕に炎を纏わせる。身を芯から焦がされる少女は宙で藻掻き、パタパタと赤い雨を振り捲いた。頬に着く生暖かい液体を拭うと指はべっちゃりと赤に塗れて、目の前の光景が嘘でないと伝えて来る。


 殺し合いをしていた。こちらが全力で殺そうとしているのだから、相手に殺され何故文句を言えよう。強いほうが勝つ。弱肉強食という、余りに残酷な自然の摂理であった。


「へえまだ立つかい。根性は認めてやるが、てめぇ等じゃあちと物足りねえなぁ」


 等と言われ、見ればヴァンも足を震わせながらに立ち上がっている所だった。俺は妙に納得しつつ、ふんがと少年の頭をぶん殴る。気力だけで起き上がった男はいとも容易く昏倒する。


「おい?」


「ごめんキト。俺、お前を殺すつもりだったけど、殺される覚悟は無かったみたいだ」


 正確には仲間が殺される覚悟がだ。大切な人が傷つき死んでいくなんて余りに耐えられない。だから戦士の矜持も作法も無視をして命乞いをした。


「お願いします。勇者一行の敗北を認めます。だからどうか、命だけは助けてください」


「はぁ。嘘だろ。なんて情けねえ奴だ。それでもテメェ玉付いてんのか、あ!?」


「情けなくていい。俺みたいな路傍の石と違って、勇者は。フィーネ・エントエンデはこんな所で死んでいい人間じゃないんだ!」


 俺は胸の痛みを歯を食いしばって耐え、ポポンとフィーネちゃんとヴァンとカノンさんの三人を投げ飛ばしイグニスとティアの二人に託す。


 魔法使い組が離れていたのは幸いした。彼女達はあまり鬼に攻撃すれば俺たち巻き込むからと、魔獣を迎撃して近づけないという方法で助力してくれていたのである。


「ツカサ、お前――!?」


 遠間に魔女の赤い瞳と目が合った。賢い彼女ならば、それだけで全てを悟ってくれるだろう。


 仲間を救うには致命傷のフィーネちゃんとカノンさんを助ける為にイグニスの回復魔法が必須。けれどイグニスでは三人も運べないからティアも必要。そして僅かでもここで鬼を足止めする役もだ。これが最善の配役なのである。


「スティーリア、行け。迷わずに行ってくれ! みんなを救うのに君の力が必要なんだ。もうティアしか居ないんだよ!」

 

「……ご武運を」


 俺を置いて行くのかと戸惑う雪女に縋った。魔法使い二人はマーレ教が待機している町門を目指し、人間3人を何とか運んで行く。その背を目端で見送った後、律義に待っていてくれたキトに剣を向けた。


「代わりに俺が逃げねえ。いや、違うな。止めたきゃ止めて見やがれ三大天!!」


「はは、そう来たか。こりゃ一本取られたね。情けねえと言ったのを謝るぜ。そこまで漢を見せられたら仕方がねえ、名乗れよ相手してやらぁ」


「勇者一行、ツカサ・サガミだ!」


 ごめんジグ。俺と一緒に死んでくれ。


(カカカ。よし来た。その言葉を聞けるのは儂だけの特権じゃな) 



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