251 仮面の下は
席を立ちながら勝負の余韻にふぃーと大きく息を吐きだした。
王女様にはオーダーはこなしたぜと格好よく背を向けて、仮面の下では勝てて本当に良かったと自分の日頃の行いを褒めるばかりである。
少なくともイグニスは俺の勝利を疑わなかった事だろう。なにせ相手の出すカードが見える状況ならば負ける要素の無いゲームで、俺にはジグルベインという誰にも知られず手札を覗ける相棒が居るのだから。
けれどそれはフェアじゃない。遊戯とはいえ真剣に勝負を挑む人間にチートを持ち込むだなんて俺の主義では無いのだった。
確率は2分の1。選択によっては5億の出資。大人しくイカサマしておけという弱い心を虐めた結果か、終わった後になり鼓動がうちの子になんて事をと騒ぎ出した。
「ツカサ」
「ひぃ!」
どこかより耳に馴染むハスキーボイスが聞こえた。当然イグニスも勝負を見ていたのだろうから、反射的に怒られると身構えてしまう。恐る恐るに振り向くも背後に魔女の姿は見えなくて。
あれ何処だと視線を彷徨わせていたら、こっちだよと壁際でヒラヒラと手を振る魔女の姿があった。近づくとイグニスは見ていたぞとグイと顔を寄せて来て。良い盛り上がりだった、お疲れ様。そんな普通の労いの言葉を掛けてくれる。
「……うん」
「ふふ、怒られると思ったかい。私は盛り上げろとしか言ってないよ。例え君が負けて文句を言われたならば、出せない物を賭けるなとバカナ・ショウワール令嬢を叩きのめしてやるさ」
それは心強い事である。怒られなかった事に一安心をしながら、顔を近づけたついでだと思い、ゲームの最中に思案した答え合わせをしてみた。もしかしてイグニスはディオンと反勇者派を切り離すつもりなのかと。
魔女はニイと笑い、紅の塗られた唇を尖らせると、前に指を一本立ててシーと音を立てて息を吐きだす。聞こえちゃうだろう。瞳でそう語る女は、この場で言う事じゃないと沈黙を貫いた。
「居た居た。おう、すげぇ勝負だったじゃねえかよツカサ」
「ええ、逆転につぐ逆転。見応えのある良い対決だったのだわ」
ヴァンとティアも労いに来てくれたようだ。運営側としてホストを務めるこの二人はゲームが余興として大成功だった事を喜んでくれていた。舞踏会の準備など任せきりだったので役に立てて良かったと返すと、ヴァンは気にするなよと朗らか笑って。
「とりあえず今度何か奢らせてくれや」
「そうね、私も奢るわ。なんでもいいのよ、遠慮しないで」
「ねえ、君たち幾ら儲けたの? 正直に言おう?」
余りに不自然な会話の流れ。ゲーム中に客の反応が良いものだから賭けでもしているのではと勘繰ったが大正解だったようだ。相手が公爵家のディオンだけに不人気の俺は倍率が凄かったらしい。
不人気で悪かったな。でも賭けを始めたのはコイツだと二人は一斉に同じ方向を指す。俺はやっぱりお前かと壁に背を預ける少女を見るが、気づけばそこには誰も居なかった。
(小僧が奢ると言い出した時には用事を思い出したと逃げ出したぞ)
「あんのやろー!!」
◆
余興は興奮を残したままに終わり、仮面舞踏会が本格的に始まった。カードテーブルの置いてあるスペースはずっと開放してあるようで踊りに疲れたら小休止として楽しめるようだ。ドワーフとカードを遊ぶ、見覚えのある赤髪の姿もそこにあった。
まぁ今日の所は大目に見てやろう。そう思い舞台に視線を戻すのだけど、こちらには如何せん許せぬ現実がある。
「あの、宜しければ次は私と踊って頂けますか?」
「もちろんだともお嬢さん。だけど次というわけにはいかないかな。生憎先約がいっぱいでね」
「リア充爆発しないかなー」
(この前したではないか)
一生で一度は言ってみたい言葉を吐くモテ男を見ながらケッと毒づく。リア充の名前はディオン・ラーテリア。開幕に王女と一曲踊った後は、ずっとあの調子なのであった。仮面舞踏会ではあるが、この国では知名度が高すぎるのだろう。投影機で写されながらゲームをした後では素顔なんてバレバレというわけだ。
一方、同じくゲームで目立った俺は視線を集めるもダンスの申し込みは無い。不思議な事にイグニスが傍に居ないにも関わらず、お嬢さん達は蜘蛛の子を散らした様に俺から離れて行くのだ。
誘われたならともかく別段こちらから声を掛けようとは思わない。なので問題は無いのであるが、避けられている事には少し傷つく。何故だと考えながら周囲を見渡していたら、目の合ったフィーネちゃんが微笑んでくれた。優しいのは勇者だけである。
(…………)
踊る相手も居ないのに一人で舞台に居るのも邪魔かなと思い、壁を飾る花となっているカノンさんと合流でもしようと考えた。
「きゃっ!!」
「おっと、大丈夫ですか」
「あっ……え、ええ。ごめんあそばせ」
人混みから弾き出される様に。いや、人垣を掻き分けて出てきたのだろうか。仮面の集団の中から一人の女性が飛び出してきた。ヒールの高い靴で小走りなんてするものだから、俺の目の前で転びそうになる。
慌てて受け止めると、何を急ぐのやらお礼を口にしながら、その人はまた駆け出して行ってしまって。
「あの人……まさか」
方向的に出口を目指しているのだろう。小さくなって行く背中を目で追いながら、多分あの人だよなと仮面の下を予想した。
女性にこう言うのは失礼だが匂ったのだ。舞踏会は汗をかくので、香水を多めに付けている人は少なく無い。その中でもハッキリと分かる程にドギツイ香水の匂い。そしてそれでも隠し切れない、ほんの僅かな不快な臭い。
俺は今朝の悲劇を思いだす。
市場で買ったトゥリアーニという果実はとにかく臭いのだけど、それを知らずに差し入れとして配って異臭騒ぎが起きた事があった。
料理人に夕飯の後のデザートに付け加えてる様に頼んだら、初めて扱うから味を確かめようとしたそうなのだ。夕飯を作る忙しい時間にブスリと刃を入れたらしい。料理人全員が悶え、異変を感じ取り駆け付けた使用人が苦しみ。それはもう悲惨な光景だったとか。
俺は自分の部屋で同じ事をしたので当時の景色が目に浮かぶようである。全員が「くっさ!」と叫んだに違いない。
作っている食材にまで臭いが移り、なんて物を持ち込むのだと、余った果実を突き返された。それでも料理長や何人かの料理人、そしてイグニスは好奇心で口にしたらしいが。
そんなこんなで俺の手元には返ってきた実が一つ余っていた。部屋が臭くなるから切るのやだなと放置していた。それが悲劇の元となる。
俺はうっかりしていたのだ。部屋の掃除をしてくれる人がドジっ子だということを失念していた。まさか机の上から果実を落とし、それを拾おうとしてヘッドバットで砕き割るなんて。
痛みと臭さでガチ泣きをする女性を前に、不謹慎だが笑いを堪えるので精一杯であった。出来る事ならば現場に立ち会いたかったものである。
話を戻そう。他にトゥリアーニを頭突きで割った令嬢が居なければ、あれはまずドジ子さんではなかろうか。何か急ぐ用事があるのかなと考え込むと、おやおやと今まで感じていた違和感の正体に気づく。
「あの性悪共!」
俺は一度ディオンをキッと睨みつけてから、すぐさま彼女の後を追い走り出す。




