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229 閑話 いつの間にか



 岩の窪みに水溜まりが出来ていました。

 それを覗き込む様に立つと、水面はなんとも哀れな一人の女を映し出します。


 可愛らしいヒラヒラな服。慣れない化粧を施し、髪型にも少し気合を入れていて。付け加えるなら、お気に入りの小物や香水まで引っ張り出した、私の精一杯のお洒落姿。


「はぁー。私は一体何をやってるんだろう」


 自分が目に見えて浮かれていたのが分かりました。そこには勇者ではなく、ただのフィーネが映っていたのです。恰好一つで心まで少女に戻してしまうとは情けないと、未熟さを呪うばかりです。


 涙ですっかり汚れてしまった化粧。これを落として、普段の自分に戻ろう。

 そう思い、手から水を出してバシャバシャと顔を洗います。冷たい感触が気持ちよく、高揚した精神まで宥めてくれる様でした。


「ううダメ。あんな醜態を晒してどの顔で戻ればいいの」


 自己嫌悪で消えて無くなりたい心地でした。目の前には海。ツカサくんと眺めている時は、とても輝いて見えた広大な自然も、一人ではただ広くただ冷たく、まるで自分の居場所は無いと言われている気にさせます。


 私は熱を持つ顔を抑えながら自分にバカバカと言い聞かせました。私はもう疑いの余地も無く、あの異国の少年に恋心があるのです。少しでも彼に女を見せようと、空回った結果がコレなのでした。


 いつからなのと胸の高鳴る鼓動に問うも、いつの間にかだと答えをはぐらかされて。

 少なくとも一目惚れではありませんでした。初めてルギニアで会った時は、少し頼りなさそうなオドオドとした少年だと感じた事を覚えています。


 そして王都で再会して。ラウトゥーラの森を一緒に攻略して。一緒に買い物して。

 近づくに連れ、彼を知るに連れ、素敵な男の子だなって思い始めて。


 それで。それで塞ぎ込んでいる時に逢引になんて誘われたものだから、ついあんな弱音を吐きだしてしまったのです。


 でもイグニスもきっとツカサくんの事が好きですよね。親友の男に手を出す。これ勇者とか関係なく人としてマズイやつで。けれどその事実に少し興奮している自分も居て。


「ツカサくん、ごめんよー。私は勇者どころか人間さえも失格な雌豚なんだ、ブヒィー」

 

 恥ずかし過ぎる。本音を貯めこんでいたのは事実だけど、命を預けると言ってくれた仲間に対しどこまでも不誠実。本当に見損なったよフィーネ。


「なんで私なんかが勇者なんだろう」


 おもむろに右手を掲げ、魔力を流します。キラキラと輝く七色の光は勇者を証明する力の一端でした。


 この力には際限が無いと言われています。霊脈の許容量を超える魔力の行使は激しい痛みを伴いますが、それも勇者の肉体ならば耐えられる事が出来て。太陽に飛び込む様な覚悟で出力を上げ続ければ、魔王さえも打ち倒す最強の刃になるのです。


 その名もデウス・エクス・マキナ。悲劇を終わらせる人類の希望して、私が持って生まれてしまった責任の力。


 私が死ねばこの力はまた誰かが持って生まれます。けれど世界でただ一人だけに与えられるので発見されずに終わる事も珍しくはありません。人類の歴史に勇者不在はままある事で、それが今を生きる私への期待に拍車を掛けているのです。


「ふふ。俺と逃げちゃう? だって」


 なんて甘い言葉。立場も責任も全部投げ捨てて自由に生きる、素敵ですね。それも好きな男の子と駆け落ちだなんて。でもまた、ツカサくんの言った通り、私は勇者を捨てられません。それは役目を誰かに押し付けるだけなのです。


 姫として生まれながらに国を背負うレオーネ殿下。上級貴族の令嬢として貴族たらんとするイグニス。持って生まれた役なんて誰しもにあり、けれど彼女達は矜持として全うしています。私はそれが勇者だっただけ。


「分かってるのに。ちゃんと勇者で居たいのに……貴方の前だとただ女にされちゃう」


 彼との会話はまるで一枚一枚丁寧に服を脱がされていく心地でした。

 お前はどうせ逃げられない、勇者を捨てられ無いのだと攻められて。からの手を握られ、この努力が嘘のはずが無いだろうと。大丈夫、君は俺の最高の勇者さ。と囁かれた私の心境を理解出来ますでしょうか。


「えへへ。暫くこのネタでいける」


 違う。違います。せめて彼に報いる為にも、立派な勇者にならなければと決心をしたのです。今日くらいは楽しみたいと考えていたけれど、もう帰ろう。そして明日には、勇者として正しく振る舞おう。


「よし!」


 少し時間が掛かったけれど冷やしたお陰で目元の腫れも引きました。気持ちも少しは整理出来た様に思います。まずはツカサくんに見っともない所を見せてごめんなさいと謝らなければと、彼を待たせる入江へと戻りました。


「おう、戻ったか」


「……え、誰?」


 そこにツカサくんは居ませんでした。代わりに長い銀髪の女性が私達の昼食をバリボリと食べています。いえ。私はその黒衣を身に纏った姿に見覚えがありました。あの時は顔を隠していましたが、身体的特徴と掴みどころのない奔放な振る舞いは確かに記憶の姿と一致します。


 ジェーン・ドゥ。どうやら偽名ですが、以前ラウトゥーラの森の最深部で出会った謎の女性でした。


「お久しぶりですね、ジェーン・ドゥ。貴女には色々と聞きたい事があるのですが、まずはここに居た男の子を知りませんか?」


「ジェーン? なんじゃそら。え、ああ。儂が名乗ったんじゃっけ。じゃあそれでいいわ」


 私はやや威圧しながら問うもハッと鼻で一蹴されました。この人、前も思ったけど意思の疎通は出来るのでしょうか。


 けれどもツカサくんの身の安全を知るまでは気は許せません。私は静かに魔力を流し戦闘姿勢になります。手元に武器が無い迂闊さに、本当に色ボケしたものだと嫌になりました。


「もぐもぐ。まぁ、焦るな勇者よ。儂、茶が欲しいんじゃが。果実水は甘ったるくて飯に合わん」


「し、知りません!」


 ぶっ殺したい。自然に右拳を握りしめていました。そして、はたと何故こんなにも自分は敵意を抱いているのかと疑問に感じます。想像以上に魔力が走り、やや興奮しているのです。これはウィンデーネの魔力が怒っているの?


 困惑していると、おいと声を掛けられました。ジェーンの右手にはいつの間にか木の棒が握られています。反射で腰を落としました。


「良いか。人など諸いものよ。一本であれば……ほれ、この通り」


 どうやら棒を武器に戦うつもりなどは無いようで、ペキリとへし折ってしまいました。

 それがどうしたのだろうと思っていると、地面から新たに枝を拾い上げ、今度は三本を束にして見せて来ます。


「じゃが。弱くとも、こうして集まればな」


「……」


 彼女がフンと力を入れると3本ともベキリと折れます。何か不都合があったのか、自分で真っ二つにした枝を見てなんて事だと震えていました。本当に何がしたいのでしょう。


 けれども銀髪の女性はめげず、だがだがと手に握れるだけの枝をかき集めました。細い枝も合わされば10本近くあるのでしょうか。今度こそと意気込み、再びバキリと全てを粉砕します。


 やはり気が短いのか、ええいと倍になったゴミを投げ捨てると、こちらにビシリと指を向けて叫んできました。


「カッ! 幾ら束になろうとも雑魚は雑魚という事よ。これが烏合の衆というのだ、分かったか勇者めが!」


「ええ、逆ギレ。本当になんなのこの人!?」


「いかんの。やはりこういうのは儂の性に合わんわ。どうれ、一つ暴力を見せてやるか」


 ジェーン・ドゥはぬるりと立ち上がり、月の様な金色の瞳が冷たく光ります。

 瞬間ブワリと額から汗が噴き出て、膝がガクガクと笑いました。殺気。研ぎ澄まされた攻撃の気配を浴びただけで、本能が全力で危険を訴えて来たのです。


「う……そ」


 私の師匠はランデレシア王国で最強と呼び名の高い剣鬼アルス・オルトリア。地上で最も恐ろしいと思っているその生物よりも、なお鋭く重い気配でした。


 かつてラウトゥーラの森で対面した元混沌の四天王であるシエルも大概に化け物だと感じましたが、この人は下手したらそれ以上の――!!


 激しい動悸と湧き上がる吐き気を抑えながら、必死に絶望に抗いました。

 どうする。逃げるなら海か。けれどツカサくんが。頭脳が必死に必死に回転して。


「カカカ。流石に手ぶらじゃ可哀そうよな。それ、貸してやるぞ」


「こ、れは……」


 彼女がホイと投げた物。それを見て、思考は止まりました。

 カラランと私の足元に転がる黒い剣。それは見間違える訳も無くツカサくんの持ち物で。薄っすらと刃に赤い液体が付着し。


「おお。黒髪の可愛らしい(おのこ)が置いて行ったわ」


「貴様、ツカサくんに何をしたーーー!!」



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― 新着の感想 ―
フィーネちゃん目線、好きです。 何故だかドキドキしてしまいます。 願わくば穢れ無きままに。
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