222 夜会
夜会というだけあり動き出すのは夕暮れになっての事だった。
俺は身支度をとっくに済ませ、大使館別館のロビーで相方の到着を今か今かと待ちわびている。
どうして女子の支度は長いもので。イグニスの方からそろそろ準備をと声を掛けられたのに、俺の方が先に終わってしまったのだから仕方ない。
(遅っそいのー。あの火炎娘は)
「まぁ女性は服によっては一人じゃ着れないみたいだし、多少はね」
ちなみに今日は俺も舞踏会用のスペシャル仕様だ。燕尾服とでもいうのだろうか。後ろが長くてヒラヒラしている服を着ている。魔女に合わせて赤色なので気分はなんだか大怪盗である。
普段の礼服はそのまま乗馬出来る程に機能性があるのだけど、たぶんこっちは本当の式典用か。慣れない革靴も合わせ、本音を言えばやや窮屈だった。
(む、足音がする)
確かに階段からカツンカツンとヒールの音が響いてきた。俺は、おややっと来たかなとソファーを立ち上がり、足音の主が姿を現すのを待つ。
段差を一段一段丁寧に降る赤い靴が見え、手摺をサラサラと擦る白い手袋が見え。
間もなく、燃え盛る炎の様な朱色のドレスを身に纏った少女の顔が見える。今まで散々にイグニスのドレス姿なんて見てきたろうに、俺は不覚ながらその姿に目を奪われてしまった。
「ごめん。待たせたね」
「……うん」
過去、イグニスが赤いドレスを着ている姿も見た事はあった。あの時は似合うものだなと思ったものだ。けれど、彼女の内面を深く知った今ならばこう思う。この人はきっと、世界中の誰よりも赤を着こなすに違いない、と。
「迷ったんだけど、赤にしてみた。どうかな」
「とても似合ってるよイグニス。サラマンダーよりも火の精してる」
「ふふ、なんだいそれ。まぁ似合ってるならいいや。君も赤色、中々似合うじゃないか」
そりゃどうもと挨拶を交わし、じゃあ行こうかと歩き出す。するとオイオイと不満気な声が掛けられて。何かと振り返れば、赤い瞳がジィとこちらを睨んでいた。
一歩も動こうとしない赤い女にはてと首を捻るも、俺はまさかと思い左腕を差し出す。
それは正解だったようで、よろしいと華奢な腕が絡んで来る。こういうのは最初が肝心だろうと言うのはイグニスの弁なのだが、俺はそういうものかと思いながら馬車へと向かった。
◆
会場の近くに着いた頃にはすっかり日が落ちていた。馬車に乗った時間は30分くらいだと思うのだけど、日が沈むのは早いものである。
まだ街灯の無い世界だけに、普段ならば周囲はもう暗がりに包まれている頃。なのだけど、どうやら今日は例外のようだ。灯りを下げた馬車が道端で渋滞をし、まるでお祭りの出店の様に立ち並んでいた。
渋滞の原因は言わずもがな夜会の参加者達だ。近くに来たならば歩いた方が早かろうに、律義に会場の前に馬車が到着するのを待っているのである。
下車するのは当然誰もが着飾る紳士と淑女。今更ながらに場違いを覚えるが、来てしまったものは仕方が無い。俺たちも大人しく馬車の中で降りる順番を待った。
「へえ、立派な建物だね。これは個人のお家?」
「いや会場を貸し切っているようだね。パーティーの規模によってはままある事さ」
門を潜り建物へ着くまでの間に、俺たちの居る大使館でも開催されたりはするのだと教えて貰った。まぁ馬車を見た限りでも参加人数はかなり多そうだ。交通の便の良い場所を選んだという感じだろうか。
「本日はダルニーチ家主催の舞踏会へようこそお越しくださいました」
屋敷の扉の前では老紳士が花の入った籠を手に待ち受けていた。腕を組むイグニスから合図が出るので、打ち合わせ通りに招待状を差し出す。パラと見開きコクリと頷いた執事さんは、俺とイグニスに一輪づつ白い花を渡してくれる。
「どうぞ、素敵な夜をお過ごしくださいませ」
俺たちは二人でありがとうと伝え廊下に進む。花を胸に刺しておけば無理な誘いは受けないようだ。むしろ付けて無い方が踊りの相手募集中という形になるのだろうか。
若干に薄暗い廊下を歩きながら考える。とうとう来てしまったなと。
舞踏会なんて如何にも上流階級の場もそうだが、問題はこれにイグニスが参加するという点に尽きる。
今俺と腕を組む魔女。隠れてげへへと下品な笑みを浮かべるイグニスちゃん。コイツは勇者一行を襲撃した犯人を追っていた。なら、この舞踏会に参加する目的は一つ。ソイツが此処に居るからで間違い無いと思う。
そうだ。考えてみれば色々おかしな事がある。
今も王宮は川の民が占領していて使用不可。族長会議は先延ばしになったままだ。何故呑気に舞踏会など開かれる。この国の未来を決める族長会議はそんなに軽いものなのか。
逆だ。政権を賭け争っているからこそ、社交で人を集めているのではないか。舞踏会の皮を被っているが、これは川の民が動けない間を狙って行われる選挙活動と見るべきだ。俺は嫌だ嫌だと溜息が出た。何が夜会。まるでサバトだ闇鍋だ。
「ツカサ。そう気張るなよ。大丈夫、今日は本番じゃない」
「それ余計不安になるんだけど」
開け放たれた大扉の先には大きなホールがあった。そこは夜会という意味の全てが込められている様な場所で、うわと感嘆の声が漏れる。隣からどうだい素敵な場所だろうと自慢の声が聞こえるが、取りあえずは同意するしかなさそうだ。
電灯の無いこの世界では、夜は暗いというのは基本。ならば何故わざわざ夜に行うのかといえば、闇を演出に利用する以外ありえなかった。
大きなガラス窓から優しい月明かりが会場を照らす。机の上に置かれた蝋台が、シャンデリアが宿す小さな灯火がユラユラと輝き、それは幻想的な世界を作り上げている。
薄闇の恐怖を掻き消す様に耳に届くのは陽気な音楽だ。壁際では楽師が並び生の演奏をしていた。これがまた凄く良い。ダンスホールだけあり音響も考えられた部屋なのだろう。浴びせられる音だけでも酔いしれてしまいそうな気分にさせて。
弦楽器のたおやかな旋律に身を委ねるは、素敵な相方を得た紳士淑女達。
闇でも逸れぬ様に手を取り寄り添って、まるで己が主役だとでも主張するように、裾を翻しながらクルリクルリと戯れている。
「よし、早速私達も踊ろうか」
「ええ? まずは挨拶とかしなくていいの?」
「そんな事をし始めたら君と踊れる時間が無くなるだろう。どれだけ上達したか見せてみなさい」
楽しみにしていたんだと、上目使いで見つめられては断る事も出来なかった。
いきなりステージに立たされる不安はあるが、そもそもはイグニスのパートナーを務めるだけに地獄のレッスンを受けて来たのだから。
「言っておくけど、俺の腕にそんなに期待しない方がいいよ」
いくらイラール先生だろうと、たったの三日でド素人をプロ並みに仕立てるのは無理である。俺は本当に基礎中の基礎を習い、猿から人間にして貰った程度に過ぎなかった。
魔女は承知の上だと手を合わせ肩に手を置いてくる。開始の姿勢だった。
グイと顔が近づくと、髪からフワリと薔薇の香りがして。ああ、良いものだなと思う。ジグルベインと踊り耽るのも楽しかったが、触れぬ彼女ではどうしても埋められない溝もある。
イグニスの体温が伝わる。込められる力具合から重心が、意思がハッキリと分かる。
曲調は3拍子。入ろうと思えばどこからでも入れて。心の中でカウントをする。3、2、1。そして同時に踏み出す一歩目は綺麗に心が合わさった。
揃えられたなと安堵をする間もない。リードをするのは男の役目。こっちだよと、イグニスに次の動作を伝えて。拒否られた。まさかのいやいやだ。
イグニース!クワッと目を見開き、どういうつもりだと視線で文句を伝える。
魔女は赤い瞳を通して語って来た。この方が面白いだろうと。確信犯かコイツ。
モルドさんがじゃじゃ馬と言っていたのを思い出す。まさかペア作業でこうも勝手に動き出すなんて。幸いこっちだこっちだとリードをしてくれるので、付いていくことだけは出来た。
「まさか君と踊れる日が来るとはね」
「ならちゃんと合わせてよー」
けれどだ。意外に俺は動けている。細かい点でみればお粗末な事は多々あるのだろう。それでも初日の様にイグニスの足を踏む事も無く進行で来ていた。それが嬉しくて、ついニコリと口角が上がる。
「やっと笑った。そうだよ、楽しみなさい。円舞は笑顔が基本って習ったろう」
その言葉で肩の力が抜けるのを感じた。そうかイグニスは俺が緊張していたから無理に引っ張ってくれていたのか。違った。依然グイグイと引っ張って来やがる。俺がこのヤローと主導権を取りに行くと、より楽しそうに暴れて見せて。
「ふふ」
本当になんともイグニスらしい踊りだ。まるで魔法の授業を受けている時を思い出す。
違う違う、こっちだ下手くそ。うん、今のは上手に出来たじゃないか。言葉も交わしていないのに、機嫌がそのまま感じ取れるようだ。
(むぅ。楽しそうじゃのう)
じゃれ合う俺たちを見てジグルベインが不満を漏らした。ジグも俺と一緒にレッスン受けてたからね。晴れの舞台があるだけ俺は幸せなのだろう。
一曲の切れ目は5分くらいか。気付けば演奏は鳴り止んでいて、部屋には余韻が微かに響く。
イグニスにどうだったと感想を求められるが、いっぱいいっぱいだったとしか言いようがない。俺はまだ高鳴る鼓動を抑えながら、自分があっさりと夜会デビューを果たした事を知る。




