210 閑話 一方その頃
「なんとか……助かったみたいだな」
「ああ、そのようだね」
先程まで転覆するのではないかと思うくらい荒れていた水面も、ようやくに収まりを見せてきた。私が船から振り落とされないように支えていてくれたヴァンはやおらに立ちがると、八つ当たり気味にマストへと拳を叩きつける。
普段ならば壊れるから止めろと注意の一つも飛ばすところだけど、今ばかりは咎める気にはなれない。私は濡れる床に力なく座り込みながら、酷い有様だなと天を仰ぐ。
フィーネは勇者の力を使い迫りくる大滝を見事に両断せしめた。そうして生まれた僅かな時間を使い魔導船に稼働限界まで魔力を込めて全速力で危険域から脱したのだが……。仲間が二人湖に落ちた。けれども助けに行く余裕も無かった。
斬った水が左右から桶を返した様に注ぎ水面を掻き混ぜる。背後では滝が再びに滝として流れ落ちる。そんな湖に浮かぶ船の上は、もはや天地がどちらか分からなくなるくらいに揺さぶられていたのだ。己の無力に唇を強く噛む。
「……一旦上陸します。異論は?」
「ねえよ」
「ない」
伏した顔でフィーネは舵輪を握る。水の滴る前髪から覗く藍色の瞳はゾッとする程に鋭い視線を放っていた。まるで首元に刃を突きつけられている様な無言の圧に、私もヴァンも意見など挿めなかった。
ゴウゴウと風を吹き出し帆を孕ませる魔道具。カラカラと子気味良く回る舵輪。チャプチャプと小波を立てて遊ぶ水。聞こえるのは環境音ばかりで誰の一人も口を開かない。きっと心境は一緒で、心の中には言葉に出来ない程の怒りと屈辱がマグマの様に沸いているに違いない。
「誰だか知らないが、この借しは高く付くぞ」
私は破壊され幾分と幅の広がった滝を見つめながら呟いた。
この情勢で勇者一行を狙う勢力は何処だ。エルフに案内はされたが彼等は白だ。フィーネと対面をした以上、勇者は悪意を嘘を見抜ける。
ならば川の民。現状特異点の破壊で一番不利益を被るのはそこだった。動機はあるが、どうだ。直情すぎるのではないか。現在政権を握るのだから、下手な暗殺未遂など弱みを見せるだけだ。
「……グニス」
なによりだ。間が良すぎる。これだけ大規模な破壊工作をいつ行った。例えば、この罠が本来勇者を狙ったもので無いのだとすれば。それは……。
「おい、イグニス。着いたぞ、テメェも働け」
「……ああ。すまない」
思考の海に沈みかけていたところでヴァンに肩を揺すられ現実に引き戻された。
上陸したのは最初に目指していた島だ。陸では既にフィーネが枝を集めて組み木をしている。火を焚くのだろう。服を乾かしつつ、煙を上げるのだ。
「ねえイグニス。私は何処で間違えたかな。気が緩み過ぎていた?」
木の枝を重ねながら勇者がか細い声で溢す。伏せた顔で表情は見えないけれど、自身の肩を抱きしめ身体を震わせていた。私は見ない振りをして、風邪を引くよと、組み木に指を向け火を放った。
「運が悪かっただけさ。皆最善を尽くした」
そうだ。あの罠を一体誰が予想出来ただろうか。襲い来る水量の規模にフィーネのマキナを使うという判断は間違ってはいなかった。
スティーリアにしてもそう。偶々に船が暴れただけ。あの状況では私が水に落ちていた可能性だってあった。即座に助けに飛び込んだツカサの行動も、けして間違いではない。
「それにカノンが助けに行ったんだ。きっと無事さ」
「……うん」
◆
私達の居場所を示す狼煙を上げながら、島の周囲を念入りに捜索した。
こんな時タルグルン湖の澄み渡った水は見通しがよく都合が良い。けれど水面や水中に3人の影は無く、他の島に打ち上げられたにしても狼煙の一つ上がらない。以前行方不明のままだった。
「駄目だ。探せる範囲は見てきたんだけどよ……」
「ごめん……私も成果は何も」
薄緑髪の少年と金髪の少女は肩で大きく息をしている。私は二人にお疲れと声を掛け、魔道具から水を渡した。カノンほどでないにしろ、体力のある二人がここまで消耗しているのだから、相当な距離を駆けて来たのだろうと容易に想像が付く。
「こっちはどうだ。誰か、いや狼煙の一つでも……」
向けられる縋る様な視線に私は黙って首を横に振る。
結果は分かっていたろうに、それでもヴァンは、今にも泣きだしてしまいそうなくらい鼻頭に皺を寄せた。
そういえばコイツはまだ未成年か。身長はすっかり抜かれてしまってけれど、精神の円熟にはまだ程遠いのである。私は泣くなよとツンツンに立つ髪の上から頭を撫でた。すぐに跳ね除けられてしまったけれど。
「さてフィーネ。これだけ見晴らしのいい場所で行方不明が3人なんて些か不可解だ。だから仮説を立てたのだけど、聞いてくれるかい?」
「はっ。テメェは嫌だつっても勝手に喋るだろうが」
若干に元気を取り戻したのかヴァンから憎まれ口が出る。私はそれにまあなと応じ、勝手に喋らせて貰うことにした。
「多分だけど彼ら、ドワーフの鉱山に迷い込んだんじゃないかな」
二人から何言っているんだコイツと疑惑の目を向けられる。けれど反応は沈黙。早く先を言えという事らしい。なので私は指先でピッと湖の岸を示す。
「島の下の方で崩れた場所がある。きっかけはさっきの大波だろう。中腹が土で濁り、気泡が浮いて来ていた」
土砂が崩れる程強い水流があったのならば、人がそれに乗ってもおかしく無い。また、地下から空気が吐き出されるという事は、同時に水を吸い込んでいるという意味でもあるのだ。
「……それ、あいつら大丈夫なのかよ?」
「まずは空気だな。正直これは運。けれど坑道ほど複雑な場所ならば空気が残っている可能性は十分にあるよ」
「ドワーフっていうのは?」
「山の外周に洞窟住居を作るのが彼らの様式なんだ。問題があるとすれば、中の構造がちょっと複雑かな」
勘の域を出ない推測だけれど、生還の可能性があると聞いたフィーネは目に見えて顔に生気を取り戻した。そしてならば休んでいる場合では無いと立ち上がる。私はそんな健気な女の子の腕を掴む。
「駄目だよフィーネ。言ったろ、ドワーフの作る坑道は複雑なんだ。入口が見つかろうと、入ればそれはただの二重遭難になる」
私の言いたい事を察した勇者は目を見開き、髪が逆立つ程に魔力を迸せる。殺されるかなと思った。けれど視線だけは重ね、離さない。
「イグニス貴女、みんなを置いて先に進めと言いたいの?」
「あぁ!? 馬鹿な考えてんじゃねえぞ。テメェに人の心は無いのか!」
「馬鹿は君らだ。少しはあいつ等を信じろ。生きているならば、必ず何とかする奴等だ。私達は私達の目的を果たそう」
フィーネはグッと下唇を噛む。如何ほどに力を込めたのか、形の良い唇から鮮血が一筋流れ落ちて。長い長い沈黙の後、一晩だけ待つと答えた。そうとも、それでいい。
勇者一行は遊びでは無い。フィーネには最悪の時、我々を切り捨て進む覚悟が必要なのである。これは彼女の始めた物語で、その主役なのだから。
「イグニスお前、ツカサと仲良いんじゃねえのかよ」
「……私だって心配してない訳じゃないさ。言わせるな馬鹿」
帽子を深く被り顔を隠してしまいたかったが、今回は帽子を置いてきてしまっていた。
私だってなあ心くらいはある。心配だけど、本当は泣いてしまいそうだけど。信頼をするならば、ここで私達は動かなければならないんだよ。
◆
休めといったものの、皆一睡もする事なく夜が明けてしまった。そしてそれは、同時に時間切れの合図でもあった。フィーネは自らの頬を叩き気合を入れて言う。
「さあ、行こう。私達は当初の目的通りウィンデーネを目指します!」
「ああ」
ヴァンは不承不承といった態を隠さずに頷く。私は勿論素直に同意した。
島の入り江に目立つ様に旗を立て、彼らが訪れた時の為に手紙を残す。船の中に食料と荷物が置いてある事、私達は前進をする事。これが私達の出来る精一杯だ。
「ごめんねイグニス。嫌な役をさせたね。私が誰よりも冷静じゃないといけないのに」
「気にする事は無いよ。ただの私の性分だからね」
「お前は昔からそうだよな。そういう所俺は嫌いだよ。こえー」
「はっ。お前はスティーリアの様な可憐な子が好みだものなぁ」
「や、ヴァンの言う事は割と一般論だと思うよ」
なんだとうとフィーネとヴァンを睨むも味方は居なかった。怖い、冷徹、人でなしと、まあ好き放題に言ってくれる。私は不利を悟り若干に眉を顰めるも、思えばこの三人で行動をするのも久しぶりだと感じた。
学生時代に良く顔を合わせた面子だ。貴族員にカノンは居なかったので、自然この顔ぶれになるのである。
「今や私も正式に勇者一行か。長かったな」
「ああ、そういえば学院の頃の顔ぶれだね。あの頃のイグニスは本当に悪女だった」
「思い出したくもねーよ。毎度毎度騒ぎに巻き込みやがって」
精霊と交信すべく地脈の起点を探しに行動する。道中の話題は昔を懐かしむものが多かった。あんな生活をしていても以外と思い出話が多く、会話の種こそ絶えないが、目は誰もがギラギラとナイフの様である。
道中獣が飛び出せば、それは殲滅であった。
二刀の刃が、雷纏う斬撃が、飛び出す火炎が、容赦無くに命を屠る。
正直八つ当たりだ。出会う魔獣出会う魔獣にこれでもかと本気の一撃をぶつけていた。
これはいわば準備運動。ラメールの町に戻った時に、何処かの誰かに、よくも勇者一行に手を出したなと思い知らせてやる為に。やられたらやり返す。それも倍返し。ランデレシア貴族の常識だった。
おかげで魔獣に手こずる事もなく、皮肉にも足の速度は至って順調だ。
島はそこまで広くないので、これは明日にも踏破出来るかななんて考えていて。
そしてグラリと景色が動く。木々を押し除け、変わりに道を塞ぐのは巨大な2本の鋏である。
蟹かと、剣士が勇者が剣を構える。私も魔法陣を展開する。
しかし誰よりも早く青陸蟹へと影が飛んで行った。違う剣だ。蟹の青い甲殻に深々と漆黒の刃が突き刺さっていた。
「っ!!」
私は不覚にも、その黒剣を目撃しただけで、ジワリと目頭が熱くなる。
鋏を振り上げ暴れる大蟹だが、更に追撃が。バシュバシュと水弾が放たれ、接触と同時に凍り付く。
敵を拘束しつつ、何発かは殻に刺さる剣へと当たった。刃は氷で膨れ、まるで巨大な杭の様な形に育ち。よっしゃあと元気な掛け声と共に杭打機が走る。いや、青い髪を結った女が拳を振り上げる。
その拳はズンと、氷の杭も殻も打ち砕きながら、蟹の巨体を地面へとめり込ませた。前置き、必要だったかなぁ。
「「「イエーイ!」」」
後ろから現れた3人は、謎の掛け声を上げながら手を高い位置でぶつけ合っていた。
何の儀式か知らないけれど、人の気も知らずえらく楽しそうじゃないか。
「いやーなんか派手に爆発とか火柱が上がるから追いかけるの楽だったよ」
あれ絶対にイグニスだろうと、黒髪の少年が微笑みかけて来る。
私の心はそれだけで満たされて。次に会ったら色々文句を言ってやろうと考えていたのに、黒い瞳を見つめながら出た最初の言葉は、不思議に彼の名前だった。
「ツカサ。君なら無事だと、信じていた」
「良かった。俺もだよ」
「ちょっとー私も居るんですけどー!」
「私だって居るのだわー!」
元気そうな顔で合流をしたツカサとカノンとスティーリア。みんなで無事で本当に良かったと再会を祝福する。するのだけど、それはツカサがスティーリアの事をティアと呼ぶまでの間だった。
「「「ああん?」」」
その響きが聞こえた瞬間に私が、ヴァンが、何故かフィーネまでもが驚愕に目を見開いた。少し見ない間に随分仲良くなったようだな、おい。
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