202 タルグルント湖
ガタガタと揺れる馬車の荷台から外を眺めていると、ふと空に掛かる大橋が目に入った。虹だ。シュバールに入国してからというもの、常に頭上にあると錯覚するほどに頻繁に見かけるものである。
この国では魔王の爪痕の具現化であり、同時に魔王を打倒した英雄の証でもあった。こんなに離れてもまだ見えるのだなと思いつつ、つい口が動く。
「なあヴァン。お前はあの虹、どう思う?」
隣で退屈そうに外を眺める若竹髪の少年に聞いてみた。三白眼のやる気のない視線が一瞬こちらを向くが、いかにも話題に興味は無さそうで。予想の通りに視線はすぐに風景へと戻ってしまう。
「どーでもいい。あれはただの虹だぜ。そうだろ」
元も子もない言い方だが、まあそうか。虹はあくまで、雨が降り続けるせいで見える自然現象なのだ。ヴァンのただの虹という考えも間違ってはいないのだろう。
けれども俺は魔女共のやばい会話を聞いてしまっただけに、どうにも胸騒ぎを覚えながら、空に七色を描く光を見つめてしまった。
「……なあツカサ。こうなったらさっさと観念した方がいいんじゃねえか?」
「と言われてもな。俺としては適切な距離感を取っているだけなんだぞ」
「はは、あんな奴らに距離感なんて考えるだけ無駄だぜ」
今は勇者一行の愛馬が牽く馬車の中だった。買い出しも済ませた事だしと、翌日俺たちは早速に旅だったのだ。今回向かう場所はタルグルント湖と言う様で、水精ウィンディーネの住まう聖域として本来は禁足地として定められているようだ。
どうにも許可などは前もって取っていたらしく、本当に俺たちと合流するのを待っていたのだと思い知る。イグニスが主張した様に期日に間に合っているから問題は無いのだけどね。
さて。そして水の都ラメールを旅立って既に3日が経つのだけど、実は今、馬車の中の居心地はすこぶる悪い。なので俺とヴァンの二人は女子の会話の輪に混じれず、端っこでぼんやりと外を眺めるくらいしかやる事が無かった。
「この雰囲気で冒険とか無理だから現地に到着するまでになんとかしろよ」
「俺かなぁ。悪いの本当に俺なのかなぁー」
馬車内に視線を運ぶと、勇者と僧侶と雪女が円陣を組み、ああだこうだと真面目な顔で談義をしている。魔女は手綱は任されたと早々に御者台に避難をしていた。
彼女達の議論する内容はツカサ・サガミ打ち解け計画である。発端はといえば、今朝カノンさんが何を思ったのか皆の前でこう言い出した事か。「ねえ、ツカサってさ、なんか私達と距離感無い?」と。
俺は固まった。いやいや今更何をと。ラウトゥーラを共に踏破し、全幅の信頼と親愛を預けているつもりだったのだ。一緒に仲良く買い出しにも行ったではないか。
それでもフィーネちゃんが、俺の勇者様は、キリリとした顔で「成程、一理あるかもね」と問題を受理してしまったのである。おお勇者よ錯乱するとは情けのない。加えてスティーリアさんまでもが「実は私も彼の事は良く知らないのだわ」などと乗っかってしまったからもう大変だった。
「やっぱりさあ、敬語なんじゃないの? ここはカノンって呼び捨てにさせるべきよ」
「そういえば彼はティアって呼んでくれないのだわ。イグニスの事は呼び捨てなのに」
「でも私もティアもツカサくんって呼んでるよね。ここは強要する前に、私達の方からも歩み寄らないといけないと思うな」
すると勇者の碧の瞳が恐る恐るにコチラを見てきて。「ね、ねぇツカサ」と声を掛けて来るものだから、俺は空気を読んで「なんだいフィーネ」と返事をする。勇者は「無理無理無理」と腕で顔を隠しながら円陣に戻って行った。
「くだらねー」
(悔しながら小僧に完全に同意じゃ)
「早く結論出ればいいねー」
カノンさんが指摘したのは、俺のイグニスやヴァンへの態度の違いらしい。俺はこの二人とは特別仲が良い。常に行動をしているイグニスは当然として、同性であるヴァンとも砕けた会話をする事が出来た。
或いは、今までは問題は無かったのかも知れない。でも俺が勇者一行として正式加入をしたばかりに、この問題は浮上するのだ。もうお客様じゃないんだから遠慮してるんじゃねーというのが僧侶の言い分である。
「じゃああだ名つけるのどうよ。親密度が増すと思わない。私はお姉ちゃんって呼ばれたいわ」
「それもうカノンの願望だよね。あだ名って言ってもツカサってもう結構短いしなぁ。……ツーくんとかどう?」
「ツーくん。ふふ、それはとても可愛いらしいのだわ!」
背後で聞こえる会話はとても不穏だ。頼むから定着してくれるなよと心から願うばかりである。げんなりしながら外の景色を眺めていると、「お前も大変だなと」ヴァンから同情の声が聞こえた。
「俺はもうとっくに馴染んだものだと思っていたよ」
「仲間になったからにはもう一歩仲良くしたいってのがあるんじゃねえの。知らんけど」
「でもイグニスやヴァンと同程度に扱うって、人としてかなり失礼じゃない?」
「その考えが失礼だろ、びっくりしたわ。お前一体俺を何だと思ってるんだよ」
人間関係って難しいものだなと、広い空を見上げながら俺はつくづくに思うのであった。
◆
島越え橋越え水越えて、更に3日の時間を掛けて、勇者一行は一つの町に到着する。
方向で言えば南東に進んでいた様で、ここはもうエルフ達が統治する領域らしかった。
「と言っても、エルフの領地の本体は東に広がる大森林の中だよ。この町は人間との交流の為に作られたらしいね」
赤髪の少女は今日も指を立てて説明をする。変わりのないイグニスの様子になんとも安堵しながら、俺はへえと答えた。
町の様子は道中たびたびに目にする草原の民の生活スタイルと同じだろうか。木造の建築も混じってはいるのだけど、移動式住居が目立つのである。
イグニスの説明の通り、住人は人とエルフが共存している様だ。エルフもやはりポンチョを着込み、ジャラジャラと装飾品を身に着けている。正直あまり人間と区別は付かない。かろうじて耳が少し尖っているかなといった具合だった。
「俺、エルフって美男美女しか居ないのかと思ってました」
「アンタそれ絶対エルフに言うんじゃないわよ」
カノンさんに後頭部を軽く叩かれた。自分でも分かる失言である。それはつまりエルフは醜いと言っているも同義ではないか。いやけして醜いと貶している訳ではないのだ。ただ余りに普通のオジサンだったり、デ……いや、ふくよかな体系のオバサンが歩いているので驚いただけだ。
思えば俺の知るエルフはシエルさんだけである。彼女が黒髪緑眼の文句無しな美女の為、エルフが美形という先入観に違和感を覚えなかったのだろう。それはそれとして、やはりこの世界には浪漫が無いと思う。
「ここから船に乗り換えだね。話は通っているはずだけど、今日は船の確認がてら馬車を預かってくれる人に挨拶かな」
会うのはどうやらこの町を管理するエルフの貴族様らしい。勇者一行を歓迎してくれるようで、目的である水精の話なども聞かせてくれるのだとか。
(カッ。この一帯のエルフといえば儂の配下だったくせによ)
ジグルベインはそう文句を言うが、大洪水というのは不測の事態だったはずだ。人間と手を合わせねば生き残れなかったのだろうと俺は思う。
そんなエルフの貴族様は、やはり普通のオジサンの様で。なんとも浪漫あるツリーハウスに招いてはくれたのだけど、少しばかり顔色は悪かった。
口を開けば【黒妖】が、シエルさんが帰って来たのは本当なのかと騒ぐのである。
一体何をしたのかされたのか。そういえば彼女は里帰りしたら追い返されたと言っていたけれど、まさか、ね。
◆
そして無事に船を借りて、俺たちは水上へと躍り出た。
木造だけど船底は分厚い鉄板で保護されている。恐らくは魔獣対策なのだろう。形は帆船であるのだが、少し大きなヨットの様である。
オールで漕ぐ事も出来るのだけど、なんと魔導船だ。自ら風を生み出し帆で受ける事で進めるらしい。
「そういえばツーくんは魔導船は初めて? 私達がちゃんと訓練を受けたから任せてね」
「はい。手伝える事があったらなんでも言ってください」
最悪である。雪女にはツーくんで定着してしまったのだった。
けれど、まあと。今は折角の船旅を楽しむ事にした。小型の船なので6人も乗り込むとかなり狭いのだけど、男の子的にはこの狭さも隠れ家的でポイントが高かったりする。
「けれど、こう見るとやっぱり異様な光景だよね」
船体の後ろにある操縦席でカラカラと舵輪を回す勇者が呟いた。
そうだねと呟きを拾うのは彼女の隣にいるイグニスだ。
「タルグルント湖がある場所は地形的には低地のはずなんだ。きっとこの辺りも水害の被害にあったんだろうさ」
そうなのだ。今進んでいる水場には木が茂っているのである。
まるで南国のマングローブ林の中でも進んでいる気分にさせるけど、きっと水没してしまった谷の上にでも居るのだろう。
「ああ、ここから先か」
(で、あろうなぁ)
水門や看板で区切りがつけてある訳ではない。
それでも、ここが目的地である聖域なのだとハッキリと分かった。
水が、透明なのだ。底までくっきりと見える程に湖が澄み渡っている。
沈んだ森林を上から眺めていると、まるで船に乗っているのでは無く空でも飛んでいるのではないかと勘違いするほどだ。
周囲は岩山に囲まれ、イグニスが言った様に低地、それも盆地に近い地形だった事が伺えた。広大な湖は、底に一体何個の山が眠るのか。それでも水面に飛び出る陸地は数多い。
はてさてウィンデーネが住まうのはどの島なのか。
タルグルント湖。どうやら今回の冒険は山が沈没して出来た湖が舞台の様である。




