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196 イカダに揺られ



「んぎゃ~~!」


 今の気分を言えば、台風の日増水した川に浮かぶ一枚の落ち葉だ。

 流れに乗りドンドンと加速をするも、減速をする術を持たないイカダは、文字通りに流れに身を委ねるしか無かった。


 サナータ川の川幅は広く、視界のほとんどが茶色く濁った水で占められる。

 ならば衝突物も無いのではと淡い期待も抱いたが、そんな物は泡よりも儚く弾けて消えた。


 水面からは岩や陸が不規則に顔を出しているのである。ブレーキの壊れた車で壁に向かって走っている気分だった。幸いなのはこの車、アクセルもブレーキも無いけれど、ハンドルだけはしっかりと付いている事だろうか。


「しっかり掴まっておけよー!!」


 しかも、そのハンドルを握るのはこの道何十年の大ベテランだ。

 高い波と乱れる水流によりイカダは激しく揺れて、飛沫も容赦なく襲い掛かるが、何故かギリギリで転覆はしない。


 突如として現れる岩場や、曲がり道で壁面と出会った時のオール捌きと来たら、まるで熟練の槍使いの様で。俺は男の鬼気迫る背を眺めながら、まるで川と決闘でもしている様だと感じた。


「つっぅ。水が冷たいな。靴の中がびしょ濡れだ」


「おいおい濡れる心配かよ。肝が据わった嬢ちゃんだな。俺なんかに命を預けて怖くないのか」


「なあ人生で何度くらいこの川を下った?」


「そんなのもう覚えちゃいねえよ」


「だろう。なら今日偶々転覆しても、それは私の運が悪かったって事さ」


 不安は無いという魔女の言葉を船頭は背中で受け止める。返事は無かった。

 けれどそうだ。俺に取っては未体験で恐怖の川下りだが、カルゴさんはこれを仕事にして日常的に行っているではないか。


 ああ、川下りがこの男と川の決闘であるならば、今日まで生き残った彼は常勝無敗。

 だからこそイグニスはこんなちっぽけなイカダであろうと大船に乗ったつもりでいられるのだろう。いや図太いだけか。


「カルゴさんには悪いけど、俺は怖いものは怖い!」


「安心しろよ兄ちゃん、それが普通だ」


 唯一ハンドルに当たる櫂をカルゴさんが握る以上、俺に出来る事はイカダにしがみつき落ちない事だけだ。組まれた丸太の隙間から波が遊ぶので足元は靴もズボンもずぶ濡れ。頭は飛沫に濡れて、顔に張り付く髪が気持ち悪いので掻き上げる。


 そして気づくポンチョの凄さ。この国の伝統衣装というだけあり、レインコート代わりになってくれるのである。身体が冷えるので地味にありがたい。着ていて良かった。

 

「おや、やはり他の人も普通に川を下っているんだね」


「うわ本当だ。こんな事を毎日とか信じられないな」


 前方に俺たち以外のイカダの隊列が見えた。同じ流れに乗っているのだから追いつくという事は無いだろう。すると何処かから合流したと考えるのが自然か。


「おうカルゴ、偏屈なお前が客を乗せてるなんて珍しいな」


「うるせー、船が無いから仕方なくだ。この人達は勇者一行様だぞ!」


「なにー!? そりゃ命知らずで当然だ。川の民の仕事をしっかり果たせよ!」


「わかってらい馬鹿共が。てめえらこそ気をつけてな」


 声を掛けて来たのはワニの獣人。同業なのかカルゴさんと顔見知りらしく、からかわれる様に笑われていた。出会ったのはほんの一瞬だ。目的地が違うのか、他の人達はカルゴさんに手を振りながら、スッと支流に進路を変えて行く。


 もしかしなくても川の道は全部頭に入っているのだろう。この激しい勢いの中で的確に流れに乗れるのだから舌を巻く技術だ。


「そういえば、川を下ったら帰りはどうしているんですか?」


「草の連中に運んで貰うのさ。奴ら水の事はてんで駄目だが、陸の事は任せれば間違いねえんだ」


 照れ臭いのか語気を荒げながら船頭は語る。俺は気づかれないようにクスリと笑った。

 きっと草原の人達も、川の事は川の民に任せておけば間違いないと言うと思ったのだ。ただ分業しているだけでなく、固い信頼で結ばれているなんて素敵な関係である。


(のう、お前さんや)


「ん? どうしたのジグ」


(ちと嫌なものを見たかも知れぬ)


 お前が嫌なものってどんなものだよと思い、ジグルベインが顎で示す先を見る。

 そこは後ろ側、上流のほうの川の中だった。んーと眺めるも水面は岩や高低差が生む水流の乱れでザザンザザンと白波を立ているだけだ。


 何も無いではないかと疑問に感じるも、この状況で意味も無く嘘は言わないだろうと川の流れを更に凝視して。


「うわっ、嫌なものを見た」


(の?)


 見間違いだと信じたいのだけれど、水面から飛び出した三角形がスーっと水を切り、トプンと水中に消えたのだ。よもやパニック映画で定番のアイツだろうか。ここ川だよな。


 いやいや、早計か。似たような背ビレを持っている生物もいるではないか。

 川に棲むイルカが居るというし、あれはきっとカワイルカに違いあるまい。


「ブエー! ブエー!」


 頑張って自分を誤魔化そうと思ったのに、敏感なシュトラオスが気配に反応をした。

 次の瞬間には水面からガバリと開いた大口がイカダを食いちぎろうと飛び出してくる。三角の頭をしたギザギザの歯を持つ生物であった。


「なっ! 今のはアクーラか!」


「ああ、海と繋がているし、川を登ってきちゃうんだなあ」


「ふざけんな、長年船乗りしてるが川でなんて初めて見たわ!」


 鮫の襲撃に二人も反応し、思い思いの感想を告げる。

 カルゴさんが俺とイグニスのどちらかが運が悪いのではないかと言ったもので、俺は笑いながら、それは魔女だと指差した。何故か向こうも俺を指差していた。


「どう考えてもイグニスだろ!」


「いーやツカサだよ。毎度毎度問題に巻き込まれているじゃないか」


(儂はお前さんに一票)


 馬鹿なジグルベインまでもだと。トラブルメーカー達に問題児扱いされて、真面目に生きている俺としてはとても裏切られた気持ちになった。


「どっちでもいいけど、頼むからなんとかしてくれ! 俺は魔獣となんて戦えないぞ!」


 川の激流には果敢に挑む男がひーんと弱音を漏らす。さもありなん。彼は川のプロだが、戦闘のプロでは無いのである。ここは俺の出番かと立ち上がろうとしたところで、しかし腕の中の魔女が待ったを掛けた。


「こらこら剣でどう戦うつもりだい。こんなイカダ、奴と接触しただけでも大破してしまうよ」


 剣の出番では無く魔法の出番だろうと、赤髪の少女はキメ顔で言った。

 船の揺れが激しくて立てないので、俺の腕にしがみついてでのキメ顔だった。全然決まってないぞ。


「ち、違うぞ。威力強めのを打つから反動に備えているだけだし」


「まぁそういう事にしとくよ」


 俺は暴れるボコをよしよしと宥めながら、振り落とされない様に手綱を短く握った。

 イグニスはそんな俺にしがみつく様にして水中に手のひらを向ける。展開陣は使わない様で、ゴウと燃え盛る炎が手より迸っていた。


「くっ目にもの見せてやる。【構えるは城壁崩す弩が如く】【番えるは騎士を貫く重長(おもなが)槍を】【放てや、穿ち、焼き払え】」


 炎で形成された騎兵槍が魔女の手より放たれる。瞬間、逆巻く風と波打つ水がビタビタと吹き付けた。槍は如何なる速さで駆け抜けたのか、川の水面にドップリと大穴を開けていて。


 水が今穿たれた事に気づいたかの様に、渦を巻きながら穴を塞いでいく。

 そして、爆ぜた。魔法による現象か、それともただの水蒸気爆発か。ドカンと水柱が立ち登り、衝撃で周囲のものを皆吹き飛ばそうとする。当然俺たちのイカダも含めてだ。


「ぎゃー!! なんて事しやがる!」


「やりすぎだろバカー!!」


 膨らむ水面は大波となってイカダを揺さぶる。炸裂した空気が嵐の様に吹き抜けて、飛沫と風が無遠慮に肌を叩きつけた。


 俺は咄嗟にカルゴさんも抱え込み、川の機嫌が良くなるのを伏して待つ。揺れると思っていた荒川の流れがまるでせせらぎに感じる。


「どうだ、白氷熊に防がれてから密かに改良してたんだ。完全威力重視だけどね。火炎槍改め、爆炎槍さ!」


「ふ、ふーん。凄いね」 


 もう文句を言おうという気力も無く、ただ無事だった事に感謝をする。鮫、どうなったかな。水中にいたんじゃ跡形も残っていないだろうな。


 不幸中の幸いという奴だろうか。川下り程度の揺れではもう怖くなくなってしまった。

 カルゴさんはイグニスに今の魔法はイカダの上では使うなと強く釘を刺し、さあと再びに櫂を構えなおす。


 川を下るに連れて激しかった流れもだんだんと緩やかになって行く。そして風に仄かに潮の匂いが混じり始めた。


 バシャリバシャリとオールを漕ぐ用途に使い出した頃、その町は見えて来る。

 石と煉瓦で出来た町。まるでランデレシア王国に到着したのかと思う建築だ。


「おや、見えて来たね。あれがラメールだよ」


 草原の民はテント暮らしで、川の民の町は木造建築だった。水害にあったのでそういう独特の文化が生まれたと聞いた。


「そっか。あの町って」


 ならば当然、逆の可能性も考えるべきだった。

 海に近いので、山から来る水の被害に遭わなかった場所もある。そこに見えるは苔むし残る、この国本来の姿か。


 俺たちは水上都市ラメールへと到着をする。




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