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194 深い爪痕



「じゃーん。どうだい?」


 翌朝、間仕切りから姿を現したイグニスは普段の魔女スタイルではなく、膝まであるポンチョの様な物を被っていた。白を基調にカラフルな刺繍が施された意匠は見覚えがある。今居るテントに敷かれた絨毯と似ているのだ。


「似合ってるけど、それは?」


「この国の伝統衣装だよ。昨日見かけたから買っちゃった」


 赤髪の少女は新品の衣装を見せつける様に俺の前でくるりと回って見せた。

 昨日は二人でずっと一緒に居たので、買うタイミングがあったならば夕食の買い物をしている時だろうか。


 イグニスめ、俺に自慢する為に隠していやがったな。

 これが女性用とかいうのなら兎も角、街中では男性も普通に着ている物だったので、いいな羨ましいなと歯ぎしりをした。


「ずるい、俺も欲しい。というか絶対買う!」


「ははは、その顔が見たかった。よし、じゃあ私が見繕ってあげようじゃないか」


(お前さん達、急ぐと言っていたわりには、めっちゃ満喫してるのう)


 町から出る前に少しばかり市場に顔を出して俺もポンチョを手に入れた。

 被るだけなので着るのは簡単だ。普段着の上からずぽっと頭を通し、二人で気分を一新に町を飛び出す。



 町の在った島から橋を2つ渡ると、やっと湖も終わりが見えた。

 辿り着いた先は土のしっかりとした大地であり、なんだ案外走れるではないかとシュトラオスで駆ける。


 確かに水場は多かった。そこらじゅうに池や沼、川が流れているのだ。けれども草原の民のおかげか、同じくらいに橋などの足場が設置されている。お陰で多少の遠回りはあれど、順調に進めていた。


 風景は湖を渡る前の平地と打って変わって起伏の多い山地である。土地の高低差により水の溜まる場所が出来てしまうのだろうなと思う。水が豊富なだけに植物は良く育つ様で、周囲は草原の民の名に恥じぬ緑色の絨毯が長く続いた。


 どうやらこちらの商人は水牛を移動の手段にしている様で、角をバイクのハンドルの様に握る姿とたびたびにすれ違う。面白いのは荷車の形状で、まるで車輪の付いたボートの様な形をしている。


「あ、イグニス見てよ。虹だよ、綺麗」


 遠くに見える大きな架け橋を見つけた。俺はあんな場所にまで橋があるよと無邪気に笑いながら指をさす。俺の背にしがみつく少女は、ああそうだねと返事をくれるも、その声は少しばかり重かった。


「あの虹はね、シュバールに刻まれた、深い爪痕の証明だ。他の人に安易に綺麗だと言ってはいけないよ」


 そう言われて気付いてしまう。綺麗、じゃないのだ馬鹿め。この国は【止まない雨】に苦しんだと聞いたばかりではないか。雨上がりでもないのに何故虹などが見えるのかを考えるべきであった。


 こんなに天気が良かろうと、あの虹の付近では今も雫が舞っているのだ。降り続く雨を証明する様に、晴れの日には消えない虹が現れるのである。


「じゃあ、今もあそこで降り続いているんだね」


「そうだよ。まぁ今はフィーネが国に居るからね。勇者の力を振るう機会があれば、いずれ空から虹も消えるだろうさ」


 そっかと返事をした。

 遠目では雲も無く、雨の粒さえ見えやしない。けれど、太陽の光が邪悪を暴く様に空に七色の光を映し出す。よもやこんなにも虹が不気味に見える日が来るとは。


「雨の原因になった魔王もジグが倒したの?」


(いや、儂では無いはずだ。というか、何でもかんでも儂のせいにするでない)


 今回はジグルベインは関係無いのかと思っていると、俺の言葉をイグニスは耳聡く拾った様だった。


「一応、混沌が死んだ後を狙って攻めてきた魔王だと言われている。けれど不思議なのは討伐者が誰か分からないんだ」


(魔王殺しを成しておいてか)


 顔も見せず名乗りもせず魔王を討った大英雄が居たのだと言う。ジグルベインを倒した勇者ファルスが実は生きていたのだとか様々な推測があるが、今でも事実は歴史に眠っているそうだ。


「彼が現れたのは勇者ファルスの死から3年ほどだ。勇者では無かったはずだから、英雄モアと呼ばれ讃えられているよ」


 その象徴こそが虹らしい。

 天空に掛かる大橋はこの国の人にとって、魔王を討った大英雄の印であり、国を襲った水害の傷跡なのだろう。


 俺は軽々しく触れてはいけない物なのだと理解して、誇らしくも忌避される虹をもう一度眺め、見納めた。



「なんじゃこりゃー!!」


 橋を渡り島を超えて、また橋を渡る。そんな生活を続けて二日ほど経った。

 そして辿り着いた場所は、何というか世界の終わりの様な光景だった。


 耳元でイグニスが何かを言っているのだけど、周囲に響く音がうるさくてよく聞き取れない。ドドドドドと水がまるで爆撃の様な音を立てて降り注いでいるのである。


 滝だった。その高低差は如何ほどか。見上げようと見上げようと、水の壁は何処までも続く。ならば幅はどうか。片方の端は見えている。けれども、反対の端を見つける事は叶わない。一分間でどれだけの水量が流れているというのか。


 そのナイアガラの滝もびっくりの大滝は、国の領土の大半が水没したと言う事実を強く裏付ける巨大な物だ。遠目から眺めているだけだと言うのに、飛沫が霧になり肌を濡らす。大滝の水を受け止める滝壺は白波を立て、嵐の海の様に荒れうねる。

 

 そして流れ落ちた水が大河を生み出していた。やはり川幅も分からないくらいの大きさで、それでいて氾濫した様に流れが速い。流石にここばかりは橋も作れなかったのか、対岸に渡る手段が途切れてしまった。

 

 ナイアガラの滝とアマゾン川が悪魔合体しているというか、その二つを同時に見た気分である。


 雨というごく身近な自然現象。けれども雨垂れ石を穿つ。

 小さな水滴が溜まりに溜まり、大瀑布にまで育った。国さえ流した災害は、きっと今も水量を増やし続けている事だろう。


「これが自然じゃなくて、たった一人の魔王の力で出来たのか」


 もはや開いた口も塞がらない。魔王って本当に迷惑なんですね。

 全種族に敵認定されるだけあるというか、真剣に世界を滅ぼす力を持っているのだと、再認識させられる景色だった。  


「川沿いに町があるから、そこに行け!」


「え!? 何!?」


「だから! 南に! 町があるの!」


「聞こえないよ!」


「ええい、足ばかりいやらしく眺めやがってこの変態野郎が!」


「何言ってるのか分からないぞ、この貧乳ー!!」


 顔を互いに息の掛かる距離まで近づけ大声で叫ぶも、全て水の暴音に流された。

 イグニスは言葉で伝えるのを諦めてハンドジェスチャーに切り替える。どうやら川沿いにボコを走らせろと言いたいらしかった。


「この大河の行き着く先が集合場所のラメールだよ。思ったより順調に来れたね」


「は? 川を下るって、この川を下るの!?」


 この国が陸地を進むと遠回りばかりになるというのは何と無く理解をした。

 だから陸を進めないなら水上を進めばいいじゃないという魔女の意見には賛成なのだけど、よりにもよってこんな流れの速い川を下ろうとか正気だろうか。


「と、思うだろう。大丈夫だ。草原の民は草原を駆けながら橋を築き陸地を繋ぐ。そして川の民は、水と共に生きる民族。船にて水上を駆け、国を繋ぐ。彼らほどこの激流を知る者は他に居ない」


 歴史があるのだと。

 俺たちがここに来るまでに数多く渡ってきた橋。代々草原の民がコツコツと積み上げてきた努力の結晶。水に沈み離れ離れになった陸地を紡ぎ、今やその道はランデレシア王国まで繋がる。


 同じだけの時間を水に挑み生きてきた人達がいるらしい。

 川とは、流れを制してしまえば大きな力だ。上から下にという摂理に従い、上流で流した物は下流に辿り着くのである。そうして災害を国益に変え、今や国の血管とも言える物流網を敷いているそうだ。


「本当に、本当に挫けない人達だね」


(カカカ! これしきで人間が滅ぶなら、儂の時代でとうに根絶やしになっとるわ)


 それは褒めているのかジグルベイン。



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