192 よろしくシュバール
俺は道端に置いてある石碑の前で屈伸をしていた。
合わせて1、2、1、2と手を振り子にして拍子を測り、せーので前へピョーンと飛ぶ。
飛距離はおおよそ2メートルくらいか。しかしストンと着地した瞬間、俺は晴れてシュバール国へと入国を果たす。やったぜと1人でバンザイをした。
「……気分はどうだい?」
「なんかさ、もっとこう、無いの? ようこそ、とか誰か言ってくれ無いの!?」
「あー。じゃあ、ようこそ」
「そうじゃないんだよ!」
俺の感動の入国を生暖かい目で眺めていたイグニスは普通に道路を歩く。
国境線である石碑を跨いだ瞬間、彼女も事実上ランデレシア王国を出国した扱いになった。ようこそコチラ側へ。
そう。なんとも味気ない事に、せっかくの出国、或いは入国イベントは歩くだけで終わってしまったのだ。
「だいたい領境だって何も無いじゃないか」
「それはそうだけどさー。まさか国境も同じ扱いとか思わないじゃん」
俺が期待しすぎたのだろうか。フラウアの町から伸びる大通りを走っていたらアレが国境だよと言われて。え、どれどれと目印を探した俺に突きつけられた現実は道端に置かれた石碑だけだった。
一応近くに見張り櫓くらいはあるのだけど、なんともおざなりな事だ。
理由を聞けば、領にしろ国しろ、昔はよく境が変動したので囲うのは無意味だったらしい。土地の奪い合い削り合いが当然だったのだとか。
「それなら少し動かしても分からないんじゃない?」
「絶対にやるんじゃないぞ!」
「冗談だって」
ジグルベインじゃあるまいし、そのくらいの分別はあるつもりなのだけど怖い顔で睨まれてしまう。俺はしゅんとしながら、精一杯の反抗として大股開きで国境の上に立ち、両国の土を同時に踏んでやった。俺は国を股に掛ける男なのさ。
「やると思った」
(カカカ。儂も絶対やると思ったわ)
◆
「そうだ。シュバールに入った事だし、君にこれを渡しておくよ」
外国の風情もへったくれも無い草原を伸びる道。そこを駝鳥の背に乗り走っていると、魔女の手が脇の下からにょきと生えてきた。
「ん、なに?」
イグニスの手のひらの上には指輪が置かれていて、俺はなんぞやと摘まみ上げる。
素材は銀だろうか。鈍く輝く金属は彫刻がとても細かく、それだけでも価値を感じさせた。
更には真ん中には赤い石が埋め込まれている。宝石か魔石か俺には区別がつかないけれど、透かして見ると石の下には竜の紋章が描かれているようであった。
「はぁ。高そうな指輪だね。これがどうかしたの?」
「エルツィオーネの代紋さ。それを持っていれば、君が私の庇護下にある証明になる。多分フィーネに会えば、彼女も勇者一行の印をくれるだろう」
首を捻りながら、とりあえずお礼を言っておいた。指は邪魔くさいので、後で首飾りにでも掛けようかなとズボンのポケットに突っ込もうとする。
すると魔女は失くしたらどうするのだと文句を言いながら、付けてあげるよと、後ろから俺の首飾りを外した。ならもう少し時と場所を選んで渡して欲しいものだ。
「念の為だよ。私もランデレシアでこそ智爵の娘という、そこそこ偉い立場だけど、この国ではしょせん他国の貴族の娘という訳だ」
「ああ」
勝手が違う。知り合いも味方も居ない。実感こそ少ないが俺達は確かに他国に足を踏み入れたのだ。言い方を変えると、ホームグラウンドを出たという事になるだろう。
ならばイグニスがルギニアを出て直ぐに金策を行ったのも納得が出来た。
金も無かったのだろうけれど、顔の効く自国に居る内に済ませてしまいたかったのだと思う。
「一応勇者一行はどの国でもそれなりの扱いを受ける特権がある。けれど貴族のいざこざは面倒だからね」
はい、と。イグニスの手で再びにネックレスが掛けられた。
視線を下すと冒険者ギルドのギルド証などに並び、新たに増えた指輪が存在感を出している。ありがとうと、もう一度お礼を言うと、良いんだよと優し気な声が返ってきた。
(のうお前さん。それ実は首輪を掛けられたのでは)
「え、指輪だよ?」
(いや、うむ。そうじゃがの)
「なあツカサ、この国の話を聞きたくないかい?」
(ちっ、儂の声は聞こえていないくせに絶妙な間で割込みおってからに)
◆
そこから暫くイグニスにこの国の説明を受けていた。正式名称はシュバール合衆国と言うらしい。大陸の中でも土地の面積は一番広いとされている様だ。
ただし人口で言うとそう多くもないらしく。つまり大半が大自然という事らしい。
なんと言っても特徴は、自治権を持つ団体の多さの様だ。
草原に住む民。川辺に暮らす民。大森林に住まう森人、鉱山を陣取る小人と、それぞれが住み分けながらも協力し合っているので国として成り立っているのだとか。
「だから国名は草原を代表するシュルバと川を代表するラメールという都市から取って、シュバールと言うんだよ」
「へぇー。ドワーフの町もあるなら、フォルジュさんもこの国の生まれなのかな」
「そうだね。冒険者をやっていたようだし、有り得ない話じゃないかな」
シュバール国に入国し道を走る事2時間程。セトの町からフラウアに向かうに連れ、段々と景色は平原に近づいていた。なので、そりゃ国が変わろうと地続きなのだから大きな変化がないのは仕方ないと思っていた。
「んん?」
だが草原に突如として橋が現れた。木で組まれた弓なりの大きな橋が掛けられていたのだ。下に川でも流れているのかと思い近づいてみる。流れは無いようだ。すると沼。いや、湖になるのだろうか。ともかく橋の下には想像の通りに水があった。
草原からの突然の水場というのは、最近湿原を通ったので似たような光景を見てはいる。だけど、ここはまた少し趣が違うようだ。
橋の上から景色を眺めてみると、似たような橋がそこらじゅうに見えるのである。
それもそのはず。この湖、意外とデカい。どうやら、とても大きな湖の中に、何個も島があって、橋はそれを繋ぎ合わせて移動が出来る様になっているらしかった。
「へー。大きな湖だね」
「そうだね。けれど、ここはね、大昔は谷だったそうだよ」
「え、どういう事?」
「あるんだよ。この国にも特異点が」
特異点。魔王の力により捻じ曲げられた法則の残る場所の事だ。
ヘグル山からウェントゥス領にある南極の様な氷の世界を見たのは記憶に新しい。
この国を侵した魔王の爪痕は、止まない雨なのだと魔女が語る。
今もシトシトと降り続ける雨。元にあった地面はとうに抉れ消え失せ、氾濫する水が大地を浸し大河を作ったと。
「そっか。じゃあ……」
島は湖に浮かんでいるのではない。今見えている部分以外が沈んだのではないか。
そう答えるとイグニスは正解と言い、この国の歴史を続けた。
「土地が大きく自然に溢れるのに、何故人口が少ないのか。それはこの国の殆どが一度水没をしたからに他ならない」
もはや絶句するしかあるまい。
水溜まり。雨が降ると道路や土に出来るアレ。その現象と、目の前でどこまで広がるのかも知れない巨大な湖が同じものなのだと言うのである。
「けれど」
けれど人類を侮るなよ魔王と、赤い魔女は橋の上から手を広げ叫んだ。
「どうだい、今もなお国はある。橋を架け草原を移動し続けた草の民、そして船を操り水と共存する川の民が生きている。人類は負けてないぞ」
それはジグルベインへの挑発か。違う。
俺がこの国の人達を、被災した可哀想な人達だと思ってしまったから、そうじゃないのだと檄を飛ばしてくれたのだ。
俺は橋の上からもう一度景色を見渡す。
話を聞いた後でも、これが雨水が押し寄せ出来たものだとは信じがたい。
でも、残された大地を繋ぐ様に、希望を繋ぐ様に、橋が建てられている。その上を他の馬車が当然の様に行き来している。
そうだ。この国の人達は可哀想な人達などではない。災害にも負けず順応した、逞しい人達なのだろう。なんだかもう好きになってしまいそうだよ。
「よろしくね、シュバール国」
そう呟く俺に、イグニスは深く頷き、改めて「ようこそ」と言ってくれた。
やっと国外行ったのかよお前ら。




