191 閑話 ラルキルド領経営日記2
最近執務室となってしまった書斎で私は今日も机に向かっていた。
どうにも私が領主として扱うお金は公費と言うらしく、使うには沢山の書類に署名が必要らしかった。
いっぱい使った。道路作りから始め、店の開業資金等に。
自分で計画書を書いて、自分で許可を出す。馬鹿げている。けれどこうしないと税金が掛かると言われたのだ。
だから書く。沢山書く。
父さんから継いだラルキルドという大事な名前だが、ちょっぴり嫌いになりそうである。
「シエル様ー、まだあるのですかー!?」
「あるぞー。沢山ある。まぁ実はこの程度なら領主の署名など要らないのだがな」
「なら手伝ってくれてもいいと思うのですが」
「はは。嫌だよ面倒くさい。私は女中なのだ。大変ならば人を雇え。仕事が出来る奴を育てろ。人材が居ないのはお前の怠慢だぞ」
正論を受け、むう、と言葉に詰まっていると、コンコンと扉を叩く音が響いた。
これは玄関にあるノッカーの音だろう。うちは古いので遠くからでも聞こえてしまうのだ。
私はつい癖でハーイと返事をして立ち上がる。けれど今は必要が無いのだったかと思い至り、少し寂しく思いながら椅子に座り直した。
「シャルラ様、お客様がお見えですよ」
今度こそ書斎の扉が叩かれた。入っていいよと声を掛けると、シエル様とお揃いの女中服を着た女の子がそうっと顔を覗かせる。いや、20歳と聞いているし、人間ではとっくに成人の年齢だ。女性というべきか。
トルシュという名の女性は、現在私の侍女を務めてくれている。
エルツィオーネ家から私の教育係りとして3名預かる事になったのだが、その内の1人である。なんでも元はイグニス殿の侍女だったらしいけれど、彼女は旅立ってしまったから手が空いているらしかった。
「誰かな?」
「はい。アルス様、と言ってお分かりになるでしょうか。騎士団の方なのですが」
「アイツか……」
名前を聞いてシエル様が忌々し気に呟いた。私としても忘れられない名前である。
先の侵略ではこの領を防衛してくれたらしいが、物理的に血の雨を降らせてくれたお人だ。あの時はぶち殺してやろうかと思った。
「会いたくないなぁー」
「なんでもツカサくん。あーいえ、ツカサ様からのお荷物を預かっていると」
その名前、ずるくない?
◆
「粗茶だ。くれてやる」
「これはまた随分と態度の大きな女中が居たものですね」
机に叩きつける様に出された茶に、客人はあらあらとおっとりと頬に手を当てる。
応接間に居た金髪金眼の女性は、確かにあの時と同一の人物である。だが以前に会った時よりも態度は随分と柔らかい印象に感じた。
「これはアルス殿。遠い所をよくお越しくださいました」
「お久しぶりでございますラルキルド伯。その節はご迷惑をお掛けしまして」
「ああ、うん。もういいよ。それより私に届け物があると聞いたのだけど」
ええ、と薄っすら笑う姿はなんとも上品で。まさに想像する貴族そのものだった。
そうか普段はこういう人なのだなと認識を訂正しよう。前は今にも飛び掛かろうとする獣の様な目をしていたからな。
そしてこの人、私を簡単に斬り殺せるだろう。それだけの実力がある。
仮にシエル様と戦ったならばどうなるか。シエル様が負ける姿は想像出来ないが、案外食い付くのではないかと思っている。
「こちらの箱で御座います」
「ああ、確かに受け取ったよ」
意外と小さな箱だった。けれども送り主はツカサ殿というではないか。
私は受け取ると同時、嬉しさの余り中身は何かなとカパリと蓋を開けてしまった。後ろに控える侍女から小声で「はしたないですよ」と注意が入る。ごめん。
「ああ、ルコールじゃないか。珍しいものを貰ったな」
シエル様も興味があったのか、脇から私の手元を覗き込んでいた。
箱には4つの果実が収められている。初めて見る種類だった。林檎より少し大きくて、深い黄色。匂いは余りしなかった。
「シエル様はご存じなのですね。これはもう食べ頃なのでしょうか」
「……まぁ。食べれない事は無いが」
が、何なのだろうとエルフの顔を見るも、何故か緑の瞳はとても遠い目をしていた。
そして私が気になるのは、果実よりも同封されている手紙の方だった。
読みたい。凄く読みたい。けれど、流石に客人を前に手紙に読み耽るのは不作法な事くらいは弁えていた。
「ああ。どうぞお構いなく。というか読んであげて下さい」
「そ、そうですか。かたじけない」
許可が出たなら、良いよね?
手紙の宛名にはシャルラさんへと、お世辞でも綺麗では無い字で書かれている。
いかにも書き慣れていない不格好な形とガタガタな線。けれどあの少年の事だから、きっと真面目に、私を想い筆を執ってくれたのだろう。そう考えるだけで、とても胸が温かくなった。
「えーと?」
読むのに少々難儀する。シエル様が焦れて貸せと手紙を取ろうとしてきたが死守した。
そこに書かれていたのはツカサ殿の近況である。
「シャルラさん、お元気ですか。私はとてもお元気であります。まだ余り文字に慣れていないので読み辛いかったらすみまそん。フフッもうツカサ殿ったら」
「アトミスも解読に苦労したと言ってましたが、これは愉快な内容のようですね」
そうか。手紙を受け取ったのは私だけでは無かったか。
ちょっと嫉妬するのだけど、いいや。これは父さんの日記と一緒に永久保存確定だ。
「今はベルレトル領のリーリャという町からお手紙を書きました。色々ありましたので、イグニスは馬鹿です。魔法銀という物の為に魔王殺すを探し冒険しました。送ったルコールという果実がコレです。貴重です」
「ウフフ。なんて文章。イグニスったら直してあげなかったのですね」
アルス殿は口を手で覆い笑いに堪えていた。見ればシエル様もトルシュもプルプルと震えている。
きっとツカサ殿は真剣にこの手紙を書いていて。何故か自信満々に文章を書けた事を自慢するのだ。イグニス殿はそんなツカサ殿を眺めながら、手紙を出した後で内容を伝える事だろう。私にはその光景がまざまざと浮かんだ。
「少ないですが是非食べて下さい。みんなにも宜しく伝えてください。ツカサ。……うん?」
手紙の末尾には注釈と書かれ、非常に酒精が強い事。食べた者は例外無く倒れたので身体強化を施し食べる旨が記されていた。食べた者が全員倒れるって、それはもう毒なのではないだろうか。
「ああ。熟れたルコールはな、凄いぞ。酒に強い奴でも倒れるし、酒に弱い奴は死ぬ。いや、本当に。冗談ではなく死人が出るから」
「エルツィオーネ家とシャルール家でも大惨事なりましたね。主に当主がですが。結果が分かっていて何故食べるのか私には理解が出来ませんでした」
「……やはり毒なのでは?」
私は手元にある果実を見ながらゴクリと喉を鳴らした。
なんて罪深い物を送ってきたのですかツカサ殿。彼からの贈り物ならば食べないという選択肢は無いのだけど、それはそれとして勇気が必要だ。
「ああ、アルス殿ありがとう。本当に感謝するよ」
「いえいえ。ついでだから良いのですよ。それより、ツカサくんにお返事を書きたくありませんか?」
「え。そりゃ書きたいけれど」
この女は彼が何処に居るのか知っているのだろうか。意外な言葉に驚いていると、アルス殿は代わりに教えて貰いたい事があると言った。
金色の瞳はギラギラと太陽の様に輝いている。そして餓えた獣の様な顔で一つの名前を口にする。その名前にシエル様はピクリと眉を動かした。




