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181 痛くはしないから



 あふと、欠伸を噛み殺しながら薪を火にくべた。

 落ちていた枝を拾ったものなので、やや湿気っていたか。煙が上がるばかりで火が移るのに難儀したが、やがて木はボウと朱を纏う。


 俺はその様子をぼんやりと眺めながら、気づけば両手を炎にかざしていた。

 べつに寒いというわけではないのだけど、焚火を見るとついついやってしまうのよねこれ。


「さてー」


 どのくらいそうしていたか。んーと伸びをし意識が覚醒してきた所で置き土産に手を出す事にした。焚火の前にはこれを飲んで目を覚ませとばかりに、青汁が並々と注がれたカップが置いてあるのである。


(おお、飲むんかそれ)


「流石に捨てるのは忍びない」


 覚悟を決め幾分と冷めたそれをぐいと煽る。

 おや。意外と悪くない。生姜をベースに蜂蜜で味付けをした様である。使っている薬草はミント系なのだろうか。青臭さの中に若干爽やかさがあった。


(どうじゃ)


「ああ。うん。まぁ普通」


(一番反応に困るやつよな。カカカ)


 このイグニス汁はエーニイちゃんに酔い止めとして飲ませたものの余りである。

 冒険初日。前半に張り切りすぎたのか詩人は午後には体調を崩してしまったのだ。


 まあ理由は色々あるだろう。華奢な少女は見かけの通りに体力も少なそうであるし、緊張による気疲れもあったのかも知れない。そもそもに昨日の夜にちゃんと寝れたかどうかも怪しいと魔女は語っていた。


 なので無理して進む必要もないだろうと、今日はもう足を止め、道端で野営の準備をした。エーニイちゃんを介抱しつつ夕飯を食べ、俺は先に仮眠をとって。火の番をしていたイグニスにそろそろ交代と言われたのがついさっきの話だ。


 今は一体何時頃なのだろうか。周囲はすっかり闇に飲まれ、月明かりが風景の輪郭だけを仄かに映し出す。ときたまヒュウと頬を撫でる風は、夏の夜だけに心地良いのだが、手当たり次第に葉も草も揺らすもので、影が踊るたびに心の中までざわついた。


「……あの」


「おわー!? びっくりしたー!!」


「わーごめんなさいごめんなさい!!」


 突然に後ろから声を掛けられて猫の様に飛び上がってしまった。

 振り向くと毛布を肩に掛けたエーニイちゃんが何度も何度も頭を下げていて、まるで鹿威しのようだなと思う。


「起きたんだね。体調の方はどう?」


「はい。お陰様でもう何ともないのですが、寝付けなくて」


 早くに寝たから夜に目が冴えてしまったのだろう。

 何か食べるかと聞いたところ、ぶんぶんと首を横にふるので、ならば飲み物でも飲みなよと隣に座るように勧めた。牛乳がまだあるのでホットミルクでも作ってあげようか。蜂蜜たっぷりで。


「…………」


「…………」


(なにか喋れよ)


 そうは言っても初対面の女の子と二人きりで何話せばいいんだよジグー。

 こういう時イグニスならば無言でも苦ではないし、適当に質問をすれば知識を垂れ流してくれるので、とても楽なのだけれどな。


「ええと。今日1日、どうだったかな?」


 やはりエーニイちゃんも無言は居心地が悪かったのか。語り掛けると若干に仏頂面は解け、小さな声でそうですねと返事があった。俺は薪を足し、炎を眺めながら詩人の言葉に耳を澄ます。


「お二人のお陰で新鮮な体験が出来たと思っています」


「へえ、てっきり疲れたって言うかと思った」


「疲れはしたのですけどね。大変だった事も含めて、です」


 俺の護衛のお陰で外を自由に駆けられた事、ましてテントを張り野営が出来るなんて思いもしなかったと。


 まあ馬車での移動だと荷車で寝れるのでテントで寝る必要は無いだろうしね。

 確かに新しい体験というのは苦労含めて楽しいものである。ふむふむと頷いてると、ホットミルクにフーフーと息を吹きかけながらちびちびと飲む詩人は続けた。


「イグニス様は聞いていた通りに、とても素晴らしい方ですね」


「やっぱりまだ疲れているみたいだね」


「ふぇ?」


 あの魔女が一体どこで好感度を上げたのかと思ったが、付いてくるだけでは冒険ではないと叱った事の様だ。大事なのは何処に行くかでは無いと諭されたのが効いたようで、ただの同行者として付いて来たのならば、今の満足感は得られなかったのだろうとエーニイちゃんは言う。


「あのお言葉で、私の冒険なのだという自覚が持てました」


「ああ」


 ふいにラウトゥーラの森での、息を切らせ汗を滴らせる魔女の横顔を思い出した。

 うん。あいつはそういう所、真面目だよね。


「……今更なのですが、お二人は一体どういう関係なのでしょうか?」


「え? 友達だけど」


「今物凄く優しい眼差しをしていらっしゃいました!!」


「気のせいではないでしょうか!?」


 先ほどまでの人見知りな対応は何処へやら。詩人はキュピーンと目を輝かせ、矢継ぎ早に質問を繰り出してきた。グイグイ来る。この子意外とグイグイ来るよ!


 なお口から護衛とお嬢様のイケナイ関係という不穏なワードが漏れ出していて、俺は先生の次回作が怖くなった。


「こ、怖かった」


(カカカ。それはお前さんに後ろめたい気持ちがあるからじゃの)


 まぁこの子にはヘグル山での事は絶対に知られたくないよね。

 エーニイちゃんは気持ちが昂ったのか寝る事などすっかり忘れたようだ。紙とペンを求めて鞄をガサゴソと漁っていて。


(それよりもお前さん)


「うん」


 暗がりの中、何処だ何処だと道具を探すネコ型ロボットの様な少女の背に向かい、俺はガバリと抱き着いた。きゃっと短い悲鳴が上がるが、声が漏れない様に左手で少女の口を塞ぐ。


「痛くはしないから静かにしてて」


 その台詞を言った瞬間、何故だか少女は一層に腕の中で藻掻き、むーむーと必死に声を出そうとしていた。だが俺もそれどころではない。


「人間?」


(いや獣だ。数は3匹か)


 シュトラオスが商人に相棒と呼ばれる所以(ゆえん)は、何も移動手段としてだけではない。視力が良く繊細な魔獣なので、外敵の接近に敏感なのである。


 最初はジグが反応し、寝ていた二羽の駝鳥が突然に首を振り周囲を警戒し始めた。それを見て俺も危険が迫っていると判断する。


 茂みからガサリと音がして、突如に影がボコへと襲い掛かった。

 暗がりで生物の判別こそ付かないが四足獣だろう。ガルルと唸る声と必死に飛べない羽をばたつかせる愛鳥の悲鳴が聞こえる。


「そこだ!」


 俺はさせるかと、即座に虚無から黒剣を引き抜き投擲した。

 闇に紛れる黒い刃は手元から離れると軌道の把握すら困難だったが、キャインと空中で落ちる獣を見て迎撃の成功を知る。


「野犬かな」


(群れだと言ったろうが!)


 ジグルベインの叱咤でまだ終わっていない事を悟る。

 残りは何処だ。そう考えた時には俺のすぐ脇で、二匹の犬が大口を開いて待ち受けていた。


 一匹は蹴りで吹き飛ばす。けれど剣は手放したばかり。そして腕の中には少女が一人。 くそと命の代わりに右腕を差し出して、魔獣はそれでは遠慮なくと思い切りに腕に牙を突き立てた。


 血が噴き出し激しい痛みが襲うが、幸いに腕はまだ付いている。ギリギリで纏が間に合ったのだ。やられたと感じる。先ほどの襲撃は俺達に近づく為の囮なのだろう。コイツ等ちゃんと狩りをしているのだ。人間なのに知恵比べで負けた気分である。


「でも暴力じゃ負けねえぞ」


 犬は頭を振りなんとか肉を千切ろうとする。その度に牙が食い込み猛烈に痛む。

 だからどうしたと、俺は腕を振りかぶった。おお、流石の咬合力だ。犬は手足が浮こうと食らいついた獲物を放さなくて。


 ならばそのまま食い付いていろと、腕を地面に向かって振り下ろした。ゴギュリと鈍い音が響き、噛む力を失った顎はようやっとに俺の右腕を解放してくれた。にぎにぎと指を動かす。痛むがなんとか動作に支障は無い。ならばとゾルゾルと黒剣を握り直す。


「見ないほうが良いよ」


 エーニイちゃんの顔を胸で抑え込む。獣は何を思うか月に吼え、しかし逃げる事無く俺に牙を剥いた。ガアと勢いよく飛び出す野犬。最後に焚火に照らされ、ようやく顔を拝み。悪く思うなよと暴力を振るう。

 

「うう……ひっぐ……こ、怖かったよう」


「こういう時の護衛だから安心してね」


 泣き止む様によしよしと声をかけ続けるのだが、エーニイちゃんは俺にしがみつて放してくれなかった。こういう事態。魔獣に襲われる事を、心配はしていても想定はしていなかったのだろう。

 

 ぶっちゃけ運が悪かったとしか言いようが無い。

 魔獣も動物だけに夜行性が多く、むしろこういう事態に備えて火の番を立てているのだ。


 俺としては目立つ大きさで良かったと思うくらいである。小型の獣や虫では見落としてしまう危険があるからだ。危険を感じたらお互いに声を出して叫ぶ事を徹底しているが、寝ているイグニスに危害を加えられたら堪らない。


「大丈夫。ちゃんと俺が守るからさ」


「ぐす……はい」


(たぶんお前さんも悪いぞ?)


 何故だ。ちゃんと守ったのに。

 ともあれ普通の女の子が魔獣に襲われスプラッタな光景を見ては怖がるのも無理は無い。

 死体の処理も後回しに一緒に火の傍に座って、まずはエーニイちゃんの心が落ち着くの待った。


「明日も移動があるから休んだ方が良いとは思うんだけど……寝れそう?」


「むりだよぅ」

 

 だよねー。




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