177 お使い終了
「そもそもお酒というのはね。強ければ美味しいわけでもないし、寝かせれば美味しくなるというわけでも無いんだよ」
「へぇそうなの」
「そうなんだよ。糖が発酵して出来るのが酒精なんだ。つまり酒精が強くなるほどに甘みは失われていくという事だね。だからお酒というのはその二つを如何に両立させるかが肝なのさ」
イグニスちゃん16歳が酒の薀蓄を垂れ流す。
平常運転の様に思えるがこれは酔っぱらっているのだ。なにせ少女が赤い瞳を向ける先は、俺たちの取ってきた魔王殺しをパクリと食べてバタリと逝ったドワーフである。
「フォルジュさん大丈夫かな」
(興味無い。それより儂にもルコールをだな)
「ジグはもう食べちゃだめ」
(なんと殺生な)
俺たちはルコールを収穫した後、もうこの山に用事は無いと、すたこらさっさと移動した。大変だった。俺は泥酔したイグニスを背に乗せて頑張ってへグル湿原を抜けたのである。
冬山から一転し、三日ぶりに味わう夏の夜空はなんとも暖かく感じたものだ。
今回はまだ人里から近い場所への冒険だったというのに、帰って来ればずいぶんと遠くに行っていた様に感じるのだから不思議だった。
「聞いてるのかツカサー!」
「大丈夫。ちゃんと聞いてるよイグニス」
要するに人の執念は凄いという話だ。
手に持つ焼き物の酒器を見る。なんとなく焼き物で飲むお酒といったら日本酒が思いつくけれど中身は果実酒である。これもまた乙だろう。
今飲んでいるのはルコールで作られたお酒だ。
このリーリャに帰ってくる前に、ハインセに寄って貴重品を取ってきた。その時コメロさんにお土産ですと魔王殺しを渡したら返礼にくれたんだよね。
(うまいんか、それ)
「めっちゃ美味い」
(いいなー! ルコール酒いいなー!)
魔王殺し。もとい長期熟成のルコールは、確かに破滅的なアルコール度数であった。
でも味はと言うと首を捻るところだ。果実そのものだけに濃厚ではあったのだけど、今思えば甘みは少なく酸っぱさが際立っていた様に感じる。飲み辛いしね。
だがこのルコール酒はどうか。ワインよりはだいぶ強そうだが、飲み口はなんともまろやかだ。鼻に抜ける果実の風味はむしろ果実よりも鮮明で、切れの良い酸味は喉を通ると舌に上品な甘みだけを残した。個人的には文句無しに美酒である。
「なんか、わざわざ探しに行ったのが馬鹿らしく思えるな」
お酒とはイグニスが言う様に、人が美味しく飲む為に創意工夫を凝らした一品なのだろう。ルコールの果実もけして不味くはないのだが、お酒を飲んだ後ではコメロさんの言っていた酔える果実という発言の意味が良く分かった。
「んな事はない! 強い酒、しかも名前が魔王殺し! 浪漫じゃないか!」
「そうだー! 嬢ちゃん良く言ったー!!」
ルコールを食べてぶっ倒れていたドワーフがガバリと起きた。
今のところ魔王殺しはジグルベインを除いて食べた全員が倒れている。もう俺には酒ではなく毒の様に思えてきた。
ちなみに今はイグニスも魔王殺しをキメている。倒れていないのは身体強化を使いアルコールの分解を早めているお陰だ。学習したと言えば聞こえは良いが、俺としてはそこまでするなと言いたい。
「いやー不覚だぜ。まさかこの俺がたった一口で倒れるとはよ。魔王殺し。最高の手土産だ」
「大丈夫ですか? まずは味見と言って倒れたから驚きましたよ」
「そうだそうだ。約束の物を持ってきたんだから約束の物を出しなさい。倒れるのはその後だ」
ドワーフは魔女の非道な言い分をガハハと笑い飛ばし、そいつはすまなかったと、机の上にドンと布に包まれた塊を置く。さあ受け取ってくれと、ハラリと解かれた包みから出てきた金属に、俺は思わずへえと声が出てしまった。
「凄い。これが魔法銀なんですか?」
「おうよ。銀細工を見る事はあっても、塊で見る事はまず無いだろう。一応門外不出だから内密に頼むぜ」
魔法銀は成形され煉瓦の様に四角い恰好になっていた。
やはり目を惹くのはその美しさだ。一点の曇り無く、まるで全面が鏡の様にピカピカなのだ。
照明の蝋燭の炎が揺らめくたびに怪しく輝き、金属特有の艶がなんとも魅力的だった。
あるいは銀とて磨けばこの輝きを放つのだろう。
だが俺は知っている。というか日常的に銀貨に触れる世界だ。普通は丁寧に扱わなければこの輝きを維持する事は到底出来ない。
「うん。魔法銀、確かに譲り受けた。というか今更だけど加工費は要らないのか?」
「本当に今更だな。わざわざ俺の為に冒険に行ってくれたんだ、金なんて取れるかよ」
「フォルジュさんの為だけじゃないんだけどね」
「しっ、うるさいぞツカサ」
思えば始まりはイグニスの金策だった。今ならば魔法銀という素材が高く売れるだろうと読んで、それを生成出来るドワーフを訪ねたのだ。
そしたらなんと、魔王殺しという酒が飲みたいと言い出すもので、俺たちは急遽その正体であるルコールの果実を求めて冒険に出た。なんとも遠回りをしたものである。
「あー。もしかして時間を無駄にして怒っているかい?」
「いや。楽しかったよ。魔王の爪痕も見れたしね」
「よしよし。今日はお前らの冒険譚を肴に宴会と行こう!ちょっくらツマミ持ってくるわ!」
(いーなー!!)
その日は遅くまでドワーフの酒に付き合い、へグル山での思い出話に花を咲かせた。
フォルジュさんも元冒険者とは言え、町から町へと移動するくらいで、俺たちの様な冒険はした事がないらしい。特異な環境や魔獣の話になると小気味いいリアクションが返ってくるもので、俺も魔女もついつい口を軽くし酒を進ませるのだった。
◆
「うえっぷ。昨日はついつい飲みすぎた」
(カカカ。流石はドワーフ。良い飲みっぷりであったな)
気が付くと朝であった。そして宿であった。
俺は床に倒れこんでいて、お嬢様は気持ち良さそうにベットに横たわっている。この野郎。
「起きたかい。じゃあまあ、ゆっくり準備して、昼くらいには町を出ようか」
「んーりょうかい。次はどこ行くんだっけ?」
「ここから更に東に直進した場所。花の都、フラウアだ」
進路はやっと軌道に戻り、予定の通り国境へと向かう事になる。そこは外国が近いだけあり、輸入品などで賑わっている町らしかった。イグニスは元からこの町で魔法銀を金に換える算段だったようで、昨日手に入れたピカピカの金属を不気味な笑顔で眺めている。
「あ、そうだ。余ったルコールどうしよっか」
「んー私は少し実家に送りたいかな。君も手紙でも添えて誰かに送ったらどうだい」
「あーいいねそれ!」
(それを手放すなんてとんでもない!)
ジグが何か言っているが、手付かずの木から採取出来たので数は沢山あるのだ。
コメロさんやフォルジュさんに分けたにも関わらず俺たちの手元には10個以上の魔王殺しがあった。腐らないしゆっくり食べてもいいのだが、一個消費するのも気合が必要なのである。
誰に送ろうかなと、ソフトボールくらいの果実を弄びながら考える。
アトミスさんには送りたい。あの人には屋敷の使用人含め大変お世話になったからだ。後はシャルラさん達だろうか。
「待てよ。これ喜んでくれるのだろうか」
「死人が出なければ笑い話で済むだろうさ」
「出ないとも言い切れないのがコイツの怖いところだよ」
今回のルコールは推定320度。酒が弱い人は勿論、強い人でも倒れる一品。ついでに火気厳禁だ。うん。なんかこれを送りつけるのはテロ行為の様に思えてきた。
「ん。そういえば、荷物ってどうやって送るんだろう」
まさか異世界に黒猫は無いよなあと考えていると、イグニスは方法は幾らでもあると言ってきた。
町を移動する商人に預けたり、ハンターに依頼をする場合もあるようだ。
そこで名前の挙がらない冒険者稼業の信用の無さだが、やはり商人だろうと着服する人はするらしい。
「後は貴族なら家の使用人や下級貴族を使う事が多いかな。こっちはほぼ確実だ」
「ほほう」
男爵などの爵位の低い貴族はお金を持っていないらしい。なのに茶会などでしょっちゅう呼び出されるから、方向さえ合えば移動のついでに金を稼げる配達は人気の様だ。貴族といっても世知辛いんだね。
「よし。ならまずセトに向かおう。近いしよく考えたらこの町で買うより安いや」
「あー。そういえばこの町物価が高いんだっけ」
じゃあ準備しますかと、バッグに荷物を詰め込んでいるところで、コツンと床に転がる物に手が当たった。それは昨日フォルジュさんに貰った銅製のマグカップだ。俺はそれをニンマリと眺めながら大切にしまう。さあ、次の町だ。




