175 ルコール実食
その谷は凍り付いていた。小川はせせらぎを忘れ、滝は飛沫の一つまでもが彫刻の様に止まっている。
まるで時が止まった様に感じるが、こんな凍てつく世界でも時を刻むものはあった。
氷柱だ。昼に溶けて夜に固まる。そのサイクルを何日繰り返したのか。谷から見上げる山は一面に氷の柱が立ち並んでいて、なんとも歴史を感じる光景である。
「ドッカーン!」
だがその歴史は今日終わった。
水の一滴により長く太く育ってきた氷柱は、赤い魔女の放った魔法により、ばしゃりと溶けて消え去った。これぞまさに水の泡。
まあそんな事はどうでもいい。これでイグニスが熱魔法を放つのは三度目だった。
熊との戦闘でも魔法を大盤振る舞いしていた魔女は、流石に魔力がキツイのか息をゼイゼイと荒げている。
「大丈夫?」
「……一応。でも出来ればこれで最後にしたい」
地面にへたり込み、若干弱音が出てきた少女の背中をよしよしと撫でる。
熱が届く半径はおよそ50メートル程。捜索範囲が山だからとはいえ結構規模の大きな魔法である。それは辛いだろう。
余談だが、魔力の行使は筋肉を使うのと変わらない。規模や威力が大きいという事は即ち負荷が大きいという事であり、分かりやすく言えば魔力という力を以て100キロくらいの重りをフンガと持ち上げたと思ってもらえればいい。
「頑張ったねイグニス。日も傾いて来たし、たぶんこの場所を探してお仕舞いかな」
「面目ない」
(むう。残念であるのう)
俺たちはそうして溶けた氷の中に足を踏み入れた。
氷の無くなった山は色を取り戻し、木々が青々と茂る。季節は夏なのだからこれが正常なこの場所の景色なのだろう。
土は雪解け水でぬかるんでいる。だがそんな事は気にも留めず、ルコールどこだよ出ておいでと、木々を虱潰しに見て回った。
そして見つけたのは、ルコールの木では無いのだけど、洞窟だった。
いや、洞窟になるのだろうか。ともかく、人の入れそうな空間が氷塊に出来ているのである。
「なあジグ。これどう思う?」
(カカカ。そんなもん進んでみるしかなかろうよ)
「だよねえ。俺もそう思う!」
恐らくこの辺は氷が降ったり風で流れてきたりと貯まりやすい場所なのではないか。
山と見間違う程にすっかり埋もれていた場所なのだが、どうやら魔女の魔法で入口が覗いたようだ。
「俺ちょっと見てくるよ」
「あ、待ちなさい。私も行くって」
中はまるで氷で出来た鍾乳洞だった。
天井の氷は分厚くも日を透かしていて、キラキラと反射するせいか意外と明るい。
そんな横穴を支えているのは、氷柱と木である。
やはりここは森だったのだと思う。恐らく山から大量の氷柱や氷が雪崩の様に降ってきて埋もれたのだろう。
「面白いのは、それでも木が耐えてしまった事だね」
イグニスが周囲をキョロキョロと見渡し言う。同意だ。
普通ならばこんな空間が生まれる事は無かったはずなのだ。でも、氷を受けとめる木々が元から凍っていたらどうだろうか。
枝がしならず、葉が受け止め、氷柱が支える。凍れる森の木は、テントの支柱の役割を見事に果たし、氷という天幕で森を覆ったのである。相変わらず自然という奴は面白い事をするものだ。
「ねえ、この木」
「ああ。ああ!」
一か所だけやけに開けていて薄暗い場所だった。
それもそのはず、茸のように大きく傘を開く樹木が空間を陣取っていたのである。
その木の特徴は正に探し求めているルコールの木であり、おや?と思い、徐に上を向いた。枝にはまるで夜空を彩る星の様に、熟れて黄色い果実が実っていた。
(おお、この色艶見間違うはずもない。昔見た物にも劣らんぞ)
「「ルコールだー!!」」
へグル山に入り三日。寒さに震えながら夜を明かした甲斐もあり、俺たちは無事にルコールを発見する。
◆
へへへ。せっかく目的の物。それも食材を手に入れたのだから早速実食だ。
普通のルコールはハインセの町で食べさせて貰ったが、長期熟成のルコールのお味はさてさて如何に。
(じゃあジグ、取るのは頼んだ)
「応。任されたわ」
一口目はジグルベインに譲る事にした。ずっと楽しみにしていた様だし、味覚も共有しているので俺としては問題が無いのである。
魔力を分け与え交代をすると、ジグはピョンと一目散に果実に向かって跳ねた。
結構高い木なのだが、流石に余裕で届いてみせるジグ。上空で黒剣をゾルゾルと引き抜いて、枝ごとバサリと切って見せる。
「ほれ赤いの。お前の分じゃ」
「へぇ。ちゃんと私にも分けてくれんだな」
「カカカ! 儂はそんなみみっちい事はせん」
それではと、ジグは改めて手に持つルコールに視線を落とし、舌を舐めずる。
実の大きさはソフトボール程度。皮の感触はツルツルでやはり硬いゴムの様だが、心なしか前のよりも皮が張っている印象を受けた。
(あれ、皮剥かないの?)
「うむ。こいつは丸かじりが一番よ」
「なるほど、じゃあ私も」
あーんと大口を開けて、ジグルベインはいよいよに果実に齧り付く。
やや歯切れの悪い硬い皮。しかしそれを超えると、ブジュリと柔らかく瑞々しい実へと歯が届く。
柔らかい。だが驚くのはなんといっても水分量だ。まるで水を吸ったスポンジでも噛み潰した様にどこまでも果汁が溢れてくるのである。
そしてその果汁だが、まったりと濃厚で、アルコールを含むせいかどこか熱く、そして酸っぱい。まさに上質な果実酒だ。味はまるで梅の様に爽やかな。それでいて、酸っぱさの中に果実の風味が微かにある感じだ。
(ぬおおお!?)
異変はジグがルコールをゴクリと嚥下した瞬間に訪れた。
喉が焼ける様に熱く、そして痛い。まるでマグマでも飲み込んだ心地で、どれ程かと言えば、ルコールが辿る食道から胃への道のりを把握出来る程だ。
「くんぬおー。やはり効くのー!!」
なんだこれは。なんだこれは。
熱い。痛い。もはや味なんてどうでも良くなる程に、ただ辛い。
(なんじゃこりゃー!)
「カカカ。いやさお前さん。こいつの本領は、ここからよ」
(え?)
突如に視界がぐにゃりと歪み、ジグルベインはおっとっとと慌てバランスを取る。
嘘だろう。今のたった一口でこの魔王が酔ったというのか。
いや、あり得ない話ではないのか。ルコールは十年物でアルコール度数400パーセント。ただの一口だろうがワイン何杯分になるのかと言う話だ。肝臓の処理が追いつく訳もなく、あっと言う間に脳が酒浸しになるのである。
俺はここで、ようやくドワーフの言っていた言葉を思い出す。
美味しい果実。美酒。とんでもない。この果実の別名は、魔王殺し。魔王さえも酔わす、禁断の果実ではないか。
(じ、ジグ。イグニスはどうなった!?)
「ん? おお、どれどれ」
ジグルベインがふいと視線を向けるが、隣に魔女の姿は無かった。そしてそのまま視線を下に持っていくと、氷の床に顔を真っ赤にした赤髪の少女が這いつくばっているではないか。
「くたばっとるな」
(イグニース!!)
◆
余談だが、俺は一つ恐ろしい事に気づいてしまった。
ジグもイグニスも、ここに来るまでに一言もルコールを美味しいとは言っていなかったのである。
むしろ、ハインセの町で普通のルコールを食べさせてくれたコメロさんは、酒としては美味しくないとすら断言しているのだった。
それでもこの二人が今回の冒険に乗り気だった理由は一つ。そこに強い酒があるからだという。やはりアルコールは脳に障害をもたらすのではないかと俺は本気で考えてしまった。
ともあれ、無事に長期熟成のルコールを手に入れられたし、今回の冒険はこれでお仕舞い!
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