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165 お使い



「おや、おかえり」


「うん。ただいま」


 部屋の扉をコンコンと叩くと程なくしてひょこりと魔女が顔を覗かせた。宿の受付に聞いたので帰宅は知っていたのだけどノックしたのは正解だったか。イグニスはその特徴的な赤髪をほんのり湿らせているので、きっと身体を拭いた後なのだと思う。


「なんだい泥だらけじゃないか。何してたのさ」


「冒険者ギルドに顔出してたんだよ」


 イグニスはそれだけで大体を察したのだろう。ああ、と頷きながらそれは感心だと褒めてくれた。だがいざ部屋へ入ろうとすると、露骨に顔を顰めて待ったを掛けてくる。


 まずは着替えろというのだ。さもなければ代わりに床で寝ろと脅してくるので、イグニスちゃんの寝床を汚さない為にも俺は入り口でいそいそと靴を脱ぎ捨てた。


「うん? 服の下は汚れてないんだね。むしろほんのり石鹸の香り?」


 俺はぎくりとする。部屋着に着替えただけでそこを察するとは目敏い奴である。

 泥だらけの服をタライに放り込み、後で洗濯しないとなんて思いながら、そりゃあ風呂に入ってきたからねと事実を隠しもせずに伝えた。


「……ナニソレズルイ」


「ずるくはないでしょ」


 いや、身体を拭いて済ませている人間の前だとちょっぴり罪悪感があるのは事実だ。けれど仕事のサービスだったと弁解すれば、イグニスは煮え湯を飲む様な顔で、ならばと納得をしていた。


「まぁジグが嫌がるからやっぱり普段は通えないかな」


(嫌じゃー。おっさんのショボいち●こに囲まれるのはもう嫌じゃー!!)


「言い方な」


 けれども施設自体は凄く良かったよと魔女に伝える。 

 遠慮せずに行ってくればいいと言うと、イグニスはまだ乾ききらない赤い髪をクルクルと弄びながらに「同性でも不特定多数に肌を晒すのはなぁ」と不便さや不快さとお嬢様としての貞操観念を秤に掛けて悩んでいた。


「そういえばイグニスはドワーフに会えたの?」


「それが会えなかったんだ。まさかギルドに登録してないとはね」


 今日一日無駄足だったとイグニスはバフリとベットに飛び込んで、足を子供の様にバタバタと遊ばせる。なんでも人づてに自宅までは突き止めたらしいのだけど、幾ら待てどサッパリ帰って来なかったようだ。


 空いてる椅子に腰かけた俺は、まぁそうだろうねと相槌を挟む。

 瞬間、暴れる足はピタリと止まり。どういう意味だよと赤い瞳が言葉の真意を探りに向いた。


「いや今日さ、現場でドワーフさんと一緒になったんだ。もしかしたらイグニスの探してる人だったかなって思って」


「はぁ~。まず当たりだろうね。そりゃ会えないわけだよ」


 それで、と魔女は続きを促す。そうだろう。会ったよなんて報告だけになんの価値があるのか。俺は分かってるよと頷き、明日面会の約束を取り付けた事を告げた。


「素晴らしい! ありがとうツカサ!」


 うんうん。喜んでくれてなによりである。


 手放しで喜ぶイグニスは、よっとと起き上がりベットに胡坐を組んだ。そして話題を変えて今日の夕飯は何を食べようかと、初日に買った地図を机に広げる。


 たぶん待っている間に見繕っていたのだろう。覗き込むと新たに印が増えていて、魔女はついでに流行ってる店を聞いてきたのだと緩めた表情で候補を挙げてきた。


 帰ってきたばかりなのだけど、ご飯と聞くと急にお腹は空いてくる。何が食べたいと今日の気分を聞いてくるイグニスにお腹をさすりながら肉と答えると、赤髪の少女はいいねと笑う。のだが、その後ろには赤ワインと付いていた。むしろ俺が笑ってしまった。



「帰れ」


 鰾膠(にべ)も無いというのはこの事だろう。

 翌日イグニスと二人でドワーフさんの所にお邪魔して、魔法銀が欲しいと口に出したらこの有様であった。


「そこを何とか頼むよ」


「あのな嬢ちゃん。加工した装飾品を売る事はあっても素材をただ渡すってのは職人の誇りに反する」


 俺はほーんとひげもじゃさんの言い分を聞いていた。なるほど職人に素材だけを売れというのは筋違いなのかも知れない。これはレストランに行って食材を売れという様なものだった。


(なんじゃ、えらいやる気ないのう)


「まぁイグニスの交渉だし」


 それになんというか。失礼だけど家の中に興味を惹かるのだ。

 ドワーフさんに招かれてまずびっくりしたのは天井の低さ。高さはおよそ180センチくらいか。俺で頭に拳一つ分くらいの隙間がある高さだった。


 理由を聞けば、小人は鉱山の洞窟で暮らしているから狭いほうが安心するとの事らしい。人間用の住まいなのに気づいたらこうなっていたようだ。


 そして案内された居間は鍛冶場だった。客を通すのはどうかと思うくらいに炭と鉄の匂いが染みついた埃っぽい空間である。


 日本人的な価値観で言うと、鍛冶というと刀鍛冶というイメージがあり、鍛冶場というのはどこか神聖な扱いなのだと思っていた。逆だ。小人にとってはそれこそ生活の一部。お茶を淹れるくらいの感覚で鉄を打つのではないか。


 そんな空間に居て、ついつい子供心が芽を出した。なんだか雪の積もった日に作ったかまくらを思い出すというか、ちょっとした隠れ家に迷い込んだ気分なのであった。


「ふぅん。ところで、なんで私は素材の銀塊を用意してきたと思う?」


 その持って回った言い回しに、小人はピクリと反応した。

 まさかと言った態で恐る恐るにインゴットを手にしたドワーフは、細かに見品し黙り込んだ。そして握りしめたままにとんがり帽子を深く被る少女を睨み付ける。


 少女の口元には薄ら笑いが浮かんでいる。ドワーフの職人気質な気風も考慮して対面しているのだろう。なにせ交渉の癖に金の話をせずに技術の話を持ち出したのだ。そう、イグニスは最初に言った。この銀を魔法銀に加工して貰うと。それはまるで。


「気に食わねえな。テメェはまるで作り方を知っている様な口ぶりだ」


「うふふ。どうだろうね。ドワーフの門外不出の技術だものな」


「ああ、そうとも。銀を加工してるくらいの予測は付くだろうが詳しい製法が漏れるはずは」


「貴方、サマタイの獣人と仲良くしてるそうだね。どうでもいいのだけど、あそこは良い魔石がよく採れるんだよな」


「坊主ー!! なんだコイツは!?」


 なんだと言われても魔女ですよ魔女。きっと魔法銀の加工には魔石を使うのではないか。秘匿する技術の確信を突かれた小人はもしゃもしゃと顎鬚を撫で付け、この少女をどう扱うかを考えている様であった。


「……そこまで知ってなんで自分で加工をしない」


「愚問だな。出来ればやってる。私は魔法使いだ。魔法銀を作れる程に鍛冶の腕はないよ」


 はぁーと大きく大きくため息を溢したドワーフは、左手で頭を押さえながらに指を三本立てて見せた。


「金貨30枚か?」


「いや条件だ。1つ、加工法を漏らすな。2つ、俺が作っても出所を漏らすな」


「……三つ目は?」


 イグニスが問うと、小人は何故か俺を見た。

 俺はキョロキョロと室内を見回していただけに、背筋をピンと伸ばし、「ハイなんでしょう」と対応する。


 ドワーフが皺くちゃな笑顔で胸元から首飾りを見せてくれた。冒険者ギルドのエンブレムである。そして、見覚えのあるタリスマンも一緒にぶら下がっていた。


「あ、獣人の村のお守り」


「おおよ。俺はギルドに入るのが面倒で奴らとよく取引をしてんだ。黒髪の異人に救われたと聞いてピンと来てたのさ」


 ははん。昨日から移住を勧めてくれたり、無茶なアポに付き合ったりと良くしてくれるとは思っていたのだけど、どうやら縁があったらしい。もしかしなくても本来ならば門前払いで交渉の場にすら付けなかったのではないか。


「え。で、三つ目の条件と俺が何か関係が?」


「んん。あるようで無いんだが。この物知り嬢ちゃんとあちこち旅してる冒険者ならもしやと思ってな」


 三つ目はどうやら条件というよりはお願いといった風だった。

 このドワーフが冒険者としてこの地までやってきた理由になる物らしい。


「故郷で魔王殺しって酒がこの国にあると聞いたんだが、情報すら見つからねえ。何とか手に入らんもんかね」


(おっと、流れ変わったのう!)


 そしてお使いクエスト、魔王殺しを手に入れろが発注されたのだった。



 

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