162 新たな町
まずは東を目指すのだと魔女が言い、言葉の通りに街道を進んだ。
王都とは逆の方角。初めて通る道ではあるが、まだエルツィオーネ領内なので風景にそこまで大きな差は無い。強いて言うのならば、山が前とは反対方向に見えるくらいの小さな変化だった。
けれども、手綱を握りながらこの道はどこに繋がるのだろうと考えるだけでワクワクする。次の街の様子を想像しながら、新たな出会いを密かに期待し、トテトテと駝鳥を走らせて。
「森を抜ければベルレトル領だ。リーリャという町があるからそこで補給しようか」
「ああ、やっとなんだ。りょうかい!」
ルギニアを出て四日が経った。結局エルツィオーネ領では町に寄らないまま別の領に入るようだ。まぁ最初の様に家出で飛び出したのではなく、準備も万端に積めるだけの荷物を持ってきたので物資的には余裕があるわけだが。
「ねえイグニス。そこはどんな町なの? 何か名物とかある?」
「それは着いてからのお楽しみだね」
後部から俺の腰にしがみつく意地悪魔女はそれを知ったら面白くないだろうと、薄ら笑いで囁いた。なるほど一理あると俺もジグルベインも頷く。俺はならば確認するまでとシュトラオスの走る速度を上げた。
◆
「おお! あれか」
「うん。あれだ」
エルツィオーネ領は盆地だけあり山に囲まれている。その山の間を縫うように走り辿り着いたのが、ここベルレトル領である。
リーリャという町はまだ山沿いに近いので魔獣が多いのだろう。日も高いのに影市場も開かれず、高い壁に囲まれた町だけが見えた。
「ほへー」
(うーむ。これは中々に見事であるな。とりあえず壁だけは)
近づいてみれば本当に立派な壁だった。綺麗な赤煉瓦の積まれた頑丈そうな町壁だ。
ただ、気になるのが町の形である。恐らくこの町は円形で無く半円なのだ。山を背に前に出た町の部分を煉瓦で囲っているのではないか。
「正解。理由はまぁ、入ってみれば分かるさ」
百聞は一見に如かず。さあ入ろうという魔女の後押しもあり、もはや手慣れた入門手続きをして壁の中にある町へと俺は踏み込んだ。
おお。これはまたオシャレな町である。町壁で薄っすら予感したが、建築も煉瓦を多く使った建物が多い。そして匂いが何とも独特だった。土の匂いに混じり、少し焦げ臭い匂いが漂っていて。どこからだろうと視線を彷徨わせると、町の至る所に煙突がある事に気付く。
(ほーん。なるほどのう)
多くの煉瓦。地面は赤土。そして火を焚く煙。ここまで情報があればどんな町かは瞭然である。
「焼き物。陶芸の町か!」
「ははは、半分正解」
早速に新たな町を堪能したい所ではあるが、まずは宿。これは覆らないだろうと思ったので、早く適当な宿を見つけようと魔女を急かした。
イグニスはまぁ待ちなさいと屯所の兵士に小銭を握らせる。するとホイと渡されたのは、羊皮紙にざっくりと書き込まれたこの町の地図だった。
所謂ガイドブックの様なものだろう。
地図には食事処や宿などが紋章で示されていて、文字が読めない俺でも内容をほんのりと理解する事が出来る。
「うお、これめっちゃ便利じゃん」
「だろう。大体どの町でも買えるよ。まぁ商業施設くらいしか書かれていないけどね。この赤丸で囲まれている所が人気店さ」
ぶらりと歩くのも嫌いではないけれど、こういう風に視覚化されると選ぶ楽しみというものが増えるものである。二人、いや三人で地図を覗き込みながら、昼をどこで食べようかと盛り上がり宿を目指した。
「で、イグニス。弁明は?」
魔女が私に任せろと言うので任せてみたら安宿であった。4畳くらいの部屋にベットと机が一つ。トイレは共用、風呂は無い。所持金の少なかった時代を思い出す質素な宿である。
正直まじかと思った。最近は貴族の家に上がる事が多かった為に地味に生活水準が上がっていたらしい。慣れって怖いね。野宿なら気にならないのになぁ。
「お金が! 無いんだよ!」
言わせるんじゃねぇともの凄い勢いでイグニスが逆ギレをした。
そうか。イグニスは貯金を家の為に使い果たしたのだった。でも勇者一行からのカンパは直接イグニスに渡したはずだ。仲間内の出す額としては結構な額だったと思う。そういうと、赤髪の少女は本気で分からないと言った風に首を傾げる。
「あのなぁ収入に見合った生活水準というのがあるだろ。今持っているからって、今までと同じ生活をしたらすぐに底をつくじゃないか」
なんとも身に染る言葉である。
上級貴族であるイグニスが上級貴族として振るまおうとするならば、確かに手持ちは一瞬で無くなるのだろう。それを許すのは確かに余裕のある収入が必要だ。
「でも、ベットくらいはなんとかならなかったの? というか宿代くらい俺出すよ?」
「迷惑かけてるとは思ってる。けど、貸し借りは無しで行こうよ」
赤い眼は限りなく真摯であった。
思えば立場が逆な時、イグニスは文句も言わずに安宿に泊まってくれたのだ。
金ならあるから貸してやると、一度でも上からの言葉を言っただろうか。いや、しっかり稼げと俺の尻を蹴飛ばしてくれた。
いま対等な立場で居られるのは、彼女が最初から対等な存在であると認めてくれていたからに違いないだろう。
俺としてはお金くらい受け取って欲しかった。お金を失ったのは彼女の過失ではないのだし、頼られたらそれはそれで嬉しいからだ。でも、色々な言葉を飲み込み、分かったと頷く。
「よろしい。でも、同情してくれるというならば寝台をだね」
「譲らないよ?」
「……君はこんな可愛い女の子を床に寝かせようというのか。それでも紳士か!」
「今日は良い夢見れそうだな」
「やーだー! 床やーだー!!」
まったく誇り高いのやら高くないのやら。
まぁご飯くらいはご馳走してあげようかなと、うちの駄々を捏ねる魔法使い見て思った。
◆
「ご飯おいちい?」
「……うん。おいちい」
宿にボコと荷物を置いて貴重品だけを手に食事に出た。
折角だしお勧めの料理店に入ってみようと来たのだが、これが結構な繁盛をしている店だった。如何にも庶民が利用する大衆食堂と言った雰囲気で俺は嫌いではない。
だがだ、お値段の方はほんの少し高いようだった。
他の町ならば銅貨5枚(500円)もあれば結構お腹いっぱいに食べられるのに、この町では安くても小銀貨(1000円)が取られる。
イグニスは悩みながらメニューを睨みつけた。
旅の後だから食事に妥協したくないのだろう。あれかこれかといつまでも決まらないので、俺はイグニスとシェア前提で食べ物を頼んだ。
「なんか物価が高いね」
「そりゃそうだ。ここ、正確には町じゃないんだよ」
魔女はレバーと野菜の炒め物をもしゃもしゃと口に頬張りながら語った。
俺もジグも何言ってんだコイツと思った。
「いや、ほんと。何十年か前までここは採掘場だったんだ」
イグニスの話ではこの辺の山は層の関係で赤土や黄土が取れるようだった。
粘土質の土は煉瓦などの焼き物になるし、赤土や黄土は顔料としても使えるのだとか。俺は土で色が付くと聞いてへぇと相槌を打った。
「最初から土が主要な売り物ではあったんだけどね、質の良い土だからと物好きな陶芸家達が集まって来ちゃったんだよ」
それでこの有様なのだと魔女が笑う。
町は人が集まれば町という事なのだろう。今ではこの通りに壁で囲われ立派な姿に発展した様だ。
しかし困った事に、ここは生活基盤が弱いらしい。
赤土の粘土質は陶芸に向こうと作物には向かない。結果畑は諦め食糧は輸入に頼っている様だった。高いのはその為なのだ。
「なんか、駄目な人達だな」
「ある意味合理的ではある。だって、近くに町はあるんだもん」
ああそうか。採掘場だったのならば、採掘を仕事にしている人達が帰る町があるのも当然だった。であるならばこの町は焼き物だけの町。云わば職人の住処なのだろう。
そんな事を考えながら、俺はふと疑問に思う。そこまで知っていて、何故この女は物価の高い町に寄ろうと言い出したのかだ。
「げへへ。そんなの決まっているだろう。稼ぐ為だよ」
この町にはドワーフが居るのだと、黒い笑顔で魔女が笑った。




