148 閑話 エルツィオーネ2
気付きは手紙でのやり取りだった。
ラウトゥーラの森から帰還した後、私は父に充てて手紙を出している。異常の確認と森の深部で採れた素材の報告だ。
返ってきた手紙には異常無しと父の筆跡で書かれていた。そして素材については、楽しみにしているから是非送って欲しいとの事だった。
違和感を覚える。今まで散々に素材の交換をしてきた父は、多額請求を恐れてそんな事はまず言わない。必ず「いくらだ?」「何が欲しい」と確認を怠らない人なのだ。「家族なのだしもう少し負けてくれないか?」と懇願する父に笑顔で首を横に振った結果だった。
私は思った。父は本当に手紙の出せる状況なのか? いや、手紙だけが届けられていないという状況も考えられる。どちらにせよ、勇者の凱旋祝いにも顔を出さない両親にモヤモヤしながら過ごした。
領の情報が掴めない。これは一度顔を出さなければならないか。そう考えているうちに武術大会の当日になってしまい。あろうことか、深淵は大会で暴れるだけでなく、王の首をも狙った。私は事態が最悪に向かい動いている事を理解し、ここに急いだ。
◆
「ふう。ちょと寒いな。防寒も考えないと」
目の前には波が固まっていた。上級魔法が作り出す溶岩の津波をフランが放ったのだ。私はそれを炎で凍らせる。ツカサあたりはなんだそれと怒りそうだけど、魔法ならば温度を下げる炎なんて真似も出来るのである。
今度はこちらの番だと波の陰から火炎槍を飛ばした。溶岩で出来た壁にドポンと風穴を開けて、その後ろに立つフランに向かう。相殺しようと繰り出されたのは、同じ火炎槍だった。空中で激しい衝突をする炎の槍だが、私の魔法が事もなく打ち破りフランに命中する。
「っぐ。僕が押し負ける? これだけ魔力を込めているのに?」
もう人間の身体ではない様だった。左腕を失うも瞬時に再生を果たしたフランは、普段の穏やかな人相からは想像も出来ない形相で杖を振るう。
「【高ぶる脈動に答えよ】【熱は伝播し赤く染まる】【鉄をも溶かせ壁は無い】」
知らない詠唱だ。一体なんの魔法を。思考を始めた所で、頬を風が撫でた。まずいと慌てて岩の上に避難をする。凍らせていた溶岩の波が熱を取り戻して、ばしゃんと倒れた。
熱風。それも大した温度である。立つ岩場までが瞬時に熱された鍋の様に変わり、靴底からは焦げる匂いが漂った。けれど私は無視して、えいと火砲を放つ。一直線に飛来する火柱を火壁で防ぎながら再びにフランは叫んだ。
「き、効かないのか!? 本当に人間なのかイグニス!?」
「妹に失礼だな。炎使いが熱対策を怠るか」
とりわけ私は火竜に挑む心づもりである。いずれは溶岩の中も裸足で歩ける様になるつもりだ。そんな事を考えていると、ふと火竜か、と。こんな時なのに昔の事を思い出した。
「賢者様でも火竜には勝てなかったの?」子供らしい純粋な疑問に、兄は困った様に答えた。相手は純粋な火の魔力だ。人造の火では勝てないよと。
「腹立つね。じゃあ将来私が燃やしてくるね」私が導き出した解答に、兄は優しい笑顔でそうだねと言ってくれた。
そこから魔法に没頭した私は、よく火事を起こした。
家を焼いた。森を焼いた。生意気な奴を焼いた。今思えば若干問題児だったかもしれない。
けれど、半ば見捨てていた父と違い、兄は私を根気よく諭してくれた。貴族として正しく生きなさい。魔法使いとしての矜持を持ちなさいと。
その言葉はまだ、私の中で確かな熱量を持ち、私を突き動かすのである。
隕石の様に燃える岩が飛来した。ねぇフラン。これが正しい生き方かい。魔法使いの矜持はどこに行ったんだい。間違っているだろうと、私は炎刃で両断をする。
「こんなちゃちな魔法で私を倒せるとでも? 来いよ、最強の魔法で」
あえての挑発。
強い魔法というのは準備が長いので案外実戦向きではない。だが、それを待ってやると言う。
実はもう体力がきつい。再生する相手にこのまま決定打が見込めずに戦うのは得策ではなかった。そしてフランはこれに乗ってくるという確信もある。私に勝つ為に、魔法使いとしてあの魔法を選択する事は分かりきっていた。
「そうだな。イグニス、お前に勝つならば、結局はコイツでなければいけないのだろう」
やっぱり兄妹だね私たち。負けたままを許せないのだ。フランにとっての火竜は、私だったのだ。よく分かるよ。魔法使いの矜持が、エルツォーネの血が、敵を燃やし尽くせと滾るのだろう!
「「【人よ何を思うて空を仰ぐ】」」
「「【見えるのだろう。灼熱の牙、絶望の羽音、破壊の威】」」
「「【天翔ける災いに許しも慈悲もありはしない】」」
「「【その尾が過ぎ去る後には荒野のみ】」」
「「【悔いる時間はもう過ぎた】」」
「「火炎竜王――!!」」
炎で形造られた巨大な竜が2頭生まれる。これぞエルツィオーネに伝わる秘伝魔法。圧倒的な火力の象徴だ。意思も持ち合わせない炎の塊。これが羽ばたけば最後、何も残さず燃やし尽くす。
かくして、互いに食らいあう様に竜はぶつかった。
先ほどの熱風魔法など比にもならない高温の吹き返し。あまりの巨大さに視界は炎一色に染まり、火災にでも巻き込まれた気分になる。
激しい拮抗。風がバタバタと外套を揺らし、飛ばされない様に踏ん張って。
どちらが優勢なのかも分からないまま揺れ動く赤と橙を眺めながら、必死に魔力をつぎ込んだ。
どうなったのか。強い光で眼が白む。
シパシパと瞬きをすると、視界には青が飛び込んできた。曇りのない青空だ。
はてこんな地形だったかと疑問に思うが、巨大生物が駆け抜けた様な跡を見て、全部吹き飛んだのかと一人納得した。
「イグ、ニーース!!」
それは勝ったという余韻と兄を殺めた罪悪感に、力の抜けた膝でポテリと尻餅を付いた時。急に頭上に落ちる影。慌てて上を確認すれば、ボコボコと変異する巨大な悪魔の手。
「しまった。直撃は逸れていたか」
咄嗟に展開陣を起動するも結局魔法を使う事は無かった。飛来する剣がフランを貫き、岩に縫い付けたのだ。
「どうやらギリギリ間に合ったみたいだな」
「アトミス姉さん……」
フランの呟きの通りにそこには紫髪の女が立っていた。
あまりに早い登場に私も目を剥く。アトミスとは言え流石に早すぎるだろう。時間を考えれば私とほぼ誤差の無く王都を出ている計算になる。
「フランこの馬鹿者。お前の計画は全部終わりだ。どうしてお前ら兄妹は人に迷惑ばかりかけるんだ」
「ははは。それは、ほら。きっと兄妹だからさ」
憑き物が落ちた様に笑う兄に、アトミスは笑うもせず刃を落とした。
右の胸。丁度霊脈の核がある場所だ。人としても悪魔としても死に、パラパラと灰の様に散る兄は、もう人間として死体を残す事も叶わなかった。
「あの、アト姉……」
「何も言うなイグニス。お前に兄殺しをさせなくて良かった。それとも王子様の登場じゃなくてご不満かな?」
「馬鹿か。それより町の様子は見てきてくれた?」
アトミスはああと頷き、両親の無事を伝えてくれた。その言葉を聞き、はぁーと何処までも続く長い溜息が出て、いよいよに力が抜ける。
結果として見れば、父はフランに対し油断はしていなかった。けれどフランは町を人質に取ったのである。火を付けて周り、破壊を尽くし、とても山に人手が割ける状態でなくしたという訳だ。いや、全く無防備にするとは思えないから少数を派遣し制圧されたと見るべきだろうか。
「取り敢えず助かったけど、どうしてこんなに到着が早いんだよ」
「ツカサくんがお前が消えたと知らせてくれた。のだが……肝心の彼はどこだ?」
どうやらツカサと一緒にやってきたらしいアトミス。
そして町で父から状況を聞いている間に、ツカサを私の助けに向かわせた様だった。道理で走ってくるわけだ。
「なら、ツカサはきっと私を救いに行ってくれているんだよ」
この戦いはまだ終わっていない。深淵の首謀者をまだ討ち取っていないのだ。
敵を止めるか私を助けるか。そんな二択を迫られて彼は敵を止める方を選んでくれたのではないか。
私の勝利を信じている。私の想いを理解してくれている。
それは大丈夫かと抱きしめられるより、余程に心を満たす選択であった。
「ちっ。そうか。彼はそういう思考をする人間か」
「何が不満なんだよ」
「いや、ラルキルド領にはすでにアルスが滞在してる。心配なのは叔父上に任せきりだったエルツィオーネ領の方だったんだよ」
「そりゃ見事な采配だね」
アルス様に加えシエルも居るのだから例え国が攻めようとラルキルドは無事だろう。
テネドール伯爵は抑えたが、王家にまで手を出した今、派閥が破れかぶれに行動するのを否定は出来なかった。
けれどこのまま深淵に事を起こされるとエルツィオーネの不手際というのは変わらない。
私はすぐに行くからねと、高い高い山を見上げた。




