リンゴの小話
天下の台所。
ではなく私の家の台所。15時少し前、おやつタイムだ。
まな板の上にリンゴが乗っている。これから包丁で8等分するところだ。
ザク、とリンゴの頭から尻へ包丁が通る。半分リンゴをうつ伏せにして更に切っていく。皮は剥がない。そういう主義だ。
8等分できたらリンゴの芯を除去する。
ここで忘れてはいけないのが種だ。これは芯から外しキープする。後で食べるのだ。
これがチョコチップみたいで意外にうまい。おすすめだ。嘘だと思うだろうがやってみると良い。
後悔すること請け合いである。
座布団に座り、皿に盛った8等分リンゴを食べる。
どれも断面にTシャツをデフォルメした記号のようなキズがあるが……。
(まあ、大丈夫だろう)
齧る。シャコッという小気味良い音をたてるリンゴ。甘酸っぱくてうまい。歯応えもよい。
10分後。
リンゴを全部平らげ、皿を洗っている時だった。
(何これ?)
着ているTシャツがリンゴ柄になっている。小さなリンゴが重なりあった柄。
元は白地に『I am biginer』という英文がプリントされていたはずだが……。
触ってみると、さらさらだ。シャツの質感は変わっていないように思える。
だが────
ペラッ。
リンゴ柄がはがれた。薄っぺらい。裏もリンゴ。
乱雑に重なりあったリンゴ柄。そこからシールみたいにリンゴをいくつでも剥がせる。
どうなっているのか怪奇だが、試しに舐めてみた。
海苔の味。味付けしてないヤツだ。
海苔は好きだ。低カロリーで飽きも来ない。ペラッと捲っては食べ捲っては食べる。
うまい。「うまいうまい」と貪欲に食べ進める。
(うぇっ、苦い)
不意に強い苦味を感じた。
口内に腐ったザリガニのような臭いが広がる。
口から出して見てみると『はずれ』と書かれていた。
(そんなのあるのかよ)
抗議したい気持ちに駆られ、食欲も失せた。
着替えようかとTシャツを脱ぐ。
脱いだが、もう一枚着ていた。
おかしい。1枚しか着ていないはずだが……。
もう一度脱いでみる。が、やはり着ている。
つまり、脱げない。無限に湧いてくるのだ。
ハサミで切ってみた。腹の方から喉の方へと。
着ている。
ガスコンロで火をつけてみた。
燃えない。
(どうすればいいんだ)
苛立ち紛れに海苔を剥がして食べる。
(苦い。はずれかよ)
ため息をつく。臭い。
呆然とする。一生これを着たままなのか。
その時Tシャツの右胸に『OFF』と書かれたリンゴがあるのが目に留まった。
(これだ! スイッチがあったのか)
やっと脱げると思い嬉々として『OFF』を押す。
バッという音を発し黒い微粒子群と化したTシャツは空中の一点に集合し、黒い8つ切りの海苔になった。
脱げなければ呪われたようなものだが、自在に着脱できるなら優れもの。海苔が無限に湧いてくるのだ。
8ツ切り海苔をテーブルの上にゆっくりと着地。
私は着替えTシャツを服が詰まった5段ボックスから取り出して着る。ひんやりしている。
すったもんだで疲れたので、その場で横になり一眠りすることにした。
数時間後。
目を覚まして時計を見る。17時半といったところか。
海苔と化したシャツを見る。
(何だあれは!?)
ライオンがいた。海苔になったシャツがなくなっている。
(こいつ、食いやがったのか? 横取りしおって!)
私はライオンを睨む。
ライオンは私と目が合うと「ガウウ」と吠え、そして人の言葉で私に尋ねた。
「俺を呼び出したのはお前か?」
私は黙って睨んでいた。
ライオンは再度同じことを尋ねたが、やはり私は答えない。
「なぜ答えぬ?」
ライオンは問うた。
私はライオンを無視し、再び横になる。
「答えよ!」ライオンは語気を強める。
だが私は泰然と答えない。
「ちぇっ」ライオンはつまらなそうに呟くと海苔になった。
(何だ、あいつがシャツ海苔だったのか)
「無視しちゃってごめんね」
海苔を横取りされたかと思って無視したことを詫びる。
その刹那────
「いいよ」と返事が聞こえた。
シャツ海苔はライオンになっていた。
こうして仲直りした私たちは親友となり、なかよく暮らし始めたのだった。