■愛瑠の後悔
モンファを救い出すXデーは明日。とはいえ、切迫した状況ではないので朝食はゆったりと摂ることにした。
「ハルナオさん。口汚れてますよ」
隣に座っている亜琉弓がまるで長年連れ添った女房のように自然に、俺の口元をナプキンで拭いてくる。いつも世話を焼いてくれる舞彩が今日はいないのだからと、代わりに彼女がその役目をしているのだ。
別に俺が頼んだわけじゃないんだけどな。
そんな俺たちを向かいに座る愛瑠がさっきからじーっと眺めていた。
「どうした? 愛瑠」
「アヤシイです」
「なにがだよ?」
「二人の仲です」
「亜琉弓は最初っから俺に懐いていたぞ」
「ベタベタし過ぎです」
やはり愛瑠は昨日の事に気付いているようだ。
「そ、それはここのところ舞彩がいないし」
彼女は臨安で諜報員兼工作員として活動してくれている。
「それに、亜琉弓姉さま肌つやつやです」
「そうかぁ、もともと亜琉弓の肌は若いしなぁ」
とぼけるように俺は愛瑠から視線を逸らすと、今度は亜琉弓の方へと愛瑠は矛先を向ける。
「亜琉弓姉さま」
「な、なにかな? 愛瑠ちゃん」
亜琉弓は亜琉弓で俺のように涼しい顔でとぼけることはできなかったようだ。彼女の顔が引きつっていく。
「昨日やったんですか? ハルナオさまのチ――」
いつの間にか愛瑠の後ろにいた恵留が、その後頭部お玉で叩く。
「痛いですよ。恵留姉さま」
「あんた、朝っぱらから、はしたない言葉を吐くつもりだったでしょ?」
「だってぇー」
「愛瑠も昨日、ハルナオと夜二人っきりだったでしょ?」
「ぶー……」
恵留のその言葉に、愛瑠はふてくされたように頬を膨らませる。
「あー、恵留、そこまでにしておいてやれ。愛瑠なぁ、絵のモデルになってもらってたら途中で寝ちまったんだよ」
俺はいたたまれなくなって、つい口を挟んでしまう。
「あれ? じゃあ、自業自得じゃない。せっかく寵愛を受けられるチャンスだったのに」
恵留が目を細めながら笑うと、それにすがりつくように愛瑠が彼女に抱きつく。
「恵留姉さま、やぁめぇてぇー。メルどうして寝ちゃったんだろう? せっかくのチャンスを」
「あんたはお子ちゃまだからねぇ、愛瑠は。普段からムードとか大切にしないからそうなるんだよ。本能の赴くままじゃなくてさ、もうちょっとこう……」
恵留が呆れたようにそう言い放つ。
「しかたないじゃない、経験ないんだから」
「誰だって最初はそうだよ。だからこそ、素直にならないと」
「愛瑠、素直に発情してますけど」
またもや、ぱこんと後頭部を叩かれる愛瑠。
「あー、もう! あんたと話してるとおかしくなってくる」
恵留が匙を投げた愛瑠に、今度は亜琉弓は近づき優しく囁く。
「愛瑠ちゃんはたぶん、自分の気持ちに整理を付けた方がいいと思うよ。たぶん、ハルナオさんを好きって気持ちが先走ってしまって、それで本当の自分の気持ちがわからなくなってると思うの」
「自分の気持ち?」
「そう。ハルナオさんに本当は何を望んでいるのか? どうされたいのか?」
亜琉弓がすっかり「お姉ちゃん」してるなぁ。愛瑠からは頼りない姉と思われているだろうけど、これで少しは見方も変わるだろう。
「ハルナオさん、一時間くらいでいいんで愛瑠ちゃんお借りできますか?」
「まあ、愛瑠の役割は情報整理だけだから別に構わないけど……亜琉弓は恵留とコンビネーションの訓練やるんじゃなかったっけ?」
俺のその言葉に恵留が気を遣ったように口を挟んでくる。
「ハルナオ。あたしは大丈夫だよ。多少訓練時間がずれ込んでも構わないから」
「おまえらがいいなら、文句はないけどさ」
「じゃあ、ハルナオ。亜琉弓を愛瑠にとられちゃったから、ちょっと手伝ってよ」
そう言って、俺の腕を引っ張って格納庫へ向かう。
まあ、いいか。舞彩がいないから、亜琉弓がお姉ちゃんとしての役割を果たそうとしているんだもんな。
ここは若い二人に任せておくとしよう……って、使い方間違ってるな。
**
夕食後、明日に備えてトレーニングジムで身体を鍛える。
一朝一夕でどうにかなるものではないが、俺だってあいつらのお荷物にはなりたくない。
一通りメニューをこなしてからシャワーを浴びて、備え付けのウォーターサーバーから水を飲んでいるところで愛瑠がジムの中へと入ってきた。
「あれ? どうしたんだ? おまえもトレーニングやるのか?」
愛瑠は俺の質問には答えず、シュンとした感じで元気なく壁によりかかる。
「ハルナオさまにお話があるの」
何か思い詰めたような態度に、少し心配になる。何かあったのか?
「どうした? 悩みがあるなら相談に乗るぞ」
愛瑠は無言で首を振る。本当にどうした? 彼女らしくもない。
いつもの愛瑠なら、言いたいことは全部ぶちまけるタイプだってのに。
俺は髪の毛をタオルで拭きながら、彼女の横に並ぶ。
「用があるんじゃないのか?」
いつもの愛瑠みたいに、下ネタバンバンで来られたら余裕で躱せるのだけど、しおらしい彼女にはどうも調子が狂う。
「メルは、亜琉弓姉さまなんかよりずっとハルナオさまのことを理解してると思ってた。けど……姉さまと話しててわかったの。姉さまの方がメルなんかよりずっとハルナオさまの事を理解していた。それが悔しくて……ううん、悔しいのは変だね。それが情けなくて……少し落ち込んでたの」
「他人を理解するのは難しいよ。俺だって、おまえらのこと全部わかってるわけじゃない」
「そうじゃないの……メルは亜琉弓姉さまより早く実体化したのに、ハルナオさまのことをちゃん見てなかった」
切々と訴えるように愛瑠が涙を浮かべる。そこには背伸びをして必死に大人になりたがる少女の姿ではなく、等身大の愛瑠の発露が見られた。
彼女はさらに俺に感情をぶちまける。
「メルね。ヒーローに憧れるちっちゃい頃のハルナオさまを見て、すごく羨ましかったんだ!」
「あれは、俺の黒歴史だから、あんまりほじくり返さないで欲しいんだが」
昔の話は心の傷がチクチクと痛む。
「ハルナオさまは後悔しているかもしれないけど……でもメルが大好きなハルナオさまはあれが原点だとだと思うの。だからこそ、メルは、ハルナオさまにメルだけのヒーローになって欲しかったんだと思う」
「俺はおまえらみたいに魔法も使えないし力もないよ」
「けど、いつも的確に指示をくれる。メルたちが困ってたら、なんとかしようと助けてくれる。それに、いつだってメルたちのことを考えてくれるでしょ?」
「それは、おまえたちを生み出した責任があるからな」
「メルたちが人の道を踏み外さないように、ハルナオさまは導いてくれる」
「……」
俺、そんな宗教家みたいなことやったっけ?
「エクニル島で、メルが人をいっぱい殺そうとしたのを止めてくれたでしょ? もし、メルがほんとにおバカで、無責任に人をいっぱい殺してたら、メルはハルナオさまに嫌われていたかもしれない」
「まあ、そんなこともあったな」
今となっては笑い話になるくらいのことだ。
「メルはそんなハルナオさまに感謝してるし、大好きなの。だから、嫌われたくないの」
見上げている愛瑠の瞳はまっすぐで、とても冗談などいえる雰囲気ではなかった。俺も本音で語らないと、この子と向き合うことはできないのだろうな。
「バーカ。そんなことで愛瑠を嫌いにはならないよ。おまえがもし罪を犯したなら、俺も同罪なだけだ。一緒にその罪を償うだろうよ」
「ほんとですか?」
「ああ、本当だ。責任があるっていっただろ?」
「……保護者ってことですか?」
俺の返答に、再びシュンとなって俯いてしまう愛瑠。
「保護者ってのは適切な言葉じゃないな……今はまだパートナーって言葉の方が合ってるかもしれん」
「そりゃ、メルたちは使い魔ですからね。ハルナオさまとは契約で結ばれたパートナーのようなものです。けど、そんなビジネスライクな関係は寂しいです」
使い魔とその主人。愛瑠が俺に求める関係は、そんな血の通わないドライなものではないはずだ。
だからこそ、確認の為に彼女に問う。
「愛瑠は人間になりたいか?」
「え?」
驚いたような顔をする愛瑠。この話をするのは舞彩に続いて二人目だ。まだ完全に人間になれると決まったわけじゃないから、話さないようにしていた。けど、こいつがそんなに悩んでいるなら、一つの答えを示してやるのもいいだろう。
「もし使い魔の呪縛から解き放たれて人間になることができのなら、愛瑠はそれを望むか?」
「望むに決まってるじゃないですか! メル、大人になれるんですよね? ハルナオさまの子を孕むこともできるんですよね?」
最後の台詞はまあ、愛瑠らしくもあるか。エロさじゃなくギャグとなっているのを自覚していないところも彼女らしいな。
「ああ。だがな、同時に愛瑠の心は解き放たれて自由になる。誰かに縛られることなく他の誰かを愛することをできるんだ」
「そんな……メルがハルナオさま以外を好きになるわけないじゃないですか!」
「愛瑠。悲しいけど、人間ってのはそういうものなんだよ」
「ハルナオさまも……そうなんですか? 心変わりして、いずれ愛瑠のことも嫌いになるかもしれないんですか?」
「俺は……人間の女性への恋心ってのに慣れてないし、今まで愛でるのは一方向のみだったから」
俺が愛情を費やしていたのは二次元の美少女たち。そこから愛情が返ってくることなんて想定していない。
「ごめんなさい……ハルナオさまもお悩みになっているのに」
愛瑠が再び下を向く。しおらしい彼女は、やはり調子が狂ってしまう。俺が望むのは軽口が叩けるような関係。
でも、そうやって愛瑠との関係をごまかしていたからこそ、ここまで彼女を追い詰めてしまったのかもしれない。
彼女ときちんと向き合わなかった俺のせいでもある。
「まあ、あれだ。俺は誰かを愛するってことに不器用で、どうそれを表現したらいいのかもわからない若葉マークだ。未来のことはわからないけど、今の俺は愛瑠を大切に想っている」
「愛瑠を愛してます?」
普段の愛瑠ならスルーするような言葉。けど、今は言葉の重みが違う。だからこそ、俺が真摯に答えなければならない。
「ああ、愛してるよ」
いつもの愛瑠だったら、嬉しくて抱きついてくるのだろう。が、今は口元をそっと緩めて右手を胸におき、穏やかな顔で俺を見上げながらこう言った。
「メルは、あなたの心が冷めるまで、あなたの側にいることをお約束いたします。それはメルが人間になれたとしても同様です」
「どうしたんだよ? おまえらしくもない言い方だな」
「だって……メルが『愛してます』って言っても、ハルナオさまには全然伝わらないから……」
「伝わってはいるんだけど……まあ、ちょっとスルーし過ぎてたな」
反省の意味で彼女の頭に手を乗せて髪を撫でてやる。
「頭ナデナデしてくれるのは嬉しいんですけど、あんまり子供扱いされていると愛瑠も傷つくって知ってました?」
「あ、わるい。そんなつもりじゃ」
思わず手を離してしまう。
愛瑠が首をふって「いいんです。悪意がないのはわかってますから」とつぶやいた。そして、再び俺を見上げる。
「メルはあなたを愛しています。ハルナオさまもメルを愛しています。心では繋がっているのはわかりました……だからその、メルともきちんと繋がって下さい。メルは不安なんです。ハルナオさまとの繋がりはとてもとても細い糸のようで、いつそれがプツリと切れてしまわないかと……」
俺もそこまで鈍感ではない。彼女が何を言いたいのかはわかっている。彼女が求めるのは身体の繋がり。愛瑠は最初っからブレずに一貫して俺との関係を求めてきたではないか。
俺は彼女を横にして仰向けに抱き上げる。いわゆる『お姫さま抱っこ」だ。
「きゃ」
小さく悲鳴を上げた愛瑠が、すぐにその意図に気付き頬を染める。
「おまえ、やっぱ軽いな」
「軽くても、小さくても、あなたへの愛の重さは変わりません」
「誰が上手いこと言えと。というか、それ逆効果だぞ」
重い愛はちょっとキツいぞ。
「もー、せっかくメル頑張って考えてきた言葉なのに」
「まー、重くてもいいよ。おまえのこと全部受け止めるから」
「ロリコンって後ろ指さされても?」
「ああ、もう覚悟ができてる」
愛瑠の顔が嬉しくて嬉しくてしょうがないように、口元をだらしなく緩めていく。そして、こう言った。
「だから、ハルナオさま。大好きです!」
次回 花嫁の救出
モンファを助けるために、ハルナオたちが動く!




