喫茶店で女装メイドしてたらアイドル幼馴染に見つかった
急に客足が増えたあの頃から、もう1ヶ月が経とうとしている。
「いらっしゃいませー」
男でありながら、メイド服を着ることにも慣れてしまっていた。
「おまたせしました」
今思えば、何であのときの自分は考えもなしに手伝うと言ってしまったのだろうか。
「お会計──円になります」
あのとき、あんなこと言わなければ。
店が落ち着いてきた頃に辞めてしまっていれば。
「ありがとうございました」
──カランカラン
「…いらっしゃいませ」
こんなことにはならなかったのに。
「……奏?」
◇◇◇
中学を卒業して進学した先は、隣の県のとある進学校。
実家を離れて生活することになった俺は、父さんの知り合いが経営するオンボロアパートで暮らし始めたのだ。
入学してまだ3ヶ月経たないくらいだが、優しく個性的なアパートの住人や、余所者の俺にも気にかけてくれる同級生たちのおかげで、この町にもあっという間に慣れてしまった。
2週に1度のペースで実家から送られてくる祖母の手紙も、一人暮らしの俺を支えてくれている。
季節はもう夏に差し掛かって、梅雨の残り香と突き刺さる日光が町行く人々の肌を湿らせているようだ。
そんな蒸し暑さの中、高校生たちが出向く先と言えば、冷房のよく効いたコンビニだったり、冷たい飲み物が頂けるカフェだったり、内に溜まる熱を冷やせる場所だろう。
さて、そんな中で俺が足繁く通っている避暑地は、ここ『喫茶ストロベリー』だ。その名が示す通り、"いちご"に対して並々ならぬこだわりを持った店主が、"いちご"をふんだんに使ったスイーツ提供する、謂わば隠れた名店なのだ。
ただ、隠れた、とあるように微妙な立地のせいで、来るお客さんは決して多くはなかったのだ。
俺や常連客の胸中には、もっといろんな人に知ってもらいたい、という気持ちと、あくまでも隠れた名店であって欲しい気持ちの、相反した2つがあったりもした。
さて、そんな『喫茶ストロベリー』の状況が変わったのは、6月が終わろうとした頃。俺は、喫茶店店主でありアパートの隣の部屋の住人である市子さんから、とある相談を受けたのだ。
「奏ちゃん。お店手伝ってくれない?」
話を聞くに、どうやら先日受けた雑誌の取材が原因だったらしい。市子さんは詳しくなかったようだが、その雑誌は割りと有名なもので、そこで『喫茶ストロベリー』は知られざる名店という事で紹介されたようだったのだ。
「いきなりでごめんね?店の様子を見てからでいいから、考えてくれない?」
その言葉に従い様子を見に行けば、確かにかなり繁盛しているようで、行列こそないものの店内は、今までではあり得ないほどの人でごった返していた。
そんな中で市子さんがたった一人、忙しなく動き回っていたのだから、俺は、思わず声をかけてしまったのだ。
「市子さん!手伝います!」
ただ、この選択が人生最大の過ちだったのだと、この時の俺は気付けなかったのだ。
◇◇◇
「あの、市子さん、これは…?」
「制服だよ。どう?いいでしょう?」
手伝い始めて3日目、制服を用意したという市子さんに渡されたのは、どこからどう見てもメイド服だった。
「俺、男なんですけど…」
「えっ」
「えっ」
「そ、そーだったの?」
おずおずと上目遣いで尋ねる市子さん。随分と可愛らしい仕草に平時ならドキドキしてしまっただろうが、衝撃の事実に気付かされた後では、全くそんな事は気にならなくなってしまっていた。
服が変われば女の子にしか見えない、とは誰が言っただろうか。昔から女の子に間違われることは度々ありはしたが、中学生になってから、特に高校入学からは間違われることもなく、いよいよ男らしくなってきたのだと喜んでいた矢先に、これである。
「ごめーん。あたし、勘違いしちゃってた?」
「…まあ、間違われることはちょいちょいありましたし、慣れてるんで大丈夫ですよ」
「そう?……でも、どうしよう。結構こだわって探したから、意外とお金使っちゃたんだよねぇ」
ん?何か雲行きが怪しくなってきたような…。
「…市子さん、凝り性ですもんね」
「うん。好きなものは妥協できないよ!だからこそ、それは無駄に出来ないんだよねぇ」
「だ、だったら、新しいバイト。女の子雇ったらどうですか?」
「あ、そういえば言ってなかったね。今度新しい子入れることになったの。でも、実はその子の分の制服も発注済みなんだよね」
それは初耳だ。二人も居れば仕事は十分回るだろう。
従って、新人に渡すという選択は無くなった。
…おかしい、いつの間にか逃げ道が狭まっている…。
「そ、そうなんですか?…だったら市子さんが着たら…」
「それは無理。だって奏ちゃんに合わせてあるからね。こないだ採寸したでしょ?」
「た、確かに…」
「サイズ的にも小さいし、何より私の分はコレ、メイド長バージョンがあるからね」
そう言って市子さんが取り出したのは、俺が手に持っているものよりも、紺色の比率が高いメイド服だった。
確かに市子さんには、俺が持っているものは合わないだろう。胸元を見れば一目瞭然である。というか、男女の違いがあるので合うはずが無いのだ。
ん、男女の違い……?……そう!男女の違いだ!
「市子さん!さすがに俺、男なんでメイド服は──」
「大丈夫!奏ちゃんなら絶対に似合う!」
「いやでも──」
「あたしの目を信じて!奏ちゃんなら大丈夫だから!」
何が大丈夫なんだろう。
市子さんには悪いけど、女装するのには抵抗があるし、ここは断って…。
「お給金も考えるよ?」
む。
「ねえ、駄目かな?」
高校生の一人暮らしにおいて、お金は重要だ。だからと言って、男としてのプライドを捨てる訳には…。
「…ごめんね。無理させるつもりじゃなかったの。迷惑かけちゃったね。」
「市子さん…」
暗い顔で俯いてしまった市子さんは、俺にそう言って、暫く黙った後、再び顔を上げ弱々しく笑ってみせた。
「あたしね、嬉しかったの。…いっぱいお客さんに来てもらって。奏ちゃんが手伝ってくれて。…夢に近付けたんだ、って」
一つ一つ、確かめるように言葉を紡いでいく市子さんの姿に、胸が締め付けられる。
「メイド服もね、ホントは夢だったんだぁ。昔見た映画みたいに、可愛いメイドさんに、あたしもなれたらなって」
何かに憧れる少女のような顔を見て、俺は、今までの言葉を恥じた。
「だから、ごめんね?メイドさんになるのも、一緒に働きたいのも夢だったから、奏ちゃんに押し付けちゃってたみたい。……迷惑だったよね」
こんなの駄目だ。男として女性にこんなの顔をさせては駄目だ!
「迷惑なんかじゃありません!」
「え…」
「素敵な夢じゃないですか!ここまで来て諦めるなんて勿体ないですよ!」
「!奏ちゃん…」
そうだ!俺が市子さんの足枷になってはいけないんだ!
「応援させてください!市子さんの夢、手伝わせてください!」
「…!ありがとう!奏ちゃん!」
「!ぐもっ」
感極まった市子さんに抱き締められる。その凶悪な胸部装甲に挟まれてしまっては、窒息後昇天間違いなしだ。
でも、市子さんがこれで元気になれたなら、良かったと思う。
「よし!そうと決まれば、奏ちゃん!早速着てみよう!」
「ぷはっ……い、いきなりですか?」
そう叫んだ市子さんには、先ほどまでのシリアスな雰囲気は全く無く、嘘のように晴れ渡った表情をしていた。
「は、嵌めましたね!市子さん!」
「男に二言はないでしょ?奏ちゃん」
かくして、俺の人生の歯車が歪み始めたのだ。
◇◇◇
そんなこんなで、およそ1ヶ月の時が過ぎていた。
俺は、新しいバイトの子、千夏ちゃんと共に、市子さんから"メイド道"とやらを学びながら、メイド服を身に纏い働いていたのである。
女性としての所作が求められるメイド道、一月も学べば自分でも恐ろしく感じるほど、女性の様な振る舞いが板に付いてしまっていた。日常生活にはまだ影響は無いが、一度メイド服を着れば、条件反射的に態度が切り替わるようになっていた。
心なしか、体型も変わった気がする…。
「こんにちは!今日もエロい尻っすね、奏ちゃん先輩!」
「うひぃ!ちょ、千夏!毎度毎度止めろって言ってるだろ!」
「いいじゃないすか、奏ちゃん先輩がそんなエロい尻してるからっすよ」
会う度に俺の尻を撫でる千夏も、一月経つ間に変わってしまったのだった。いや、こいつの場合、隠してた本性を露にしだしたのだろう。
ちなみに、千夏も初対面の時俺のことを女だと勘違いしていた。
てか、俺の尻がエロいってなんだよ。
「あ、良かったぁ。二人とも居るね。…ちょっとお知らせがあります!」
慣れたものだと、あっという間にメイド服に袖を通した俺と千夏が居る控え室に、急いで来たのだろうか頬を上気させる市子さん。熱い息遣いに大人の魅力を感じさせる市子さんですが、1度騙された身としては、特に感じることも無くなってしまっていた。
「どうしたんすか?」
「何か今日ありましたっけ?」
そう問いかけると、市子さんはいたずらっ子のような笑みを浮かべて口を開いたのだ。
「実は今日、テレビの取材があります!」
「………え?!」
「ま、マジっすか!?どうせ、ローカルっすよね?」
「残念、千夏ちゃん!今日の取材は全国に流れるよ!」
全国に!?それはつまり、テレビを見てたら俺たちが出る可能性があるってこと?
「な、何で事前に教えてくれないんすか!」
「サプライズよ!」
「忘れてただけですよね!?それ!?」
「そうとも言うわ!」
忘れてたとは言うが、突然のことに市子さんもてんやわんやして、報告を失念してしまっていたのだろう。
とにかく準備しないと!
「取材は何時から来るんですか?」
「4時半頃って言ってた。撮影次第で前後するかもだって」
「だったら、まだ時間あるっすね。でも、もしリポーターが有名人だったら、ソレ目当てのお客さんも来るんじゃないすか?」
「確かに…、なら少し開店遅らせて、多目に仕込みをしよう。掃除は、一昨日やったから大丈夫なはずだけど、備品の点検も兼ねて確認しておこうかしら」
「なら、私がフロア見てきます。それが終わったら仕込みに入ります」
「オッケー。じゃ、千夏ちゃん先に仕込みやってて?あたしはお客さん用の案内作って、掲示してからそっちに回るよ」
「了解っす。ってか市子さん、一体誰が来るんすか?」
「え?あー、ヤバい名前忘れた。でも番組名は確か『Lightsの会議室!』とかなんとか」
「『Lights』!?人気アイドルグループじゃないっすか!」
『Lights』は、去年デビューした5人組男性アイドルグループで、アイドル界の新星として瞬く間に人気を博し、今話題沸騰中のグループである。
そんな彼らの番組『Lightsの会議室!』とは、端的に言えばメンバーがそれぞれ紹介したいものを持ち寄って、プレゼンバトルをするという番組である。
メンバー全員が地方出身というのもあって、持ち寄ってくるものも都会では見られないようなものが多く、物珍しさも相まって人気番組として知られているのだ。
「そうなの?実はあたし、よく知らないんだよね」
だから、市子さんみたいな人は珍しい方に属することになるのだ。
「よく知らないで仕事受けたんですか?」
「うん。ごめんねぇ、迷惑かけちゃった」
「いやいや、大丈夫っすよ!むしろ、感謝するっす!生で『Lights』見れるなんて、自慢話にしてもお釣りがくるっすよ!」
「ああもう、市子さん、気にしないでください。応援するって言ったんですから、任せてくださいよ」
「うぅ、ありがとう奏ちゃん千夏ちゃん。……よし!今日は頑張ろう二人とも!」
「「はい!」」
そうして、各自持ち場に向かい、今日の『喫茶ストロベリー』の営業が始まる。俺は重要なことを忘れたまま。
◇◇◇
時刻は既に4時を回って、先ほど番組のスタッフさんが市子さんと話をしているのを見て、段々と緊張感が張り詰めてきていた。
千夏の予想通り、本日のお客さんはいつにもまして多く、特に女性のお客さんの比率が圧倒的だった。
そして、未だに店内に残るお姉さま方も妙にソワソワした様子で、予約席の札が置かれたテーブルをチラチラと見ているようだった。
店内は少し前の喧騒が嘘のように落ち着いていて、店員側としては随分と楽な状況になっている。
「ねぇねぇ、奏ちゃん先輩。ずっと言おうと思ってたんだけど…」
「?」
店内の静寂に合わせて、ヒソヒソと話しかけてくる千夏。
「先輩、その格好で良かったの?」
「格好?何のこ、と……あっ」
千夏に指摘されてある重大な事実に気付いてしまった。
というのも──
「メイド服着たまんまだ……!」
メイド服着たまんま、つまり女装したままだったのである。
しまった、完全に失念してた。このまま全国放送に映ってしまっては、女装した変態だと、社会的に死んでしまう。それに、この店の看板にも泥を塗ってしまうかもしれない。
「ありがと、千夏!ちょっと着替えてくる!」
「ちょちょちょ!先輩待って下さい!今離れられるのはまずいっす!取材がいつ来るかもよく分かんないっすから、ここに居てください!」
「で、でも、さすがに女装が全国に出たら大変でしょう?だから……」
そうだ、それにもし取材に来る『Lights』のメンバーがアイツだったら、非常にまずい。
向こうはもしかしたら覚えてないかも知れないが、こっちは覚えている。高校の同級生にもまだ見せてないこの姿だから、知り合いにもし見られたら、羞恥で死んでしまう可能性すらある。
「女装…?…あぁ、そー言えばそーでしたね、先輩。大丈夫っすよ先輩!今日も可愛いっす!」
「ちょっと、ふざけてる場合じゃないのよ!?第一に、千夏も女装のこと心配してたじゃない」
「あー、違うっす。先輩の女装はもはや女装じゃないんで問題ないっす。心配してるのは、お化粧のことっすよ?今すっぴんでしょ?」
「へ?」
「せっかくテレビに出るんすから、おめかしするっすよ!」
千夏はいったい何を言っているんだ?この格好は女装じゃないとか、お化粧だとか、なんか段々混乱してきたぞ?
「よし!時間もないし、ナチュラルにサッパリいきましょう!安心してください!自分、得意っすから!」
千夏の手にはいつの間にか、可愛らしいピンク色のポーチが握られていた。どこからか現れた鏡が前に置かれ、ポーチから取り出された道具を持って千夏が近付いてくる。
そして俺は、千夏にされるがままになってしまった。
「うわー、先輩、どうやったらこんなスベスベモチモチ肌になるんすか?同じ女として妬けるっす」
「私は女じゃない…」
「またまたぁ、そんなこと言ってー。っと、ホイ完成っす。いや、我ながらいいできっすよ!」
その言葉に、改めて鏡に映る自分の顔を見ると、なんというか、より女っぽくなってしまったなという感想しか出てこなかった。
あぁ、でもアイツにはこれでばれないかも知れないな。
「何だかよく分からないけど、ありがと、千夏」
「どーいたしましてっす!」
得意気な千夏の頭を撫でながら、ひとまず礼を言っておく。
何だか視線を感じた気がしたが、気のせいにして仕事に戻る。今も丁度カップルのお客さんが席を立ったところだ。
レジカウンターの前まで来ると、彼氏さんが一歩前に出てきた、どうやらここは彼氏さん持ちらしい。
「お会計──円になります」
「あ、ああ」
甲斐性のある男性はやはりモテるのだろうか、なんて考えながらトレイにお釣りを出しおく。しかし、彼氏さんは何故か俺の顔を見ながらフリーズしていた。
「お客さま?」
「!ごめんごめん!ボーッとしてた」
慌ててお釣りを財布に入れ、店を出ていく彼氏さんと、その背中に冷ややかな視線を向けながら付いていく彼女さん。ベルを鳴らしながら閉まる扉の向こうで、彼氏さんが蹴られるのが見えた気がした。
◇◇◇
市子さんとスタッフさんが控え室から出てきた。店内も俄に騒がしくなる。店の外には白いバンが停まるのが見えた。
「いよいよっすね、先輩」
「ええ、そうね」
市子さんとスタッフさんから、今店内に居るお客さんに向けこれからの説明がなされた。
それと同時に機材を持った他のスタッフさん方が入店し、予約席の周りを整えていく。小姑が如く掃除の粗を見つけられるかと戦々恐々としていたが、問題はなかったようでひと安心だ。
「うひゃあ、何かスゴいっす」
千夏の情けない声を無視しつつ、これからの行動をシミュレーションしておく。大体の流れはスタッフさんから聞いており、俺がすることは殆ど無いと分かってはいるが、女装の件もあるし、油断することはできないのだ。
途端、悲鳴にも似た声が窓際のテーブルからあがる。
店内の雰囲気が変わる。しんとした静寂にを引き裂いて、内から熱気が沸き上がるような感覚。場を支配できる人間だけが持つことのできる才能。
俺はこの感覚を知っている。
「神谷入りまーす!」
スタッフさんの声に合わせて開かれた扉の先には、想定する最悪の人間が微笑んでいた。
壁一枚挟んでも衰えない存在感。まるで神の祝福を受けたかのように整った顔立ち。運動神経も素晴らしいだろう、彼は歌って踊れるアイドルなんだから。
そんな完璧超人な"幼馴染"がそこにいた。
◇◇◇
地元周辺のものを紹介するんだから、そりゃ来るならお前だろうな。
なんてったって、今をトキメク『Lights』のメンバー、神谷晴翔は、俺の幼馴染なんだから。
憎いまでに整った顔も、無駄に高い背も、あり得ないほどのプロポーションも変わらない、いや、確実にグレードアップした姿に無意識に舌打ちをしてしまった。
「せ、先輩…ホンモノっすよ……すげぇ」
普段お調子者な千夏でさえ、ヤツの存在感に当てられてしおらしくなっている。
アイツの、この雰囲気だけは変わってない、他者を無意識に屈服させて虜にしてしまう、悪魔の魅了の様な、天性の才能だ。
店内の彼のファンらしき女性達は、皆恋する乙女のような顔をしている。店員側の市子さんと千夏は、本当にテレビの収録に出演する緊張感の方が勝っているようで、きっと上手く動けないだろう。
予定とは違うけど、ここは俺が対応するしかないだろう。俺だって緊張してるし、アイツの前に立つのは、身バレ的にも嫌だ。
だけど、ソレ以上に『喫茶ストロベリー』として失敗する方がはるかに問題だから、四の五の言ってる場合じゃないだろう。
「市子さん。ここはまず私が対応するので、落ち着いたら後お願いします」
「か、奏ちゃん…!ごめんね。あたし、不甲斐なくて…」
「…謝らないでください。チームプレーですよ」
「っ………ありがとう。頼りにしてるよ?」
「お任せください」
導入部分の撮影が終わったのだろう。アイツはカメラに視線を向け、何か喋りながらもこちらへ歩き始めていた。
合わせて俺は入口の左手に立ちスタンバイをする。
いざ、尋常に勝負!
──カランカラン
「それじゃあ、入ってみましょう」
アイツの視線が、カメラからこちら側へ移るのと同時に、俺は鍛えた笑顔を作り口を開いた。
「いらっしゃいませ、お客さま。席にご案内いたしますね」
一息にそう言ってアイツの顔を伺う。バレてないことを祈るが、俺の顔を見て目を丸くしたアイツに、悪い予感が止まらない。
「………奏…?」
ギクゥッ!?バレてますやんか!
小声ではあったがその呟きは、正面でアイツに注意していた俺にはバッチリ聞こえていたのだ。
ただアイツも収録中なのを思い出したのか、何事も無かったかのように笑顔を作った。
「じゃあ、よろしくね」
「かしこまりました」
恭しく礼をして、席に案内する。悪いとは思うが、仕事をするということで、なぁなぁにしてしまおう。
きっとまだ確信には至ってないだろう。
案内した後は、再起動した市子さんと千夏に任せておき、収録が終了したのは5時を暫く過ぎた頃になった。
◇◇◇
「お疲れ様二人とも、今日はホントにありがとね!」
「お疲れっすー。あー緊張したー」
「お疲れ様です。スタッフさんから聞いたんですが、放送は再来週になるそうですよ」
「あ、そうなんだ……って、美少女!」
俺の方を向いて何故かフリーズする市子さん。美少女ってどういうことだ。
「市子さん、今更気付いたんすか?ふふん、見てくださいよ!この、奏ちゃん先輩を!」
「わー、収録中は緊張してて気付かなかったよ。とってもキュートだね!奏ちゃん!」
「……はぁ、二人とも私は、あ、俺は男ですよ。美少女だのキュートだの言われても、困ります。」
「あれ、そうだったっけ?」
「先輩、その格好してるとスイッチ入って、マジで分かんないっすよ」
「あぁ、そうですか……」
一応、男らしくなるってのも目標に高校進学したのにな…。
「まあまあ、今日は私からご褒美"こだわり苺の贅沢ケーキ"!良く味わって食べてね!」
「おお、いいんすか!?いただいちゃいます!」
「わぁ、今日は無駄じゃなかったんですね…」
ん、おいひぃ……。
「「……美少女…!」」
◇◇◇
打ち上げの後、市子さんの車に乗りアパートに向かう。途中、駅で千夏と別れ、市子さんと二人帰路につく。
今まで幾度と無く二人で帰ってきたが、1度もそういう目で見られたことはない。別に、そういう関係になりたいとかではないが、周囲から見ても、私服でいれば俺は女に見えるらしい。
「親子ですか?」と聞かれたときの市子さんは、何だか複雑な顔をしていた。
他愛ない話をしながら、目的のアパートが見える所まで帰ってきた。だが、駐車場には猛烈な違和感の塊が存在していた。
暫く前に見た、白のバン。
胸の中に広がる嫌な予感に、思わずため息を吐く。
「ねえ、あの車って、まさか」
「そんな訳ないじゃないですか。もう遅いですし、どっか良い宿に泊まってますって」
「だよね。誰かの親戚でも来てるのかな?」
「大森さんじゃないですか?姪っ子がこっち来てるって言ってましたし」
そんな訳はない。あの車の番号は記憶の中のものと同じだ。
まあ、きっと大丈夫だろう。アイツはたぶん幼馴染な俺に会いに来たんだ。『喫茶ストロベリー』のメイドとバレた訳ではないだろう。
そう。気負う必要はない。久し振りに幼馴染と会うだけだ。だから、この嫌な予感は気のせいなんだ。
市子さんの車から降り、部屋へと向かう。一段毎に軋む階段はまるでカウントダウンのようだ。
「それじゃ、奏ちゃん。おやすみ」
「おやすみなさい」
いよいよ、孤立無援。家主がいないはずの部屋の扉からは何故か光が漏れていた。部屋を出る前に確実にかけた鍵も開いていた。
家に盗られるような高価なものはない。こんなボロアパート何かに盗人は来ない。
意を決して、ドアノブを回す。
扉を開けた先、玄関に立っていたのは───
「おかえりなさいませ、ご主人様。……なんてね。久し振り、奏」
「あ、久し振り、晴翔……」
暫く前に見た、自信に満ち溢れた顔をする神谷晴翔。
ああぁ、完全にバレてーら。
◇◇◇
晴翔にバレたあの日から、俺の周囲は一気に騒がしくなってしまった。
晴翔宅の使用人としてスカウトされたり、芸能界からもスカウトされたり、男共の嫁としてスカウトされたり…。
果たして俺は、普通の男子高校生になれるのだろうか。
──完──