~とある世界と勇者の末路~
なぜそうなったのか、何一つ理解できなかった。
見渡す限りの、赤、赤、赤。
流された赤い血は、時間が経とうと大地ですら受け入れることはできず、
風に揺られて波紋を広げる溜まりとなっている。
原型をとどめない物言わぬ躯達は、人のものではなく、
その世界で"魔族"と呼ばれる者たち。
人類の天敵、悪魔の使い、神をも恐れぬ存在。
1000年の歴史の中で、ただ恐怖の対象として語り継がれる、
人とは決して交じり合わない者たち。
そんな魔族のたちの躯の中、"人"である男は自身の右手を眺めていた。
つい先ほどまで剣を握っていた右手。
今、目の前に広がる地獄を生み出した自身の右手。
「………なぜ、こんなことになった?」
口をついたつぶやきは、正しく男の心中を表している。
なぜこんなことになったのか、
何一つ理解できないのだ。
こうならないように手を尽くしたはずだった。
夢物語だと笑われるのも構わずに。
きれいごとと蔑まれるのもかまわずに。
ただ、がむしゃらに争いのない、
平和な世界を目指したはずだった。
そして、"それは一度は叶ったはずだったのだ"。
………なのに、自分は今、ここにいる。
争いの渦中、地獄の中心点、救いのない景色の中に。
「ここにいたんですね!」
声をかけられ顔を上げれば、
満面の笑顔を浮かべた、まだ少年と呼んでも差し支えない兵士の姿。
その顔は心底嬉しそうで、救われていて、
男はどうしようもなく胸が痛む。
ただ、それを顔に出せるほど、
男は素直でも純粋でもなかった。
「………君か。どうした。」
「どうしたじゃないですよ!戦争は終わったんです!
僕らの、"人類"の勝利ですよ!」
駆け寄り、目の前に立った少年。
その目は、尊敬の輝きに満ちていて、
それがさらに男の胸を抉る。
「これも全部、あなたの、"勇者"様のおかげです!」
嫌味でもなんでもない、純粋な感謝の言葉。
心の底から発せられたその言葉が、
あまりにも痛く、苦しい。
「そうだな………戦争は終わった。」
そう、終わったのだ。
人は天敵である魔族を討ち果たした。
文句のつけようがないハッピーエンドだ。
歴史は、これを偉業とたたえるだろう。
そして、男は"勇者"として、
永く永く、語り継がれていくことだろう。
救世の英雄、人々に希望の星として。
その生きざまは美談となって語り継がれるだろう。
わかっている。
それがわかっているから、男はあまりにも苦しく、痛い。
「………なあ、一つ聞いてもいいか。」
「はい、何でしょう?」
男は顔をあげる。
地平線まで続くのではと錯覚するほど、
一面に広がる血の海を、転がる躯を眺める。
「………この光景が、君にはどう見える?」
「どうって、勝利の証?でしょうか。
よくわかりませんが、人が魔の脅威からようやく解放された象徴のように見えます。
これから、ようやく本当の平和が訪れるんです!」
言葉にして実感し、興奮したのか、
後半は叫ぶように少年は声を張り上げる。
勝利の雄たけびのように、笑顔で。
そこには一片の邪気も悪意もなく、
心から平和な世界への期待がある。
それを見て、男はますますわからなくなった。
"どうして、こんなことになったのか。"
ただわかることは、自分が失敗したのだということ。
自分の選択が、行動が、決意が。
今を引き寄せたのだ。
ならば、きっと間違えたのだと、男はそう結論付けるしかなかった。
「………そうか、平和になるんだな。」
はい、と、笑顔の少年は大きくうなずく。
………その笑顔が間違いなのではない。
自分が間違えたのだ。
それでも、男にはもう何が正しいのかわからなかった。
だから、こうするしかないのだ。
「………なら、この平和を少しでも楽しんでほしい。
君たちが勝ち取った、この平和を。」
「何言ってるんですか!勇者様が一番この平和を楽しむべきですよ!
一番の功労者であるあなたが………。」
その言葉を、男が最後まで聞くことはなかった。
つい先ほどまで剣を握っていた右手に、
どこから現れたのか、再び剣が握られた。
その刃は、何の迷いもためらいもなく、
持ち主の首をきれいに撥ねる。
残された体は持ち主を失って、
躯の一つとなって、溢れ出た鮮血は溜まりに交じりあう。
それは、どちらも赤く、赤くて、
違いは何一つ分からなかった。
その世界が平和になったその日、
英雄と呼ばれ、後に勇者とたたえられ、語り継がれる男は、
その世界から消え去った。
誰でもない、自分自身の手で。
目の前に立っていた少年は、何も理解できないままに。
その先、誰にも理解されることのない最期を迎えた。