プロローグ
神話とは、否が応でも真実とは変わっていくものなのです。
畏怖の思いから、その時代の政治的背景から。
私が仕える主にも、真実とはまったく違う逸話がありました。
私の主、女神エティール様は少し変わったお方です。
人々の生活を何気なく眺めることもありますが、ほとんどを神獣を愛でて過ごされています。
さて、エティール様が住まうのは楽園ですが、遥か昔、エティール様を怒らせてしまった人がおりました。
かの者は神獣のあとをつけて、楽園に忍び込みました。
そして、開けてはいけない扉を開けてしまったのです。
その扉からは、多くの神獣が地上へと逃げ出していきました。
逃げ出した神獣の多くは、人に害をなすこともあるので、エティール様が楽園から出られないようにしておりました。
地上へと下りられるのは、エティール様に認められた一部の神獣だけなのです。
扉を開けてしまったかの者と、かの者に気づかず楽園に入れてしまった神獣には、神罰がくだされました。
かの者は獣へ、神獣は人へ。
しかし、その姿は歪だったのです。
獣へなりきれないままのかの者。人へなりきれないままの神獣。
「人でも獣でもないその姿では、人も獣も受け入れてはくれないわね。だけど、地上へ逃げた子たちを、ちゃんと楽園へと戻してちょうだい」
そうして、人だったかの者と神獣だったものは、死するまで神獣を探すことになったのです。
そして、この者たちが獣人の祖となりました。
今では、獣人の国があるほど数は増えましたが、獣人に課せられたものは変わりません。
獣人たちは、女神様を奉る神殿を作り、多くの者が女神様に仕え、神獣を探し続けています。
「ちょっと、それだとわたしが怖い神みたいじゃない!」
「そう言われましても…。獣人たちの伝承ですので」
エティール様はお美しいお顔をしかめていますが、彼女の傍には神獣がいて、ずっと撫でています。
「しかし、扉を開けてしまったのは、私たちの罪なのは変わりません」
そう、私は神獣を逃してしまった片割れなのです。
人になりきれないままの神獣。それが私です。
地上で生をまっとうしたのち、再び楽園へと呼ばれ、エティール様のお手伝いをしております。
また、獣になりきれないままの人、私の夫でもありますが、彼も楽園でお仕事をしております。
「その件はもう気にしなくていいの。あなたたちは、ちゃんと罪を償ったわ」
私が地上にいたころは、神獣の力が少しばかり残っていたので、神獣を見つけることもできました。
しかし、私が死んだあとは、ひたすら探し回るしか方法がなかったようで、十年や二十年に一度見つかればいい方です。
自ら戻ってくる神獣もいましたが、それでもまだ、半数以上の神獣が逃げたままなのです。
「そろそろ戻ってきてくれないと、寂しいわねぇ。ふふっ、いいこと思いついたわ!」
エティール様がうきうきとした足取りで、地上を見ることができる池へと向かいます。
「神獣が好む魂を持つ者が生まれるようにすればいいのよ」
そう言うと、池に一滴の血を落としました。
「わたくしの力を宿したこの血が魂となって、地上で生を受け、神獣たちを楽園へと導きなさい」
エティール様の血は地上へと落ちていき、どこかへと消えていきました。
エティール様の力を宿した魂が、いつ生まれるかはわかりませんが、地上に波乱が起きないことを祈ります。