93 勇者の過去を少しだけ
一番最初は、六歳の時だったと思う。
数え切れないほど絶望した中で、それは人生で二番目に辛かったんだ。
『お前がやったんだろ!!』
……ああ、聞き飽きたよ。
『お前さえいなければ、みんなが楽しめるんだ。黙って隅にいろ』
……分かってるよ、そんな事。
『ほら、みんなこう言ってるぞ。悪いのはお前なんだよ、な?』
……うるさい。
『全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い全部お前が悪い』
……ああ、声が聞こえる。
何度言われたか分からない、ただただ一方的な暴力の言葉が。
別に弁明したかった訳じゃない。元々、自分の正しさが通じるとは思ってなかった。自分一人が泥を被って、それで他の人達が何不自由なく笑えるならそれで良いと思っていた。
人間が嫌いだからこそ、そこに見える愚かさが愛しかったのだ。際限なく間違いを繰り返す様がどうしようもない程に。
ぼくは酷い目に遭って来たんだと思う。世界中を見渡したらちっぽけなモノだったんだろうけど、あの頃の自分の狭い世界でそこにいた人達を一列に並べたら、きっと一番酷かったと言えるくらいには。
だからこそ、他の不幸な人達に共感できたのだ。物の痛みすら共感できるレベルに達してた共感覚は、人間が嫌いなぼくにどうしようもなく人を想う気持ちを植え付けた。
ぼくはきっと、ずっと前に破綻してたんだ。自分の肉を切って周りに配ったって何かが返ってくる訳じゃないのに、むしろ搾取しかされなかったのに。
その行動の先には何も無いと、ただただ虚しい孤独しか待ってないと知っていたのに。
……なあ、昔のぼく。結局のところ、ぼくは何をしたかったんだ? 人のために生きるなんて吐き気のする偽善を果たすだけなら、もっと賢い方法があっただろうに。
自分に都合の良い時だけ助けて、他の場合は見捨てる。そんな世界中にあふれた悪党にも及ばないチンピラ共と同じように生きれば良かったのに。
……本当は、分かってるんだ。最初にあった願いなんて、途中からどうでも良かったんだ。
ぼくはただ欲しかったんだ。
たった一言、それさえ貰えれば報われたはずなんだ。
たった一人で良いからぼくは―――
◇◇◇◇◇◇◇
目を覚ますと、夢に見ていた世界とは別の世界だった。
ほとんど無意識に目元に手を持って行き、本来ならそこにあるべき塗れた感触が無いことを確認すると軽く嘆息する。彼の涙はとっくの昔に枯れているのだ。
それから嫌に醒めた頭で自分の状況を確認する。そこは昨晩、あれから適当に入った宿屋、というかホテルの一室のベッドの上だった。
(異世界、か……)
この世界に来てから約一ヶ月。今更ながらにその事実をしみじみと感じる。
死んだ直後は絶望したものだったが、こうした夢を見ると死んであの世界から脱出できて本当に良かったと思えるから不思議だ。
(……久しぶりに嫌な夢を見たな。凛祢の時以来か……)
原因は分かっている。アウロラとの出会いが過去の記憶を想起したのだろう。
この世界に来てから、今までも多くの不幸な目に遭ってる人達と出会った。けれどその中でも、凛祢の抱えていた事情は常軌を逸していた。一番最初に会ったというのも一因かもしれないが、それはもう自分や他の人達の事情が可愛く思えるほどに。
だから夢を見た。けれど今回の要因は違う。今回はそんな心因性のモノではなく、
(ディティールアナライズ。あれくらいの魔力干渉じゃ体に影響は無かったけど、精神の方には少し影響があったみたいだな)
とにかく目覚めが最悪だ。洗面所に行って顔でも洗って気分を変えようとベッドから立ち上がった。そして洗面所に向かう前に隣のベッドを見ると、そこには現在の騒ぎの渦中の少女、アウロラも気持ち良さそうな顔で眠っていた。
(これがクローンねえ……)
嘉恋の話では人体に必要な成分があれば簡単にできるとの事。遺伝子情報自体はサンプルがあるにはあるが、遺伝子組み換えやらゲノム編集やらでほとんど別人らしい。ディティールアナライズという力も意図的に組み込まれたものだという。その目的はただ一つ。
「人類の救済、か……」
途方もない計画だとは思う。
けれどそれが実現可能というのがまた恐ろしい。
明らかに自分のいた世界を越える科学力。それは元の世界では無理だと思われていた事でさえ実現してしまう。
ただ勘違いしてはならない。ヘルトは別に、この計画に反対という訳ではない。むしろ大多数の人間が幸せになれるならそれでも良いと思っている。しかし、その計画でアウロラが犠牲になるとなれば話は別だ。
彼は功利主義者だ。一の犠牲で全が救えるなら、それで良いと考える悪党だ。
けれど彼は、自分に助けを求めてきた人を犠牲にする事だけは絶対に容認しない。そしてアウロラはその条件に当てはまっているのだ。
(……ま、一度関わった以上最後まで付き合うさ。それぐらいしかぼくにはできないだろうし)
洗面所に移動して、頭から水を被って顔を洗うついでに寝癖も直す。タオルで髪を拭きながらベッドの方に戻ると、アウロラも起きていた。上体だけ起こしてヘルトの方を見ている。
「おはよう。本格的に動くのは夜だから、それまではゆっくりしてて良いよ」
「……ヘルト」
「うん?」
ヘルトがタオルを首にかけたままカーテンを開けて適当な返事をすると、アウロラは妙に緊張した面持ちで、
「きのうから言おうとおもっていたのですが……」
やけにもったいぶった後、ヘルトがカーテンを開け終わってアウロラの方を見たのと同時に、彼女は意を決して言う。
「もしかしてヘルトは、こことは別のせかいからきたのですか?」
「……ッ!?」
何故それを、と言葉にしなくても顔に出ていたのだろう。アウロラは酷く申し訳なさそうにその訳を話す。
「きのう、ディティールアナライズをつかった時にヘルトのないぶこうぞうがふつうの人とはすこし違うことにきづきました。まるで空っぽのいれものにつじつまをあわせるために色々つめこんだような、そんないんしょうを受けました」
「空っぽ、か……」
言い得て妙だ、とヘルトは思った。
彼はアウロラのいるベッドの脇まで移動して腰を下ろし、彼女の方は見ないで重い口を開く。
「その通りだ。ぼくは確かに、この世界の人間じゃない」
元々隠すつもりはなかった。言っても信じて貰えないだろうと思って言っていなかっただけで、これがアウロラではなく他の誰かでも同じように訊かれたら同じように答えていただろう。
「それで、確認して何を訊きたいんだ? まさか答え合わせってだけじゃないんだろう?」
「よければあなたの話をきかせてください」
「ぼくの話? 自分で言うのもなんだけど、つまらない話しかできないぞ?」
「かまいません」
普通なら元の世界の話や、どうやって世界を越えてきたのかを訊いてくるかと思っていたので、ヘルトからしたら拍子抜けだった。
ヘルトは自分の事、と言われて何を言うか少し悩んだが、とりあえず最初から話す事にした。そう思ってのは夢を見たのと無関係ではないだろう。
彼は少しだけ苦痛で歪んだような表情で、
「……ぼくは昔、正しい人間ってやつになりたかったんだ。ルールを厳守して、困ってる人がいたら助けられる、そんな人間に」
それがおそらくヘルト・ハイラントがまだ××××と名乗っていた時、一番最初に思っていた事だ。子供なら誰だってあるように、テレビなんかに出てくる特撮ヒーローに憧れたのが最初だった。
「なりたかったということは、なれなかったんですか?」
「……うん、ぼくになれたのは悪党だけだった。それが正しさを信じた末に正しさに裏切られた、哀れな男の末路だよ」
そんな風に言ってのけるヘルトの表情は哀愁に満ちていた。その背中は到底一〇代とは思えないほど疲れているように見えた。
「あなたになにがあったんですか……?」
「別に何がって言うほどの事でもないよ。ぼくはどこにでもいるごく普通の少年だったんだ。ありふれた世界の中のちっぽけな教室の中で、悪党にされただけの哀れなガキだ。ま、別の世界のきみに言っても仕方のない事だけど」
「それでもききたいです」
真っ直ぐ見つめてくるアウロラに根負けして、ヘルトは深い溜め息をついてから遠くを見るような目をして、
「……最初は廊下を走るな、だったかな。次は階段を飛ばして昇降するな。授業中は静かにしろ。スポーツやゲームのルールは守れ。……そんな当たり前の事を言っていたら、いつの間にかぼくの周りには人がいなくなってた。それでもぼくは定められたらルールってやつを正しさと信じて貫いたんだ。……今思うと滑稽だよ。世界の誰もそんな事を望んでいなかったのに」
吐き捨てるように言ったヘルトの表情は、しかし酷く哀しそうな顔をしていた。
光を取り込めないような暗い瞳の奥で、何かを葛藤するように、
「どっちの方が異常だったんだろうね。ルールを守り続けた馬鹿な少年と、ルールの一つも守らなかったチンピラ達。答えは今でも分からないけど、結果として世界に認められたのは後者だった。ぼくは弾かれて殺されたよ。心も、体も」
そうやって諦めの言葉を吐けるようになるまで、どれくらいの時間がかかったのだろう。
彼の中で納得できたのは……いや、きっと今でも納得はできていないのだろう。納得できていたら、そんな葛藤と怨嗟に満ちた表情はしないだろうから。
「……はい、ぼくの話はこれでおしまい」
両手を合わせて音を鳴らし、ヘルトは唐突にそう言った。アウロラはお預けを食らった犬のように不服そうな声音で、
「……そのはなし、まださわりのぶぶんだけですよね?」
「そりゃね。さすがに一から一○○まで全部話したらぼくの心が保たないよ。ぼくもまだトラウマを克服できた訳じゃないからね。ここで発狂して滂沱の涙を流しながら嘔吐しまくっても良いなら話は別だけど」
「? ええ、それできけるなら?」
「……きみにこういう類の冗談が通じないのは分かったよ。というかきみ、ぼくについて知りたがりすぎるだろ」
「人とのかいわというのに飢えているんです。それはヘルトもそうですよね?」
「……ま、そうかもね」
何だかんだ言いつつ、こうして自分の過去の事や心中を吐露するのは元の世界と合わせても初めての事だ。凛祢の時も同じような事を言ったとは思うが、ここまで詳細には語らなかった気がする。
「でもそれとこれとでは話は別だ。続きはまた今度だね」
「……はい、ざんねんですがわかりました」
「じゃあ、分かった所で街でも歩いて回ろうか。どうせ夜までやる事もないし、約束通り手袋を買いに行かないといけないしね」
これが今晩に街中にある研究所を潰そうとしている人とは思えないほどお気楽なトーンでヘルトは言う。
慢心といってしまえばそれまでだが、彼にはそれをできるだけの力があるのだ。
ありがとうございます。
今回はヘルトのルーツを少し掘り下げてみました。
次回も引き続きヘルトの話です。よろしくお願いします。