92 それが世界が示す最適解
そんな極限状態でラプラスに導かれるまま表通りに出たが、そこでまた驚愕に襲われる事になる。
どんな時間でも賑わっているはずの表通りに、人一人いないのだ。建物の明かりと無機質な街で信号だけが正常に働いている。
「……なにが起きてるんだ?」
「人払いの魔術が使用されています! このままではガンドックが!!」
ラプラスが弾かれたように自分の通って来た道を振る変えると、なぜかガンドックの姿は消えていた。アーサーはまるで、この世界でラプラスと二人っきりになってしまったような錯覚を覚える。
しかし、ラプラスの様子は違った。彼女が観測した未来はそこまで酷かったのか、いつもの無表情が嘘みたいに青い顔になって、
「マズいです……。この敵は絶対にダメです!!」
「なにが……?」
アーサーがそれを訊こうとする前に次の変化が起きた。
ザッ、といくつもの足音が聞こえてくる。その音がした方を向くと、先程までいなかった少年と少女が数人いた。
「子供……?」
「逃げて下さいアーサーさん! この子供達は……ッ!!」
その言葉を最後まで聞く事は叶わなかった。咄嗟にラプラスの腕を掴んで引き寄せたのはほとんど直感だった。
一人の少年がアーサーに手を向けた瞬間、何の痛みもなく体が後方に大きく吹き飛んだ。
ラプラスを腕の中で抱きながら、何が起こったのか分からず自分の立っていた場所がどんどん小さくなっていくのを奇妙な感覚で味わう。
ビルの外壁にぶつかって体が止まるまで、道路を跨いで数十メートルほど飛ばされた。
地に足を着いてようやく時間の感覚が戻ってくる。なんらかの魔術を食らって吹き飛んだのだと、状況にも頭が追い付く。
(超高速の風の魔力弾か無の魔術か!? にしたって前兆すらなかったぞ!!)
ウエストバッグから何か武器を取り出そうとするが、少年少女達の姿を見て思わず手が止まる。いくら襲ってきたからといって年端も行かない子供達に武器を向けたくはないという衝動があったからだ。
「アーサーさん、武器を取って下さい! 彼らは見た目通りのただの子供達ではありません!!」
そんな心中を察したのか、腕の中でラプラスはアーサーの顔を見上げるような恰好で叫ぶ。
「彼らは戦闘特化型の『造り出された天才児』です! まともにやっても絶対に勝てません、人払いの魔術を使っている人を探しながら逃げます。『未来観測』で先導するので付いて来て下さい!」
「あ、ああ!」
前にヴェルトが言っていた『造り出された天才児』という単語が飛び出した事に困惑しながら、立ち上がってラプラスの後を付いていく。しかしそんな散漫な思考のまま逃げられるほど彼らは甘くなかった。
「……っ、アーサーさん!」
「えっ……?」
未来を観測したラプラスの声が耳に入って来た時には遅かった。
目の前の空間が歪んだかと思うと、そこから後ろにいたはずの少年の内の一人が突然現れたのだ。そして素早く的確に顔面を狙って拳を突き出して来る。
「く、そ……ッ!」
ラプラスの声が無ければ完全に食らっていたであろう拳を、アーサーは走りながらダッキングして躱す。そしてそのままの相手の懐に飛び込み、折った膝を伸ばしながら拳で少年の顎を跳ね上げて怯ませる。無防備な体勢でカウンター気味に食らったせいで、少年はたたらを踏んで倒れた。
「……悪いな、こっちもなりふり構ってられないんだ」
「感傷に浸ってないで走って下さい! 後ろからまだ来てます!!」
ラプラスに叱咤されて再び走り出す。そこでアーサーは思い出したように言う。
「というかあいつ、何気に転移してたよな? 転移は魔術じゃ不可能って話だし、あいつら魔法を使ってるのか!?」
「いえ、あれは転移ではなく短距離ワープで、魔術ではなく科学製です。離れた場所との距離を空間的に近づけて、その一瞬を抜けてきたんです。失敗したら体が消滅しますが、死に対する恐怖の無い『造り出された天才児』だからこその手法でしょう」
「死に対する恐怖が無い……?」
「製造段階でそういった無駄な感情は取り除いているんです。戦闘特化にしろ薬物実験用にしろ、死を恐れては使い物にならないでしょう? 彼らには善悪好悪の判断すらできません、今だって命じられるまま動いているだけでしょう。アーサーさんばかり狙われるのが良い例です。どうやら襲撃者の黒幕は『一二災の子供達』である私の力が欲しいようですね」
「……」
「憤るのは構いませんが、それはこの状況を切り抜けてからにして下さい」
感情が表に出ていたのだろう、ラプラスの言葉で少しだけ冷静になれる。そして相手が子供だという事でエンジンがかかるのが遅かったが、ようやくいつも通り頭を戦闘用へとシフトする。
「ラプラス、お前の力をフルで借りる。この建物の中でこの状況を打破するのに一番適してるのはどれだ?」
「建物の中はダメです。ビルごと破壊されて下敷きになります」
「なら人払いの効果範囲外まで逃げるしかないのか?」
「そうですが、現状そこに辿り着くための未来がありません。可能性があるとすれば人払いを使っている魔術師を倒す事です」
「で、そいつの居場所は分かったのか?」
「分かりましたよ」
そういうとラプラスは走りながら後ろを振り返る。そこには当然、『造り出された天才児』がいる。
「……くそ、あれの中かよ」
「ちなみに倒す未来もありません。あれに勝てる可能性は、現段階で万に一つもありません」
「……いやほんと、俺ってそういう状況多いなあ……」
といってもアーサー自身、後ろに迫っている子供達に勝てる気が全くしない。そもそもアーサーは黒幕を殴り飛ばしたいだけで、子供達を倒したい訳ではない。こんなモチベーションでは勝てるものも勝てない。
「そこの裏路地に入りましょう、三分程度なら時間を稼げます」
「三分? なんで?」
「そこに入ると彼らはマナフォンで黒幕に連絡をして指示を仰ぎます。それの時間です」
「ならそれで!」
ほとんど飛び込むような恰好で裏路地へと入る。するとラプラスが観測したように子供達はその入口で止まり、マナフォンを取り出した。
与えられた三分の間に奥の方に進み、走り続けて上がった息を整える。
「……なんか、俺ってこういう風に走るのが多い気がするなあ」
思えば戦ってる時、いつも走っている気がする。『ジェミニ公国』でグラヘルや結祈と戦った時も、『タウロス王国』で地下の防衛システムと戦った時も、『アリエス王国』で宮廷が襲撃された時や戦争の時も。いつだって走って、逃げて、ぶつかってを繰り返している気がする。
「逃げる事がですか? 良いじゃないですか」
けれどそんなみっともない事を、ラプラスは良いと言って肯定した。
「それにあなたはただ逃げ続けた訳でも、運で生き残ってきた訳でもありません。自分の力と現状を把握して、逃げて、逃げて、逃げ続けて、そうして最後まで諦めなかったからこそ、あなたは不可能と言われた偉業を何度も達成して来れたんです」
少なくとも、アーサーの今までの行動は間違っていなかった。
闇雲に突貫してきた訳ではない。
無様に逃げ回っていただけでもない。
持てる手札を全て並べ、敵の力を見誤らないようにしっかり見つめ、僅かに見出した勝ち筋を頼りにいつも戦って来た。それはきっと、誰にだって出来る事ではない。
しかし、それを言われた当の本人は、
「……なんか、そう言われても実感湧かないなあ」
「あなたはそもそも自己評価が低すぎます。リンク達はもう少し自身を持っていましたよ」
「さらっと勇者の名前出てきた!?」
「五〇〇年前の大戦は私達『一二災の子供達』と勇者達が原因ですし、当然面識もありますよ。ですが今はそれよりも、この状況の打破が急務です」
ラプラスはギターケースを肩から外し、地面にペタリと座り込む。
「仕方がないので『世界観測』を使います。使用中は無防備になるので守って下さい」
「無防備……? いつもと違うのか???」
「今まで使っていたのは直近の未来を一ルートだけ観測するものです。これから使うのはいくつもの枝分かれし未来を遠くまで観測するものです。負担も大きいのであまり使いたくありませんでしたが、この際仕方がありません。この事件が収拾するまでのありとあらゆる未来を観測しに行きます」
「一応確認するけど、そんな膨大な情報を観測するのがたった三分以内に終わるのか? お前を守りながら一人で『造り出された天才児』を相手にしたらさすがに生き残れる自信がないんだけど……」
「……行って来ます」
「あっ、誤魔化すな! おい、なんで反応してないんだ? えっ? もしかしてもう使ってるの!?」
「肩を揺らさないで下さい。集中してるんです」
アーサーの詰問を鬱陶し気な調子で受け流し、ラプラスは目を瞑って自身の内側へと意識を傾けていく。
宇宙のように際限なく広がっている世界に、たった一人っきりになった感覚を意図的に作り出す。傍らにいるアーサーの存在も意識から消し去り、自分の体の存在すら気化したように消し去る。
そして呆然とした虚ろな表情でポツリと呟く。
「『世界観測』」
集中している気配は、さっきまで騒いでいたアーサーにも伝わってきた。
いつもの『未来観測』より時間がかかっているのは、それだけ情報量が多いからなのだろう。
触れたら壊れてしまいそうなほど儚く、けれど触れようとも思わない神聖で奇妙な雰囲気を放っていた。そんな矛盾をはらんだ心持ちで、アーサーは三分以内という制限も忘れてその様子を見入っていた。
やがて、その状態が何分続いたのか分からないくらい時間が経った後、ラプラスは瞼を開いてポツリと呟く。
「……なるほど、これが世界が示す最適解ですか」
そしてラプラスは不意に上着の下から拳銃を取り出し、その銃口を真っ直ぐアーサーへと向けた。
「えっ……」
「……ごめんなさいアーサーさん。ですが、これが最善なんです」
その言葉の意味を理解する暇もなく、軽い発砲音を鳴らして銃弾が発射された。それは的確にアーサーの脇腹を命中して突き抜ける。
重たい衝撃が骨の芯まで響き、内臓がシェイクされるような錯覚に見舞われ立っていられず、その場に崩れ落ちてしまう。寒くもないのに体が小刻みに震え、過呼吸を繰り返すように呼吸が荒くなる。傷口に手を当てると、掌はすぐに真っ赤に染まる。
「なん、で……」
理由を問い詰める文句を口にしたが、頭の中は困惑でいっぱいだった。
実際に起こっている事を身をもって経験しているはずなのに、その全てが上手く処理できない。だって数分前とあまりにも状況の辻褄が合っていないのだから。
「『世界観測』で結果が出ました。私はこれからアウロラを殺害しに行きます。それをあなたは止めようとしますよね? それが邪魔だからここで確実にリタイアしてもらいます」
ラプラスの言葉は上手く飲み込めなかった。まるで自分とは関係無い世界の出来事のように思えてくる。
けれど一つ、確信にも似た思いがあった。このまま彼女を行かせてはならないと。もし今、手を離してしまったら、彼女がどこか遠くに行ってしまうような気がしたのだ。
「ま、て……」
「待ちませんよ、未来はもう決まっています。あなたは全て忘れて『リブラ王国』に向かって下さい。そこであなたを待っている人がいます」
ラプラスを見上げるような姿勢で力の入らない右手を伸ばすが、彼女はそれを突き放すように、興味の失せた人形を捨てるようにアーサーに背を向ける。そして背中越しに振り返る事もせず、冷酷に言い放つ。
「ここまでありがとうございました。ですが、ここから先は一人で十分です。ご苦労様でした」
「らぷ、らす……」
続けようとした言葉は出なかった。パクパクと口が動くだけで肝心の音が出ない。
視界が暗転する。
瞼が重くなってくる。
前後の記憶が正しく認識できなくなってくる。
血液と一緒に抵抗する力がどんどん抜けていく。
昨日の雨でできた水溜まりと混じって広がっていく赤い液体を見ながら、全て悪い夢だったんじゃないかと錯覚してしまう。
そんな色んな感覚がせめぎ合い、アーサーの意識を繋ぐ糸がどんどん細くなっていく。
その途切れかけの意識の端で、いくつもの足音が聞こえてきた。
「やっ、と見つ、けたぜ……って瀕、死じゃ、ねえか!?」
「アー、サー!?」
「す、ぐに治癒し、ます……っ!」
……だから、最後に聞こえてきたその声も、きっと夢の一部なのだろう。
彼の意識が最後に捉えたのは、いくつかの困惑する声と優しい癒しの光だった。
ありがとうございます。
次回はヘルトの話です。