90 ディティールアナライズ
ヘルト・ハイラントは、別に面倒見の良い少年という訳ではなかった。むしろ元の世界では、人間なんて別に滅んでも良いと思っていたような人種だ。
そう、滅んでも良い。だから滅ばなくても良いという事だ。どちらでも構わないという意味だ。滅びも存続も彼にとっては等価値で、等しく価値の無いものだと思っている。
それは彼がどこにでもいるごく普通の少年のように、どこにでもあるちっぽけな世界の中で、少年時代を回りの人間に虐げられてきたからだ。まあ、虐げられたと言ってもそれこそどこにでもあるような、無視され続けたり物を盗まれたり多数決で罪を擦り付けられたり、そんなありふれたいじめだ。ただ腕っぷしだけは強かったから、暴力を振るわれなかっただけいくらかマシだったかもしれない。
けれど、少年が絶望するにはそれだけで十分だった。会った事もない人達ごと人間全てを嫌うには、十分過ぎる程の仕打ちだった。
彼は世界を見渡して自分が幸せな部類の方に入ると理解していても、あの日々を地獄だったと言ってしまえるくらいには。
けれどその価値観は、この世界に来て少しだけ変わる事になる。
人間の事は変わらず嫌いだ。けれど、それが理不尽な目に遭っている人を見捨てる理由にはならない。
最初はただ言われた通り魔王を殺す事しか目的が無かったのに、いつの間にか多くの人達を助け、自分の周りはそういう人で溢れるようになった。いや、もしかしたらそうなるように『何か』に仕向けられていたのかもしれない。だから助けを求める声を受信するなんていう魔術を与えられたのだろうから。
「……まったく、本来なら感謝するべきなんだろうけど、本当にとんでもないヤツだなあ」
「?」
「ああ、気にしなくて良いよ。こっちの話だから」
ヘルトはアウロラを連れて二四時間営業のファミレスに来ていた。適当に注文してテーブルで待つこと数分、他の客が少ないからか頼んだ料理はスムーズに来た。
しかしヘルトは料理に手を付ける前に気になる事があった。アウロラはなぜか、何かモノを触る度にヘルトにもやったような魔力干渉をしているのだ。その度に本人が一番ビクビクしているので食事どころではない。
「アウロラ。その魔力干渉は自力で抑える事はできないのか?」
「……ディティールアナライズ、です」
「ん?」
「まりょくかんしょうじゃなくて、ディティールアナライズというらしいです」
「らしい?」
不思議な言い方だった。
自分の事のはずなのに他人の話をしているような、そんな奇妙な感覚だった。
「けんきゅうじょの人達はそう言ってました。わたしには触れたモノのしょうさいなデータをかいせきしてきおくする力があるらしいです」
「……なるほど。それが制御できないから触れる度に色んな情報が頭に入ってきて困惑する訳だ」
小さな動作でコクリと頷くアウロラに、ヘルトは手を差し出す。
「ぼくには効かないから、躊躇わずに取ってくれ」
「……でも、けんきゅうじょの時は……」
「あの時は魔力障壁をしてなかったからね。今はしてるから大丈夫、それよりアウロラのそれをなんとかしてあげるよ」
ヘルトが言い切るとアウロラは恐る恐るといった感じでヘルトの手に自身の手を差し出す。するとヘルトはその手を握り締め、アウロラの体に自分の魔力を通していく。
「これは……」
「今、ぼくの魔力でアウロラの周りにも魔力障壁を張ってるんだ。これで大丈夫」
ヘルトは上手くいっている確信があったが、それでもアウロラは半信半疑で手元のスプーンに触れる。それで起きた結果に一瞬驚きの表情を浮かべ、何度かスプーンを持ったり置いたりを繰り返す。
「ディティールアナライズが……」
「それで少しくらいの時間ならディティールアナライズってのを防げると思うよ。ま、急場しのぎだから明日になったら手袋でも買いに行こう」
「……ありがとうございます」
静かにお礼を言ってから、アウロラは料理をスプーンでゆっくりとパクつき始める。すると、丁度ヘルトのポケットのマナフォンに着信が来た。ヘルトは番号を確認してからそれに出る。
「もしもし嘉恋さん、連絡してきたって事は何か掴んだのか?」
『ああ、色々とマズい事が分かったよ。相変わらず君は奇妙な事件にばかり関わるねえ』
「前置きは良いから分かった事を簡潔に」
『おいおい、急かす男はモテないぞ? ま、君の場合はそんな心配は要らないようだけど』
「……そんな下らない事を言うために連絡してきたなら、今すぐこの通話を切っても良いかな?」
『「新人類化計画」』
ヘルトが呆れた声を出して本当に切ろうか真剣に悩んでいると、そんな思考の隙間にねじ込むように嘉恋がさっきまでとは違う真面目な声で言う。
『これの詳細について端的にまとめて伝えるから、終わるまで通話は切るなよ?』
「分かったら詳細を」
はいはい、と嘉恋は適当な調子で返事をすると、キーボードを叩く音を鳴らしながら、
『「新人類化計画」は「リブラ王国」在住の研究者、エミリア・ニーデルマイヤーが考案した人類救済措置だね。簡単に言うと人間の脳をデータ化して電脳世界に送りましょう。物理、魔術的に最強の防御力を持つビルの中に入れとけば半永久的に人類は生きられるよ、って計画だ』
ヘルトはそれを聞いても、別段驚きもしなかった。
方法や細部に違いこそあれ、そういった類の話は元の世界でも度々聞いた事があるからだ。元の世界じゃ現実に出来るかどうかは曖昧だったが、こちらの世界ではどうも勝手が違うらしい。
『ところが順調に見えた計画にも不備が見つかった。それは現実世界と電脳世界の情報量の差だ』
「つまり、熱の感じ方や嗅覚、味覚みたいな五感になんらかの違和感を覚えるっていう話だろ? そもそも葉っぱ一枚リアルに作るのだって何テラバイト使ってるか分かったものじゃないし、土台無理な計画だったって事じゃないのか?」
『じゃあ、もし君がこの計画をどうしても成功させたいなら、この情報量の差をどう埋める?』
「そんなの、一つずつ入力していくしかないだろう。どれだけかかるかは知らないけど」
『そう、それが普通の回答だ。でもエミリア・ニーデルマイヤーはその問題を簡単に解決できる突破口を作り出したんだ』
「突破口? そんなものが本当にあるのか?」
疑問口調のヘルトに対して、嘉恋はいよいよ確信に迫っていく。
一度息を吸うと、覚悟を決めたように嘉恋は言う。
『ああ、それをディティールアナライズというらしい。触れたモノの詳細情報を解析して記憶しておける能力だ』
「……ちょっと待て。それはアウロラの能力の事か?」
『……知っていたのか、なら話は早い。エミリア・ニーデルマイヤーはアウロラと呼ばれるディティールアナライズを持つクローン体に世界を歩き回させ、そこで得た彼女の記憶をデータとして直接電脳世界に移すつもりだ。君がアウロラを研究所の地下から連れ出していようとなかろうと、アウロラは遅かれ早かれ外に出されていたという事だね』
「そんな事はどうでも良い……!」
ヘルトは吐き捨てるように言う。
そして少し荒れた呼吸を整えてから、晴れない気分で彼にとって一番重要な部分を問う。
「そのデータの移行をした場合、アウロラの命はどうなるんだ!?」
『……アウロラの記憶は純粋なデータとして電脳世界にスキャンされる。そこにアウロラ自信の感情は要らない。つまり、一〇〇パーセント間違いなく死ぬだろうね』
バギィッ!! という音がファミレスの中に静かに響いた。
それは彼がプラスチック製の円筒型の伝票入れをマナフォンを持つ手とは逆の手で握り潰した音だった。
「……そのエミリア・ニーデルマイヤーってのはどこにいる?」
その声の冷たさに、目の前にいたアウロラがビクッと体を震わせる。ヘルトは今にも人を殺しそうな表情をしていたのだ。
『言うと思って調べておいたけど、彼女は「リブラ王国」にいるね。今日これから行くのは現実的じゃない。どこか適当なホテルでも取って休む事を進めるよ』
「その前に嘉恋さん、一つ教えてくれ。ぼくがアウロラの傍にいて守り続ける限り、アウロラには危険は及ばないんだな?」
『……まあ、君の傍はこの世界でこれ以上無い安全地帯だろうからね。そこについては保証しよう』
「じゃあ嘉恋さん。できれば明日の朝までに『新人類化計画』に関わってる研究機関の全てを洗い出しておいてくれ。明日で全て終わらせる」
『さすがにそれは量が多すぎる。せめて夕方まで待ってくれ』
「……分かった、でもできるだけ早く頼む。そうしないとぼくは自分を抑えられる自信が無い」
それだけ言い残して、ヘルトはマナフォンを切ってポケットにしまう。
「……ヘルト?」
「ん? ああ、怖がらせてごめん。でも心配しなくて良いよ。明日にはきみを取り巻くクソッたれな環境は一つ残らず潰すから」
「はい……」
ヘルトの持つ感情は明らかに憤りを通り越していた。
そこにはアウロラを道具として使い潰そうとしているエミリア・ニーデルマイヤーへの怒りよりも、全く別の何かが関わっている事がアウロラにも分かってしまった。
彼女は無意識とはいえ、ヘルトにもディティールアナライズを使用している。彼女の力はヘルトの常人離れした魔力量や身体能力を如実に伝えていた。けれど彼女の力では生物の記憶や感情までもは解析できない。つまり彼女にはヘルトが何を思って自分を助け、怒っているのかが分からない。
だからきっと、彼女がそんな彼に対して興味を持ってしまったのは、当然の事だったのかもしれない。
ありがとうございます。
次回はアーサーに話が戻ります。