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村人Aでも勇者を超えられる。  作者: 日向日影
第五章 アーサー・レンフィールドとヘルト・ハイラント Beginning_Story_of_Heroes.
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88 ラプラスとカヴァス

ヘルトとの時間がズレています。

時間的にはヘルトがアウロラを救出する前の時間です。

 激流に呑まれているアーサーは死を身近に感じていた。

 五感の全てが攪拌(かくはん)され、自分が上下左右のどこを向いているのかも分からなくなり、世界から弾き出されたような錯覚に(おちい)る。このまま体がバラバラになるんじゃないか、と半ば諦めてしまっていた。

 しかし、彼にそんな終わりは来なかった。

 激流の中でアーサーの体に何かがまとわりつき、流れる体が止まったからだ。


「……?」


 いきなりの事に驚いていると、アーサーの体が排水路の脇の路上に上げられた。飲み込んだ水を吐き出して呼吸を整え、胸に抱え込んでいた白い毛並みの犬に視線を落とすと、


「きゃうーんっ!」

「……良かった。お前も無事だったか」


 元気に叫ぶ犬を見て、アーサーは路上に大の字で転がった。疲れていたし、このまま目を瞑って眠ってしまおうかと思っていると、傍らから声が届いて来た。


「自分より犬の心配とは余裕ですね。あなたの方は危ない所でしたよ」


 声のした方に視線だけ移すと、見た目は一四、五歳くらいの肩にかかるほどのふわっとした黒いきめ細やかな髪に、白いコートの上にレインコートを着ている少女が、青みがかった瞳で見下ろすような恰好で立っていた。


「……アンタは?」

「ラプラスです。今し方あなた方を助けた者です」

「その細腕で俺達を引き上げたのか?」

「はい。滑車をいくつも使ったので力自体はそんなに使っていませんが」


 チラリと彼女の後ろを見ると、自分達を捕らえたであろうネットと滑車に使った道具が無造作に散らかっていた。助けてくれたのは本当の事なのだろう。

 しかし、アーサーの頭には感謝よりも先にある疑問が浮かび上がっていた。


「……アンタは俺がこうなるって知ってたのか?」


 滑車に使った道具や網自体は誰にも手に入れられる。しかしアーサーが飛び込んでから激流に流されている間に用意するのは不可能だ。そして極めつけはレインコート。たしかにここ二日は雨が降っていたが、今日は快晴だ。わざわざ持ち歩くようなものとは思えない。

 ラプラスはアーサー達を引き上げる作業で濡れたレインコートを脱ぎながら、その疑問に答える。


「はい、知っていました。私は未来を知る事ができる力を持っていますから。あなたはアーサー・レンフィールドですよね?」

「そうだけど……俺の名前まで知ってるのか?」

「あなたは有名人ですから。では付いて来て下さい」

「?」

「私の力については、口で言うより実際に見せた方が早いです」


 ラプラスはアーサーの返事も待たず、壁に立てかけておいたギターケースを担いで歩いて行ってしまう。

 突然の連続で頭が追い付かず、アーサーは怪訝に思いながらもとりあえずアレックス達に無事を伝えようとポケットに入っているはずのマナフォンに手を伸ばす。が、ポケットには何も入っていなかった。おそらく排水路を流された時にポケットから抜けて流されてしまったのだろう。アーサーは連絡を諦めて犬を抱えたままラプラスの後を付いていく。

 そして大通りに出ると、ラプラスはすぐに何の変哲もない男を差して、


「彼はいまから一五秒後に転びます」


 半信半疑でその何の変哲もない男を見ていると、本当にその男は転んだ。それも足元の目に見える何かに躓いた訳ではなく、急に足をもつれさせた形で、だ。

 アーサーがその事に驚いていると、ラプラスはそれに構わず次の相手に指をさす。


「あの女性はこれからマナフォンに着信が来て、相手を確認してからポケットにしまいます」

「……」


 今度もラプラスの言った通り、ラプラスの予告の後にかかってきたマナフォンを女性は取り出して、そこに表示されている数字を確認する。嫌な相手からの着信だったのか、微妙な表情を浮かべてマナフォンをしまう。

 そしてラプラスが次に指をさしたのは、歩道を歩く子供だった。そして、


「あの少年はこれから車に轢かれます」

「―――ッ!」


 その言葉だけで十分だった。アーサーの頭からはもうラプラスの能力を立証するという目的は吹き飛んでいた。

 アーサーは抱えていた犬を下ろし、すぐにラプラスが指さした少年へ向かって走る。

 少年に向かう車はまだ無い、車道を走る車は普通に直進している。けれどアーサーは足を緩める事はしなかった。

 すると、いままで少年のいる場所の反対車線を普通に走っていた車が急に蛇行し始め、中央分離帯を乗り越えて少年に向かって突っ込んできた。

 突然の事に固まったように動かない少年に向かってアーサーはタックルするように飛び込み、少年を抱えて地面を転がっていく。体が止まってから車の方を見ると、ビルの一階に衝突して止まっていた。泣きじゃくる少年を野次馬の一人、優しそうな女性に任せてアーサーはラプラスの元の戻る。


「どうですか? 私の力、信じますか?」

「……それで、アンタの目的は何だ? わざわざ自慢するためだけに俺達を助けた訳じゃないんだろ?」

「ええ、もちろん」


 と言って、ラプラスは踵を返して再び歩き始める。


「おい?」

「立ち話もなんですし、あなたの服も乾かさなくていけません。とりあえず移動しましょう」





    ◇◇◇◇◇◇◇





 場所は変わって近場のコインランドリー。アーサーはパンツ以外を乾燥機の中に突っ込んで回す。パンツだけは拭ぐ訳にはいかなかったので、ちゃんと買ってからここに来ている。とりあえず履き心地の悪いパンツをトイレに入って穿き替える。

 乾燥機が止まるまでの数十分を備え付けの椅子に座って待つ。ラプラスは犬を抱えたままアーサーと人一人分だけ間を開けて座っていた。


「なあ、犬を貸してくれないか? さすがにパンツ一丁じゃ寒い」

「この子を湯たんぽ代わりにしないで下さい」

「でもどこだっけ? 犬を湯たんぽ代わりにしてる地域って無かったっけ?」

「そうだとしても、この子はダメです。私が抱いていますから」


 ぎゅっと抱きかかえる様子から手放す気はないらしい。犬の方もそれが嫌ではないのかじっとしたまま動かない。

 アーサーはその様子に諦めて乾燥機が終わるのを素直に待つ。するとラプラスは思い出したように、


「そういえばいつまでもこの子を犬と呼ぶのも可哀想です。名前を付けましょう」

「名前、かあ……」


 この犬は首輪をしていないのでおそらく野生だ。アーサーとしてはすぐに放すつもりだったし、別れの時が辛くなるからあまり慣れ合うつもりはなかったのだが、今となっては手遅れかもしれない。この犬はもうすっかり二人に懐いてしまっている。

 アーサーはあまり考えず、シンプルな名前を口にする。


「わんって鳴くからイチとか?」

「短絡的な考え方ですね」


 呆れたように溜め息をついて細い目を向けてくるラプラスに、アーサーは投げやりな調子で、


「だったらお前が考えてくれよ。そいつもきっと喜ぶ」

「良いんですか? アーサーさんが助けた子ですよね?」

「別に構わない」


 アーサーが任せるとラプラスは真面目に考え始め、やがて一つの名前を上げる。


「そうですね……ではカヴァス、というのはどうでしょう?」

「カヴァス?」

「はい、わたしの中にある知識が、それが最適解だと言っています」

「カヴァスか……何か変な響きだけど、イチよりはマシか。よし、じゃあお前の名前は今日からカヴァスだ!」

「わんっ!」


 カヴァスはその名前が気に入ったのか、ラプラスの頬をぺろぺろと舐める。


「……こいつ俺達の会話を理解してるのか?」

「賢い子です。落ち着いたら芸を仕込みましょう。お手とお座りくらいならすぐに覚えそうです」

「飼うのか? まあ別に止めはしないけど」

「アーサーさんが良いなら頼み込んでなんとかします」

「頼み込む? 親か?」

「……まあ似たようなものですかね。詳しい事は後で説明します」


 元々感情の読み取りづらい無表情だが、その言葉には哀愁が漂っている気がした。見た目一二歳の少女のその姿は見ているのに辛い部分があった。

 けれどラプラスはアーサーのそんな心境は知らず、なぜかは知らないがカヴァスを頭に乗せ始めた。たしかにカヴァスはまだ子供で小さいから頭には簡単に乗ったが、その光景はなかなかにシュールだった。


「……何してるんだ?」

「リードが無いですし、地面を歩かせていたらはぐれる可能性があります。こうするのが良いと思いました」

「……まあ何でも良いけどね。にしてもこいつ大人しいな、めちゃくちゃ賢いみたいだけど犬種はどうなってるんだ???」

「この子は人工的に造られた子みたいですね。おそらく普通の犬よりも知性があるのでしょう。そういった研究があるのは知っています」

「……それって非人道的なのか?」

「だとしたらどうします?」

「決まってる」


 アーサーは数段声のトーンを落として、


「潰してやるよ。どこで誰がやっていようと必ず」

「アーサーさんが言うと冗談に聞こえませんね。ですが、だからこそ私はあなたを頼るんです」

「?」

「そろそろ移動しましょう。あと数秒で乾燥が終わります」


 その言葉通りだった。

 アーサーの使った乾燥機から服が乾いた事を知らせる軽い電子音が鳴った。


「それと安心して下さい。この子の研究は犬の免疫力を上げる研究の副産物で、非人道的という訳ではありませんから」

「そりゃ良かった」


 わざわざ事故に遭いそうな少年を助けさせたり、カヴァスに愛情を注いでいるラプラスがこの話をした時点で、非人道的な実験でないのは分かっていた。

 アーサーは結局、この短い時間でもラプラスを信用しているのだ。

 そしてそういう姿勢が甘いのだと、一応は自覚していた。

ありがとうございます。

次回も引き続き、アーサーの話です。

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