行間一:あるいはこんな始まりも ???_Side.
『リブラ王国』。そこはアーサー達が『ポラリス王国』の目指す次の目的地にして、『魔族領』の魔王が住む場所に最も近い国。つまり『ゾディアック』で最も魔族の脅威が降りかかるであろう国。
この国には有事の際に逃げ込む地下シェルターがいくつも常備されている。無論、国王用と国民用に分かれてだ。
「くそ……。なんだって俺がこんな目に……」
分厚いコンクリートと鉄の壁で覆われた国王用の地下シェルター。一度閉じると最低七二時間は外部からも内部からも絶対に開けられなくなるそこには、長時間の使用が想定されて多くの水や食料などが常備されている。
数日前からずっとそこに籠もっている男は、椅子に座りながら机に広げたカンパンを口に放り込んで水を飲みながら恨み事のように呟いた。
贅沢を味わい尽している事が一目瞭然のダルマのような体型をした男、ネフィロス・ロックウェル=レオ。正真正銘、『レオ帝国』の現国王だ。
なぜ一国の国王が他国の地下シェルターに数日間も籠もっているのかと言うと、それは数日前に『レオ帝国』で起きた魔族侵攻の影響だ。つまり彼は国王でありながら、国の一大事に我先に逃げ出したのだ。そして交友のある『リブラ王国』の国王に頼み込んでシェルターを貸して貰っているという訳だ。
「そもそも結界はどうなっているんだ? あれは魔族の侵入を防ぐんじゃなかったのか!? 他国でも似たような事が起きてるらしいし、いよいよ戦争が再開するのか……!?」
基本的に水と食料とトイレ以外に何もないだだっ広い空間にずっと独りでいると独り言が増えてくる。答えの帰って来ない疑問を何度言ったか分からない。
けれど。
「戦争が始まろうとどうなろうと、こんな所に隠れている卑怯者には関係の無い話だろう?」
ほぼ七二時間ぶりに聞く声は物騒そのものだった。ネフィロスは乱暴な音を立てながら椅子から立ち上がっておっかなびっくり声を上げる。
「だ、誰だ! ここには俺以外入れないはずだぞ!!」
カツン、コツン、と。
シェルターの薄暗い通路に足音を反響させながら、一人のスーツ姿の男がネフィロスの目の前に現れた。
「お前は……!?」
その人物の顔を見て、ネフィロスの焦ったような声を上げる。
そこに含まれている焦燥は男の正体が分からないからではなく、なぜその男が生きてここにいるのかに驚いての事だった。
その男はネフィロスにとって間違いなく殺害した人間、確実に死んでいなくてはならない男だったのだ。ストレスで頭がおかしくなって幻でも見ているのか、それとも知らぬ間に眠っていて夢を見ているのか、自分の事なのに自信が持てなくなってくる。
「なに、俺は一四四時間前からここに籠っていたんだ。『リブラ王国』に自主開発した細菌兵器の性能を説明して渡したら快く通してくれたよ」
「な……ばっ……!」
「俺は待ったぞ、こうしてお前と一対一で誰にも邪魔されない状況ができるのを。貴様をここに誘導するのには長い準備が必要だった。特にどうやって魔族を『レオ帝国』内に入れるかが問題だった」
「なん、だって……?」
「『レオ帝国』での突発的な魔族侵攻。まさか偶然だと思ってた訳じゃないよな?」
「……まさか」
「貴様は昔から『リブラ王国』と繋がりがあったからな。有事の際には一番に逃げ込むと睨んでいたよ」
それは言うほど簡単な事ではない。
魔族が国内への侵入に失敗すれば終わり。ネフィロスが『リブラ王国』に亡命しなければ終わり。『リブラ王国』との交渉に失敗すれば終わり。他にも細かい部分を上げればいつくもの難題があったはずだ。トランプタワーのように一手間違えるだけで全てが瓦解する計画だったはずだ。
ネフィロスはそれをやってのける人物は一人しか知らない。夢幻などという甘い幻想は砕け散る。
その男は利用するだけ利用し尽して、最後は他の連中と同じように切り捨てたはずの天才研究者。
「グラッドストーンか!?」
「そいつは死んだ、もういない」
きっぱりと言い切り、グラッドストーンと呼ばれたその男はネフィロスのいる机へと向かって行く。ネフィロスはそれに合わせて後ろに下がろうとするが、
「何を焦っている。『座ってゆっくり水でも飲めよ』」
そう言われた瞬間だった。
ガクッ、とネフィロスの全身から力が抜け、膝から崩れ落ちるように椅子へと腰を下ろしてしまう。またすぐに立ち上がろうとするが、どうしても体に力が入らない。まともに動かせるのは首から上だけだった。
「ほらどうした。俺に何をしたんだって訊けよ」
「ぐっ……」
男の言葉を無視して必死に体を動かそうとしていると、椅子の横まで歩いて来た男がネフィロスの右手を机の上に押し付け、手の甲からナイフを机に打ちつけるように振り落とした。
「ガァッッッ!!!???」
不思議な事に感覚は無いのに痛みはあった。
流れる血の感覚も分からないのに、痛みだけは脳がネフィロスに正確に訴えかける。
「ほら、早く訊けよ」
「ぐっ……俺に、何をした……!?」
「なんだ知りたいのか? なら教えてやろう。これは俺の『固有魔術』で、相手の記憶を操れるというものだ。これで五分間だけお前の首から下の体の動かし方と、痛覚以外の感覚を消しているんだ」
「そんな、拷問のためだけに使うような『固有魔術』を作り出したのかお前は!?」
「酷い言い方だな。貴様のために作ってやったんだ。むしろ感謝して欲しい……な!!」
言いながら、男はネフィロスの残った左手も右手と同じようにナイフで机に打ちつける。ネフィロスは短い絶叫を上げながら睨むような目で男に訊く。
「く、ぅ……お前は、何だ……? 何が目的だ!?」
その問いに対して。
ニヤリ、と不気味に口角を上げて笑みを浮かべるその男の姿はまるで死神のようだった。
「デスストーカー。今はそう名乗ってるただのイカれた復讐者さ」
自分の事を『忍び寄る死』と名乗るその男は、続けざまに死刑宣告のように告げる。
「この名前の意味が分かってもまだ自分が殺される事に気づかないほど貴様は馬鹿じゃないよな、ネフィロス国王様?」
ありがとうございます。
この章では行間で次章への布石を打っていきます。