05 平穏の終わり
「ちくしょう、今日こそはいけると思ったのに……。強すぎんだろあのじーさん。とても六五才とは思えねえぞ」
こいつらは木にでも縛っておかないとまた狩りをして山火事を起こす、という長老の判断の元、アーサーとアレックス、二人は幹周一五メートルはある近場で最も巨大な大樹に縛られた。手も後ろで縛られていて、自由に動かせるのは首と足くらいだった。
「老いぼれても『第二次臨界大戦』で武勲を挙げただけはあるって事だろ。そんな事より、今はこの状況でどう三日間生き延びるかって方が重要じゃないか?」
先程の戦いの事よりも、目下の現状についてアーサーは考えていた。
三日間何も食べられないのはキツイが、死ぬ気で我慢すれば何とかならない訳ではない。それよりもっと重要なのは水の問題だった。巨大な木のおかげで一日の内、日が直接当たる事はない。しかし夏と言うほど暑い訳では無いが、冬と言うほど程寒いわけでもない。何もしなくても普通に喉は乾いてしまう。
「だよなあ……。テメェのウエストバッグに何か使えるもんでも入ってねえのか?」
「えーっと、水が五○○ミリくらいと飲むタイプのカロリーチャージが二つ。あとは『モルデュール』が四つとナイフが一本ってところかな」
「ナイフがあるじゃねえか! それでとっととこんなワイヤー切っちまおうぜ!」
アレックスが名案とばかりに言うが、それに対してアーサーは首を横に振った。
「一応やってみたけど無理だ。あのじーさん、ご丁寧にユーティリウム製のワイヤーで縛りやがった。これを切るなら同じユーティリウム製のナイフじゃないと無理だ」
「なんでテメェのナイフはユーティリウム製じゃねえんだよ……」
「仕方ないだろ。俺だって欲しいけど高いんだ。お前ユーティリウムの価値が分かってるのか?」
「馬鹿にすんな! んな事分かってるよ!」
アレックスは荒げた息を落ち着けながら、
「ダイヤよりも固いのに超高温や極低温にも強い。なのに加工はしやすくて、それ次第じゃありとあらゆる用途に使えるっていう万能鉱石だろ?」
「その通り。だからもの凄く高いんだ」
現実的問題が二人の首を締めている。無い物ねだりしても仕方ないので、結び目が解けないかと体をよじらせるがビクともしない。縛る強さが信頼度の低さを表しているようで、流石のアーサーとアレックスもへこむ。
「……もういいや。それより飯にしようぜ。テメェのカロリーチャージ、一つくれよ」
早々に諦めたアレックスは、アーサーのウエストバッグに入っている食料を要求した。それにアーサーは溜め息をついて、
「あのなあ、これは俺達の唯一の食料なんだぞ。いきなり手をつけたら後三日どうするんだよ」
「細けえ事は良いだろ。結局ハネウサギは食いっぱぐれたし、じーさんと戦って腹が減ってんだよ。このままじゃ三日と経たず餓死しちまう」
「……そもそも、手も使えないのにどうやって食うんだよ」
カロリーチャージは手のひらに収まる直方体のブロック型の携帯食品で、パウチのようなもので包装されている。つまり両手を使ってパッケージを開けないと中の物は食べられない仕組みなのだが、
「んなもん足とか歯とか、とにかく何とかして食う。だから早くくれ」
「はあ……」
結局アーサーの方が折れた。後ろに縛られた手で起用にウエストバッグからカロリーチャージを一つ取り出すと、それを隣のアレックスの足の方に手首のスナップだけでなんとか投げる。
「サンキュー」
アレックスは適当に礼を言うと、足を巧みに使って膝で挟みこめるところまでカロリーチャージを運んだ。それから顔を必死に伸ばして膝のところまで持っていき、歯を起用に使ってパッケージを破いて開ける。
「よし! やっと食える!」
アレックスは歓喜の声をあげて、カロリーチャージにかぶりつく。あくまで栄養とカロリーを補給するためのものだから特に味は無いはずなのに、アレックスは美味しそうに咀嚼していた。
「無駄に器用だなあ……」
美味そうにカロリーチャージを頬張るアレックスを横目に、アーサーは自分達を縛るワイヤーについて考えていた。
ワイヤーは確かにユーティリウムだが、一○○パーセントではない。いくつかの別の金属と合成されている。そのお陰で強度は本来のユーティリウム製のワイヤーよりは低いが、流石に手持ちのナイフで切ろうとすれば先にナイフの方がイカレてしまうだろう。
そこまで考えて、やはり現状を打破する方法がない事を確認したアーサーは重い溜め息をつく。
「つーかそもそもよお、なんでユーティリウム製のワイヤーなんて高価なもんをじーさんが持ってんだ?」
食べ終わったカロリーチャージのパッケージを適当に吐き捨てて、アレックスは根本的なワイヤーの出所について疑問を口にする。
アーサーもその答えを知っている訳ではないが、思い当たる事があったのでそれに答える。
「やっぱり『第二次臨界大戦』の英雄だからじゃないか?」
『第二次臨界大戦』。それは人間と魔族が引き起こした二度目の大規模な戦争だ。
一応、噂程度の話だが『第一次臨界大戦』さらに前にも大規模な戦争があったという話がある。しかし証拠となる文献が一切なく、誰かが流した嘘というのが近年の見解であるため、魔族との大規模な戦争は二度というのが一般的な共通見解だ。
『第一次臨界大戦』では劣勢だった人間側が『忍』という呼称の魔術の極めた部隊を導入する事で辛くも魔族を退けたものの、『多大な被害を生み出したが何とか生き延びた』という事実上の敗北を喫した。
『第二次臨界大戦』では前回の大戦よりも錬度を上げた魔術と発達した科学の力で圧倒的な力を持つ魔族と均衡し、互いに多くの死者を出した。結局この大戦では両者痛み分けという形で幕を閉じた。
長老ことオーウェン・シルヴェスターは、この『第二次臨界大戦』において多くの戦場で魔族を屠った者の一人として、『ゾディアック』では知らない人の方が少ない英雄となった。その恩恵で高価なユーティリウム製のワイヤーを持っていると考えるのが、アーサーの中では一番しっくりくる答えだった。
「そんな高価なもん俺達に使いやがって。力の入れ所間違ってんじゃねえか!?」
「全くだ。この力を衛兵達の教育に回して欲しいよ」
しかし長老が英雄などという話は二人にはどうでも良い話だった。
そもそもアーサーとアレックスはこの村出身ではない。二人が以前住んでいた場所は魔族に襲われて壊滅したのだ。結界のおかげで魔族は入って来られないはずの『ゾディアック』に魔族が現れたこの事件はかなりの大事だったのだが、当の本人達からすれば明日からの生活の方が重大な問題だった。
そんな時、身寄りの無い二人を保護したのが長老だった。
馬鹿ばっかりやっている二人だが、住む場所を与えてくれて家族同然に扱ってくれている長老には二人とも感謝している。だから世間の言う英雄など関係無しに二人にとって長老は長老で、それ以外の何者でもないから色眼鏡で見る事もない。だがその結果、使わせている本人達が言える事では無いし現実逃避に他ならないのだが、二人は自業自得の結果に愚痴をこぼし続ける。
人の素性で態度を変えないのは美徳かもしれないが、尊敬や敬意が全くないというのもそれはそれで問題なのかもしれない。
「……呆れた。あんたらってホント勝手よねえ……」
突然茂みの方から声と共に、長い赤い髪を後ろで束ねたアーサー達と同じくらいの年の少女が呆れ顔で出てきた。アーサーはその少女が誰か気づいて声をかける。
「アンナ。わざわざ来てくれたのか?」
「そうよ。わざわざ来てあげたんだから感謝しなさいよね」
赤髪の少女の名は、アンナ・シルヴェスター。今しがたアーサーとアレックスの二人を打ち負かした長老の孫であり、二人の数少ない友達だ。
ただ孫といっても形式上の話だけで、アンナも長老に拾われた子供だった。二人と違って親に捨てられて森を彷徨っていたアンナには心の傷を埋めるためにも明確な家族が必要だろうという事で、長老と同じシルヴェスターを名乗っているのだ。
「丁度良かった。ちょっと水持って来て……」
「おおー! アンナ! ユーティリウム製のナイフでも持って来てくれたのか!?」
アーサーが問題の水を補給してもらおうとすると、それより早く現状を打破できる道具を求めてアレックスが声をあげた。ただ当の本人であるアンナは首を傾げて、
「えっ、ユーティリウム? あんな高価なもの買える訳ないでしょ」
「帰れテメェに用はねえ!」
とんでもない手のひら返しだった。アレックスはアンナに唾でも吐き捨てるような表情で叫んだ。
「せっかく来てあげたのに酷くない!?」
「まあ落ち着けよ二人とも」
軽く喧嘩に発展しそうだったので、アーサーは早々に仲介に入る。本音を言えば、縛られたまま一方的にやられるアレックスを見るのも面白そうだな、と思ったのだが、それよりも現実的な問題を解決する方がアーサーの中で優先度が高かった。
「大体アンナが居るんだからナイフが無くても結び目を解いて貰えばいいだろ?」
「言われてみればそうだな。という訳でアンナ、結び目を解いてくれ」
アレックスが頼むと、今度は苦い笑みをしてゆっくり目線を外した。
「いやあ……。これ結んだのおじいちゃんじゃない?」
「そうだな。それで?」
アンナは親に悪戯がバレた子供のような顔で、
「それが調子に乗って、結び目を溶接すれば逃げられないんじゃない? って言ったら本当に溶接しちゃったのよ。私の魔力適正も火だけど、さすがにおじいちゃんが溶接したこれを解くのは無理かなーって。あはは……」
「「ふざけんなさっさと何とかしろこの野郎!!」」
軽く笑ったアンナに二人の怒声が飛ぶ。
さすがに焦ったアンナが、まーまーと落ち着かせるように両手を前に出す。
「そもそも私が逃がしたとしてその後どうするのよ。最悪今度は三人揃ってご飯抜きよ」
「うっ……確かに……」
「結局あんたらは三日間ここで縛られてるしかないのよ。食料と水くらいは持って来てあげるから、たまには大人しくしてなさい」
「……まあ、そこら辺が妥協点か」
一番の心配だった食料と水の問題が解決してので、アーサーは三日間くらいなら仕方ないと納得した。その隣のアレックスもしぶしぶといった感じでひとまず納得した。
二人の様子にアンナは満足げに頷くと、思い出したようにズイッとアーサーの耳元へ顔を近づける。
「(アーサー、これ)」
アンナはアーサーの耳の側で小声で話しながら、アーサーの手に強引に何かを握らす。
「(これは?)」
アーサーもアンナに合わせて小声で聞き返す。
「(ユーティリウム製の短剣よ。おじいちゃんの部屋から持ってきたの。もし何かあったらそれを使って)」
そう言って渡してきたのは、刃渡り二〇センチほどの直刀で、ナイフとも呼べなくもない短剣だった。ともあれ今の状況では喉から手が出るほど欲しい物であるのも確かだった。
「(それはありがたいけど……じゃあなんでさっきは無いなんて言ったんだ?)」
「(アレックスに渡したら調子に乗ってすぐ使うでしょ? それじゃ罰の意味がないじゃない。その短剣はあくまで非常用よ)」
アーサーは自分達の事を知り尽くしている幼なじみの配慮に苦笑しながら、
「(素直に礼を言っとくよ。万が一山火事が起きるような事があったら使わせてもらう)」
「さっきから何をコソコソ話してんだよ」
さすがに長く話しすぎたのか、アレックスが怪訝な顔で会話に割り込んできた。
「べっつにー。ただ単にアレックスの悪口よ」
「ただ単にで人の悪口ってタチ悪いよ! テメェ後で本当に覚えてろよ!」
アレックスの恨み言を笑って聞き流しながら、アンナは元来た道を帰って行った。
獣道を快活に進んで行く辺り、流石はあの長老の孫娘といった所か……。
「……でも、なんだかんだで良いやつだよ、アンナは」
アンナの姿が完全に見えなくなってから、アーサーはポツリと呟いた。
「……んなこと分かってんよ。大体俺達とつるむような物好きだしな」
それにはアレックスも同意した。
二人にとってアンナはいくら軽口を叩いたり適当にあしらったりしていても、長老同様かそれ以上に感謝している存在なのだ。
「だがそれとこれとじゃ話は別だ。帰ったらまずイジメてやる。具体的に言うと縛ったあいつの前でケーキを美味そうに食ってやる!」
「……小さいなあ、アレックスは」
「ほっとけ。この罰が終わった後にやりたい事でも考えてねえと三日も保たねえんだよ。せめて隣で縛られてるのが野郎じゃなくて綺麗なお姉さんとかだったら退屈しねえのによお」
「嘘つくなよ。隣で美人のお姉さんが縛られてたらそれこそ悶々とするくせに」
「馬鹿言うんじゃねえアーサー! 縛られてる美人なお姉さんを見るより美人なお姉さんに縛られてる方が興奮するに決まってんだろ!」
「うわあ……流石にその発言は俺でも引くんだけど」
そんなこんなで無駄話をし続けるアーサーとアレックス。
話疲れては休んでは再び無駄話を再開する。そんな事を何度も繰り返した休憩のタイミングで、アーサーはふと先程アレックスの言っていた一言を思い出していた。
(終わったらやりたい事、か……)
上を見上げて青空に浮かぶ真っ白でゆっくり動いている雲を見上げながら、アーサーが最初に思い付いたのは、
(今度は簡単なフラッシュバンでも作ろうかなあ……。『光の魔石』を透明テープでぐるぐる巻きにしたらそれっぽくなるだろうし)
やはりどうでも良い事だった。
他にも食料と水を持って来てくれているアンナにどんなお礼をしようかとか、今度長老と戦う時にはどんな戦術を使おうか、などなど。
(あとは……そうだなあ……他の国に行ってみるのも良いかもしれないな)
そこまで考えて、思わず笑みがこぼれた。
「今日も今日とて平和だねえ」
自分達の事を本気で怒ってくれる長老。
自分達の友達であり続けてくれるアンナ。
そんな人達がすぐ傍に居て、悪友と馬鹿やっては怒られて罰を受けて、それが終わったらまた馬鹿やって怒られる。
そんなささやかで温かな、幸せな日々がずっと続くと信じていた。
しかし彼らは知らない。
その平和は、綱渡りのような危ういバランスの上に成り立っている事を。
この時、自分達の身に最悪の事態が近づいている事を。
そしてその事態が、自分達の人生を大きく変える出来事だという事を。
後でどんなに後悔する羽目になろうとも。
今の彼らには、知る術がない。