75 『魔』の力を以て世界の『法』を覆す
様々な思惑が混じり合い、戦争は始まった。
ヴェルトが地下に通した通路は当然塞がれているので、今回魔族達は正面から『アリエス王国』を目指していた。
数にしておよそ一〇〇の下級魔族が血走った目をして『アリエス王国』に迫っていた。
けれどエルフ達はそれを森の中で迎撃する事もなく、彼らが森を越えるのをじっと待っていた。
そんな事は知らない魔族達が森と国の境界線を越えたその瞬間。
ズッッッバァァァァァン!!!!!! と。
思わず耳を抑えたくなるほどの轟音が轟いた。
大量に仕掛けられた『炸裂の魔石』を、たった一つの『火の魔石』の遠隔起動でアーサーが離れた場所から起爆させた音だった。
『アリエス王国』の思惑通り魔族の大群を爆破に巻き込むことはできた。しかし魔族の中には倒れている者もいたが、そのほとんどはまだ動ける余力を残していた。
残った魔族は倒れている者には目もくれず、すぐに進軍を再開する。下級魔族は中級魔族ほど知性がなく、どちらかと言うと野生的だからの行動だろう。彼らが国内に入られているのに、爆破以外に一切反撃の様子を見せない『アリエス王国』に違和感を覚える事すらしない。
やがて彼らは七日前と同じく王宮へと辿り着いた。けれど七日前とは違う事が一つ、『アリエス王国』の兵士がここに来ても現れないのだ。
いよいよ怪しんだその時、魔族のいる庭全体に大きな魔法陣が浮かび上がった。
では、ここで簡単な話をしよう。
魔術には設置型というものがある。壁や地面に自身の魔力を仕込み、特定の条件を満たせば発動するタイプの魔術だ。
その中でも特に多く、大戦中も度々使われた条件は『設置した魔法陣の上を通過したら発動』というものだ。これなら発動条件がさして難しくないので設置に少しの魔力で済み、かつ一度設置すれば相手が引っかかるのを待つだけなので設置後の事は気にしなくても良い。処理も魔術を解くだけなので地雷と比べても戦争後も安全だ。
ただ一つの問題が、設置した魔術に引っかかる確率はかなり低いという事だ。戦争では三割でも引っかかれば良い方なくらいで、感知系の魔術が使える相手なら全くと言って良いほど引っかからない。
しかしこの問題は、今この状況においては簡単に解決する。
設置型の魔術を確実に当てる方法。
それは。
「敵が必ず来る所に設置すれば、躱せるはずがない」
宮廷から遠く離れた場所でアーサーが呟いた瞬間、魔法陣に変化が起きた。
◇◇◇◇◇◇◇
七日前の会議の後で、日を改めて作戦を煮詰めるためにアーサーとフェルトとシルフィーが円卓の会議室に集まってこんな会話をしていた。
「魔族を誘い込む所までは良いとして、後はどうやって一網打尽にするか。何か手っ取り魔術ってないんですか?」
「そこは丸投げなのか……」
フェルトは思わず呆れた声を上げるが、アーサーはしれっとした様子で、
「まあ、結祈に頼めば良い忍術があるかもしれないんですけど、できればあいつには消耗無しで中級魔族と戦って欲しいんです」
「そうは言っても、さすがにそこまでの大魔術は『アリエス王国』には無いぞ?」
「そうですか……」
無いものは仕方ないので、別の案を考え始めるアーサー。しかしシルフィーはキョトンとした顔で告げる。
「フェルト兄様、魔法じゃダメなんですか? 私の『氷焔地獄』なら可能だと思いますけど」
「シルフィー! お前……ッ!!」
どうやらシルフィーの言ったそれはまたしても秘匿事項だったらしく、フェルトは慌てて止めようとするが既に手遅れだった。アーサーの耳にはその単語がはっきりと残っている。
「……フェルトさん、魔法ってなんですか? 魔術とは違うんですか?」
「……はあ、シルフィー。お前は口が軽いぞ」
フェルトは参ったような顔をして天井を仰いだ。それからチラリとアーサーの顔を一瞥して、
「……頼むから、この件についての他言は控えてくれ。君の仲間内だけならともかく、『ゾディアック』に広がったら洒落では済まない事態になる」
「……分かりました」
前に中級魔族討伐を『ゾディアック』に広めると、嘘でも言っていたフェルトがそう言う程の秘匿事項なのだろう。アーサーは息を飲んで了承する。
「すみませんフェルト兄様。私……」
「良い。どうせ今回の戦争に勝つには使わなくてはならなかっただろう。先に説明しておいた方が混乱が少なくて済む」
申し訳なさそうに頭を下げるシルフィーにそう言い、いよいよフェルトが魔法について語り出す。
「簡単に言うと、魔法というのは魔術のように魔術法則に縛られず、自分の好きな事を魔力によって引き起こせるんだ。たとえば瞬間移動ができたり、時を止められたりもする」
「……使用条件は?」
アーサーはあまりの事柄に息を飲むが、すぐにそう訊き返す。普段魔術との関わりが少ないからこそ立て直すのも早かったのかもしれない。
「まずは『魔の力を以て世界の法を覆す』というキーワードが必要だ。今それを知っているのは、国のトップかその重臣くらいなものだろう。国民は誰一人として知らない、というよりは我々が隠している」
「それはなぜですか?」
「遙か昔、この世界には魔術という概念はなく魔法しかなかった。最初は今で言う基礎魔術のような事しかできなかったが、ある時誰かが魔法の本当の力に気付き、それを広めていった。そして誰もが魔法を使い、世界の法を覆していった。そうして誰もが好き勝手に使うものだから、誰も元の世界を思い出せなくなったんだ。それを『英雄譚』にも出てくる勇者達が特異な力で世界を今ある形に押し留めた。そして二度と同じ過ちを犯さないように魔法の才能を魔力適正という形に置き換え、魔法の力を魔術という新しい法則に当てはめた。それにより世界は安寧を取り戻した。まあ完全には押さえ込めなかったがな」
「……? どういう……」
「魔力適正には稀に『無』の適正が出る事がある。君は感じた事はないか? 『無』の特異性と汎用性を。あれは魔法の名残なんだ」
「……」
感じた事はある。
たとえば長老の使っていた『一つ一つの積み重ね』。あれは最初に使用する時にだけ魔力を消費し、その後に段階的な強化には魔力消費がない。つまり、魔力を使って引き起こすべき現象に魔力を使っていないのだ。
そしてもう一つ心当たりがある。それは魔族に村が襲われた時、急に燃え広がった炎だ。
(……燃焼速度が異常に早かったあの炎。つまりじーさんは魔法が使えたのか)
今になって考えると、長老は『第二次臨界大戦』で武勲を挙げたのだ。それくらい強力な術を持っていたとしても不思議ではない。
「現状、この国で魔法が使えるのはシルフィーだけだ。この魔法は魔術と同じで設置型としても使えるが、発動時にもそれなりの魔力を使う。そして当のシルフィーは避難する気がない」
「当然です。私が助けを求めたアーサーさん達が戦うのに、私だけ逃げる訳にはいきません」
「……こんな感じで頑固でな。つまり」
「つまり戦争中はシルフィーの魔力が回復するまで守る人が必要、って事ですね」
アーサーがフェルトの言葉を拾ってそう言うと、フェルトは力強く頷いて、
「そういう事だ。そしてそれは君達に頼みたい。おそらく、この国で一番戦力があるのは君達だからな」
「でも、俺達の役目は対中級魔族ですよ? 普通より危険です」
「それでも君達にならシルフィーを任せられる。それに、シルフィーもそれを望んでいるようだしな」
そこまで言われて、アーサーには断る理由はなかった。
それに元々シルフィーだけは何があっても守るつもりだった。近くにいるなら都合が良い。
「分かりました。それで、次は遊撃用の部隊の話ですが……」
「ああ、それならヴェロニカ筆頭のメイド部隊と、うちの精鋭一〇人を集めた部隊を作った。すまないが、今の兵士の数ではこれが限界だった」
「いえ、十分です。彼らにやってもらうのは、あくまで打ち漏らした魔族の討伐と劣勢の戦場のフォローですから。むしろ問題は、向こうの中級魔族の数ですね。あの『蟲毒』の野郎だけならともかく、別の中級魔族に来られたら……」
「待て、『蟲毒』というのは何だ?」
蟲毒というのは、簡単に言うと古代において用いられた虫を使った呪術のことだ。壺などの容器に大量の虫を入れ、生き残った一匹を呪いの媒介にすると効果が上がったり、なんて話もある。
そんな言葉を放った真意を問い詰めようとするフェルトに、アーサーは得意げな表情で、
「前に来た中級魔族の敵性コードネームですよ。あいつの魔術はおそらく、サラの『獣化』の虫バージョン、『虫化』ってところですからね。あらゆる虫の特性を取り込んでいるから『蟲毒』です。まあ、意味自体は全然違いますけど、あいつの異常な強さともかけてみました。気に入らないなら変えますけど」
「いや、君がそれで適していると思うならそれで良いだろう。戦うのはあくまで君達なのだからな」
「ええ、フェルトさんは宮廷でみんなが返ってくるのを待っていて下さい。必ず全員無事に帰って来ますから」
◇◇◇◇◇◇◇
シルフィーが設置していた魔法、『氷焔地獄』が発動し、魔法陣から青白い焔が噴き出す。
その焔は地面を伝って魔法陣の上に立つ魔族達に引火し、その焔で焼かれた部分は芯から凍り付いていく。長老の使っていた『滅炎の金獅子』は、グラヘルのように炎さえなんとかできれば防げるが、この魔法は違う。芯から凍り付いているため、防ぐなら引火した部分を切り落として魔法陣の外に出なくてはならない。しかしそれだって足から引火して切り落としても、這って移動してしまえば体中に引火してしまうためほとんど脱出不可能。それがシルフィーの魔法だった。
「よし、作戦の第二段階までは順調だな」
宮廷の庭が魔族の氷像で埋まっていく様子を遠くから見ていたアーサーは、一先ず安堵の息をつく。
二回の攻撃で減らした魔族の数は約三〇、進行してきた魔族のおよそ三分の一だ。予断を許さない戦力差はあるが、ギリギリ三対一の構図を作れる戦力差になった。
ただ倒した魔族は先行してきた者達だけで、森の中にはまだまだ魔族が残っている。直接戦闘は森の中になるだろう。
「シルフィー、魔力の残量は大丈夫か?」
「はい、さすがに今日はもう魔法は使えないと思いますが、通常の魔術で支援する事くらいならできます」
そこも安心するポイントだ。シルフィーが使える魔術の中には、『光』に属する回復魔術も含まれている。これから中級魔族とぶつかる中で、彼女の回復魔術の存在は大きい。
「結祈、魔力感知で戦場はどうなってるか分かるか?」
「うん……。魔力がいっぱい混じり合ってるせいで分かりにくいけど、どうやら魔族とエルフ達は直接戦闘に入ったみたい。『蟲毒』も感知できてるよ」
そこまで確認して、アーサーはフェルトからあらかじめ渡されていたマナフォンを取り出す。そして一番と二番と三番を同時に押し、フェルト、メイド部隊、精鋭部隊の三か所に同時に繋いで言葉を発信する。
「こちらアーサー。全員、準備は整ってますか?」
『はい。メイド一同、いつでも動けます』
『こちらも問題無い。敵は視認できている』
アーサーの言葉に最初に反応したのはメイド部隊のヴェロニカ、次いで精鋭部隊のリーダーエンシオが応答を返した。
「こちらも準備オーケーです。ではフェルトさん、指示を」
三つの部隊は、宮廷内で待機しているフェルトの次の言葉をじっと待つ。
フェルトは少し考えてから、それぞれの部隊に指示を出した。
『メイド部隊、精鋭部隊は予定通り遊撃に回り、苦戦している戦場や左右に散ろうとしている魔族を叩いてくれ。そして対中級魔族部隊も予定通りだ。現状、確認できる中級魔族は七日前に現れた者と同じで一体だ。敵性コードネーム「蟲毒」を倒せ』
三つの部隊がその指示を承諾すると、それぞれがすぐに動き出す。
立ち上がりのペースを掴んだとはいえ、戦争はまだ始まったばかりだ。