74 開戦の烽火
「……ん、ぁ?」
久しぶりに熟睡できたアーサーは、朝日が昇って来た頃に目が覚めた。
熟睡できても昨夜は寝た時間が少ないので疲れが取れていないと思ったが、今までにないくらい調子の良い寝起きで、戦争当日の朝に調子が良かったのは僥倖だった。
しかし、すぐに起き上がって準備しようとすると、何故か右腕が妙に重かった。半分寝ぼけ眼でそちらの方を見ると、あまりの驚きですぐに目が覚めた。
そこには昨夜の時点で際どいネグリジェ姿だった結祈が、アーサーの腕を抱き寄せながらその服を着崩した状態で気持ちよさそうな寝顔を浮かべていた。
(……もしかして結祈のやつ、あのまま寝ちゃったのか? そういえば疲れを取る忍術を使うって言ってたけど、無理させちゃったのか)
昨夜の事だけでなく眠った後も世話になっていたのだとすると、さすがに申し訳ない気持ちになってくる。
「……いつもありがとな」
アーサーは気持ちよさそうに眠る結祈の頭に手を乗せて、くりゃりと撫でる。今までで一番幸せな朝に、アーサーは柔らかい笑みを浮かべて呟いた。
けれどそんな幸せな時間は唐突に終わりを告げる。
ドアがノックされ、廊下から聞き慣れた声が聞こえて来たからだ。
『おいアーサー、起きてるか? わざわざ起こしに来てやったぜ』
『アーサー、結祈を知らない? 朝起きたら布団にいなかったんだけど』
『ふ、二人とも。アーサーさんはまだ寝てるかもしれませんし、そんな大きな声で騒いだら……』
アーサーは自分の今の現状を確認して、全身から嫌な汗が噴き出してくるのを止められなかった。
ベッドの中には無防備なネグリジェ姿で現在進行形で右腕に抱き着いている行方不明の結祈がいる。今部屋の中に入って来られたら、言い逃れはできないだろう。
「結祈、起きてくれ」
せっかく気持ちよさそうに寝ている結祈を起こすのは忍びないが、今は拘泥している暇はない。肩を強めに揺さぶって耳元で呼びかける。しかし結祈にはまったく起きる気配がなかった。
アーサーはアレックス達がすぐに部屋に入ってくるかもしれないという危機感から呼びかける声を大きくする。
「おい、結祈。起きろって! 無理でもせめて手は放してくれ! こんな所見られたら洒落にならないぞ!?」
「うぅ……ん、アーサー……♪」
「ぎゃあー! そんな甘い声で抱き着いて来ないで密着度が増してるからー! その寝巻生地が薄いし、いよいよアーサーさんの内なる野生ってやつが目覚めちゃうからー!!」
「ん、ん……いやぁ……」
「さてはこいつ俺を悩殺する気か!? 死因が悶死なんて恥ずかし過ぎるんですけどお!!」
いつもの姿からは想像できない無防備な姿で、甘い声で小さな子供みたいに甘えてくる結祈の可愛さは破壊的だった。
廊下のアレックス達以外にも、色んなピンチが同時にアーサーを襲ってくる。もういっそこのまま全てを無かったことにして二度寝に入りたい気分になってくる。
しかしそんな風に現実逃避をしていると、ついにドアが開かれた。廊下から三人が一気に部屋の中に入ってくる。
「おっ、んだよアーサー。起きてんなら返事くらい……」
そして入って来てすぐ、三人はベッド上で抱き合うような姿勢のアーサーと結祈を見て固まった。空気すら凍り付いたように四人が微動だにしない中で、唯一動く人物がいた。
「……アーサー、寒いよ。布団に戻ろう……?」
半分眠ったまま、結祈はアーサーの服を強く引っ張って布団の中に引きずり戻そうとしていた。沈黙は破られたが、できれば黙っていて欲しかったのが本音だ。
とりあえず何かを話そうと、起き抜けの常套句を言う事にする。
「お、おはよう……」
「「「……」」」
「待って無言で圧力かけてくるの止めてそれが一番キツイからせめて返事くらいしてくれ!!」
アーサーが懇願に近い恰好で言うと、三人はそれぞれ別の事を言い始めた。
「いつかやるとは思ってたが、テメェついに襲ったのか?」
「……アーサーさん。もしかしてこのために別室を用意させたんですか?」
「とりあえず歯を食いしばりなさい」
「誤解だーっ!!」
戦争当日だというのに、その日の朝は慌ただしいものとなった。
その原因となった少女は、結局アーサーが事情を説明し終えるまで起きる事はなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
「……酷い目に遭った」
宮廷の廊下を、アーサーはうんざりした調子で呟きながら歩いていた。
せっかく気分の良い朝だったのに、起き抜けから説教タイムに移行すれば誰だってこうなる。
「まあ、テメェが何かする訳なかったな。どっちかっていうと、結祈の方が何かしてそうだ」
「だから何も無かったって。結祈は最近寝不足の俺を心配して、疲労回復の忍術を使ってくれただけだよ」
「どうだかな」
アレックスの勘は何気に当たっている訳だが、そもそもそれは結祈しか知らない事なので真実を確かめる術は他の誰にもない。アーサーとアレックスが会話している後ろで、結祈もサラとシルフィーから質問攻めにあっているがボロは出さないだろう。
「とりあえず頭を切り替えよう。ヴェルトのヤツは七日後に来るとは言ってたけど、正確な時間までは言ってない。今このタイミングで襲って来ても不思議じゃないんだ」
「その辺は大丈夫じゃねえのか? たしか魔族が接近してきたら設置型の魔術で花火が上がるんだろ? その後も一時間くらい余裕があるみてえだし、まだ飯を食う時間くらいはあんだろ」
「まあ飯を食わないとさすがに力出ないしな。みんなは食べたのか?」
「俺達はまだだが、兵士達には今おにぎりを配ってる。大まかな準備事態は昨日の段階で終わってるからな、それを食いながら待機って感じだ」
そこまで話し終わると、丁度食堂に辿り着いた。
彼らの分の朝食も兵士達と同じおにぎりだ。戦争前に食べ過ぎて動けなくなってもあれなので、一人当たり一個ずつ食べる事になっている。兵士達に配られていたおにぎりを優先的に渡してもらい、五人は席に着いて朝食の段取りとなった。
しかし四人がおにぎりを食べている中で、アーサーは貰ったおにぎりをアレックスに渡し、ウエストバッグから毎度おなじみのカロリーチャージを取り出す。
「食わねえのか?」
「良いよ、今日はお前にも大分動いて貰う事になると思うし、エネルギーを溜めとけ」
「それは良いが……これから戦争だってのに、テメェの朝食はそれで良いのか?」
アレックスの素朴な疑問にアーサーは包装紙の破いたそれをパクつきながら、
「だからだよ。こういう時は変に気負ったものじゃなくて、いつも通りのものを食べてた方が落ち着くんだ」
「なんつーか、テメェは最後の晩餐でもそれ食ってそうだな」
呆れながらアレックスはアレックスでおにぎりを頬張る。結局この男は美味い物を食べられればなんでも良いのだ。
「ところでサラ、調子はどうだ? 一週間しか無かったけど、どうにかなったか?」
「ブローも魔術も完成度は五割ってところね。まだまだ実践で使うには拙いけど、なんとか形にはなったって感じよ」
「分かった、勝負所になったら頼むかもしれないから準備しといてくれ。それから結祈、昨夜俺に忍術を使ってくれたみたいだけど、お前の体調は大丈夫か?」
「うん。アーサーのおかげで万全以上」
「俺のおかげ……? 何か特別な事をした覚えはないんだけど……」
「こっちの話だから、気にしなくて良いよ」
「? まあお前がそう言うなら良いや。シルフィーは例のアレの準備は?」
「問題ありません。所定の位置に誘導すれば、一〇〇パーセント発動します」
「アレックス」
「ああ、俺の方も新しい剣には慣れた。下級魔族くらいなら一蹴できるぜ」
「よし、みんな準備万端だな」
アーサーは全員の状態を確認すると満足そうに頷いた。
けれどこの中で唯一確認を取っていない人に、アレックスが突っ込んだ。
「そういうテメェはどうなんだ?」
「俺? 俺は『旋風掌底』が三発打てるくらい忍術の錬度を上げた」
「……それだけか?」
「あとは地形の確認とか? それくらいしか出来る事なかったし」
「あっ、そういえばアーサーさん」
アーサーの確認も終わった所で、シルフィーが思い出したように言う。
「魔族が来たら皆さんの士気を上げられるように一言頼めますか? フェルト兄様からもお願いされました」
「……ずいぶんと急だな。まあ分かったよ、考えておく」
仲間内で最終確認が終わった所で、それは唐突に来た。
王宮の外から大きな音と共に、目の前で大太鼓を叩かれた時のような衝撃が体に襲い掛かってくる。遠くに設置されていた魔族の襲来を示す魔術が発動したのだ。
「……来たか」
アーサーはカロリーチャージの最後の一欠片を口に放り込みながら呟き、さして慌てる様子もなく席を立って言う。
「それじゃ行こうか。クソッたれな戦争の時間だ」
◇◇◇◇◇◇◇
中庭に集まった兵士達の前で、少し高い檀上の上にアーサーは立っていた。先程シルフィーに頼まれた一言を言うためだ。
なぜ国王(代理)のフェルトではなく、部外者の人間である自分がこんな重要な役を任されたのかは全く分からないが、兵士達の中には初めてアーサーの姿を見て動揺している者もいる。とにかく何か言わなくてはならない。
「えっと……とりあえず初めましての人が多いので自己紹介から。俺は今回の作戦の立案者、アーサー・レンフィールドです。この場を借りて皆さんに一言」
拡声器の代わりの同じ用途の魔道具で声を響かせる。
この場にいる全員の視線を浴びせられながら、アーサーは続ける。
「みんな死ぬ気で戦おう……とは言わない。誰だって死にたくないだろうし」
その言葉に誰もが、何言ってるんだこいつ、という感じの目線を向けてくる。
しかし、アーサーはそんなものに構わずあくまで自分のペースを保つ。
「そもそも俺達の勝ちってなんだろう。国を護る事? ヴェルトのクソ野郎のぶっ飛ばす事? 魔族を皆殺しにする事? いいや、どれも違うはずだ。だって、みんなも護りたいものがあるから拳を握って、武器を手に取ったはずなんだから」
先日の魔族の進行で、この国は多くの仲間を失った。それを体験した兵士の中にだって、逃げ出したい者がいたはずだ。けれどあれから七日間、逃げ出そうとした兵士は一人だっていなかった。誰もがこの七日間で、出来うる限りの準備をしてきた。
それはきっと、怖くなかったからではない。きちんと自分自身の恐怖を理解したうえで、彼らは今、ここに立っているのだ。
「俺はこの国に来てまだ日が浅いけど、この国が好きだよ。ここでの出会いはどれも大切なものだ、俺は誰にも死んで欲しくない。だから、みんなで今日を生き延びること。誰一人欠ける事なく明日に行けること。それが俺達にとっての勝ちなんだと思う。たとえ今日がダメでも、生きてさえいれば何度だって挑戦できるから」
死ぬくらいなら負けた方が良いと、負ける前に逃げろと、アーサーはそう言っている。戦争前の言葉としてはなんとも消極的だ。
けれど、それでも良いと思っている。
たとえここで兵士達に腰抜けと思われようと、彼らが危機に陥った時に、今の自分の言葉を思い出して生きる道を選べれば良いと、そんな風に思っていたからだ。
「だから俺はこう言う。みんな生きる気で戦おう! 今日を生き延びて、明日を笑ってれば俺達の勝ちだ!」
それが勝利条件。
敵を撃ち滅ぼす事ではなく、あくまで全員の生還が最終目標。低いように見えて、それは敵の全滅よりも厳しい条件だ。
けれど目指す価値はある。もう二度と、『タウロス王国』でのような悲劇は見たくないから。
そんなアーサーの意志がどこまで通じたのかは分からない。けれど多くの兵士達が片手を天に掲げ、賛同の雄叫びを上げた。
そうして最後に、アーサーは始まりの言葉を口にする。
「やるぞ! アリエス王国防衛戦、開戦だ……ッ!!」