67 襲い掛かる魔族の軍団
アーサーがクロイヌと話している頃、宮廷の方でも動きがあった。アーサーが抜けた後も会議を続けていた彼らの所に、一人のエルフが飛び込んで来た。
「大変です、フェルト様!!」
「騒々しいぞ。一体なんだ?」
「魔族です! 突然、どこからともなく魔族が宮廷内に現れました!!」
「……っ、数は!?」
「……分かりません、ですがおそらく二〇体以上はいます」
「にじゅっ……!?」
魔族が現れただけでは動じなかったフェルトも、二〇もの魔族がいる事には素直に驚いた。しかしすぐに冷静さを取り戻すと、身を引き締めて情報を聞き出す。
「……迎撃は?」
「すでに当たっています」
「では城下町には『タウロス王国』か『ピスケス王国』側の森に避難するように指示を出せ。それからヴェルトに確認を取るんだ。何か知っているかもしれない」
「はい」
フェルトの命令を受けて、そのエルフはすぐに部屋を出て行った。彼が開けたドアの向こう側から派手な爆発音や戦闘音が聞こえてくる。魔族はすぐそこまで迫っているのだ。
「そういう訳だ。私達も安全な場所に移動する」
「森の中か?」
「いや、城の中に魔族がいるなら無暗に動く方が危険だ。最悪戦う事になるなら広い場所の方が良いだろう、国王の謁見の間に行く。それから君にはこれを」
そう言ってフェルトは机に立てかけてあった、鞘に入った真っ黒な剣をアレックスに渡す。
「一〇〇パーセントの純粋なユーティリウム製の直剣だ。聞いたところによると、君の剣は壊れたのだろう? これを渡すのがフィリップからの最後の頼みだった」
「……助かるぜ」
アレックスは複雑な気持ちで剣を受け取る。その剣はずっしりと重かった。
「結祈、サラ。テメェらならアーサーと合流できんだろ? あいつの指示に従って別行動しろ。シルフィーとフェルトさんの方は俺一人でなんとかする」
「大丈夫なの?」
「ああ。それとアーサーの野郎に伝言だ。今回お姫様を助けるのは俺の役目だ、いつもテメェにばっかり美味しい所を持ってかれてたまるかってな」
「うん、分かった」
了承するや否や、二人は部屋から飛び出していった。さすがのアーサーでも、単身で魔族ひしめく宮廷内にいたら命がいくつあっても足りないだろう。アレックスは心配事を一つ潰してフェルトとシルフィーの方を向き直る。
「フェルトさん、案内してくれ。さすがにこの場所じゃ攻め込まれたら対処できねえ」
「ああ、付いて来てくれ」
フェルト、シルフィー、アレックスの順で廊下を走り抜ける。幸いまだ奥までは攻め込まれていないのか、魔族の姿はなかった。その代わり、アレックスの魔力感知に覚えのある魔力が引っ掛かった。
アレックスはフェルトに頼んで足を止めて貰い、角から出て来たその人物に話しかける。
「よう、フィリップ。こんな所で何してんだ? 留置場にいなくて良いのかよ」
「君は……。っ! フェルト様も一緒でしたか!!」
「フィリップ、何があったんだ?」
「はい。留置場が魔族に襲われ、私を残して留置場にいたヴェルト様陣営は全員死亡。ヴェルト様本人は消えました。それだけを伝えたくて……」
「分かった。それでお前はこれからどうする? 他にやる事がないなら一緒に来ても良いぞ。おそらく今から行く場所はしばらく安全だ」
「有難いお言葉ですが、私にはまだやるべき事が残っています。この量の魔族を手引きしたのは間違いなくヴェルト様です。ヴェルト様本人を確保するか、あるいは侵入経路を割り出さなくてはなりません」
「分かった、お前の健闘を祈る」
「はい」
フィリップが再び走り出そうとした時、その視線がアレックスとぶつかった。少し言い淀んでいたが、やがて意を決したように口を開く。
「……君にはすまない事をした。こんな事で償いになるとは思えないが、今は自分にもできる事をやりたいんだ」
「そうかい」
それにアレックスは簡単にそれだけ答えた。フィリップはアレックスの横を通り過ぎて、長い廊下を再び走り出す。その背中に向かって、アレックスは振り向く事なく声を投げかけた。
「ま、もしお前にやり直したいっていう気持ちがあるなら、テメェは今までの道をギリギリの所で踏み留まった。それが良いか悪いかは置いといて、テメェは確かに今までとは違う方向に一歩踏み出したんだ。それくらいは誇れ」
「……ありがとう。謝罪はまた別の機会に、必ず」
「ああ、何か美味いもんでも食わせてくれよ」
結局最後まで、アレックスは振り返らなかった。次に会う時は鉄格子を挟んでいるとしても、積もる話はその時に取っておく事にした。
アレックス達は移動を再開して、謁見の間に着いた。中は今まで見たどの部屋よりも大きく、優に一〇〇人は入れそうだった。扉から真っ直ぐ赤い絨毯が伸びており、その先には玉座がある。
「ここなら万が一にも戦いやすいだろう? 衛兵も三、四人呼び寄せる。それまでは休んでいてくれ」
「……悪いがフェルトさん、そいつは無理そうだ。向こうは待ってくれねえらしい」
「む……」
フェルトも入口から近づいて来る魔力に気付いたのか、表情が険しくなる。アレックスは新しい剣を鞘から引き抜いて中段に構える。
「相手が魔族なら申し分ねえ。新しい剣の切れ味、確かめさせて貰うぜ」
◇◇◇◇◇◇◇
アーサーが宮廷に戻って来た時にはもう遅かった。
多くの衛兵達が、どこから湧いたのか分からない魔族との交戦を始めていた。宮廷の所々から火煙が立ち昇っていて、その交戦の苛烈さを物語っていた。
「くそっ! 間に合わなかったか!!」
アーサーは戦場に飛び込む前に詳しい現状を確認しようとマナフォンを手に取り、アレックスへとコールする。しかし、いくら待ってもアレックスは出ず歯噛みする。
(ちくしょう、アレックスのやつ出ないぞ。まさかもうそこまで進行されてるって事か!?)
大前提として守らなければならないのシルフィーとフェルトだ。特にフェルトが殺されれば次の王は自動的にヴェルトになる。それだけは何としても避けなければならない。
(とは言ったもののどうするか……。俺があの戦闘の中に入っていったら、数秒で殺されるぞ)
魔力感知はできなくても『ジェミニ公国』で感じた重く不快な魔力の感覚は覚えているので、中級魔族なら見れば分かる。けれど見た感じで近くに中級魔族はいない、ほとんどが下級魔族だ。けれど下級魔族でもエルフ一人と同等以上に渡り合っているのだ。アーサーの実力では下級魔族にですら簡単に殺される。
一人ではやれる事も限られる。ひとまずフェルト達との合流を目指して、壊れた瓦礫や柱の影を利用して宮廷の中へと近づいていく。
けれど死角になるものはまばらで、常にアーサーは隠れられている訳ではない。短い間でも戦場に身をさらす事になる。そしてそんな行動が目ざとい魔族相手にいつまでも見つからないはずがなかった。下級魔族の一人がアーサーの存在に気付き、遅い掛かってくる。
ヤバい、と思いつつもウエストバッグから短剣を取り出す。けれどそれでどうなるという訳でも無かった。アーサーが一回斬りかかる間に、五回は八つ裂きにされるだろう。戦力差はそれくらい離れている。
(くそっ! どうする!?)
接触まで一秒もないこの局面で、アーサーには打てる手は無かった。
ダメ元で『何の意味も無い平凡な鎧』を使って迎え撃とうとした時、アーサーの横合いから長い銀髪を持つ少女が飛び込んできて、今まさに斬りかかろうとしていた魔族を殴り飛ばした。そして地面を転がって止まった所で、今度は真っ黒な服に身を包んだ少女が真上から降って来て、雷を纏った拳をその魔族へと叩き落として命を刈り取った。
「サラと結祈か!? お前らどうしてここに!?」
突然の事に困惑するアーサーに、今しがた魔族を一人屠った二人は当然といった調子で答える。
「魔力を感じてきた」
「匂いで追って来たのよ」
「いやそういう事じゃなくてアレックスは!? シルフィーやフェルトさんの方は大丈夫なのか!?」
「今のところは大丈夫よ。だからアレックスもアーサーの方に行かせてくれたのよ」
「そのアレックスから伝言、『今回お姫様を助けるのは俺の役目だ。いつもテメェにばっかり美味しい所を持ってかれてたまるか』だって」
「……あの野郎余裕があるな。まあ、そういう事なら遠慮なく頼らせてもらうか」
二人の増援が来た事により、アーサーにも余裕ができた。頭の中でやらなければならない事を順にまとめていく。
「結祈とサラはどっちの方が早く動けるんだ?」
「『獣化』を使えば私の方が上よ」
「ならサラは荒れてる戦場に行って負傷者を運んで、余裕があれば魔族と交戦してくれ。ただし相手が中級なら即座に逃げる方向で。結祈は俺と遊撃だ。魔力を感知して打ち漏らしてる魔族を叩くぞ」
簡単に方針を決めると、すぐ二手に分かれて走り出す。
「結祈、中級魔族の反応とその数は!?」
「感じられるだけで三つ。でもまだ大分遠いからしばらくは大丈夫」
「それなら結祈は屋外と屋内だったらどっちがやりやすい!?」
「屋内!」
「じゃあ城の中で魔族が集中していて、かつ衛兵の数が足りてない場所に向かうぞ!」
「分かった、急ぐから付いて来て!」
必要最低限の情報だけ聞き、アーサーと結祈は戦場を駆ける。
結祈は的確に魔族のいる場所に駆け付け、その場にいる衛兵だけでも対処ができる数にまで減らすと、次の場所へと向かう。アーサーはその後ろでほとんどやる事がなく、ただ付いて行くだけだ。
順調すぎるその進軍の途中で、結祈は不意に足を止めた。あまりに突然だったため、アーサーは前につんのめってしまう。
「っと、いきなり止まってどうしたんだ?」
「……大変、アーサー」
そう言った結祈の顔は、今まで見た事がないくらい驚愕に染まっていた。アーサーの方もその様子にただならぬ気配を感じて、緊張した面持ちで続く言葉を待つ。
しかし、結祈の口から発せられた言葉は、準備していても衝撃を隠せるものではなかった。
「地下から増援の魔族が来てる」
「……うそだろ。まさかヴェルトの野郎、『魔族領』とここの地下を繋げたのか!?」
「幸い中級魔族はいないみたいだけど、少なくても二〇体はいる。地上の魔族と合わせたら五〇近く、今のエルフの戦力じゃとてもじゃないけど覆せないよ!」
「くそ……ッ!!」
アーサーは歯噛みして、マナフォンを取り出す。一番を押してコールすると、今度はすぐに繋がった。
「ようやく出たかアレックス! 通信はこのまま切るなよ!」
『んだよ! こっちは今立て込んでんだ!! 増援なら渡しただろうが!!』
戦闘中だからだろうか、二人のやり取りはいつもよりも激しい様相だった。
「魔族の侵入経路が分かったんだ! 地下だ、地下から大量の増援が向かって来てる! そっちで対処はできるか!?」
『ざけんな無理だ! やつら王族が目的なのか手が緩まねえ! ヴェルトのクソ野郎は行方不明だから知ったこっちゃねえが、シルフィーとフェルトさんは守らねえとやべえだろ!』
「ならこっちから行く。お前今どこにいる!?」
『国王の謁見の間ってとこだ。会議室からは近えぞ!』
「そんな案内で分かるか! 結祈、アレックスの正確な位置は!?」
「一つ下の階でわりと近くにいる。階段が近くにないから少しかかるけど、ここからなら三分で着くよ!」
「下の階なんだな!? だったらショートカットできる。そこの角に入れ!」
結祈が指示通り角に入ると、アーサーは『モルデュール』を適当に投げ捨て、自身も角に隠れると何の躊躇もなく起爆する。
爆音の後に火煙と土埃が晴れると、そこには狙い通り下の階へと下りられる大穴が開いていた。
「この道でどれだけ短縮できる!?」
「ここを通れば一分で着くよ!」
それだけ確認すると、二人は穴の中に飛び込んで一フロア下の階に着地する。
『あっ、おい! テメェ今までどこに……ってふざけてんじゃねえぞヴェルトッッッ!!』
その時、切羽詰まったアレックスの声がマナフォンから響く。
「……おい、何があった!?」
アーサーは何があったのか確認を取ろうとするが、マナフォンからは鉄を打ち合うような甲高い音や雑音ばかりが流れてくる。やがてそれらが収まると、アレックスの疲弊した声が聞こえてくる。
『……悪りいアーサー、シルフィーのやつがヴェルトのクソ野郎に連れ去られた! そっちで追えるか!?』
「お前今回はお姫様を守る役って言ってたんじゃないのか!?」
『仕方ねえだろ! こっちには魔族が大量にいやがるんだ。シルフィーとフェルトさんを守るだけでも大変なのに、ヴェルトのヤツにまで気を配る余裕は無かったんだよ!!』
「くそっ! 結祈、シルフィーは感知できるか!?」
「南に向かってるみたい。近くに魔族の反応は無いし、今なら合流される前に連れ戻せると思う。道はここを真っ直ぐだよ」
「よし、それなら結祈は予定通りアレックスと合流して地下から来る魔族に対応してくれ。俺はヴェルトのクソ野郎からシルフィーを連れ戻す」
アーサーと結祈も分かれ、これで四人がバラバラになった。特に一番戦闘力の無いアーサーは無防備そのものだ。この判断が吉と出るか凶と出るかはまさに運任せ。ほとんど死と隣り合わせの中をアーサーは全速力で走る。
やがて結祈の言っていた通り、シルフィーとヴェルトの姿が目に映った。半ばシルフィーがヴェルトに引きずられているような恰好だった。
アーサーは全力からさらに加速し、拳を握り締めてヴェルトへと一直線に向かう。
そして、
「シルフィーから手を離せ、このクソヴェルトォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ほとんど飛び込むような体勢で全体重を乗せて放った拳は、ヴェルトの顔面に突き刺さった。
普通の人なら昏倒させるのに十分以上の威力だったが、ヴェルトは地面を転がっていった先で立ち上がろうとしていた。かなり頑丈な体の作りをしている。
「あ、アーサーさん!?」
「よう、元気みたいだな。間に合って良かった」
しかしすでに虫の息のヴェルトは放置して、シルフィーに向き直る。怪我をしていないかざっと見てみるが、目立つような外傷はどこにもなかった。
アーサーが一先ず安堵の息を漏らすと、よろよろと立ち上がったヴェルトが突っかかって来た。
「くっ、正気か貴様ら! フェルトのやつもお前も、エルフが人間と組むなど……っ!!」
「お前が言うな!」
「兄様が言わないで下さい!」
なぜか自分の事は棚に上げてそんな事を言うヴェルトに呆れの溜め息が出る。アーサーはもう一発打ち込んで今度こそ意識を絶とうとしたが、そこで状況に変化が起きた。
窓ガラスを破り、何者かがヴェルトの横に並び立ったのだ。
「遅かったなソニック。速いのがお前の取柄じゃないのか?」
「ちょっとすばしっこいヤツと戦り合っててな。撒くのに時間がかかった」
アーサーはその男の事は知らなかったが、その正体にはすぐに気付いた。
忘れたくても忘れられない、前に一度だけ感じた事のある独特な魔力を放っていたからだ。
(結祈の感知じゃ近くに魔族はいないはずだった。……って事は高速移動できるタイプか。しかもこの魔力の感じ、覚えがある。あの時と同じかそれ以上……中級魔族って事か)
アーサーは額に嫌な汗が伝うのを感じていた。
この場にいるのはアーサーとシルフィーだけ。とてもじゃないが、中級魔族を倒せるだけの戦力とは言えない。
「まあ良い。あれが『ジェミニ公国』で魔族を殺した少年だ。お前に任せたい」
「『ジェミニ公国』で魔族? ああ、グラヘルのヤツか。あいつの能力ならそこらの人間にやられる事はねえと思うんだが……」
(やばい……)
「まっ、そんな相手なら俺も少しは楽しめるかもな」
(ヤバい!!)
アーサーはシルフィーの手を取って、すぐに来た道を戻る。
おそらく高速移動のできる相手との、命懸けの鬼ごっこが始まった。