66 最凶の敵のクーデター
翌日、アーサーが指定したエルフ達は裁判所に呼び出され、つつがなく裁判は始まった。
しかしテンポよくいったのはそこまでだった。案の定というか、裁判は全く進まなかったのだ。
どのエルフも言葉こそ違うが、その質問の答えのニュハンスは同じで『知らない』『関係ない』『そいつらが勝手にやった』の三点張りだ。まったくもって埒が開かない。
(せめて決定的な証拠でもあればな……)
予想されていた事とはいえ、そんな裁判の様子を離れた場所で見ていたアーサーは重い溜め息をつく。
ヴェロニカ筆頭のメイド達、フェルト側のまともな衛兵、迷惑を被った住民、そんな人達から多くの証言は出ている。けれど急な裁判で物的証拠はほとんど無いので、このままでは証拠不十分だ。そして証拠不十分なら彼らはすぐに開放される。
そうして順番はアレックスの確保したフェルトの元宰相、フィリップ・クレベリンの番になった。
「アレックスはどう思う? あの人はヴェルトに繋がる事を言うと思うか?」
「黙って見てろ」
アーサーは彼と少なからず関わりを持ったアレックスにこの後の趨勢を聞いてみるが、アレックスは正面を向いたまま簡素に答えた。仕方なくアーサーは事の成り行きを見守る事にする。
すると。
「私はヴェルト様に命じられ、シルフィール様の客人であるアレックス・ウィンターソンを殺そうとしました」
何かを質問されるより前に、矢面に立ったフィリップはそんな事を言い出した。その一言で法廷の中が慌ただしくなる。
「……アレックスはこうなるって知ってたのか?」
「知りはしなかったが、こうなるような気はしてた」
「そうか……」
アーサーはそれ以上何も聞かなかった。事情は知らないが、これで停滞した裁判が動くのは間違いないからだ。
(とりあえず、事実確認のためにヴェルトを呼べる。何とかそこで悪事の尻尾を掴めれば……)
フィリップへの簡素な質疑応答が終わると、ヴェルトが呼び出される。平然と証言台に向かう彼には焦りも憤りも感じなかった。その姿に嫌なものを感じながらも、アーサーは無意識に拳を握り締める。
一つずつ希望を手繰り寄せるのは、遠くから見ているだけのアーサーでも精神的に疲弊してくる。それをほぼ間近で見ているフェルトの胸中は計り知れない。
ましてや糾弾するのが、実の弟だとしたら。
「こうして面と向かって会うのは久しぶりだな、フェルト」
「……これから質疑応答だ。無駄口を叩かず正直に答えろ」
「質疑応答ね……。フェルト、質疑応答の前に一つだけ言っておく。誰の入れ知恵かは知らんがこんな事は無意味だ」
「……無意味、というと?」
二人のそのやり取りを、傍聴しているエルフどころか裁判長までもが固唾を飲んで見守る。
その緊迫した空気の中で、フェルトは気味の悪い笑みを浮かべて言い放つ。
「今までのこの国の体制は、俺が今日で潰すからだ」
今日一番、法廷の中が慌ただしくなる。裁判長が木槌を叩いて静かにするように訴えかけるが、ざわつきはなかなか収まらない。
「……あの野郎、何が目的なんだ?」
「……」
アーサーは黙ったままだったが、気持ちはアレックスの呟きと同じだった。今まで徹底的に証拠を隠蔽してきたフェルトが、こんな公の場で国を潰すと宣言した。その意図が全く読めず、得体の知れない恐怖が沸き起こってくる。
「……とりあえず、このまま見守ろう。ヴェルトのこの後の発言で何か分かるかもしれない」
しかしそんな期待とは裏腹に、これ以上裁判は動かなかった。
理由は単純、ヴェルトが黙秘権を行使し始めたのだ。結局ヴェルトは最初に言った意味深な言葉だけを残して、裁判は昼休みを挟んでから再開という形になった。
◇◇◇◇◇◇◇
「君達はどう思う?」
昼休みの間、悠長に休んでいる暇は無かった。フェルトはシルフィーを含めたアーサー達五人をお馴染みの円卓のある会議室に集めたのだ。
「ブラフで注意を逸らして追及を免れようとしたとか?」
「可能性はあるな」
アレックスのそれっぽい意見にフェルトはそう言ったが、納得した様子はない。この中で一番ヴェルトとの付き合いが長いのはフェルトだ。直感的だとしても、彼にしか感じられなかったものがあるのかもしれない。
つまり、フェルトはヴェルトの言った事が本当だと、心のどこかで思っているのだ。
「フェルトさんはどう考えてるんですか? ヴェルトが本当に言っていた事を実現できると思ってるんですか?」
「……可能性の話だけで言えば、有り得る。ヤツはあんな場で、根拠もなく虚勢を張るような男ではない。あそこまで自信満々に言うからには何かあると考えておいた方が良い。もちろん、彼の言うように追及を免れるための方便という捉え方もあるが……」
「つまり、フェルトさんでも正確な事は分からないんですね? ヴェロニカさんは何か言ってましたか?」
「ああ、ヴェルトからは変わらず悪意が見えるそうだ。あの悪意は虚言を吐くような者が出すオーラじゃない、というのがヴェロニカの意見だった。つまり、ヴェロニカはヴェルトに何かがあると見ている」
「……信憑性は高いか。でも、仮にそうだとしたらヴェルトは何をしようとしてるんだろう。たった一日で五〇〇年続いて来た体制を崩すほどの何か……」
現状、フェルト陣営は常に後手に回っている。裁判は唯一攻勢に出たつもりだったが、それでもヴェルトは何か余力を隠し持っている。それの正体を暴き出して対策を講じない限り、この後手の状況は変わらないだろう。
とはいえ、ヴェルトの狙いが分からない事に変わりはない。次第に誰も発言する事なく時間だけが過ぎていく構図ができあがる。
「んー……さっぱり分からん」
そんな停滞した会議の中で、アーサーは適当な調子でそう言ってのけた。そして席から立ち上がると扉へと歩いて行く。
「アーサーさん、どちらに行かれるのですか?」
その謎の行動にシルフィーが声をかける。が、アーサーはそれに足を止めず端的に答える。
「分からない事はいくら考えても埒が明かない、分かるやつに聞きに行って来るよ。みんなはヴェルトの行動に注視しておいてくれ。もしかしたらこの昼休みの間にも何かをしようとしてるのかもしれない」
そう言い残して、アーサーは部屋から出る。
無礼だと知ってそんな態度を取ったのは、余裕が無かったからだ。『アリエス王国』の裁判は早い。ただでさえ証拠が足りないこの状況だ。午後には判決を出すだろう。黙秘権で不利になったヴェルトが何かアクションを起こすとしたら、この昼休みの時間が一番怪しい。そんな一抹の不安を抱えてアーサーは静かな宮廷の廊下を走り抜ける。
そうしてアーサーが向かったのは、城下町にある適当な喫茶店だった。困った時にいつも頼る黒いクエスチョンを求めて、アーサーは店内に入る。
(さて、クロネコは……)
特に待ち合わせをした訳でもない。けれどここにいるという確信にも似た強い思いで店内を見渡す。
するとクロネコではないが、それと同じくらいに求めていた人はいた。
男は二〇歳ほどの、黒に青を混ぜたような藍色の髪を持つ青年だ。二人掛け用のテーブルで一人ティーカップを傾けている姿は落ち着いていて絵になっているが、実際正面に立つと刀のような鋭さを感じさせる奇妙な男だ。その双眸の奥にはアーサーとはまた別種の強い意志を感じさせる猛禽類のような鋭さがあった。
アーサーはそんな男に躊躇する事なく近づき、声をかける。
「よう、クロイヌ。久しぶりだな。クロネコはどうしたんだよ」
アーサーがクロイヌと呼んだのは、『ジェミニ公国』にいた頃も何度か顔を合わせた事があるクロネコと同じ情報屋だ。
クロイヌはティーカップの中身を口に含んでから答える。
「あいつは野暮用で来れん、だから代わりに俺が来たんだ。不服か?」
「そりゃクロネコは唯一と言っていい友達だし、できれば会いたかったよ。まあ、今はそんな場合じゃないからクロイヌでも良いけど。っていうかいつも流してたけど、二人とも俺が望んだ時に望んだ場所で望んだ情報を持ってるって、一体どんなトリックを使ってるんだ? もしかして俺の熱心なストーカー?」
「ふん、相変わらず失礼なヤツだ」
軽口を叩き合いながら、アーサーはクロイヌの向かいの席に腰を下ろす。
「何か頼め。おすすめはメチャコリムヴォナレンションフテリグフノヘミデサモヌチョテリヤボウマンブラジワゾウジティーだ」
「……なんて?」
「メチャコリムヴォナレンションフテリグフノヘミデサモヌチョテリヤボウマンブラジワゾウジティーだ」
「……それどんな飲み物?」
「店主がどうしても長い名前にしたかった、適当な言葉を並べただけのただの紅茶だ」
「すみませーん! コーヒーってありますかー?」
アーサーはクロイヌを無視して勝手に注文する。そもそもたかが飲み物の注文でそこまで拘泥している暇はない。
「ふん、不眠症のくせにカフェインなど摂取してどうする。ハーブティーでも頼め」
「余計なお世話だ。というか、不眠症の事はアレックスとアンナとじーさんにしか話してないんだけど。どこで知ったんだ?」
「企業秘密だ」
「……まあ深くは聞かないけどさ。それで、今日の支払いはいつも通り?」
「ああ、ここはかき氷が美味いらしい。支払いはいつも通りクロネコに食わせてやれ」
「前々から気になってたけど、お前らの関係って何なの?」
「親戚の子供みたいなものだな。あれはなかなか手間がかかる」
そんな風にいつも通り軽い話を挟んでから、アーサーは本題を切り出す。
「ヴェルトの狙いを知りたい」
「目的を聞くのは嫌なんじゃないか? 『タウロス王国』じゃそうだったんだろう?」
「くだらないプライドで間違えたくないんだ。教えてくれ」
「……まあ、良い。お前が聞きたいなら、俺は答えるだけだ」
「頼む。そもそもヴェルトの野郎は何がしたいんだ? この国を落としたって王になれる訳でもないのに……」
クロイヌはティーカップの中身を飲み干し、空になったカップの底を見ながら答える。
「どうやらヤツの狙いはそこじゃないみたいだな。エルフである彼が人間と関わりを持ったのも、ある目的があったようだ」
「ある目的?」
「ああ、不老不死だ」
さらりと。
クロイヌの口から信じられないような言葉が出てくる。
「不老不死、だって……? なんだっていきなりそんな突拍子もない話が出てくるんだ?」
「お前はハーフエルフを知ってるか? エルフと人間の間に出来る子供で、魔族堕ち同様に差別対象筆頭の種族だった。ただ魔力センスはずば抜けていて、『第一次臨界大戦』じゃ兵器として投入された。が、その結果絶滅した悲しい種族だ」
「……」
ハーフエルフについては本で読んでいたのである程度の事は知っていた。たしか『英雄譚』にも出てきたはずだ。その中に確か不老不死についての事も書いてあったような気がするが、どうしてもそれを思い出せない。
そうやって唸っていると、それを見かねたのかクロイヌが口を開く。
「実はこのハーフエルフにはある逸話がある。成人を迎えると、ある儀式でエルフか人間のどちらかを選び、その選んだ方へ種族が成り替われる儀式があったらしい。おそらく差別に耐えられなくなったハーフエルフが作った『固有魔術』か魔法だったんだろうな」
「魔法……?」
聞き慣れない単語を聞き返すが、それは話の本筋には関りがないようで、クロイヌは説明する事なく先に進む。
「問題はこの後だ。エルフを選んだ方は不老不死の呪いにかかるという話も今に伝わっている。つまりヴェルトと人間はこれが目的だ。ハーフエルフからなんとかして不老不死への手掛かりを掴もうとしているのだろう。……まあ、そんな事は不可能なんだがな」
「……もしもそれが本当なら、今現在不老不死で生きているハーフエルフがいるって事になるからか?」
「そういう訳ではないが……まあ深く考えなくて良い。今回の件には大して関係ない事だ」
クロイヌがそう言うならそういう事なのだろうと納得して、アーサーも深く尋ねる事はしなかった。
「じゃあ、わざわざ宣戦布告をしたのは後で実験に使う人達を減らしたくなかったからか? でもやつ自身エルフの戦闘能力の高さは知ってるはずだ。たとえ科学の力を借りたって泥試合になるのは火を見るよりも明らかなのに……」
自問自答をするアーサーに、新しく紅茶を頼んだクロイヌが口を挟む。
「ところがそうじゃない。ヴェルトはもう一つの繋がりを持っているんだ」
「もう一つの繋がり?」
「魔族を越える戦闘能力を持つと言われるダークエルフを作るために協力している、人間とは別のもう一つの種族。ここまで言えばお前にも分かるだろう?」
「…………………………………………………………………………まさか」
答えに辿り着いたアーサーは、確認を取るためにクロイヌの方を見る。するとクロイヌは首を縦に振った。
アーサーはそれを確認すると、コーヒーの代金を支払う事もクロイヌにお礼を言う事も忘れて店を飛び出る。そしてそのまま全力で宮廷へと来た道を戻る。
「あのクソ野郎……!」
ぎりっ、と歯軋りをして。
腸が煮えくり返りそうな思いと共に、最悪の答えが口から洩れる。
「魔族を連れて来る気だ!!」