65 逆転劇の始まり
ヴェロニカに案内されて部屋に戻ると、アレックスは壁に背中を預ける形で座っていた。アーサーはアレックスの隣に同じように腰を下ろして声をかける。
「ずいぶん疲れてるみたいだけど、何かあった?」
「そういうテメェの方こそ疲れてるじゃねえか。美人なエルフメイドさんとよろしくやってたのか?」
「美人なエルフメイドさんとは一緒だったけど、楽しい事じゃなかったなあ……」
「けっ、俺には女の子と一緒なんてご褒美もなかったっつーの」
アーサーが遠くを見るような目で答えると、アレックスは吐き捨てるように言う。
それから二人してしばらく天井を眺め、やがてアーサーの方が重い口を開いた。
「……なあアレックス」
「……んだよ」
アーサーがこれから言おうとしている事を察しているのか、アレックスの返事にも重い空気が漂っていた。
それを感じながらも、アーサーは言葉を続けた。
「やっぱり、シルフィーに協力する訳にはいかないか?」
言うと思った、といった感じでアレックスは深い溜め息をついてから、
「それは昨晩、話し合って結論を出しただろうが。中級魔族討伐のカードがある限り、俺達は動けねえだろ」
「それについて思ったんだけど、フェルトさんはあのカードは切らないと思うんだ。フェルトさんにだって広がる混乱の規模は分かってるはずだろ? いくら『アリエス王国』は被害が少ないからって、そんな真似をするはずがない」
「明確な根拠はあんのか? なんとなくじゃ済まされねえぞ」
「根拠ならあるさ」
なおも訝しげに見てくるアレックスに、アーサーはふっと笑って、
「だって、その行動はあまりにも国王らしくない」
そんな風に言った。
それだけでは納得のいっていない様子のないアレックスに、アーサーは補足の言葉を加えていく。
「シルフィーが言ってただろ。フェルトさんは先代の国王と同じ方針で国を支えるって。お前は知らないと思うけど、ネスト・フィンブル=アリエスって言ったら『ゾディアック』でも有名な賢人だったんだぞ?」
「……だからって、フェルトさんが本当にそうだとは言えねえだろ」
「言えるよ。俺がさっき会ったヴェロニカさんっていう人がいるんだけど、人の悪意や害意を見る無属性の魔術を持ってるんだ。ヴェロニカさんには、フェルトさんにそういった類のものは見えてないらしい」
「根拠は分かった。それで、また面倒事に首を突っ込むのか? しかも今度は一国の王選で、俺達がどうこうできる領域を越えてんぞ。そこら辺はちゃんと理解してんのか?」
「ああ、してるさ。確かに本来なら俺達は関わるべきじゃないのかもしれない。さっさとこの国を出て、本来の目的である『魔族領』を目指すのが妥当なのかもしれない。俺達がなにかをやったって、全部徒労に終わるだけなのかもしれない。……でも」
そうしてアーサーは一拍置いてから、先程別れたばかりの女性を思い出して、あるいは妹達の事を思い出して、一晩で意見を覆した根底を語る。
「助けて、って言われたんだ。国を助けてくれ、なんていう大きな事じゃないけど、ヴェルトに半分支配されたこんなクソッたれな国の中で、埋没してしまいそうな小さな理不尽の影で、確かにそう言われたんだ。……だったら、それで良いだろ。そういう理不尽を無くしたいって思っても良いだろ」
「それが今回、テメェが首を突っ込む理由か?」
「そうだよ。悪いか? でもさ、人が動く理由なんて、そんなもんで十分なんじゃないか? 打算なんか抜きにして、ただ助けたいから助けるって事で良いんじゃないか?」
「……人間って、そんな単純な生き物なのかねえ」
「俺達が思ってるよりはずっと単純だと思うよ」
にべもなくそう言ってのけるアーサーに、アレックスは今日何度目かになる溜め息をついて、
「……まあ、確かにこの国の現状には疑問はあるな。このモヤモヤした感じを消せるなら、寄り道も悪くないかもな」
「全く、相変わらず素直じゃないなあアレックスは」
「うるせえ」
いつも通り、けれど今回は根元の部分で同調したようになってアレックスの方が折れた。
そんなアレックスにアーサーは拳を向けながら、
「頼むぞ相棒」
「ああ、テメェこそヘマすんなよ」
アレックスは向けられた拳に自身の拳をぶつけて返す。
散々迷った挙句、アーサーの答えはいつもと変わらなかった。結局のところ、このお節介な部分がアーサー・レンフィールドという少年の本質なのかもしれない。
「ただいまー。あんたらの服も買って来たわよ」
丁度その時、サラを先頭にノックもせず三人が帰って来た。
いいタイミングだと言わんばかりに、アーサーは三人の前に立って言った。
「みんなに話があるんだ」
その雰囲気にただならぬものを感じたのか、三人もアーサー達から感染した緊張感を持つ。
それからアーサーは三人が買い物に行っていた間にあった事や、アレックスと決めた事などをかいつまんで話した。
それを聞いたシルフィーは、今にも泣き出しそうな顔になった。
「ヴェルト兄様がそこまで……」
そう呟いた言葉は、不思議なくらい部屋の中に響き、その場にいた四人の心に突き刺さった。
「結祈、サラ。二人には何の相談もしなかったけど、やっぱり手を貸すって事で良いか?」
アーサーがそんな事を問うと、サラは呆れたような表情、結祈は柔らかい笑みを浮かべて、
「今更そんな事を言うのがアーサーらしいわね。ま、らしさが戻ったって事かしら」
「もう迷いはないんだね」
アーサーがそれを肯定すると、二人は満足気に頷いた。
これで四人。アーサーはこの場にいる最後の一人の顔を正面から見据える。
「シルフィー、俺達はお前に力を貸す。だから選んでくれ」
「えら、ぶ……?」
息を飲む気配がアーサーにも伝わって来た。
シルフィー自身、嫌な予感というのを感じているのかもしれない。
「残念だけど、当初望んでいた二人仲良くこの国を支えていきましょう、なんて昔話みたいなベストエンドはもう存在しない。フェルトさんの懐近くまでヴェルトの手が回ってるんだとしたら、もうこの国の内戦は末期だ。そう遠くない内にヴェルトがフェルトさんを押しのけて王座に座る。そうなればこの国は間違いなく内側から崩壊する。それはシルフィーにだって分かってるんだろう?」
「それ、は……」
「こんな言い方をしたのは卑怯かもしれない。でもさ、正直お前の気持ちは分かってるんだ。この国に来た時のお前の振る舞いで、答えなんて貰ってるようなものなんだ。それでも今改めて、お前の口からハッキリと聞きたい。お前は何をしたい?」
「私、は……」
そう問われて、シルフィーは沈黙してしまった。
この最悪な状況でも淡い希望を持っていた彼女の、その最後の希望をアーサーは摘み取ったのだ。当然の事だったのかもしれない。
けれど四人は、シルフィーの次の言葉をじっと待っていた。立ち直ったシルフィーの言葉が自分達のこれからを左右すると知って待っているのだ。
「私は……」
そうして長い沈黙の後に放たれた言葉に、四人は満足そうに頷いた。
これで五人。ここから逆転劇が始まる。
◇◇◇◇◇◇◇
方針を決めた五人はすぐに動く事にした。
仲間内での認識のすり合わせは終わった。であれば次にやるべき事も決まっていた。
「フェルトさん」
五人は現在、昨日訪れた円卓のある大部屋に来ていた。中にはシルフィーを通してあらかじめ来てくれるように頼んだフェルトしかいなかった。
「君達の出国の準備は完了したぞ。今更話とはなんだ」
「まず最初に、出国の準備は取り下げて貰って構いません」
「……どういう事だ?」
「俺達はシルフィーと一緒にこの国を助ける事にしました」
アーサー達の前では能面のように変わらなかった表情が、初めてピクリと動いた。
「……それは中級魔族討伐が露見しても良いという事か?」
「あなたはそんな事しないでしょう?」
「根拠はあるのか?」
「ヴェロニカさん」
先刻のアレックスと同じ問いに苦笑しながら、アーサーは端的に答えた。
その人名で伝えたい事が分かったのか、今度は追加の説明は要らず、それだけでフェルトは押し黙ってしまった。
「その件でシルフィーから話があります」
「シルフィーから?」
「……はい」
シルフィーは一歩前に出ると、フェルトは正面から向き合った。
「……シルフィー。お前は何を決断したんだ?」
「私は……どちらの味方になるかなんて選べません」
シルフィーは、先程アーサー達に言った言葉を繰り返す。
「私は最初から、この国に住むみんなの味方のつもりです。だからどんな選択がみんなにとってより良い結果をもたらすのかを考えました。そして決めたんです。私はヴェルト兄様と戦います。フェルト兄様と……みんなと一緒に戦いたいです!」
「シルフィー……。気持ちはありがたいが、私はお前達を……」
「フェルトさん」
シルフィーの決意に複雑そうな顔をして言うフェルトに、アーサーは口を挟む。
「俺はあくまでごく普通の少年ですから、王様の事とか、国の事とかよく分からないけど、王様ってのはその国のみんなの事を考えられる人の事じゃないんですか? だって、王様がいるから国なんじゃなくて、みんながいるから国でしょう? それなのに、もしあなたがシルフィーや俺達の安否ばかり気にして躊躇しているんだとしたら、残念だけどあなたは王様には向いてないよ。王様になったとしても、近い内にこの国は終わる」
失礼な言い方だと理解していた。それでもアーサーは悪びれた様子もなく、睨みつけるようにフェルトを見据える。
「シルフィーは選びました、この国のみんなを救うと。あなたはどうなんですか?」
「……」
「フェルディナント・フィンブル=アリエス。あなたは王として何を選ぶんですか?」
そこまで言われて。それでもまだ何かを言い淀んでいるフェルトに、アーサーは追い打ちをかけるように、
「断言します。俺達は戦力になる。アレックスの戦闘技術はそこらの衛兵よりも上です。結祈の忍術の汎用性は魔術の非じゃない。サラの野生の勘は魔力頼りのエルフとは別のものが見えるでしょう」
「それなら君は……?」
「俺は」
そう問われて。
アーサーはふっと破顔した。それから子供にポイ捨てはダメだと教えるように、ごく当たり前の事のように言う。
「俺はどこにでもいるごく普通の少年ですよ。こいつらに比べたら、突出した取柄なんて何もありません」
そんな答えにフェルトは呆れたような溜め息をつくと。
「……とても中級魔族やドラゴンを打倒した者の言葉とは思えないな」
「それは運が良かっただけですよ」
「いや、運が良かっただけで説明できるほど、君がやったのは簡単な事ではない。それはきっと、ごく普通の少年である君だからこそできた事なのだろう」
アーサーの特性をそんな風に結論付けて、フェルトは諦めたように重い息を吐いた。
「……分かった。君達に協力して貰おう。それで、まずはどうするつもりだ?」
「『アリエス王国』にも裁判所はありますよね? だから証人喚問をしましょう」
「証人喚問?」
「さっき捕まえたマルセル・グラネルトとアレックスが捕まえたフィリップ・クレペリン。それから彼らに協力した衛兵、ヴェロニカさんが見たフェルトさんの周りにいる悪意のあるエルフ七人。その全員を裁判にかけてヴェルトの事を吐いて貰う」
「そんな事が可能だと……?」
「可能にするしかありません。これが俺達に残された細い希望なんです」
それにすがるしかないほど、フェルト側は追い込まれているのだ。アーサーには詳しい裁判の知識はない。そこは全てエルフ任せになるだろう。ヴェロニカの魔術で悪意の無い裁判官を用意したとしても、そこからヴェルトを引き出せる可能性はゼロに近い。
「……それで、この状況をひっくり返せるのか?」
「可能性は掴めます」
「可能性、か……。なかなか厳しいな」
「大口を叩いておいてこんなアイディアしか提案できなくてすみません。でも、フェルトさんとシルフィーの命だけは守ります。それだけは絶対です」
「……分かった。この提案が良き結果に繋がる事を信じて、君達を信頼しよう」
「ありがとうございます」
アーサーとフェルトは固い握手を交わす。
そして『アリエス王国』建国以来、最大規模の裁判が始まる。