64 逆転のための秘策
アーサーとヴェロニカは逃走の末、とある大部屋に辿り着いた。
今はその部屋の中に二人しかいないが、しばらくすると扉の向こうから足音が聞こえてきて、扉が開いた。入って来たのは二人、マルセル・グラネルトとアーサーに襲い掛かって来た衛兵のエルフだ。その手にはまだ剣が握られている。
「ふん、手間取らせおって。ようやく観念したか」
「誰がするか」
言って、アーサーはウエストバッグから柄に鼠色の固形物を巻き付けた短剣を取り出し、『旋風掌底』で以て投擲では有り得ない速度で押し飛ばす。短剣はあまりの速度に指一つ動かさなかった二人の横を抜けて、扉の横の壁に突き刺さった。
「動くな」
短剣が自分達に当たらなかった事に安堵の息を漏らすマルセルの思考の隙間にねじ込むように、アーサーは端的に言う。
「その短剣の柄には爆弾を巻き付けてある。爆破するつもりはないけど、アンタらが少しでも動いたら即座にそれを起爆する」
その言葉に衛兵のエルフの方が一瞬たじろいだが、マルセルの方は冷静だった。
「騙されるな。これはプラスチック爆弾じゃなくて普通の粘土だろう? そんなもので俺達を騙せると思ったのか?」
「そう言うと思ったよ」
アーサーはあらかじめ用意しておいた極小サイズの『モルデュール』を指で弾いて飛ばし、空中で起爆する。所詮『火の魔石』と『炸裂の魔石』を一つずつしか入れていない極小のサイズ『モルデュール』の爆破の規模は意味の無いほど小さいものだったが、マルセルの顔色を変える効果はあった。
「これは俺の自家製のものだ。その短剣の柄に付いてるサイズならお前らのいる位置は軽く吹き飛ばせるぞ」
「……宮廷を爆破するつもりか? そんな事をしたらどうなると思う? 馬鹿な考えはよせ」
「でもこうしないとお前らは俺達を殺すんだろ? だったらやれる事は何でもやるよ」
そうやってアーサーが生み出したのは膠着状態だった。マルセルと衛兵の方は爆弾の存在で気軽に動けないが、アーサーとヴェロニカは唯一の出入り口を塞がれていてどうしようもない。
だがそんな膠着状態がしばらく続くと変化があった。マルセルの背後、唯一の出入り口である扉から新たな人物が部屋の中に入ってくる。
「ん、これは何事だ?」
「フェ、フェルト様!? どうしてこちらに!?」
「ふう……やっとお出ましか」
アーサーが待ち望んでいたのはこの瞬間だった。証拠が無くて突き出せないのなら、現行犯でフェルトに捕まえさせれば良いという考えだった。ヴェロニカは当然のように反対したが、そこはいつも通り強引に押し切って強行した。
部屋の中にはフェルトの他に一〇人ほどのエルフが入ってくる。フェルトとフェルト側の陣営の会議、最初部屋に入った時にフェルトの姿が無かった時は少し焦ったが、四〇分待てば来るのはシルフィーの話で分かっていた。だからそれまで膠着状態を保っていたのだ。
「フェルトさん、実は……」
「フェルト様」
しかし、この状況を有効活用できるのはアーサーだけではなかった。マルセル側はアーサー達に剣を向けているが、アーサーは爆弾でマルセルを脅しているからだ。
フェルトが入って来た時には焦っていたマルセルだったが、すぐに気を取り直してアーサーよりも先にフェルトに話しかける。
「フェルト様。こいつらは宮廷を爆破しようとした容疑がかかっています」
「爆破……?」
「はい、この短剣の柄についた爆弾で……」
そう言ってマルセルは短剣の柄についた鼠色の固形物を分解するが、中から『魔石』は出てこなかった。どんなに分解しても鼠色の物体しかない。
「なんだ? ただの粘土じゃないか」
「なっ!?」
マルセルがアーサーの方を見ると、それをやった張本人はしたり顔で笑っていた。
マルセルが嵌められた、と思った時には全てが遅かった。アーサーが爆弾の所持をしていないのならば、次に責められるべきはそんな相手に剣を向けているマルセルの方なのだから。
「どういう事だ、マルセル」
「そ、それは……」
「(ヴェロニカさん、頼む)」
「(……はい)」
マルセルがフェルト達に迫られている間に、アーサーはヴェロニカに小声で話しかけた。ヴェロニカは部屋に入って来たフェルト以外の一〇人を順番に見て指をさす。
「……彼と彼、それから彼がそうです」
「その三人がヴェルト派って訳か」
アーサーの真の狙いはここにあった。マルセル達をフェルトの前に突き出すだけでなく、フェルト陣営が一堂に会するこのタイミングを狙ってヴェルト派を一網打尽にするためだ。
アーサーはヴェロニカが指をさした三人に向かって歩き出そうとするが、ヴェロニカはその腕を掴んで止めさせた。
「ヴェロニカさん?」
「……違うんです」
そう言ったヴェロニカの表情は青ざめていた。確かに三人もヴェルト側のエルフが混じっていたのは由々しき事態だが、まだ最悪ではないはずだ。しかし続く言葉はアーサーの想像を上回る、最悪以上の事だった。
「あの三方以外は、全員がヴェルンハルト様側なんです」
「……うそだろ、おい」
最悪だった。
アーサーの頭では、この状況を覆す手段が浮かばなかった。
少し関わろうと思った途端、見えてきたものはどうしようもないほど広がっていたヴェルトの罠だった。
(……どうする)
三人なら告発しても良かった。この場にいる数ならフェルト陣営の方が多かったから。けれど味方が三人しかいないとなると、この場にはヴェルト陣営のエルフが九人もいる事になる。さすがにこの場で告発するにはリスクが高すぎる。
「とりあえず会議は中止だ。マルセル、お前には別室で話を聞こう。ヴェロニカはアーサー・レンフィールドを部屋まで送ってくれ」
「かしこまりました」
とはいえ、目下の危機はこれで去った。考えなければいけない事は増えたが、とりあえずヴェロニカの案内のもと部屋に戻る事にする。
その道中、アーサーは重い口を開く。
「……まあ、色々あったけどお互い無事だったな」
「……本当に、色々とありましたね」
ヴェロニカは明らかに疲弊していた。それはそうだろう。来日二日目のアーサーでさえ衝撃を受ける出来事だったのだ。ずっとこの国に殉じていたヴェロニカの胸中は計り知れない。
アーサーはそんなヴェロニカの気を紛らわせるために、良かった方の話題を振る。
「それにしても、運が良かったな」
「……運が、良かった?」
「だってそうだろ。何だかんだであの状況を切り抜けられた訳だし、フェルトさんの傍にいるヴェルト陣営のヤツらを見つけられたんだ。いつもはあんまり運が無いけど、今日は運が良いのかもしれない!」
「そ、そうですか? 本当に運が良かったらこんな事件には遭遇しないと思うのですが……」
至極当然の事を当たり前の事のように言うヴェロニカに、アーサーは心底不思議そうな表情で、
「何言ってるんだ? 遭遇できたからヴェロニカさんを助けられたんだ。運が良かったに決まってるだろ?」
そんな風に言ってのけるアーサーを、ヴェロニカは信じられないものを見るような目で見ていた。
そして、アーサーはそんな風に見られている事に、きっと気付いていない。