60 いざ桃源郷へ
結祈と話していたら案の定アレックス達を見失ってしまったアーサーは、うろうろと歩き回っていた所を探しに来てくれたアレックスとシルフィーに見つけてもらい、なんとか部屋まで案内された。
シルフィーに礼を言ってから、久しぶりの柔らかい布団にダイブする。
「ったく、いきなり迷子になってんじゃねえよ。いなくなってた時はビビったぞ」
「悪かったよ。結祈とちょっと話をしてたんだ」
「ふーん」
会話の内容について訊いて来ると思ったが、アレックスは特に言及せずベッドから立ち上がった。
「よし、じゃあそろそろ行くぞ」
「行くってどこに?」
「決まってんだろ、風呂だよ風呂。テメェが迷子になってる間にシルフィーに場所を聞いたんだ。シャワーだけってのもあるらしいが、温泉もあるんだってよ。せっかくだから行ってみようぜ」
「俺、考え事があるんだけど……」
「んなの風呂に入りながらでも考えられんだろ。いいからさっさと行くぞ」
はたから見るとアーサーは強引に連れていかれているように見えるが、その内心は実は違った。温泉なら『ジェミニ公国』にいた時、たまに町に出て入っていた。しかも二四時間営業なので、不眠症のアーサーは夜中抜け出してまで行っていたほどだ。
つまるところ、アーサーは温泉好きなのであった。そして割とこれから行く事にわくわくしている。
(……あれ? でもアレックスってこんな風呂好きだったっけ???)
よく思い出して見ると、アレックスはわざわざ風呂に入るくらいならその金で何か食った方が良いという持論の元、アーサーの誘いを何度も断っていたはずだ。それなのに今は立場が逆、アレックスがアーサーを引っ張っている。
(風呂好きにでも目覚めたのか……?)
まあそれならそれで良いか、とアーサーはその時は深く考えなかった。
しかしこの後すぐ、アーサーはこの事を後悔する事になる。
◇◇◇◇◇◇◇
風呂は想像以上に大きかった。脱衣所からすぐに外に出る形で、目の前に大きな露天風呂が現れた。
扉のすぐ横には竹がいくつも縛られたもので壁になっており、その向こう側から聞きなれた声が微かに聞こえてくる。
「なんだ、三人も入ってるのか」
考えてみれば当たり前の事だった。そもそもアレックスに風呂の場所を教えたのはシルフィーなのだから、結祈とサラと一緒に来ていてもなんら不思議ではない。
かといって、さすがに声をかけるようなマナーの無い事はしない。独特な形の椅子に腰を下ろし、髪と体を洗う。
そうしていよいよメインの温泉の中に入ろうとしたその時、アレックスは仁王立ちで唐突に言った。
「これから女子風呂を覗くぞ」
「……なんだって?」
片足を湯の中に突っ込んだ状態で、アーサーは確認するように振り返って言う。
「だから覗きだよ、の・ぞ・き! 露天で男湯と女湯が並んでんだからやるに決まってんだろ」
「……お前、最初からこれが目的だったな」
どうりで風呂に行きたがる訳だ、とアーサーはアレックスの行動に納得した。それから呆れたように溜め息をついて、
「悪いこと言わないから止めておけよ。魔力感知の化け物の結祈に、野生の第六感を持つサラが相手だぞ? 絶対失敗するって」
「なに他人事みてえに言ってんだよ。お前もやるんだぞ」
「はあっ!? やる訳ないだろ! なんで失敗するって分かっててやらなきゃいけないんだよ!!」
「いーや、よく考えろ。こんなチャンス二度とねえ。お上品ぶってんじゃねえぞ、お前だって結祈やサラの裸に興味が無い訳じゃねえんだろ?」
「……そりゃあ……まあ、俺だって男だし、興味が無いって言ったら嘘になるけど……でも絶対に無理だって」
「だっからテメェに頼んでんだろうが。いつもの調子で何かアイディア出せ」
「んな無茶苦茶な……」
アーサーが参ったような顔をすると、
「なあアーサー、俺はな」
アレックスは今まで見た事がないくらい真剣な面持ちで、
「ここで覗かないで後悔するくらいなら、今日死んでも覗きたい」
素晴らしいほどの笑顔でそう言い放った。
「うわー……。こんなゲスな目的でその言い方をされるとは思ってなかったよ」
「うるせえ! 決まりきった結末を変えんのはテメェの十八番だろうが!! いつもテメェの無茶ぶりに付き合ってんだから、今回くらいは俺に付き合え!!」
「……くそっ、仕方ないなあ」
確かにアレックスには多くの借りがある。こんなくだらない事でその借りを少しでも返せるなら、案を考えるくらいは良いだろうと思った。
湯の中に突っ込んでいた片足を引っこ抜き、竹の壁に近寄って呟く。
「やっぱり一番手っ取り早いのはこの壁を壊す事なんだけど、それは禁止されてるしなあ……」
「その前に前提条件を無視すんな。覗きってのはバレたら意味ねえんだよ」
アレックスの言葉は聞こえていたが、あえて無視する。そもそも最初の段階でアーサーとアレックスのゴールは違う。
アレックスは当然のようにバレずに覗くのを目的にしているが、アーサーは覗きがバレようがバレまいが二人を貞操を守りつつ、アレックスを満足させるのを目的としていた。
(……いや、普通に無理じゃないか、それ?)
しかし少し考えると、すぐにそんな答えが出る。
特にバレないのは無理だ。どう頑張っても魔力感知と第六感を突破する方法が思い付かない。もういっそのこと、ここでアレックスを黙らせた方が早い気すらしてくる。
(まあ案が無い訳でもないんだけど、これ下手したらアレックスが大怪我するしなあ……)
チラリと横目で悪友の様子を窺うと、アーサーの長考などお構いなしに女湯の方を見て鼻息を荒げていた。
(……うん、まあ良っか!)
そもそもアレックスのやろうとしている事は倫理違反の犯罪なのだ。痛い目に遭わせるのに躊躇う必要はない。
「アレックス、前提確認をするぞ」
アーサーは結末を何となくイメージしながら、真面目くさった表情で言う。
「この壁を昇ったり、あるいは周り道をしてたら結祈とサラには確実に感づかれる。だから最短コースを最速でいくぞ」
「最短コース?」
「ああ、作戦はこうだ」
アーサーの言う作戦というのは無謀そのものだった。
簡単に言うと、アーサーの『旋風掌底』でアレックスを竹の壁の上まで飛ばす、というものだった。
「それって見れるのは一瞬じゃね?」
「一瞬でも奇蹟なんだよ。その一瞬を目に焼き付けろ」
適当に言って、アーサーはアレックスが躊躇する前に『旋風掌底』を両手に準備した。いつもより魔力を練るのに時間を使い、アレックスが壁に直撃しないように角度を確認する。
「よし、行くぞアレックス」
「おう、頼むぜアーサー!」
アレックスの返事を聞き、アーサーは両手でアレックスを斜め上へと突き飛ばした。
「あばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばっ!?」
急加速による風圧の壁がアレックスを襲う。しかし威力は十分だったようで、無事にアレックスの体は壁を越えた。が、その次の瞬間だった。
アーサーの『旋風掌底』よりも遥かに強力な突風が女湯の方から放たれ、空中で避ける術を持たないアレックスに直撃した。
◇◇◇◇◇◇◇
女湯で最初に異変に気付いたのはサラだった。この時はまだアーサーが案を出すのを渋っていた段階だったのだが、それでも分かる辺り野生の勘というのは馬鹿にできない。
「なんか、男湯の方が騒がしいわよ」
「ホントだ。アーサーもアレックスも温泉に入らないで何か話してる。何してるんだろう?」
「覗きの相談でもしてるのかしら……?」
「あ、そうかも。アーサーが『旋風掌底』を使おうとしてる」
結祈が魔力感知で確認し、サラの懸念を確実なものにする。
「はあ……何してるんだか」
「あれ、魔力を練る時間がいつもより長い……? もしかしたら、アーサーはワタシに知らせようとしてるのかな?」
「撃退させようとしてるって事?」
「多分。アレックスの頼みを断りきれなかったみたいだね。ワタシ一人でやっても良いけど、どうする? みんなでやる?」
「みんなでって?」
「サラは『風』の適正を持ってたよね? シルフィーは?」
「わ、私ですか?」
ずっと眺めていただけなのに急に話を振られ、シルフィーは驚きの声を上げる。
「忍術は魔力の練り合わせが基本だから、二人の魔力ならワタシの『旋風掌底』に混ぜて威力を上げられるよ?」
「『風』の適正なら持ってますが……」
「じゃあ決まりね。どうやってやるの?」
「ワタシの手のひらに魔力を回転させるように集中させて。細かい所はワタシがやるから」
「い、良いんですか? 威力を上げたら、アレックスさんが危ないんじゃ……」
「良いから良いから。シルフィーもほら」
サラはシルフィーの手を強引に掴み、結祈の右手の上にかざす。すると一秒と待たずに結祈の手のひらにアーサーのものより大きく、回転の早い旋風ができあがった。
「あばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばっ!?」
丁度その時、壁の向こう側からアレックスが奇声を上げて飛んできた。結祈はアレックスが壁から姿を現した瞬間を狙い、右手を突き出す。
結祈のそれは、アーサーのものとは違って直接当てなくても旋風を巻き起こした。というか二人の魔力も合わさっていて、それは竜巻を横にしたような颶風だった。もはやそれはもの凄い力で押す程度の話ではなく、立派に強力な風の魔術と呼べる代物だった。
そしてその颶風は無防備なアレックスに直撃し、男湯の方へと押し戻す。
「「覗きは立派な犯罪(だ)よ!」」
二人は最後に大声で叫び、アレックスの覗き作戦は失敗した。
◇◇◇◇◇◇◇
竹の壁の向こう側から結祈とサラと叫び声が聞こえてきて、アーサーは嘆息した。
「やっぱりこうなったか……」
というか、本音を言うと期待していた。そのためにわざわざ『旋風掌底』の発動に時間をかけたのだから。
吹き飛んでいったアレックスは無事(?)に温泉に着水した。さすがにあの高さから硬い地面に落ちたら笑い話ではすまない。けれどちゃんと湯の中に落ちたので、アーサーはさして気にする様子もなく、ようやく待ちわびた温泉の中へと入る。
あまりの気持ちよさに腹の底から深く息を吐き、髪をかき上げながら夜空を見上げて言う。
「あー……本当、良い湯だなあ」
ちなみにこの後、風呂を出ると待ち構えていた結祈とサラにアレックスはこってり絞られた。
踏んだり蹴ったりだが、庇って一緒に怒られるのも嫌だったので、アーサーはそそくさと部屋に戻った。
結局その日、アレックスが虚ろな表情で戻ってきたのは深夜になってからだった。
ありがとうございます。
次回からはまた物語が動きます。そう簡単に国からは出させません。