55 再びの水汲みで
では、今回は『アリエス王国』の話をしましょうか。
『アリエス王国』は簡単に言うとエルフの国で、五〇〇年前リンク達が訪れた時から名前こそ変わっていますが、『ゾディアック』ができる前からあった一番古い国です。
昔は人の侵入を許さない鎖国国家でしたが、今は友好的ではないにしろ人の入国は許していますし、隣国と貿易だってしています。
そんな『アリエス王国』ですが、つい先月、五〇〇年前から国王の座に就いていた彼が逝去しました。
五〇〇年というのは長寿のエルフの中でもかなり長生きだったようで、国には彼より先に生まれた人は一人しかいないくらいでした。
大きな悲しみが国中を覆いました。けれど新たな王は選ばなくてなりません。幸い彼には二人の息子と一人の娘がいました。順当にいけば、二人の息子の内どちらかが王座に就く事になるでしょう。
一人は彼の意志を継ぎ、今まで通りのスタンスで国を護っていこうとする兄、フェルディナント・フィンブル=アリエス。
もう一人は科学力を国に引き込んで発展させようとしている弟、ヴェルンハルト・フィンブル=アリエス。
国民からすると兄の方針の方が良いみたいですが、個人的な意見としてはどちらが就こうと大した興味はありません。
ですが、一番間近で二人の兄が王座を取り合う姿を見ている彼女の心境は、一体どんなものなのでしょうか? 心を痛めているのか、はたまたどちらか一方を応援しているのか、わたしには想像もつきません。
何もせず、事の成り行きを見守るだけのお姫様なら価値はありません。その程度ならお姫様でない普通の少女にだってできます。
けれど、もしも王座に就く権利も無く何かをしようとしているのなら、少しは面白いかもしれませんね。
◇◇◇◇◇◇◇
『タウロス王国』を発って数日、アーサー達は『アリエス王国』の森の中を進んでいた。
整備されていた『タウロス王国』とは違い、どちらかというと『ジェミニ公国』に近い感じだった。まあそもそもの人口が違うのだから、開発が進んでいない事で『ジェミニ公国』とは比べられないのだろうが。
「アーサー、水を汲んできてくれ」
森で育ったアーサー、アレックス、結祈と体力のあるサラでも、森の中を進むのはやはり体力を使う。朝起きてからある程度進んだ所で一度休憩を取る事にした。
例によって討伐能力の低いアーサーが水汲み、他の三人が狩りによる食材調達をする方に分かれる。
「……やれやれ。せっかく他国にまで来たのに、これだと『ジェミニ公国』にいた頃と大して変わらないな」
「『アリエス王国』はエルフの国だから、あまり関わらないように迂回して抜けようってのが方針だろ。文句ばっか言ってねえでさっさと行け」
「分かってるよ。その代わり食料の方を頼んだぜ、結祈、サラ」
「嘘でも俺に期待しとけよ! 絶対にテメェの度肝を抜くヤツを獲って来てやるからな!!」
「おっ、あの時とは逆って訳だな。エルフを拾って来るなよ?」
そう言い残してアーサーは水汲みに向かう。
アレックスはその後ろ姿を見送りながら、浅く息を吐いて呟く。
「ああやって冗談を言える辺り、少しは吹っ切れてんのかねえ」
「? どういう意味よそれ。結祈は何か知ってる?」
「ううん。ワタシも聞いた事ない話だよ」
「ん? そういや話してなかったか。……いや、話して良いもんか……?」
さすがにディープ過ぎる内容だけに、少しだけ考えるアレックスだったが、
「ま、問題ねえか。わざわざ仲間に隠すような事じゃねえしな」
「うわー……。訊いといて言うのもあれだけど、アレックスって秘密は話したくないタイプね」
と言いつつも興味津々といった感じでアレックスの次の言葉に注意を向ける。
「あれはまだ『ジェミニ公国』で結祈と会う前―――」
アレックスが順を追って話をしていた頃、その話の中心人物であるアーサーは……。
◇◇◇◇◇◇◇
「う……ぐっ……」
水を汲むどころか、呻き声を上げて木に体を預けていた。その足元にはアーサーの口から逆流した吐しゃ物が広がっていた。
口元を拭ってから、よろよろとした足取りで近くを流れる川に再び向かう。
(くそ……。あんな冗談言わなければよかった)
自業自得以外の何ものでもないが、アーサーはまったくトラウマを克服してなどいなかった。むしろ前よりも酷くなっている印象すらある。
けれど水は汲みに行かなくてはならない。気持ち悪い口の中をゆすぎたいという気持ちがあったからだ。
(そういえば、あの時もこんな感じだったな……)
思い出さなければ良いのに、川の気配が近づいてくるのを感じると、否が応でも思い出してしまう。
まだツレがアレックスしかいなかった頃、同じように一人で水汲みに行って、その川で流れていたビビを拾ったのだ。
もしもあの時、ビビと出会っていなかったら。あの村に立ち寄っていなかったら。そんな無意味な思考が頭の中をグルグルと回る。
「……ん?」
そんな最低な体調でも周囲への注意力がなくなっていなかったのは、ひとえにじーさんの教育の賜物か。アーサーは視界の端に三人の人影を捉えた。
特に理由は無いが、とりあえず草木の間に身を隠して様子を窺う。丁度二人の男が一人の女の子を木に追い詰めている所だった。
(あの特徴的な長い耳とプラチナブロンドの髪色はエルフか……? こんな所で何を……いや、普通に考えたら自国の森の中だから変じゃないのか?)
一人で唸っていると、男の片方が女の子を蹴り飛ばした。その光景にアーサーの顔から表情が消える。
(……アレックスは余計な事に首を突っ込むなって言ってたけど、これを見過ごすのは違うよな)
草木の影から一歩外に出たところで、アーサーはふと思った。
(でもどっちが悪いんだ? 二人の男に女の子が迫られてるのか、それとも悪い女の子を二人の男が追い詰めてるのか? まあ無防備な女の子に手を上げてる時点でクズなんだろうけど……)
再び唸り出した所で、男達の会話が聞こえてきた。
「で、こいつどうする?」
「ヴェルト様は幽閉するって言ってたな。さっさと意識奪って連れ帰ろう」
「その前に遊んでかねえか? そこら辺の放浪人に襲われたって事にすりゃバレやしないだろ」
「さすがにマズくないか? 相手はお姫様だぞ」
「大丈夫だって。ビビってんのか?」
「……まあ確かにバレやしないか。じゃないとこんな上玉見逃す手はないしな。さっさと剥いちまうか」
「はっは! そう来ねえとな!!」
「……」
アーサーは静かにウエストバッグから『モルデュール』を取り出すと右手に握る。その顔にはもう迷いの色は無かった。
深い事情は知らない。
でもどちらがゲスかは分かった。
ならばやることは一つだ。
「さてと、クソッたれ共の掃除の時間だ」
かといって衝動のままいきなり飛び込む事はしない。
エルフは魔力の扱いに長けている。正面から立ち向かっては歯が立たないのは分かっているからだ。
だから息を殺したまま、迂回するようにエルフ達に近づいて行く。
「さーて、じゃあ早速……」
「待てよ。なんでお前からなんだよ」
「あん? 俺が言い出したんだから俺からに決まってんだろ。それともここで戦るか?」
「……お前とは前々から白黒つけたかったしな。丁度いい機会だ。お前はお姫様にやられた事にして一人で楽しんでやるよ」
アーサーはその馬鹿話をチャンスと捉え、先程いた場所の真反対にまで移動してきていた。そして、最初にいた場所に置いてきた『モルデュール』を起爆する。
突然の爆発に、生物の本能に従い、エルフ達は音のした方を向いてしまう。アーサーのいる方とは真逆の方向を。
(ここだ!!)
満を持してアーサーが木の影から躍り出る。右手に魔力を集め、自身の持つ唯一の攻撃系の魔術を発動する。旋風を纏った掌を、エルフの無防備な背中に押し当てる。
「なに!?」
『旋風掌底』を当てられなかった方のエルフが驚きの声を上げている間に、当てられた方のエルフの体は吹き飛び、木に激突して糸の切れた人形のように地面に転がった。
一度に大量の魔力を失った事で独特の虚脱感が体を襲う。しかし敵の脅威は消えていない。これ以上は魔術が使えずとも、構えだけは取って残ったエルフに相対する。
「貴様、フェルト派か!?」
「フェルト? よく分からないけど、俺は通りすがりの旅人だよ」
「なぜただの旅人がエルフの事情に首を突っ込む!?」
「えっ、だって目の前で女の子がゲス野郎に襲われてたんだ。俺じゃなくたって助けるに決まってるだろ」
ご丁寧にエルフの疑問に答えているフリをして、右手をウエストバッグの中に突っ込む。あまり考えずに飛び出したので、二人目への対応策の成功率は低い。それでも先手を打たなければ、対応できない魔術を使われてそこで終わりだ。魔術を自由に扱えるか否かで、それほどの差ができてしまうのが世界の常識なのだ。
だからアーサーは僅かな躊躇いを押し殺し、すぐに行動を起こす。
ウエストバッグに突っ込んでいた右手を『モルデュール』ごと引っこ抜き、エルフの頭上に向けて投げて十分な高さで起爆する。
今度は手元から離れて起爆するまで、エルフの視線は『モルデュール』に釘付けだった。
(『モルデュール』は本当に使い勝手が良いな)
頭の片隅でそんな事を思いながら、エルフの注意が爆破に向いている内にダッシュして肉薄する。再び『旋風掌底』を使う魔力の余裕はないので、単純に拳を握り締めるだけだ。
しかし二度目となると爆破での陽動も効果が薄い。アーサーの拳が届く前にエルフと目が合う。
「二度も同じ策が通じると思ったか!!」
(そんな訳ないだろ!)
そこでアーサーは左手に隠し持っていたワイヤーを思いっきり引っ張る。アーサーは最初にいた場所に『モルデュール』だけでなく、ワイヤーを木に括り付けておいたのだ。ユーティリウム入りのワイヤーだけに爆破だけではビクともせず、強く引っ張ったワイヤーが鞭のようにしなり、縛り付けた木とアーサーの線上にいたエルフの膝の横を強打する。
「ぐ……ッ!?」
膝を折ってぐらりと体勢を崩すエルフの顔面にアーサーの拳が届く。
ほとんど無防備な状態で全力の拳が振り下ろされるように当たり、地面に叩きつけられるような恰好で寝転がる。上手く一撃で昏倒させる事ができ、ふうっと安堵の息を漏らす。
そして、最後に残った問題に直面する。
「あなたは……?」
「……」
よくよく考えてみると、少女を助ける事だけしか考えておらず、その後の事はまったく考えていなかった。
アレックス達の元に連れて行くか、それともあまり関わらないようにして何も言わずすぐにこの場を立ち去るのか。しかし怪我をしてる少女を一人残して立ち去るのもどうかと考え、天を仰ぐ。
(……どうしよう、この状況)
ありがとうございます。
第四章の始まりです。今回は第二章と意図的に絡めてみました。
皆さんのおかげでここまで来る事ができました。感想や評価等は頂けると更新の励みになります。これからもよろしくお願いします。