##1 『善性』と『悪性』
とりあえず移動を始めたアーサー達だったが、普段は昼夜問わず音があるのに薄い霧と静寂に包まれた『ポラリス王国』は不気味に映った。ただ人がいないので、わざわざ開発放棄地区に戻る必要も無く一時的な拠点は近くのカラオケボックスにした。『暗部』の『ファントム』には隠れ家があるとの事だったが、もし他の『暗部』が動いているなら一般人が普通に利用できる施設の方が不要なエンカウントをせずに済むというレムの判断だった。
『善性』と『悪性』。
大きく分けると『暗部』はこの二つに分けられるらしい。
基本的に指令には従うが、堅気に被害を出さないように配慮して不要な殺人や破壊を嫌う者達や、組織には属していないが諸々の事情で『暗部』に関わる事になってしまった元堅気の人間など、最低限の道徳心は持っている者達が含まれる『善性』。『ナイトメア』や『ファントム』はこちらに含まれる。
そして反対に目的達成の為なら手段を選ばず、例えば一人の標的を殺す為に何十人もいるビルを丸ごと吹き飛ばすような手段を平気で取れる者達や、組織に属していないにも関わらず自身の目的や悦楽の為に他者の尊厳を平気で踏みにじれるような道徳から大きく外れた者達が渦巻く『悪性』。『暗部』を支配する『ドールズ』や、アーサーが今まで出会った者でいうなら自他共に認める狂人のノイマンなどがこちらに当てはまるだろう。
もしもこの事態にあらゆる『暗部』が巻き込まれているとして、今の状況で『善性』の者達はともかく『悪性』の者達と出会うのはマズい。ここからの脱出の為なら手段を選ばない者達ならば、最後の一人になれば脱出できると仮定し、今この時も出会う者達全員を殺して回っていても不思議ではないのだ。
「とりあえず電気は通ってるみたいだね。でもこんな逃げ道も無いような場所で話し合いって危機感無さ過ぎじゃないかな?」
「あくまで一時的だし、最悪壁を壊せば逃げられるだろ」
「へぇ……アーサーって意外と野蛮な考え方するね」
「初対面で刀向けて来るヤツに言われたくは無い」
一番奥、おそらくビルの外壁の隅に位置する一番大きな部屋にアーサー、レム、アストラの三人が順に入る。独特の壁紙と匂い、そして電気を点けても薄暗い部屋だが少しでも落ち着く分には問題ない。だがユイだけは入らず外に残った。アーサーはともかく、二人がいる密室空間には入れないとの事で、次の拠点はその辺りも考慮しようと頭の隅に置いておく。
「それで、ここからの脱出方法だけどアテはあるか?」
「否定。おそらく結界の類いだと思いますが、対処法を有していません」
「私は個人が展開するレベルの結界なら破壊できるけど、流石にこのレベルとなると無理かな。それに結界だとしてリソースは何だろう? 仮に『人間領』全域を模倣した結界だとするなら、必要な魔力は生半可な量じゃないね」
「それに関しては多分だけど『箱舟』の『魔神石』が使われてるんだと思う。ここに飛ばされる寸前、紬がその力を感じ取ってた」
ヴェールヌイの力に酷似したもので、かつ広大な結界を発動、維持できるリソースと言われれば答えは一つしか思い付かない。さらにその考えは深く沈む。『箱舟』があるのは『W.A.N.D.』本部内だ。そしてこの規模からして、昨日今日の思い付きで発動したものではないだろう。
『オペレーション・フィッシュフック』。
ヘルト・ハイラントが進めている内容不明の計画。もしかしたら今の状況がそうなのかもしれないと疑わざるを得ない。というか間違いなくそうだと『勘』が言っている。
「それから仮にここが結界なら、俺の右手の力で何とかなると思う。ただし基準点を探さないといけない。でもそこさえ見つけ出せれば『カルンウェナン』ですぐにここから脱出できるはずだ」
それはすでに『ピスケス王国』で実証しているので間違いは無い。まあ勿論、ここが本当に結界だとするならの話だが。正直アーサーの実感としては、結界というよりは別の『ユニバース』と言われた方が納得できるレベルの出来だ。暫定的に『ミストバース』と呼称しても良いかもしれない。
さらにもう一つ、アーサーには考えがあった。もしここが本当に『暗部』しかいないなら、ひょっとするエミリア・ニーデルマイヤーもここにいるかもしれない。それならばここで見つけて目的を果たすのも一つの手かもしれない、と。
「要望。右手を見せて貰っても良いですか? 情報では知っていますが『力』を掌握するという点に興味があります」
「あっ、私も気になるかな。それがアーサーの力の源なんだよね? どうやってそんな力を手に入れたか興味があるよ」
「まあ、色々あって色んな人に支えられた結果かな。そんなに気になるなら右手くらいいくらでも見て良いぞ? 見た目はほとんど変わらないけどな」
そう言いながら、アーサーは包帯でグルグル巻きの右手を二人の方に伸ばす。
と、その時だった。
どろぉ、と。まるでスライムのようにアーサーの右腕の肘から先が溶けてその場に落ちた。
「なっ……にぃ!?」
何も感じなかった。痛みも、敵意も、『力』も。前触れなく目の前で右腕が溶けた。跳ねるように立ち上がったアーサーは周囲を警戒するが、依然として何も感じない。
(攻撃!? 一体どこから誰が!? 魔力も何も感じないぞ!?)
だが攻撃は止まらない。アーサーの体だけでなく、今度はレムとアストラの手足も溶けだした。さらに部屋の外壁までもが溶け出す。
「―――『炎龍王の赫鎧』!!」
右腕を失って『力』の制御がおぼつかないが何とか氣力を振り絞る。両足が残されている内に氣力で生み出した腕でレムとアストラの体を掴むと、すぐに床を蹴って外へと飛び出した。だが床を蹴った時に右足も溶けてしまい、着地できずに地面に転がる。
「くそっ……二人共無事か!?」
「なんとか……」
「こ、肯定……」
レムは右腕と左足、アストラは両足を失っているが一応は無事だった。しかし襲撃者を相手にするにはかなり厳しい状況だ。
「あーあ。あのまま溶けてたら楽に逝けてたのにな。せめて痛みなく殺してやろうっていう気遣いが理解できないのかね」
「……お前か。これをやったのは」
現れたのはボロボロの身なりの浮浪人のような男だった。酒便を片手に持っており、ふらふらと千鳥足で近づいて来る男からは覇気を感じられない。
「お前は誰だ……!?」
「プトレマイオス・ロギンヌハート。名乗ったからには必ず殺すぞ」
「ちょっ……いきなりか!? 初対面だよな!? 話し合いとか無いのか!?」
「問答無用だ!!」
敵の能力も不明で、こちらはまともに動けない。
唐突過ぎるいきなりの絶体絶命の状況だが、こちらに攻撃を加えようとしているプトレマイオスの横合いから、もう一人の仲間が飛び蹴りをかまして蹴り飛ばして窮地を救ってくれた。
「……問答無用」
「ユイ! 良かった、お前は無事だったのか!!」
「ん。外にいたから。それよりみんな大丈夫?」
ユイの視線は欠損された手足に向けられている。それは無理もないだろう。ほんの少し離れている間に三人がそれぞれ手足を失っていたのだから。
ユイは近くにいたレムに手を差し出し、レムはその手を取って上体を起こした。その瞬間、それを無視してはならないと頭の中で警告が弾けた。
「……おかしい」
本当は何もおかしくないはず。倒れている仲間がいて、手足が無くて立つ事もままならないのだ。アーサーだって同じ立場なら手を差し出したはずだ。
けれどその普通は、ユイにだけは絶対に当てはまらない。
「……お前、誰だ?」
プトレマイオスが現れた時よりも強い警戒心でアーサーはユイを睨む。きょとんと首を傾げている姿さえ、今のアーサーには白々しく映っていた。
「ユイは自分の毒で人が傷つかないように、密室に入らなかったり人に近づかないようにする優しいやつだ。そんな風に不用意に手を差し出したりなんて絶対にしない!!」
溶けてなくなった右腕。
肘から先が存在しないそこへ、アーサーは意図的に意識を傾けていく。
「何もかもがおかしい……お前の行動も、俺の右腕が抵抗できずに溶けた事も。それに襲撃が呆気なさ過ぎる。どうして俺達は無事に脱出できた? どうしてプトレマイオスはすぐに追撃して来ない?」
そもそも遠隔から攻撃する術を持っているのに、わざわざプトレマイオスがアーサー達の前に現れた事がおかしい。まるでユイに倒される為だけに現れたみたいだった。
都合の良い脚本をなぞっているだけのような違和感。それが頭の靄を徐々に晴らしていく。
「辻褄が合わない……ここは本当に現実か? もしかして俺達は無害だと思ってたカラオケに入った時点で、先に来てた誰かの罠に嵌まったんじゃないか!?」
段々とアーサーにも分かって来た。
警戒し過ぎという事は無い。常識を捨てなければ命が危うい。安全地帯などどこにも無い。それが『暗部』が蠢く閉鎖されたこの空間のルールなのだと。
「ここは現実じゃない。俺達はまだ、カラオケボックスの中にいる! いい加減目を覚ませ―――『カルンウェナン』!!」
無いはずの右腕が光り輝き、次の瞬間にはアーサーはカラオケボックスで目を覚ましていた。すぐに周りを見てレムとアストラの無事を確認する。次に自分を含めて全員の四肢がちゃんとある事を確認し、アーサーは右手でまず近くにいたアストラに触れた。するとすぐに彼女は目を覚ます。
「大丈夫か? 幻覚を見せられてたんだ」
「……質問。ここは本当に現実ですか……?」
「一応そうだ。実感ないかもしれないけどな」
右手で幻術から出て来たアーサーとは違い、アストラには区別する手立てが無い。
けれどアストラは相変わらずの無表情だが、一切の不安を感じさせない声音で返答する。
「信頼。『力』を無効化できる貴方が言うなら信じます。もし襲い掛かって来たらその限りではありませんが」
「ああ、その時は俺が操られてる時だろうから思いっきり頼む。とにかく次はレムを起こすぞ」
アストラの隣でうなだれるように眠っているレムに向かってアーサーは右腕を伸ばす。だがアーサーが触れる寸前、レムは赤い色を放つ瞳を開いた。
「警告―――」
「掴まれ!!」
アストラが警告してくれたが、それよりも前にアーサーはすでに動き出していた。レムが言う『勘』だ。それが危険を察知した。
助けようとしたレムは立ち上がり、腰から『雪霞』を抜き放つと同時に振り抜いた。するとカラオケルームの壁が容易く両断された。もしアーサーがアストラに飛びついて身を低くしていなければ、二人揃って仲良く胴体を真っ二つにされていた所だ。とにかく狭い場所で今のレムと向き合って良い事はないので、斬られた壁からアストラを担いだアーサーは外へ出る。
「疑念。何故襲い掛かって来るんでしょうか」
「襲撃者のせいって考えるのが妥当だな。プトレマイオス・ロギンヌハート……いや、その名前や姿すら本当か怪しいけど、とにかく向こうは幻術を見せてる相手を操れるのかもしれない」
「……質問。どうするんですか? 『ドールズ副長』の実力は折り紙つきです」
彼女の力の程なら初対面の時に味わっている。拳で受け止め切れる攻撃じゃないのに、剣術では全く敵わない。
それでも、アーサーは今のままの彼女をそのまま放置する事が出来なかった。唯一の突破口、自らの右手を強く握り締める。
「……本来なら回路が繋がってるレムの事は触れなくても幻術を解けるし体の動きを止められるはずなんだけどダメだ。俺とアストラが目を覚ましたのを感知して魔力をレムに集中して流してるのかもしれない」
一人で『カルンウェナン』のキャパを超える量の魔力を注ぎ続けているというのは考え難いがそれしか考えられない。
現状、レムをすぐに助ける事はできない。けれど代わりに勝機もある。
「アストラ。レムは俺が止めるから、ユイを探して術者を倒してくれ。レムにこれだけ魔力を流してるから考え難いけど、もしユイも操られてるようなら戻って来てくれ。その時はその時で何とかするから」
おそらく敵はレムが『雪姫』だと知っているのだろう。
『暗部』最強の一角。それを操る為に全力を尽くしているなら、術者本人は動けないまでもかなり動作に制限が掛かっているはずだ。ユイとアストラの二人なら難なく対処できると信じて託す。
「……承諾。術者は私が止めます」
「ああ、頼む」
「要請。死なないで下さい」
「そっちも気を付けて」
アストラはレムの方に注意しながら駆け出し、アーサーは指輪の『エクシード』を刀状の『風月』に変えてレムと向き合う。
「もうちょっとだけ辛抱してくれ、レム。すぐに俺達が正気に戻してやるからな」
アーサー達に知る由は無いが、操られている状態の彼女の敵意はより強者へと向けられる。今回はそれが幸いし、アストラは難なく戦線を離脱でき、レムの敵意はアーサーにのみ向けられていた。
「……『東雲流傑刀術』―――」
納刀し、腰を屈めた彼女の攻撃が来る。どうやら操られた状態であっても剣技は健在らしい。
「―――『疾風』」
それは神速の抜刀術。一瞬で距離を詰めて来たレムが刀を抜き放ち、アーサーはほぼ『勘』頼みでそれを何とか受け止める。
凄まじい衝撃が周囲に轟き、きっとレムからすれば不本意な形での再戦が始まった。
ありがとうございます。
今回からしばらく『ミストバース』での話となり、タイトル表記も【##1】から順に上がっていきます。『フェーズ4』入って最初から最後までまともにタイトル表記してる方が少ない……。
とにかく、この『ミストバース』では登場人物を割と登場させる予定なので、毎回所属や通り名、『善性』と『悪性』の表記を入れていきたいと思います。
【“OPERATION_FIHSHOOK” CURRENT_SITUATION.】
◆◆◆◆ 残 存 泳 者 ◆◆◆◆
名 前:アーサー・S・レンフィールド
組 織:『シークレット・ディッパーズ』
通り名: ―
善悪性:『不明』
名 前:レム・リアンドール
組 織:『ドールズ』
通り名:『雪姫』
善悪性:『善性』
名 前:ユイ・ロストリア
組 織:『ファントム』
通り名:『死毒姫』
善悪性:『善性』
名 前:アストラ
組 織:『ファントム』
通り名:『星辰』
善悪性:『善性』
名 前:プトレマイオス・ロギンヌハート
組 織: ―
通り名:『幻術使い』
善悪性:『悪性』