478 ユイ・ロストリアとアストラ
地上から見れば地盤沈下にしか見えない光景を、それが落ち着くまで見ている者が二人いた。
共に『ファントム』の構成員。
一人はユイ・ロストリア。ショートカットの黒髪で、左前髪の一房だけ長く三つ編みにしている少女。服装はショートワンピの黒い軍服とニーハイを着ており、腰には短剣を差している。紫紺の瞳には感情が映っておらず、ただ瓦礫塗れの穴を覗いている。
もう一人はアストラ。彼女は青い髪と瞳を持つ少女の姿をした『人工生命体』で、白いマントを羽織っている。彼女の瞳にはユイ以上に感情の色が無かった。
「……終わった?」
「否定。この程度で殺せる相手ではありません」
「そう……」
ユイとアストラが抑揚の無い言葉で会話をしていると、炎によって瓦礫の山が吹き飛んで中から人が這い出して来た。
「げほっ、げほっ……!! みんな、無事か……!?」
「う、うん……アーサーくんが咄嗟に『炎龍王の赫鎧』で守ってくれたから」
「ラプラスの警告があった時から心構えは出来てたからな。侵入か破壊か、後者だった時点でこうなる事は想像できた」
「……でも、私の事も助けたのは甘すぎかな?」
絶体絶命の危機ではあったが、アーサーは咄嗟にその場にいた五人を全員守り切っていた。つまりそこには当然、レムの事も含まれる。
「……お前は自力でもあの状況を切り抜けられただろ? 後で戦う事になった時にしこりを残さない為だよ」
「ふうん……でもそんな取って付けたような話じゃ私の『観』は誤魔化せないよ?」
その全てを見抜いているような視線に、本当にやり辛い相手だとアーサーは思った。ただそれは初めて感じるものではなく、まだ会って間もなかったラプラスの事を思い出した。
「……ボス、あの二人。あれが『ファントム』のユイ・ロストリアとアストラだよ」
ユキノに言われて、アーサーは襲撃者の方を注視する。黒い装いの少女と、幼い青と白の少女。集束魔力砲を放ったのがどちらかは分からないが、情報が無い以上警戒は強めるべきだ。
「気を付けて。ユイ・ロストリアは『造り出された天才児』で、アストラは『人工生命体』。どっちも正確な能力は不明だけど、戦闘に特化されてるなら油断できないよ」
ユキノの言いたい事は理解できる。だがアーサーはこうして相対して、それでも中々スイッチを入れられなかった。
理由は単純。『炎龍王の赫鎧』を纏っているからこそ分かる、彼女達には悪意や敵意が全くと言って良いほど無いのだ。
こういう手合いに対してアーサーは弱い。彼が最大のパフォーマンスを発揮するのは、誰かを守る為に理不尽を振り撒く誰かと戦う時だ。敵意も悪意も無い相手では全力で拳を振るえない。彼の強みである甘さが完璧に裏目に出ているのだ。
「……アーサー・レンフィールドは誰?」
「俺がそうだ」
ショートワンピの軍服少女の問い掛けにアーサーは答える。襲って来た割にこっちの顔や性別すら分からない事に違和感を覚えたが、そんな些細な疑問を塗りつぶす疑問がすぐ目の前で起きた。
「―――『穢れたその身に想いを宿して』」
「『シャスティフォル』……!?」
両足に魔力を集めたユイのブーツが白く染まる。
だがそんな変化よりもアーサーは名前に驚いていた。『シャスティフォル』というのはアーサーが戦闘時によく使う、『フォース』形態の原型だからだ。
「くっ……『愚かなるその身に祈りを宿して』!!」
対抗半分体力温存半分の気持ちで同じような魔術を発動してアーサーは構える。その直後、地を蹴ったユイは一瞬でアーサーの目の前に移動していた。そして抜き身の刃かと見違えるほど鋭く足を振るう。それに対してアーサーも右手のみに魔力を集束させて拳を振るった。
「―――『灰熊天衝弾』」
「―――『灰熊天衝拳』!!」
ゴッッッ!!!!!! と。
それぞれ足と拳に纏った集束魔力がぶつかり合う。
結果的に競り負けて吹き飛ばされたのはアーサーの方だった。腕と足の力の差、そしてその前の助走などが敗因だが、彼女の力が見せかけでなく本物だというのは間違い無さそうだった。
そしてアーサーが上体を起こした時には、すでに追撃が目前に迫っていた。
「『鷹刺突槍』」
アーサーの技と同じ高速の飛び蹴り。咄嗟に交差した腕で受け止めるが、すぐに破られると察したアーサーは即座に次の行動に移る。
「くそっ……『最奥の希望をその身に宿して』!!」
そうして『無限』の魔力を引き出す事でなんとかユイを弾き返した。だがユイは驚いた様子もなく、宙を華麗に舞って音も無く着地する。
「……あんた、何者だ? どうして俺と同じ技を使う?」
「私がアーサー・レンフィールドの『カウンター』として生み出されたから」
「『カウンター』? それってどういう……!?」
アーサーの問い掛けの途中、ユイは上に跳ぶと回転しながら踵を振り下ろして来た。
「『乙鳥鎚鉾棒』」
「ぐッ……『暗部』ってのはみんな話を聞かないのか!?」
頭上で交差させた腕で重い足を受け止めたアーサーはそう思う。ユイにしろレムにしろ、こちらが話していようとお構いなく攻撃して来る。当然と言えば当然なのだろうが、取り付く島もないのが地味にキツイ。アーサーのスタイル的に、戦うにしてももう少し相手がどういった人物なのか知ってから戦いたいのだ。
吹き飛ばされてみんなから離れていたアーサーに紬が追いついて来る。本来なら喜ぶべき援軍の到着だが、アーサーは二人を視認するとすぐに叫んだ。
「こっちは良い! 向こうを頼む!!」
向こう。
つまりはもう一人の『ファントム』。
ユイの意外な攻撃に『シークレット・ディッパーズ』の面々の意識が割かれている隙に、アストラは一人冷静に動いていた。
「『憑依顕現黄道十二星座』」
彼女がその名を唱えた瞬間、アストラはユイとは比較にならないほどの凄まじい量の『力』を発していた。魔力や氣力でもない、アーサーは感じた事の無い道の『力』だ。
彼女が開いた手をアーサー達の方に向けると、次第に纏う魔力が白から赤へと変わって行く。
「―――『射手』」
それは集束させた『力』による巨大な炎の矢だった。迎え撃ちたい所だが、アーサーはユイの相手でその暇が無い。というか仲間ごと攻撃してきた事に困惑していた。
「―――『光凰剣・瞬閃光』!!」
だからアーサーの代わりに、彼の警告でギリギリアストラへの意識の切り替えが間に合った紬が対処していた。
光り輝く『逢魔の剣』を振るい、同等の集束魔力の一撃で相殺した紬はそのままアストラへと突っ込んで斬りかかる。だが彼女の刃がアストラに届くその寸前だった。
「―――『双子』」
と。
短く唱えて黄色い『力』を纏った彼女の体が消えた事で紬の一撃は虚空を凪ぐ。そして問題のアストラはすでにせめぎ合っているアーサーとユイの傍に転移しており、アーサーに対して掌を向けていた。
「―――『獅子』」
再度、赤い『力』を纏った彼女の掌から炎が熾る。
(くっ……間に合うか!?)
ユイが離れると同時に放たれたアストラの攻撃は掌から放たれる爆炎だった。それにアーサーは飲み込まれる。
「動かないで下さい」
そんな状況で、冷静に動いている者が三人いた。
ラプラスはユイ、ユキノはアストラに銃口を向け、紗世は尾を二本ずつ使って二人の体を巻いて掴んで拘束した。そして二人の指先の動きにも注意しながらラプラスは問い掛ける。
「質問します。あなた達の目的はアーサーですか?」
「肯定。アーサー・レンフィールドの抹殺が指令です」
「私からも質問がある。長官がどこにいるかは知ってる? それから『ドールズ』の首魁の三人の居場所も」
「否定。どちらの所在も知らないと回答します」
「あなたは? ユイ・ロストリア」
「私も知らない」
ラプラスの能力とユキノの義眼『代理演算装置』は嘘をつく時の様子でそれを探れる。だが二人とも無表情で淀みなく答えた。それでは嘘をついていないのか、それともそう設計されているのか判断がつかない。
「それより私から離れた方が良い」
「……? それはどういう……!?」
問い掛けようとした途端、ラプラスの膝がガクンと崩れた。次に彼女は手足の痺れを感じる。
「こ、れは……!?」
「私の体は全て毒。あなたは風下にいたから」
触れれば勿論、揮発した体液すら吸えば毒。それも今はまだ問題の無い程度の症状しか出ていないが、このままラプラスがユイの傍にいれば命に関わるレベルの猛毒だ。
そうして唐突な状況にユキノと紗世の意識がラプラスの方に割かれた一瞬、それをアストラは見逃さなかった。
「『星霜結界』―――」
直後、アストラが纏う白い『力』が膨れ上がった。それが紗世の尾を弾き飛ばし、瞬く間に彼女の魔力が周囲を覆って世界を塗り替えていく。
「―――『全天八八星軍』」
それは奇妙な心象世界だった。足場も分からなくなるほどの三六〇度全てが暗い闇。そして同じように全方向に数え切れないほどの星の光が瞬いている。
その距離間が掴めない星々は予備動作なく気付いた時にはラプラスとユキノ、そして紗世に向かって飛んでおり攻撃を終えていた。
それは結界内において絶対に躱せない必中の光弾。三人を襲ったのはそれだ。
この状況下で最も素早く結界の効果を看破して行動に移ろうとしていたのは紬だ。結界を結界で塗り替える為に呪力を練り、自身の剣の刃を掴んで手を斬ろうとする。
「『断開結界』―――『夢幻の星屑』!!」
しかし、次に結界を発動したのは紬ではなくアーサーだった。
爆炎の攻撃を寸前で発動した『炎龍王の赫鎧』で何とか受け切ったアーサーは紬よりも早く結界を発動していた。アーサーの心象世界である草原と満天の星空がアストラの結界を押し返し、それぞれ半々の所で拮抗する。以前、紬とヴェールヌイの結界がぶつかった時のように片方が一方的に押し切る形とは違う。このケースだとどちらが押し切ってもおかしくない。
両者が支配権を得る為にさらに『力』を注ごうとした、その直後だった。
「―――ここまでかな」
レムの透き通るような声が響いた瞬間、彼女が抜き放った刀の一閃で二人の結界が砕け散った。
以前、アーサーが結界の基点を右手で破ったのと同じ原理だ。特に今は二人の結界が拮抗し合っていた不安定な状態で、普段よりも一層弱所が曝け出されていたからこそできた芸当だ。しかし『カルンウェナン』のように魔力を打ち消す効果が無い中で、神刀とはいえ刀だけでそれを行ったレムの腕は正に神業だろう。
おそらくこの場にいる八人の中で最も異才を放っているのがレム・リアンドールという少女だ。『ドールズ副長』という肩書がアーサーの中でようやく現実味を帯びて来る。納刀と同時に彼女の差すような鋭い目は柔らかいものに戻り、ユイとアストラの方に向ける。
「久しぶりだね、ユイ」
「……数日ぶりだね、レム」
「うん。やっぱり三つ編みが似合うね」
「まだ自分じゃできない」
「教えるよ。それからアストラは初めまして」
「質問。貴方が『ドールズ副長』ですか?」
「うん、そうだよ。だから『ドールズ副長』として聞くね。君達の指令は本当にアーサーの抹殺かい?」
「肯定。そう指令を受けています」
「それなら一旦止めて貰おうか。私の指令はアーサーの監視だから殺されたら困るんだ。これは『ドールズ副長』としての命令だよ」
「承諾。アーサー・レンフィールド抹殺の指令を一時凍結します」
「ユイもそれで良いね?」
「ん」
ひとまずこれで終わりのようだった。レムから新たな指令が出たからか、二人からの敵意は完全に無くなっていた。それに合わせてアーサー達も力を抜いて行く。それからアーサーはすぐにユイとアストラの傍にいるレムに近付いた。
「……二人を止めてくれてありがとう、レム」
「君の監視の為だからね。それにしても名前、初めて呼んでくれたね。少しは心を開いてくれたって事かな?」
「そうか? 意識してなかった」
「……というよりお兄さんは心を開きすぎだと思います。監視役と命を狙う刺客に、どうしたらそんな警戒なく近づけるんですか?」
「まあ、アーサーってそういう人だし。あたしと初めて会った時もそんな感じだったよね」
何だかんだで紬や紗世も戦闘が終わった事で多少なりとも気が抜けているのだろう。しかし戦闘を終えて、むしろ難しい顔をしている者が二人いた。
ユイから離れた事で毒の影響から脱したラプラスと、おそらくこの中で最も『暗部』と表の両方の側面を知っているユキノ。
二人が考えていた事は共に同じ。
監視と抹殺。同じ『暗部』の者達の中で、何故矛盾する指令が出ているのか。現状では答えが出ないその疑問。単なる行き違いではない何かがそこにあると、そんな漠然とした不安がしこりのように引っ掛かって拭えなかった。