473 『D』
ユキノが残してくれた座標に来ると、そこは『ポラリス王国』の開発放棄地区だった。
そもそも何故首都である『ポラリス王国』にこのような開発がされていない地域があるのか。表向きは今後の用途に応じて進めて行ったり、過去の実験失敗で危険物があると流布されていたり、企業の工業地帯になっているなどの説明から、非合法な研究が行われていたり土地が呪われているなどの半分当たりのような都市伝説もあるが、実際のところ理由は一つではない。様々な思惑が重なっているが、もし強引に一言で説明するならその方が都合が良いからだ。
「つまり、正にあつらえ向きの場所って訳だ」
「まあ、『暗部』にとっては比較的外を歩きやすい場所だね」
どこかの廃工場。実際には最初から廃工場に見えるように作られたその場所で、ユキノは見つからなかったので透夜とメアの二人は物陰からトラックに何かを積み込んでいる少年少女の動きを観察していた。『カーソル』と『アクセル』、その面々だ。
「……ちなみになんだけど、顔見知りはいる?」
「ううん。全員、見た事ない。長官が介入してから新設された組織なんだと思う」
ざっと見て八人。積み込んでいる物がもし『超人血清』なら何とかして破壊しておきたいが、能力も何も分からない相手がこちらの四倍もいるとなると無茶はできない。積み込みが終わり次第、後を付いて行って『超人血清』の向かう先を調べた方が良いと話し合って様子を見守る。
しばらくそうしていると積み込みが終わり、八人は二台のトラックの席とコンテナにそれぞれ二人ずつ乗り込んで発進する。それに合わせて透夜はメアを背負うと走って後を追いかけ、トラックのスピードが乗り切る前に後ろの扉に飛びついて上に昇る。身体強化だけでなく『獣人血清』を打った名残があったからこそ可能だった荒業だ。
透夜とメアは前を行くトラックから見えないように身を低くしてコンテナに這いつくばるように引っ付く。
「とりあえず第一関門は突破だね。このままどこに行くと思う?」
「『W.A.N.D.』本部とか? 流石に笑えないけど」
「いやー……この国ならあり得そうなんだよね、それ」
本当に笑い話になっていなかった。さらにマズいのが、下の様子が慌ただしい事だ。存在がバレたかと焦った直後、コンテナが開いて二人の少年が上に上がって来た。
その瞬間、透夜は後ろに向かって走り出した。まだ報告されておらず、単なる確認で上に上がって来ただけならば、すぐに制圧すればまだ隠密行動を続けられる可能性がある。その為にも透夜は躊躇せず殴りかかった。
『獣人血清』の名残で素の力でも常人を遥かに超える膂力を持つ透夜の全力の拳。しかし少年はそれを何てことのないように片手で受け止め、むしろ透夜の方が殴り飛ばされた。
「っ……透夜くん!? このッ……!!」
幸い、透夜は真っ直ぐ殴り飛ばされたので落ちてはいない。メアは二人を拘束する為にすぐワイヤーを伸ばした。しかし拘束した直後、メアが技を放つよりも前に力技で千切られた。
何かの『力』を使った感じはなかった。つまり単純な膂力でナノテクで強度が落ちているとはいえ、ユーティリウム製のワイヤーを引き千切ったのだ。
「そんな……透夜くん!!」
「ああ! この二人、いいや下手したら八人全員が『超人兵士』だ!!」
そして直感する。おそらく不完全な『超人血清』に適合できるように生み出された『人工生命体』だ。
確かにこの手法なら『超人血清』を完成させなくて良い。それに寿命が短い『人工生命体』を使い潰す方がメリットもある。なにせマスターに従う『人工生命体』なら『超人兵士』による反乱の可能性も無いのだから。
「―――『紅蓮帝王』!!」
もはや手加減なんて出来る状態ではなかった。透夜はすぐに『模倣仙人』を発動し、冷気を操ると二人の下半身を凍り付かせていく。だが完全に拘束する前に氷を殴って破壊されて方針の変更を余儀なくされる。
「メア! ここは一旦退こう!! このレベルが八人はマズい!!」
「でもこの状況で……」
「とにかく僕に掴まって!!」
叫びながら透夜はメアの体を抱き寄せると同時に『天鎖繋縛』を発動して鎖を伸ばすと虚空を掴んだ。さらにトラックのタイヤを凍らせて横転させる。鎖を伸ばしていた二人はトラックから離れて綺麗に着地し、横に倒れて滑って行くトラックを眺める。
「本当は『超人血清』を回収しておきたいけど……」
「今は無理だ。『紅蓮帝王』がもつ内に早く離れよう」
正直、『ポラリス王国』に来る前は二人でも何とかできると思っていた。けれど『W.A.N.D.』を頼れなった上に、状況が想像以上にマズい。もしすでに『超人兵団』が結成されているとしたら、リスクを承知で『シークレット・ディッパーズ』総出で対処しないとどうしようもないかもしれない。
「まずは屋上に飛んで、それから屋根伝いに逃げよう。開発放棄地区から出れば流石に向こうも追っては―――」
踵を返して適当な屋上に鎖を伸ばそうとした、正にその瞬間だった。
ドンッッッ!!!!!! と。何かが空を飛んで二人の前に落ちて来た。それは黒いマントを翻し、黒い軍服のような服を身に纏っている。また顔は仮面をしているせいで窺えず、長く伸びた白髪と赤い瞳が人間味を感じさせない。それと同時に得体の知れない力も感じる。
「……透夜とメアか」
仮面に変声機でもついているのか、ややくぐもった声だった。
透夜は息を呑んで慎重に言葉を返す。
「……僕達を知ってるのか?」
「ああ、知っている。だからこれは最初で最後の警告だ。今すぐこの国を出て『バルゴ王国』に戻れ。じゃないと後悔する事になるぞ」
「……とりあえず見逃してくれるって認識で良いのかな?」
「返答次第だ。もし諦めないなら手足の一、二本は覚悟して貰う」
それを実行できるだけの力がおそらく彼にはある。『紅蓮帝王』を発動してる今でさえ、おそらく勝つ事が出来ないだろうという予感がある。
「……お前、名前は……?」
「そうだな……『D』とでも名乗っておこうかな」
「そうか……なら『D』。僕の答えは決まってる。退きはしない。この国で起きてる事は僕らが止める」
「そうか……残念だ」
そして彼が虚空に手を伸ばすと、そこから一振りの異様な力を放つ太刀を取り出した。さらに全身に赫黒い焔を身に纏って行く。
「神刀『淵魔』。努めて慎めよ。あいつらの命までは奪うな」
『D』が刀を取り出したのを見て、透夜は魔力と氣力を『太極法』で練り合わせて『十拳剣=天羽々斬』を生み出した。
「メア、先に逃げろ……こいつは僕が足止めする」
「ダメだよ! 一人で戦うなんて危険すぎる!!」
「いいから『バルバトス』で逃げてくれ!!」
言い合いながら透夜は『天羽々斬』を振るって冷気を飛ばす。その冷気が『D』に届くと彼の体は凍り付いて行くが、彼が身に纏う赫黒い焔によってすぐに溶かされてしまう。
力の差だけでなく相性まで悪い。透夜の力は本来、炎すら凍り付かせる事ができる。それなのにこの結果という事は、透夜の仙術の力では敵わない事を意味している。
「来て―――『バルバトス=ドミニオン』!!」
透夜が向き合っている間に『魔装騎兵』を呼び出したメアだったが、それは逃げる為に呼び出したのではない。乗り込んだメアは複数のアンカーを『D』に飛ばす。しかし圧倒的体格差をものともせず、『D』は刀でアンカーを全て弾いてみせた。
信じられないその結果にメアは『バルバトス』で直接殴りかかるが、その手が彼に届く事はなかった。『D』が手をかざすと『バルバトス』はその動きを止めてしまったのだ。さらにその掌に赫黒い焔が集まって球状になると、それを『バルバトス』に向かって飛ばす。
「『紅蓮滅弾』」
掌大の焔球は『バルバトス』に触れた瞬間に爆散し、その威力で『バルバトス』は大きく吹き飛ばされて行く。しかもその方向には体勢を立て直した『カーソル』と『アクセル』がいる。
もはや迷っている暇は無かった。残された一回の切り札を行使する為に氣力と呪力を練り合わせていくと同時に、透夜は『天羽々斬』の切っ先を地面に突き差した。するとそこから周囲一帯の地面や外壁に影が広がって行く。
「『太極法』―――『氷影縛陣』!!」
次の瞬間、その影が全て凍り付いた。ただ超人の者達と規格外の力を持つ『D』をいつまで拘束できるか分からない。だから急いでメアの方に向かうと、彼女は中から出て来て『バルバトス』を消した。
「ごめん……『バルバトス』はしばらく動かせない」
「それは良い。とにかく今の内にここを離れて―――」
ガキィン!! と。
それは背後で『D』が先程の透夜と同じように刀を地面に突き刺した音だった。
嫌な予感に透夜の言葉が止まる。そしてその予感が正しかったと言うように、透夜やメアのいる場所にも届くほど広い範囲にき裂が広がる。
「『業滅陣』」
そして広がったき裂から焔が噴き出して爆散した。超広範囲への高威力の攻撃。全てがデタラメで成す術がなかった。二人の意識はその一撃で簡単に刈り取られてしまった。
そしてその瞬間、音無透夜の本当の切り札が目を覚ます。
ひとりでに広がった彼自身の影。その内側から影の巨人が這い出して来る。それは透夜自身も自覚していない意志に忠実に従い、目の前の敵を塵滅する。
「……無意識の『訣魁』か。でも不安定だな」
冷静にそう判断して『D』は腰に神刀『淵魔』を腰に構える。
「―――『紅蓮刃』」
そして振り抜いた刀から赫黒い焔の斬撃が放たれ、影の巨人の胴体を切り裂いた。だがあのヴェールヌイを圧倒した影の巨人だ。胴体を真っ二つにされたくらいでは止まらない。
これを倒す方法は二つ。発動者である透夜の方を殺すか、対応されていない攻撃によって全身を消し飛ばすか。
「『業滅焔神掌』」
ゴッッッ!!!!!! と。
向けた掌から赫黒い焔の熱線を放ち、それが影の巨人を飲み込むと一瞬で全身を消し飛ばした。
今度の今度こそ終わりだ。『D』はゆっくりと透夜とメアの方に近づいて行く。すると頭上から円筒型の金属が大量に降り注いで来た。それが何かを確認する間もなく、円筒から大量の煙が噴き出した。
「発煙筒……? いや、この感じは『魔力欺瞞紙』が混ざってるな」
電波ではなく魔力を遮断する特殊製。それにこれだけの量の発煙筒に混ぜてばら撒いた。透夜やメアとは違う、着実に準備を重ねてここに来ている誰かだ。そして煙が晴れた時にはすでに透夜とメアの姿は消えていた。
追おうと思えば『D』にはその手立てがある。だが彼は刀を虚空に仕舞い、横転したトラックの方へ近づいて行く。
彼があえて見逃した理由は、誰にも分からない。
あるいは単にいつでも倒せるからという自信の現れだったのかもしれない。