472 『人工生命体』と『超人血清』
『ポラリス王国』と『W.A.N.D.』で動きがあった二日後。
世界で致命的な何かが起きているなんて気づきもしない人々と同じように、ファミリーレストランで向かい合いながら少し遅めの昼食を取っている少年と少女がいた。
一人はジーパンにシャツ、そこに黒いパーカーを羽織って眼鏡をしている音無透夜。もう一人はニーソックスとショートパンツ、上は左の袖は手首まで、右の袖はない特殊なシャツを来ており、変装用に眼鏡をしてキャスケットを被っているメア・イェーガーだ。
「なんだかキナ臭い事になってるよ。『W.A.N.D.』に連絡が取れないと思ったら内部がゴタついてるみたい。長官は行方不明で嘉恋さん達は軟禁状態。『W.A.N.D.』も今は別の人が指揮を執ってるみたい」
メアはサイドメニューのポテトをまるで指揮棒のように小さく振りながら話すと透夜の口元に伸ばし、透夜はそれに食いついて飲み込んでから言葉を返す。
「情報収集早すぎない? どうやってるのか純粋に興味があるんだけど」
午前中、別れていた時間は数時間だ。透夜は大した情報を得られてないが、メアの方はしっかりと情報を持って来ている辺り流石だ。
「内緒。それに秘密の多い女の子の方が魅力的でしょ?」
「そんな事しなくても魅力にやられてるよ。その服装も可愛い」
「なっ……」
透夜の不意打ちにメアは顔を真っ赤にして動きを止めた。この手のやり取りについては透夜の方に分がある。というよりメアに耐性がなさ過ぎる。人間、自分より動揺している者を見ると逆に落ち着くものだ。
「……もう、そういうのは禁止」
「ごめん。つい本音が」
「だからそういうとこ!」
付き合いたてのカップルらしく、傍から見るとイチャついているようにしか見えないやり取り。まあ身分を隠している立場的には溶け込めるので助かるが。
そんなこんなで情報交換よりもただの食事デートと言った方が正しそうなやり取りを追えて、ファミレスの外に出ると適当に歩き始める。
「それで、『ナイトメア』の人達にも応援が頼めないとなるとどうやって『ドールズ』を追おうか」
「……昔の伝手を当たるよ。付いて来て」
あまり気乗りしなさそうな様子で先導するように歩き始めたので透夜も後を付いて行く。段々と人通りが少ない方に流れて行き、やがて完全に人通りが無くなる。それも不自然なほどにだ。
「ここには人払いの結界が張ってあるんだよ。目的地を知ってないと絶対に辿り着く事はできないようにね」
「常時魔術を使ってるのか?」
「科学的なものだよ。『魔道具』って言ってね、これは一度魔力を流し込むと二四時間もつようになってる必須アイテムだよ。表には出てないけどね。あと認識阻害のペンダントとかもあるよ? 今のレンくんとかには必要なやつだね」
これが『暗部』。ほんの少し前までごく普通の一般人だった透夜には決して推し量れない死地。最良の行動を続けても死が付きまとう世界。『W.A.N.D.』の権力をもってしても摘み取り切れなかった根深い闇。
メアとは今まで生きて来た世界が違う。透夜はそれを突き付けられているような気分だった。
「……透夜くんがいてくれて心強いよ。でも『ドールズ』を追うって事は私自身の過去に触れる事だから……」
透夜の様子を見て思考を読んだのだろう。だが透夜はこれ以上彼女を心配させないように、言葉を言い切る前に横に並ぶと手を握った。
「どんな過去があろうと僕が好きになったのは今のメアだ。事情も分かってる。今更嫌いになったりしないよ」
「……うん。ありがとう。でも嫌になったらいつでも言ってね?」
彼女のこの心配や自虐は、歩んで来た道のりを考えれば当然のものかもしれない。
でも透夜はそれを一緒に背負いたいと思うし、彼女が少しでも人生を幸せだと思ってくれるようにしたいと思う。もしも許されるなら一生をかけてそうしたいし、そう考えるほどに彼女に惹かれているのだ。
「着いたよ」
「着いたって……ここが?」
メアの事ばかり考えていると、案内されたのは古びた自販機の前だった。そしてメアは適当に押しているとしか思えない順番でボタンを押すと透夜に抱き着いた。
「め、メア……!?」
「危ないから離さないで」
どうやら下心は無い必要な行動だったようで、直後に地面が抜けると曲線を描くトンネルの中を滑り落ちて行き、数秒後にどこかの部屋へと流れ着いた。すぐに立ち上がって辺りを見回す。全く片付いていない倉庫のような所で、武器なのかガラクタなのか分からないもので埋め尽くされていた。
「相変わらずだなあ……ドク、いるんでしょ? ドクー?」
メアが呼びかけると背後でガラクタの山が動いた。透夜はビクッとしたが、メアは安心したようにそっちを見る。すると人気の無かったガラクタの山の中から白衣の老人が出て来た。
「な、なんだ!?」
「安心して透夜くん。この人はドク。私達の武器を作ったり整備してくれてた人。今は『W.A.N.D.』に協力してて『ナイトメア』との繋がりはまだあるから信用して大丈夫だよ」
信用面では大丈夫なのかもしれないが、その他の面で大丈夫ではなさそうで怖い。
彼は眼鏡の位置を戻すと透夜とメアの方を見る。
「んん? お前さん、メアか。久しぶりだのぉ」
「久しぶり、ドク。全然変わってなくて安心した」
「お前さんは随分と変わったな。ニュースは見ておるぞ。そっちの少年も『ディッパーズ』か?」
「うん、彼は透夜くん。私の自慢の彼氏」
「ほうほう、そりゃまた良い知らせじゃのぉ。だがお前さんともあろう者が彼氏自慢の為だけに来た訳じゃないのだろう? さしずめ『ドールズ』の件かのぉ」
「えっ、なんで分かったの?」
「ここ数日でお前さんが来訪三人目だからのぉ。『W.A.N.D.』の長官もユキノのやつも同じ事を聞きに来よった」
「長官とユキノが? 最近は自由に動けないって話を聞いたけど」
「『W.A.N.D.』の長官の方はずっと裏で動いておるよ。ユキノは休暇で本部にいなかったから軟禁されずに済んだそうじゃ。まあ『W.A.N.D.』に追われとるようだがのぅ」
言いながらドクは何かを探し始めた。透夜にとっては片付いていない部屋としか見えないが、何がどこにあるのかしっかりと把握しているのだろう。彼は手間取らず差し出して来たのは一台のノートPCだった。
「ユキノがメッセージを残していった。長官に関りのある者か『ナイトメア』か『ディッパーズ』のメンバーが来たら見せるように言われておる」
「ありがとう。ちょっと借りるね」
受け取ったPCを開くとデスクトップに動画とテキストが張ってあった。メアがすぐにそれを開くと画面にユキノの顔が映し出される。
『誰がこれを見てるかな。嘉恋さんかミリアムかリリィ、それともリーダーかボスかな。詳細までは話せないけど、直面してる問題について話すね』
「ユキノ……ちゃんとリーダーっぽくなってるね」
どこか嬉しそうに呟いているメアに何か言葉をかけたかったが、その暇はなく画面の中のユキノの言葉が続く。
『今、この国で「暗部」の動きが活発化してる。「ドールズ」が関わってるのは間違い無いけど、今はまだ頭目の所在は分かってない。分かってるのはここ最近、複数人の「人工生命体」が製造されてること。かつて「レオ帝国」でジョセフ・グラッドストーンとローズ・グラッドストーンによって研究されていた「超人血清」が運び込まれてること。ただあれは失敗作っていう話だったから真偽は不明だけど。でも「カーソル」と「アクセル」っていう「暗部組織」が運び込んだ噂があるから私は調べてみようと思う。……気をつけて。「ドールズ」は危険だよ。彼らの強さの意味は違うから』
意味深な言葉を残して映像は終わっていた。今の言葉の意味についてメアに尋ねようとしたが、彼女の横顔が険しくて言葉に詰まった。
「『人工生命体』……それに『超人血清』か」
「……それ、教えて貰っても良いか?」
「うん……『人工生命体』はゼロから人間の手によって作られた存在だよ。人工精子と卵子から作られて、強制的に成長させられてて寿命も短い。『造り出された天才児』も強制成長はされてるけど、人工物じゃない精子と卵子から作られるから寿命も普通の人とあんまり変わらない。そこが大きな違いかな。あとは『人工生命体』の方が製造者の意図で能力を反映させやすいっていうメリットもある。ゼロから人工物だから弄りやすいんだと思う。あとはマスターの命令に逆らわないっていうのもメリットかな。コスト面でもかからないって話だったかも」
「……本当に聞いてて嫌な話だな。どこまで腐ってるんだ、この国」
「国どころか世界規模だよ。だから『暗部』は『W.A.N.D.』長官でも潰せないほど根深い」
今になって知った話ではないが、やはり気持ちがいいものではない。現に透夜自身もミオとして再開できたとはいえ、一度は妹の澪の命を奪われている。完全な別れになった訳ではないが、それでもこの国の『暗部』を恨んでいない訳ではない。
「あとは『超人血清』は?」
「物は透夜くんが打った『獣人血清』に似てるよ。『超人血清』はその名の通り打てば、筋力や代謝機能が強化されて千人力の戦力になる。『レオ帝国』はそれで『超人兵団』を作ろうとしてたけど結局完成はしなかったって」
「……その、ジョセフとローズって人は……?」
「……ローズさんは当時の『レオ帝国』の王だったネフィロス・ロックウェル=レオによって殺された。ジョセフさんはそのネフィロスを殺して『リブラ王国』で死んだって聞いてるよ。一応はね」
「一応?」
「おかしい点がいくつかあってね。まあこの辺りはレンくんの方が詳しいよ。『リブラ王国』で彼と最後まで行動を共にしてたのは彼だから」
「……相変わらず色んな事件に関わってるんだな、アーサーは」
「うん……特にこの事件の事はよく覚えてると思うよ。レンくんにとっては苦い思い出だろうから」
「……、」
そこまで言われるとこれ以上はメアに聞けなかった。どうしても気になるのなら直接アーサーに聞くべきだ。
話が途切れた所でメアがテキストを開く。そこには座標が記してあった。おそらく『カーソル』と『アクセル』について何かが分かる座標だろう。
「……行こうか」
「ああ、分かった」
向かうべき場所は分かった。それにもしかしたら心強い味方が先に待っているかもしれない。だとしたら行くしかなかった。
「おっと、行く前にこれも持って行け」
そろそろ発とうとしている雰囲気を感じ取ってか、ガラクタの山にしか見えない中から掌サイズの匣を二つと、ボロボロの鞘に収まった刀を探し出すと二人に向かって投げた。メアは左右の手で一つずつ匣をキャッチし、透夜は刀を掴む。
「ドク、これ何……?」
「長官に頼まれて作った『4D匣』じゃ。質量や重さを無視して物品を収納できる上に、個々人の魔力の質と音声認証でしか開かぬ一点ものじゃ。赤いのがメア、オレンジがアーサー・レンフィールドのじゃ。出会ったら渡しておいてくれ」
「中にはもう何か入ってるの?」
「ああ、入っておるよ。持ち主が匣に触れた状態で『開匣』と言えば排出、『閉匣』で収納じゃ。ここでは試すなよ? 試すなら別の場所で落ち着いた時にしとくれ」
「分かった。ありがとう」
近いうちにアーサーに会えるかどうかは分からないが、一先ず両方とも大切に仕舞う。
そして次は透夜の番だった。
「この刀は?」
「長官やメアの時には反応を示さなかったが、どうやらお前さんをその刀が選んだようじゃ。だから持って行け。お守りくらいにはなるじゃろうて」
「……よく分からないけど、ありがたく貰っておくよ」
錆びた刀がどれくらい役に立つのかは分からないが、意味深な言葉もあったのでとりあえず腰のベルトに差す。そうしてみると益々ボロい棒にしか見えない。
この場での用事は終わったので、二人はその部屋から出て行く。次は安全とは限らない、けれど何らかの情報を得られるはずの真打ちへと向かって。