469 アーサー・レンフィールドの長かった一〇日間
もう幾度と繰り返し慣れた感覚。戦いの後に昏睡状態になり、そこから目覚める感覚。
今回は両手をそれぞれ柔らかい何かに握られていた。
「やっと起きた。ラプラスの言った通りだったね」
「これまでの事がありますから。『未来観測』でいつ起きるのか観測するのは簡単です」
アーサーの手をそれぞれ握っていたのは紬とラプラスだった。なんとも幸せな目覚めだが、とりあえずこういう時に真っ先に気になるのはここがどこで自分がどれだけ寝ていたのかだ。
「ちなみにここは王宮の中で、アーサーは四日ほど寝続けていました。今はあの日から四日目の夕方です」
場所については意外だったが、『ノアシリーズ』との戦いが終わった事でエリザベスが王宮を自由に使えるようになったのだろう。そして相変わらず普段寝れない分のバランスを取るような爆睡っぷりだった。まあ死にかけていて四日で起きれたなら、異常なほどの回復力とも言えるかもしれないが。
『それはワシを宿した影響だな』
(ヴェルター?)
アーサーは心の中の考えを読まれた事に少し驚いた。それにラプラスと紬の様子から、彼の声は自分にしか聞こえていないようだった。つまり意図的にアーサーにだけ話しているのだろう。
(影響って何のことだ……?)
『龍の回復力は人間よりも遥かに高い。ワシを宿した事で、オマエにもその特性が影響してるんだ。まあ元来の回復力の高さもあるんだろうがな』
(……ちなみにまだ何か影響ってあるのか?)
『追々話してやる。それより今は目の前の会話に集中したらどうだ?』
言われてハッとすると、ずっとヴェルターの方に集中していてぼーっとしていたアーサーの顔を二人が覗いていた。
「アーサー? 大丈夫ですか? まだ本調子では無いでしょうし、話は後にしましょうか?」
「いや、大丈夫。ちょっとヴェルターと話してただけだ」
言いながら体を起こすと、四日も寝ていたので硬くなっていた。それに目を覚ましたは良いが、まだ全快にはほど遠く嫌な重さがあった。
しかしそれを寝起きのせいのように装って二人には隠す。
「じゃあ、俺が寝ている間にあった事を教えて貰っても良いか?」
「はい。まずは全員無事です。この国の復興も始まっていて、リザさんがまとめています。父親との決着もつけられて、前以上に多忙だと言っていました」
「それからヴェールヌイの行方は不明のまま。『分岐した時間軸』の彼女達は幽閉してて、『世界間転移装置』が直り次第リアスが元の時間軸に戻してくれるって」
「……ネムは?」
「あの日から眠ったままです。不幸中の幸いだったのは、『バアル』のエネルギーで細胞が活性化された影響で猶予が伸びた事です。とはいえ数日程度ですが」
「ならすぐに『ポラリス王国』に行かないと。あいつの母親の名前を聞いたんだ。エミリア・ニーデルマイヤー。俺とヘルトにとって無視できない相手だ。すぐに連絡をとって動かないと……」
「その事についても話があるんです」
布団からすぐに出ようとしたアーサーを止めるように、ラプラスは声のトーンを落としてそう言った。アーサーは体を動きを止めて彼女の続きの言葉を待つ。
「元々、アーサーが起きたらすぐにでも『ポラリス王国』に向かう為に紗世さんに連絡して貰おうと思ったんです。ですが誰にも繋がらなくて……」
「繋がらないって……ヘルトだけじゃなくて嘉恋さん達にもか?」
「はい。理由は不明ですが『W.A.N.D.』で何かが起きているのは間違いありません。もしかしたら今の『ポラリス王国』は過去にないくらい危険かもしれません。私達の今の立場の事もありますし……」
「それでも行くしかない」
そもそもの話、端からそれ以外に方法はなかったのかもしれない。
未来を変えられた今ならヘルトに全てを話してもネミリアが殺されるような事はないだろう。そう思っていた矢先の非常事態に焦るが、同時にヘルトなら何とかしているだろうという信頼もある。どうあれこっちは飛び込んでみるしかない。
「とりあえずアーサーも起きたばっかりだし、向かうのは起きるのを待ってたみんなと話をしてからでも遅くないと思うよ。それに今夜はチャリティーライブもあるし、アーサーが顔を出した方が二人も嬉しいと思うよ?」
そんな紬の言葉もありややあって。
アーサーは現在、大きな風呂に一人で入っていた。王宮の使用人によって体は拭かれていたが戦いの汚れは残っていたし、何より娯楽に興味の無いアーサーの数少ない好きなものだ。これくらいの褒美を享受してもバチは当たらないだろう。
数日分の汚れを落とす為に念入りに体や頭を洗っていると、脱衣所の方のドアが開いた音がした。最初は透夜かと思ったが声をかけて来ないので、もしかしたら全く顔を知らない相手かもと思い始めてアーサーからも声をかけずにシャワーで頭の泡を流す。それから新しく入って来た相手を見ようと視線を横に向けると、そこには腰に手を置いた仁王立ちのエリザベスの姿があった。
「って、何やってるんだ!?」
幸い足にタオルをかけていたので最悪の事態は避けられたが疑問が残る。現れたのがラプラスか紬ならギリギリ納得できるが、エリザベスとなると行動の意図が分からず困惑する。
「背中を流してやる」
「いや良いから! 羞恥心ないのか!?」
「水着を着ておるから問題無い」
「いや俺は裸なんだけど!?」
「やいやい煩いぞ。タオルで隠せば良いではないか」
結局、押し切られる形でリザはアーサーの手からスポンジを奪うと背中に回った。そして宣言通りにアーサーの背中を洗い始める。
「……こうして見ると傷だらけだな。さきほどちらっと見えた胸の傷は古いもののようだが大きいし、そなたの人生の大変さが伺える」
「胸の傷は記憶が無いけど、まあ他の傷の原因は大体俺自身が望んで戦った結果だから。辛くは無いし後悔は無いよ。まあみんなに支えられてなんとかやれてるだけだから自慢げに話せる事でもないんだけど」
「それでもそなたが動いたからその縁が生まれたのだろう? なら少しは誇っても良いのではないか?」
「うーん……あんまりしっくり来ない」
「まあ、そなたは自分を誇るようなタイプではなかったな」
くすくすと、とても楽しそうにエリザベスは笑いながらそう言った。表情こそ見えないが、多くのものから解放された彼女のその笑みはとても自然なものだと分かり、とても嬉しい気持ちになる。
戦った意味。取り戻せたもの。そういったものを再認識できたから。
「ところでそなた、目覚めたばかりだがすぐにでも国を出るつもりなのだろう? 仲間を救わなければならないだろうしな」
「ユウナとユリのライブを見てからかな。それに色々挨拶しないといけないヤツらもいるし」
「そうか……ならここに来たのは正解だったな。今日は余も忙しい。こんな時間でなければ、そなたと話す事ができないくらいにな」
「それで風呂に突撃してきたのか……行動力が凄いな」
「まあ、それだけではない。余も今はほぼ裸だ。……ここでなら王の権威を纏う必要もなくそなたと接する事ができると思ってな」
そんな意味深な事を呟いて、エリザベスはふわりとアーサーの背中から抱き着いた。
「り、リザ……!?」
「……ありがとう、アーサー」
背中に感じる柔らかさに途惑ったが、耳元に囁かれた言葉にアーサーは動きを止めた。
いつもの硬さが無い、彼女本来の柔らかさを感じたからだ。昔のようで最近の最初の夜、助けを求めてくれた時以上に。
「こんな言葉じゃ感謝を伝えきれないけど、本当にありがとう。私の頼みを聞いてくれて。私達を助けてくれて」
権威を脱いだ姿。
エリザベスの本当の顔。
そんな彼女に、アーサーが返す言葉は決まっていた。
「友達の国だからな。当然だろ」
命を懸けたのも。
何度も立ち上がれたのも。
彼にとっての原動力の根幹はいつもそれ。
誰かの為に。助けを求めている誰かがいて、その人を大切だと思って、心を動かされて、だから自分に出来る全力で救い上げる。
つまりは結局、当然の事なのだ。
「……ありがとう。もう少しだけ、こうしてるのを許してくれ……」
「ああ、いつまでも付き合うよ」
いつも気を張っている友達のささやかな願い。
背中を流してくれた礼としては軽いものだった。
◇◇◇◇◇◇◇
風呂から上がると辺りはすっかり暗くなっていた。とりあえず同じように風呂上りのラプラスと紬と合流してから、それぞれの手をラプラスと紬と繋ぎながら半分デート気分で『バルゴパーク』に向かう。ちなみに前の服はボロボロだったので、今はエリザベスが用意してくれた服を着ている。アーサーは黒い半袖のワイシャツに黒い線が入った白いジャケットを着ていて、ラプラスは白いシャツに全体に黄色い花の絵が入った薄い緑のシャツを羽織っており、紬は白いシャツに黒い革ジャンを着ていた。変装にはなっていないが幸い人も多いので、なんとか正体はバレずに済んでいる。
「そういえば、もう一つ話しておくべき事がありました。透夜さんとメアさんは先に『ポラリス王国』に向かっているんです」
「そっか。メアもネムを大事に想ってたからな」
「いえ、ネムさんの件というよりも『ノアシリーズ』の件を裏で操っていた組織を探りに行くと言っていました。メアさんの古巣の『ドールズ』という組織です」
「『ドールズ』……でも『ナイトメア』みたいな暗部はヘルトが長官になった時に解体したんじゃ……」
「『ドールズ』は暗部の大元だからね」
その組織について知っているのか、今度は紬の方から声が上がった。だが詳細を聞けると期待して視線を向けると、彼女はそれを否定するように肩を竦めて、
「って言っても、メアから聞くまで本当に実在するかも分からなかったくらいの闇の底にある組織だし、ヘルト・ハイラントが解体させた暗部組織なんて表層だけだよ。実際、トカゲの尻尾切りくらいにしか思ってなかったんじゃないかな」
「ヘルトが動いた時に、暗部の人達自身が解体を恐れて隠れたって事か? 大元なら分かるけど、ユキノ達みたいな無理矢理その生き方を強いられてる人達なら進んで身元を明かしそうなものだけど……」
「それは仕方ないよ。アーサーくんも分かるでしょ? この世界には、闇の中でしか生きられない人達がいる。……ううん、闇の中の生き方しか知らない人達、かな」
「……、」
紬にそう指摘されたアーサーは押し黙った。
彼らからすれば暗部が日常で、外の世界は非日常だ。ヘルトがいきなり暗部を解体すると言っても反抗するに決まっている。結局の所、救われる準備が無い者は救えないのだ。
「とにかく『ドールズ』の件はお二人に任せて、私達はネムさんの方の問題に注力しましょう。まあアーサーが行ってそちらの問題に巻き込まれなければの話ですが」
「……善処はするけどヘルト次第だな」
正直、これまでの経験から間違いなく巻き込まれそうな気はしているが一応そう返す。というかヘルトに用がある以上、どうしても巻き込まれるしかないかもしれない。
そんなこんなで『バルゴパーク』の近くまで来ると、地下を通ってステージの裏側に移動して来た。そしてユウナとユリのいる楽屋に入る。ちゃんとノックをしてから入ったが、可愛いドレス姿の二人はアーサーの姿を見るなり驚いた。
「アーサー!? あんた、もう平気なの!?」
「ああ、もう大丈夫。だから二人の歌を聴きに来たんだ。それにありがとうも言ってないし」
「ありがとう……?」
覚えの無い言葉にユウナは首を傾げるが無理もないだろう。それはアーサーが勝手にお願いし、奇蹟みたいに与えられたものだから。
「戦いの時、もうダメかもしれないって時に二人の歌のおかげで立つ事ができたんだ。聞こえる訳のない状況だったけど、俺には確かに聞こえたんだ。だからありがとう」
「そんな……ありがとうって言うならワタシの方だよ!! みんなが戦ってくれたからこの国は今もあるし、世界中のみんなが生きていられるんだよ!? 感謝こそすれ、感謝されるなんて……」
「でもユウナ達が支えてくれたから俺達は戦えたんだ。一緒に戦って、一緒に勝ち取った。……だからまあ、ここはお互いにありがとうって事で良いか?」
お互いの健闘を称え合う。そこを落としどころにして感謝を伝え合い、アーサーは次にユリの方に視線を向ける。
「……なによ?」
「見れば分かる。俺達がこの国を出た後もここに残るんだろ?」
言い当てられたユリは耳をピンと張った。なんとも分かりやすい感情表現だ。
「……ええ、ユウナやリザとも相談してそう決めたわ」
「そっか。でも嬉しいよ。ユリに一緒にいたいと思える相手が出来て。これからはユウナと一緒に俺達の事を見てくれ」
「言われなくてもよ。正直、あんた達と一緒にいるよりも普通の人に触れ合えそうだしね」
「そこに関しては返す言葉もない」
環境的に見ても、いつまでもお尋ね者の自分達と一緒にいるよりもずっと安全なのは確かだ。例え別れたとしても関係まで変わる訳ではない。獣人として生み出された彼女が進んで見つけた道だ。友人として応援するべきだろう。
「ユウナ。ユリの事を頼む。離れても大事な仲間なんだ」
「任せて。ワタシにとっても大事な友達だから」
短い会話しか出来なかったが、そこで係の人が二人をステージに呼びに来たので、アーサー達はリザが用意した特別席の方に移動した。すでにみんながそこにいて、起きたアーサーとそれぞれ話しながらライブの始まりを待つ。
しばらくそうしていると、会場全体が暗くなる。そして次の瞬間、眩い光と音楽と共にユウナとユリの二人がステージに飛び出してきた。アーサーがこうして落ち着いた環境で彼女達、特にユウナの歌を聴くのはこの国に来た初日以来で、現実時間だと一〇日程度だが体感で二月ぶりの時間で感慨深くなってきた。それにユリもとても楽しそうで、彼女がようやく自分の居場所を見つけられた事も嬉しくなってくる。
いつも自分の選択が正しいとは断言できない。でもこういう光景を見た時には、決まって自分がやって来た事に意味はあったのだと思える。だから明日もまた拳を握れる。
このクソッたれな世界のどこかで、助けを求める事すらできない少数の者達を救う為に。
◇◇◇◇◇◇◇
ライブの後、アーサーは始まる前に約束をしていた者と会う為に一人で『バルゴパーク』の外れに来ていた。入場ゲートとは反対側なので本当に誰もいない。いるのは来訪者のアーサー・S・レンフィールドと、待ち人のキャラル=N=ドレッドノートだけだ。
「やっと来た」
「悪いな。一人って話だったからラプラスと紬もいない。俺達だけだ」
「それ間違えてた。正直、何人でも良かった」
「おい」
相変わらずどこか抜けているが、いちいち突っ込んでいても仕方が無いので、早速本題に入る事にする。
「それで、今後の話だったよな」
「うん。あなた達と一緒に戦う道でも良かったけど、あなたが破壊した『バアル』が回復して手に入ったから方針を変えた」
「ん? ちょっと待て。今、聞き捨てならない言葉があったような……」
「とりあえず聞いて。回復した『バアル』は私の意志で船になってる。『バアルシップ』って所かな。あたしはそれを使って『無限の世界』を巡ろうと思う」
「それは……『ストレンジャーズ・オブ・マルチバース』みたいにか?」
「ちょっと違う。戦う事もあるだろうけど、主目的は見聞を広げる事かな。ちょっと弄ってみたけど、戻る事は出来ても行先は決められないみたいだし。でも近い将来、それが必要になる気がする。勘だけど」
勘、というのは案外馬鹿にできない。アーサー自身、それに救われて来た場面も多々ある。『ノアシリーズ』としての日々の経験がそう告げているなら、きっとそれは正しい道なのだろう。たとえどんなに危険が伴うものだとしても。
「一人で行くのか?」
「ううん。イリスとジュディ、それにリーゼとソーマも一緒に行くから五人だよ」
「そっか……応援するよ。それに何かがあれば手伝う」
「うん、私も。だからマナフォン貸して」
意図は分からなかったが、とりあえず言われた通りマナフォンを手渡す。すると彼女は手から出したエネルギーでマナフォンを包み、少し操作してから返して来た。
「はい。私のエネルギーを付与した、世界で唯一の次元間通話が可能になったマナフォン。……これ一つでいくらするかな?」
「頑丈さで選んだ安物が凄い事になったな……とにかく、ありがたく貰うよ。何かあったらお互いに助け合う方向で」
「うん。そうしよう」
とりあえず今後の方針を決めた彼女とはここでお別れだ。特に『ユニバース』間の移動は時間にズレが生まれるのは実感しているので、互いに次に会えるのがいつになるのかは分からない。
相手の健闘を祈る為に、アーサーは軽く握った拳を前に突き出す。その意図を悟ったキャラルも同じように拳を出すと二人は中央でコツンと合わせた。
「頑張れよ、キャプテン」
「そっちも、リーダー」
それぞれチームのトップ。
二人は拳を離すと、それぞれの道に向かって再び歩き出す。
いつかまた交差する時が来るであろう、多くの苦難が待ち受けるその道を。
「あっ……そういえば、一つ聞きたい事があった」
だけど最後に一度だけ。
あるいはこの先に待つ運命を決定づけてしまう、そんな一言を放つ。
「あの戦いの後から見てないけど、リディはどこに行ったの?」
ありがとうございます。
前(漸)・中(紬)・後(昊)編と三編に渡って描いて来た過去最長の一九章も今回で終わりです。計八八話は我ながら長すぎですね。
今回の章は最初から書きたかった所の一つで、特にフェーズ4が始まってからの出来事はほとんどがこの章に集約しています。
『ディッパーズ』の分裂、破滅した未来からの警告、『獣人血清』と『マルチバース』の移動。その中で中心に据えて来たネミリアを巡っての物語も、宿敵エミリア・ニーデルマイヤーの存在が明るみになった事でそろそろ一区切りがつきそうです。
そしてもう一つの大きなイベントと言えば、『何か』という存在がついにアーサーの前に現れ、大空カケルという『担ぎし者』の意志を継ぎ、氣力や仙術、『焔桜流』や『太極法』などいくつかの新たな力を手に入れました。これらは今後のアーサーにとって大きな力になってくれます。
やがて訪れる、『絶望』と『回帰』を超える為にも。
では次章のあらすじです。
ヘルト・ハイラントが消えた。それと同時に暗部が躍動する。それはヘルトが『W.A.N.D.』長官になった時に行った暗部の掃討で手が届かなかった者達だった。その時に特務部隊に生まれ変わった『ナイトメア』の暫定リーダーであるユキノ・トリガーは、平和維持組織であるはずの『W.A.N.D.』から突如として命を狙われる事に。『W.A.N.D.』は侵され、秩序は崩壊し、『ファントム』にも追われ、彼女はたった一人で事態鎮静の為に行動を始める。その裏で全ての暗部の親玉である『ドールズ』も動き出し、多くの人々の人生を左右する世界の命運を懸けた戦いが始まる。
次回の舞台は『ポラリス王国』です。
前の章でも活躍したユキノやヘルトの登場ですが、今回の章が長かったせいで随分と久しぶりな感じがしますね。
次章も長くなりそうだなぁ。っていうか一九章より長くなるな、うん。
ところで最後のシーン。
キャラルがリディを覚えていたという事は……。
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「じゃ、行くか。三人共、準備は良いな?」
すっかり夜も更けた深夜。
アーサー、ラプラス、紬、そして紗世の姿がそこにはあった。
『ポラリス王国』に向かうメンバーはこの四人だ。今回は無断ではなく結祈やサラ達ともすでに話しており、みんなに蓄積したダメージや動かせないネミリアの事なども考慮しての人選だ。不確定事項の多い中での行動でラプラスの存在は不可欠だし、治す方法を見つけた時に紬がいればすぐに二国を行き来できる。また『W.A.N.D.』を訪ねる上でとりあえず現状では、『シークレット・ディッパーズ』として指名手配されていない紗世がいれば色々とスムーズに運ぶはずだ。
「うん。とりあえずヘルト・ハイラントを探し出してエミリア・ニーデルマイヤーを見つけるんだよね。時間も無いしなるべく迅速に行こう」
基本、指輪があれば後は武器の要らない紬は軽装だった。しかし迷いや枷が無くなった彼女は今が一番強い。おそらくこの中で最も安定した戦力だ。
「『キングスウィング』の用意はできています。お兄さんは到着まで少し休んでいて下さい。目が覚めたとはいえ、まだ全快という訳ではないでしょうし」
白いワイシャツに淡黄色のカーディガン、スカートにニーハイというどこぞの学生のような格好の紗世が同行してくれるのは、単に動きやすくなるというだけではない。むしろ連絡のつかない凛祢が心配というのが主目的だ。
「座標は私が設定します。『ポラリス王国』に隠れられる場所にはアテがあるので。まずはそこを目指しましょう」
ラプラスは着替えていていつもの武器を仕込んだコートを着ていた。先程までの恰好も新鮮で良かったが、やはりいつも通りの姿というのも落ち着けて良い。
「ヘルトがやられたとは考え難いけど、あいつが連絡を取らないならそれ相応の意味があるはずだ。どんな危険が待ってるか分からない」
「まあ、あの人はともかくしっかり者の凛祢や嘉恋さんと連絡を取れないのは異常です。いつも以上に警戒が必要だと思います」
ある意味で、今の『ポラリス王国』は魔境だ。
何が待っているかはわからない。ヘルト達に何があったのかもわからない。そして世界中はお尋ね者のアーサー達を追って来るだろう。問題を起こした上に中心地である『ポラリス王国』なら尚更だ。
「待て」
そしていざ『キングスウィング』に乗り込もうとしたその時だった。
背後から制止の声をかけたのはクロノだった。彼女一人で、どうにも見送りに来たという雰囲気ではなかった。
「……そういえば、お前と話したい事があったんだ」
「リディの事だな」
「リディ……さん? たしかアーサーが友人と言っていた方ですね。その方は一体どなたですか?」
「……移動中に全部話すよ。お前にも無関係なヤツじゃないし」
正直、気は重い。お前には忘れた友人がいる、なんて誰にだって言いたくはない。でもどのみち言おうとは思っていた事だ。ただその前にクロノとの要件を済ませなければならない。
「悪いが私にもどうしようもなかった。『時間』でも時間軸に抗うのは難しい」
「分かってる。事情はリディから聞いた。だから責めるつもりはないんだ。それにお前がやる事には必ず意味があるって信じてるしな」
「そうか……その信頼には一応、感謝しておこう」
少しだけ噛み締めるように呟いて、クロノはすっと手を前に出した。
「だからこれから私がやる事も正しいと信じろ」
その不穏な言葉の直後、彼女の周囲に現れた魔法陣から大量の鎖が飛び出して四人の体を拘束した。しかも特製の鎖なのだろう。縛られた瞬間、首から下が全く動かなくなった。なんで息が出来ているのかなど疑問はあるが、おそらく部分的に時間を止められている。しかもそのせいか魔力だけでなく呪力と氣力も上手く練れない。
「ぐッ……クロノ!? 一体何を……!?」
「アーサー・レンフィールド」
彼女の鋭い視線がアーサーを射抜く。明らかに強い決意を持った眼だ。
そして彼女はその決意のままに告げる。
「絶対にお前を『ポラリス王国』には行かせん」